12.恋をするとは思わなくて(三)
「なーんか、恥ずかしいとこ見られちゃったなぁ」
「それを言うなら俺だって…」
「恋ってみっともないね。自分勝手に考えちゃうし…ダメだなぁ、わたし」
「恋するってことはよ、そういうモンじゃねぇか?恋が愛になれば自分も変わるんじゃねーの?」
たまに正論を言うのよね、このお兄さんは。
ふざけて暴れ回ってるようで、普段から筋は通す人だけど。
「恋したら誰だって余裕なんかねぇよ」
「土方さんも?」
「確かにモテるが、本人は涼しい顔して余裕だろ。だから大丈夫だ!」
「余裕なのに、何をもって大丈夫なわけ?」
「あんな余裕綽々で構えてるなんざ、ありえねーよ。本気の恋はしてねぇと見た」
「なるほど…左之助兄ちゃん、意外と鋭い!」
「心外だな!恋の師と仰げ!」
「左之助兄ちゃんは男前だよ。新選組で、いや日本でいちばん!」
「そうか?そう思うか?」
「うん!」
「お前、やっぱ分かってんなぁ!」
「脇目もふらず、真っ正面から堂々と好きと伝えるんだもん。何だかんだ言っても、女の子はそういうの好きだよ」
「もし…あいつにかれんの魅力が分かんねぇようならなぁ」
「そうだったら?」
「たいした男じゃねーよ!」
思いがけない言葉。
恋心を知られたのが左之助兄ちゃんでよかった。
「ありがとう…」
泣きそうで、そう返すのがやっと。
わたしは何て恵まれてるんだろう。
やっぱり、人生は自分次第。
どう考えるか、どう行動するかで180度変わるんだ。
幕末生活に不安は大ありでも。
始まったばかりのこの恋は捨てられない。
今、この瞬間、この時。
大切にしたい。
今は心に秘めておこう。
土方さんを好きな女の中のひとり、は耐えられない。
もし、気持ちを伝えるときがきたら…
ありったけの想いを聞いてくれますか?
翌朝。
案の定、土方さんはおしろいの匂いをさせて帰って来た。
「♪“いのち短し 恋せよおとめ,
歌声が響く、夜明け前。
星を戴いて、お手入れに励む。
夜明け前のことを“星を戴く”とも言うそうだ。
素敵な表現だな。
江戸時代の美容法。
顔と体は
野ばらのエッセンスを抽出した蒸留水に、
それから、へちまの“美人水”は大奥にも献上されたという。
両方ともロングセラーの大人気ヒット商品だ。
わたしは季節によって使い分ける。
シャンプーは海藻のふのりを熱いお湯に溶かして、そこにうどん粉を混ぜたものを自作。
そのシャンプーを髪に付けて揉み込み、櫛で梳かしながら洗ったら、お湯ですすいで最後に水で流す。
髪を乾かして、といってもドライヤーがないから一苦労。
仕上げにツバキオイルをつけて完了。
井戸端でたらいに水を張って髪を洗い終え、艶の出た髪を梳かしていたとき、背後に人の気配を感じた。
「お前、雪国の生まれだからか、肌が白いな」
「あ…土方さん、おはようございます…」
「早いな。まだ薄暗いのに」
「今…桶に水を張ってお持ちしますね。玄関で待っていてください」
「すまねぇな」
鼻をきかせなくても分かるほど。
通りすがりふわりと感じる、おしろいの香り。
澱んだ心に漂う不安と焼きもち。
そんな自分に苛立つ。
外出先から戻ったときは、家に上がる前に、桶に水を張って足を洗う。
裸足で下駄や草履を履いて、アスファルトでない道を歩けば必然的に足が汚れる。
そのまま汚れた足で畳や床の上を歩かれたら大変なことになるからだ。
「どうぞ…」
「ああ」
桶の中に土方さんの足が入ると、ゆらゆらと水面が揺れた。
まずは右足から、丁寧に洗う。
チャプチャプと水の滴る音。
「ん?何だか、花のようないい香りがするな」
「薔薇の花の蒸留水を1滴、入れたので…」
「いい香りで癒される。気が利くな」
泣いちゃだめ。
大丈夫、泣かない。
そう決めてるのにな。
着物に少しおしろいがついている。
その事実を目にしただけで、はりさけそうに胸が苦しいよ。
ねぇ、土方さん。
他の女の人の前ではどんな顔するの?
わたしには見せてくれない顔?
バカだな…
それを聞いてどうするの。
余計につらくなるだけだと分かっているはずなのに。
どうして…こんなに胸が締めつけられるんだろう。
顔も名前も知らない人に嫉妬するなんて。
それほど好きになってしまったの?
これじゃ、もう後戻りできないじゃない…
つらくなったら、左之助兄ちゃんの言葉を思い出そう。
“わたしの魅力が分かんないなんて、たいした男じゃない”
何度も何度も心の中で繰り返す。
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