22.お嬢様に恋の罠(七)

軽い擦り傷や靴擦れなんかにはワセリンが使えると聞いた記憶がある。


肌に水分を入れてあげてからワセリンを塗ると保湿効果がある、と。


傷口の保護膜の役目になるというし、何もせずに放置よりはマシだろう。


不衛生なままにしておいて、菌でも入ったら大変だ。



「これでしばらくすれば治ると思います」


「あいがとございもす」


「そいでは、案内お頼みいたしもす」


「はい」


「おはん、名は何と言うんじゃ?」


「かれんです」


「かれん?」


「“可憐な花”ち言う、あん“かれん”か?」


「はい、平仮名で」


「じゃっどなぁ!そいはまっこてめずらしかね~」



このやり取り、覚えがあるなぁ。



「おいは、薩摩の大山弥助でごわす。こっちは黒田了介さぁじゃ」


「薩摩の方でございましたか」



新選組でも薩摩でもめずらしいと思うようだ、わたしの名前は。


って、当然か。


それより「ごわす」って、本当に使うんだ!


ちょっと感動。



「おふたりはお友達でございますか?」


「じゃっどなー。同じかごんまの生まれで、年も一つしか違いもはん。今は一緒に江戸に留学しちょいもす」


「留学ですか?」


「江戸の江川塾ちゅうとこで西洋流砲術を学んでおいもす。伊豆の韮山には反射炉があっとでごわす」


「もしかして大砲を作るんですか?金属を溶かしたりするんですよね?」


「こいはひったまがった~!知っちょいもすか?」


「聞いたことがあります」


「了介さぁもおいも西洋砲術の免許皆伝じゃ!」


「すごい!そうなんですか」


「そいで、上洛の命があったもんで京に来ちょいもす」


「じゃっどん、道に迷うとは思いもはんじゃした」


「ははは!」


「通りが碁盤の目のようになっているから迷いようがない、とかよく言いますけど、どこも似たような雰囲気だから同じように見えてしまいますよね」


「じゃっじゃっ!そげじゃ!ほんのこて大変じゃっど…」



同じような京町家が並んでいて、同じような風景が続くもんだから、わたしもここへ来たばかりのときは迷路に迷いこんだようで途方に暮れた。


ガイドブックもないし、ひたすら人に道を聞きまくった。


ほとんどの道が東西南北に通っているのだけれど、方角が分かったとしても碁盤の目のどの位置にいて、ここはどの通りなのか、よく現在地を見失った。


方角と通りの名前と目印になる建物をポイントに覚えたのだ。



「あ、柳馬場通はここを曲がります」


「お!こん辺りは見覚えのある景色じゃ」


「あ、こちらでございますね!鍵直旅館!到着でーす」


「かたじけない、あいがとごわした」


「それではわたしは失礼いたします」


「あ、待っくいやんせ…!」


「はい?」


「あ、んにゃ、その…」


「何か?」


「なんちゅうか…」


「弥助どん、どげんした?」


「了介さぁ、美しか…ひったまがっほど、よかおごじょじゃ。つい引き留めてしもたんじゃ」


「ははーん、さては惚れ…」


「何を言うかっ!おいは美しかーと言っただけじゃ…!」



ふたりで早口で話されると、何を話しているのかよく分からない。


首をかしげたままで、ぽつりと声に出した。



「薩摩の言葉って難しいんですね~」


「ははっ!そら、そげかもしれもはんなぁ」


「おはんにお礼をしたかでごわすが…」


「そんな!結構です。お礼なんて!」



いえいえと、目の前で手を振ってお断りすると。



「おはん、色が白かねー!」


「そうですかね?」



彫りの深いほう、了介さぁと呼ばれる人が、スッとわたしの手を取る。



「了介さぁ!ないをすっとか?」


「薩摩隼人も薩摩おごじょも、かごんまの太陽に照らされちょっで、色白はめずらしか」



沖縄は言うまでもなく、南九州である鹿児島や宮崎も南国のイメ ージがあるし、東北に比べたら断然日差しが強そうだ。


21世紀の女子じょしは美白のお手入れをしているだろうから、色白の人も多いだろうけど。



「あっ!上人様!もう行かなきゃ!」


「足止めしてすまんじゃった」


「ほいなら、気をつけてたもんせ…」


「では、失礼します」



お辞儀をして、走り出す。


と、伝え忘れがあることに気づいて引き返す。



「何じゃあ?」


「足の傷、清潔にしておかないとダメですよ。さようなら!」



念のため、ね。


薩摩の人と話したのは初めてだったけど、ふたりともすごく明るくて親切でいい人だったな。



ふと思った。


今後のことを考えたら、わたし、こんなに暢気に暮らしていていいのかな…?


とりあえず今日は。



「いっか!」


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