5.一寸先は紅のくちづけ(二)
横目でチラッと見る。
殴られたほうのほっぺを未だ手でさする。
そんなに痛かった?
「ちょっとからかっただけじゃねぇか。冗談も通じねぇのかよ」
とか、仏頂面でブツブツ言いながら着替える。
「冗談でこんなことするほうが頭おかしいの!」
「誰がお前みたいな小娘…」
「小娘?!」
グーで殴ってやればよかった。
ふんっ!
勝手にキスしたんだから。
当然の報いよ。
…そんなわけで。
このとおり現代には戻れていません。
すぐに帰れるって思ったのに、淡い期待も儚く散った…
どうやって時代を遡ったのかも分かんないのに、戻れる方法なんて見当もつかない。
癖みたいに考え込んじゃう。
いつ、どんなタイミングで戻れるのか。
一生戻れなかったらどうしよう…
そんなこと考えちゃダメ!
マイナス思考は敵。
現実になったらどうするの。
繰り返すのはため息と同じ言葉ばかり。
何でこんなことになっちゃったんだろ。
時を超えるなんて。
タイムマシンがあったらいいな、なーんて幼い頃の夢…
それとこれとはワケが違う!
江戸時代生活数日目、謎だらけの未知の世界。
お世話になってる新選組…じゃなくて、壬生浪士組のお勤めは、京の治安を守ること。
長く続いた徳川幕府に不満を持つ人。
不平不満が大爆発、一刻も早く幕府を倒して新しい世の中にしたい人。
鎖国の末、開国して数年。
外国の脅威に怯えることなく、理不尽な要求にはNOと示せる国づくりを目指す人。
幕府を支持し、現体制を継続させたい人。
尊王攘夷とか倒幕とか。
様々な思想が蔓延り、ごたごたしたご時勢。
確か藩によっても考えが違うんだよね。
浪士組はもともと将軍警護のために上洛したと聞いた。
京に拠点を構えた現在は、治安を乱す不逞浪士や幕府に反発する過激攘夷派を取り締まるのが仕事なんだって。
警察みたいなもの?
毎日交代で町の見廻りをしている。
組を預かる会津藩は幕府に協力する側、
本当は不逞浪士を捕まえることが目的なのだけれど、逃げようとしたり、斬りかかってくる人が多くて斬り合いになるのが実情なんだとか。
斬り捨て御免ってやつ?
タイムスリップ直後に見たアレはこういうワケだったのね…
「コクホウチュウジン…?なんだこれ?」
國、報、中、尽…
横書きに書かれ、掲げられた書の前で首を捻る。
「あっ!昔だから右から読むのか!えぇと、
“尽忠報国の志”とかいうのをよく耳にする。
簡単に言うと、お国のためにってことらしい。
平成生まれには、そういうのぜんっぜん分かんない。
お国のために、何で自分の人生捧げなきゃいけないのよ。
それぞれが自分で決めた道なんだろうけど、そんなの絶対にイヤ。
ちなみに、ここの人たちは佐幕攘夷派のようだ。
町でも攘夷、攘夷って…
攘夷って言えばそんなにエライわけ?
人を斬っても何してもいいわけ?
「何よ!口を開けば攘夷、攘夷ってバカのひとつ覚えみたいに」
力を込めてギュッと水を絞り、雑巾がけ再スタート。
外国人に対しても偏見持ちすぎ。
国を乗っ取られないようにしなきゃってのは分かるけど、海外の文化がどんだけ進んでると思ってんの?!
今の段階で日本は置いてきぼりなのよ。
ま、日本文化も好きだけどね。
「馬鹿で悪かったな」
「げっ…土方さん…ははっ…」
まずい…聞かれた。
ドバーッと一瞬にして冷や汗が。
バツが悪くて下を向いた。
今の発言は不用意だった…
こっちの世界じゃ言葉ひとつでどうなるか。
気をつけなきゃいけないのに。
おずおずと顔を上げる。
怒られると思ったけど、当の相手は一瞥を投げるだけで素通り。
「何…なの?」
気が抜けちゃうじゃない。
食いついてくるポイントが分かんない。
ヘンな人。
わたし、何を苛立ってるんだろう。
関係ないことじゃない。
イライラするだけムダだわ。
そもそも、イライラの発端はあの人のセクハラなんだけど…
なかったことにしよう。
そう!
そうしよっ!
…気を取り直して。
スピードを上げ、バタバタという足音と雑巾とともに廊下を駆け抜ける。
で、会津とは対極の倒幕派が多いのが長州藩、現在の山口県。
尊皇攘夷が思想だ。
佐幕派と倒幕派。
対立するのは仕方ないにしても、お互い命まで狙わなくてもいいじゃない。
平和的解決とはいかないんだろうか。
そうはいかないよね。
だから、数年後に大規模な戦争が起きるわけだ。
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