6.月のない夜には君の名を(四)

すーっと、静かに部屋の襖が開く音がした。


誰…?


濡れた睫毛をそのままに、顔を上げて入口を見る。



「起きたのか。体、平気か?」



その声は土方さん…?


無意識に表情が強ばる。



布団の横まで来て、腰を下ろしてわたしの顔を覗き込む人。


やっぱり土方さんだ。


暗いけど、行灯のわずかな光で顔が見える。


みかん色のほわんとしたやわらかい灯り。



でも、目線は合わせられない。



「少しやつれたな」



まさか心配してくれたとか?



昨日、あの時…目が合ったと思ったのは気のせいだった?


確かめることは、恐ろしくてとてもできない。



「腹減ってねぇか?倒れて、朝から何も食ってねぇだろ?」


「あ…少しだけ…」


「これ、食えよ」



差し出したお皿の上には、おにぎりが2つ。



「まさか、土方さんが作ってくれたんですか…?」


「ああ、不味くても苦情は受けねぇからな」


「ふふっ…きれいに握れてますよ。器用なんですね」



冗談言って和ませてくれたのかな。


少しだけ緊張が解けた。



「ありがとうございます。いただきます」



小さく一口食べた。



「おいしい…」


「そうか!」



予想外の人の優しさにふれたせいかな。


きっとそうに違いない。


なんか…また泣けてきた。



「どうした?」



みんなの優しい顔と非情な顔。


どっちが本当なの?


混乱する…



耐えきれず、手で顔を覆う。


あからさまだったかな…



「まだ体辛いか?」



指と指の間から見えた先には土方さんの手。



「あ、血…手の甲にケガしてます…」


「ああ、さっき引っかけちまった」


「使ってください」



差し出したのは和風モダンな梅の柄のハンカチ。



薄く瘡蓋になった上からまたひっかけたんだと思う。


昨日の傷なの…?



「大した傷じゃねぇよ」



拒否した土方さんの手を取り、傷口に勝手にハンカチを結ぶ。



「病人に世話かけちまったな」


「土方さんのお世話も仕事のうちです」



大きくてあったかい手。



「どうした?手が震えてるぞ」



自分の手と手を強く重ねて、震えを止めようとするけどダメ。



「あの…」


「うん?」


「…怖い夢を見たらどうしたらいいですか?」


「まだガキだな」



鼻で笑われて少しムッとしたけど、食いかかる気力はなかった。



「何…するのっ…」


「いいから」



何も言わずにいきなり手を握られて驚いただけで、怖い気持ちはもうない。


ひょっとしたら慰めてくれてるのかも。


そう思うくらい、震える手を優しく握ってくれたから。



「悪い夢を見たら俺を呼べ。夢の中まで助けに行ってやるよ」



トクン…


なぜ胸が鳴るの?


キレイな顔して、こんな少女マンガの王子様みたいなセリフ。


ハマるなんて反則だよ。



たぶん…


どっちも本当の顔。



この人たちは人を斬る。


それは目を伏せても仕方のない事実。



わたしに手を差しのべてくれるのも事実。



手を取ってしまった。


自分自身で、この人たちの手を…




それから、数日後。


黒谷・金戒光明寺こんかいこうみょうじの会津藩本陣へ出向いていた局長が大事なモノを持って帰ってきた。



「京都守護職・松平容保様より、我々の新しい名を賜った」



見事な達筆で書かれた紙を堂々かざす。



「これより我らは會津藩お預かり“新選組”である!」


「新選組か…!」


「どういう意味なのですか?」


「寛政の時代に會津藩にあった精鋭部隊の名前だそうだよ。武芸に優れた藩士の子弟の中から選ばれ、構成されていたようだね。我々がその名を継ぐにふさわしい、と殿が命名してくださったんだ」


「なんと!名誉なことだねぇ」


「殿からそのお言葉をいただいた時は、思わず涙してしまったよ…」



会津様より拝命した新しい名前に沸くみんなとは真逆。



この人たちは激動の時代に身を投じていく…という人の心配と、自身が早くこの時代から逃げ出さなくてはという焦心。


葛藤を抱えながら、今この時をこの目で見ていた。


ひとり不安を心の奥に隠して。



こうしている瞬間にも、明治へと向かって歴史は刻々と流れていくのに。



それは、わたし以外。


まだ誰も知らない。





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