26.幸せを運ぶ人(三)
千両役者って言うじゃない。
年俸千両、つまりは現在、と言っても21世紀の価値で1億円以上を稼ぎ出す歌舞伎のスター役者のこと!
いや、驚愕のあまり話が逸れましたが。
現代では“BONSAI”で通じるほど海外でも人気で、外国人が盆栽を学びに日本へやって来るくらいだし。
何やらすごい盆栽は目が飛び出るほど高価だと聞くから、江戸時代でも千両ってあり得るんだろうな。
「もうしばらくしたら、千日紅の陰干し、やってみよかな。教えてくれへん?」
「茎は長いまま、葉っぱは少なくして、なるべく花が重ならないようにしてね。風通しのいい日陰に逆さまに吊るしておくだけだよ」
「そんだけ?」
「水分を抜くことが大切なの。1~2週間でできるかな」
「ほんなら、日陰やのうてお天道様の光に当てたらあかんの?」
「直射日光に当てちゃだめなの。花色が褪せるから、時間をかけて自然乾燥することが大事なの」
「分かった、やってみるわ。そしたら、冬でもお花が楽しめるいうことやね」
「好きな人にもらったお花だから、なるべく長持ちさせたいよね」
「せやね」
「そうだ!これ、あげる。どれがいい?」
「押し花やね」
「あ、茎に蝶結びしてる」
白、淡いピンク、鮮やかな紫の撫子を押し花にして栞を作った。
茎をつけたままの1輪にリボン結びをしたり。
花だけをいくつも重ねて並べたり。
花びらを散らせたり。
何パターンかデザインを変えて。
ラミネートがないから、劣化しないか気になるところだけど。
「洒落てるわ~。どれもいいなぁ、迷うわ」
「ほんまや」
「土方先生も粋やし、ふたりとも美的感覚がええんやなぁ」
「花束といい、こういうの上手やね」
「会心の出来!」
「友情のしるし、みたいやね」
わたしが作るものはどうしても現代風になってしまうけど、それを大好きな友達に気に入ってもらえるのは純粋にうれしい。
違う時代に違う街で生まれたのに、感覚が共有できるって、ただただ感動だ。
「かれんちゃん、約束覚えてる?いつか、うちのためにピアノ弾いてくれはるって」
「覚えてるよ」
「お姉ちゃん、ずっと楽しみにしてたもんなぁ」
「そのいつかが叶うんや」
「最後の部分が難しくてね、大坂から戻ってずっと練習してたの」
「どんな曲?」
「“バラード”っていうんだけど、物語っていう意味なの。だから劇的で起承転結がある曲なんだよ」
ショパン『バラード第1番ト短調 Op.23』
映画の挿入曲に使われたり、特に最近はフィギュアスケートで人気選手が使用したことで有名な曲だ。
ショートプログラムやエキシビションで使われために短い曲だと思われがちだけど、実は約9分と長い曲なのだ。
吟遊詩人が竪琴やギターで弾き語りをする、それが中世の伝統的なバラードの形式だった。
「日本で言ったら、歌舞伎や琵琶法師みたいなものかな?」
もともとは詩や歌曲のジャンルとして知られていたものを、史上初めてショパンがピアノ独奏のためのバラードを作曲した。
友人の詩にインスピレーションを受けたのだ。
「出だしがとっても印象的でね」
不協和音のアルペジオ。
繊細でメランコリー。
靄がたなびくような静けさのなかで、愁い、ためらい、また愁い、ためらいを繰り返しながら徐々に感情が昂り、ついに爆発。
ずっとメランコリックな曲調ではなく、静けさと激しさが交差していく。
主題が移り変わると、心地よい夢を見ているような清らかなメロディ。
キラキラと華やかになり、ショパン特有の細かいフレーズも随所に散りばめられている。
最後の迫力のコーダは
激情の旋律がクライマックスへと向かう。
歌詞はなくてもドラマチック。
お幸ちゃんに聴かせるならば、華やかなだけの曲では物足りない気がして。
酸いも甘いも噛み分ける彼女には聴きごたえのある、時に美しく激しくも、愁いを帯びた曲を選んだ。
「近々ご披露します」
「ほんなら明日は?」
「明日?!いいよ!屯所にお招きしていいか局長と土方さんに聞いてみる」
「ほんま?けど、突然ご迷惑とちがう ?」
「大丈夫!でも野獣のような男どもには気をつけてね。特にお孝ちゃん!」
「うちも行ってもええの?」
「もちろん!」
「おおきに」
「あ!もうひとつあった!」
「何?」
「千日紅の花言葉」
“変わらない愛を永遠に”
「お姉ちゃん、愛されてるんやな」
顔を合わせれば、くだらないことで笑いあって。
悩みを話せば一緒に涙して、悲しみは半分こ。
苦しみだって分かち合う。
何より心強いのは、いつだって味方でいてくれて、背中を押してくれること。
わたしだっていつも味方だ。
何かあればすぐに駆けつける。
みんながいなければ、絶望の世界だった。
わたしに居場所をくれたの。
これって誇るべきことだとわたしは思う。
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