第79話 ヘズモントの研究室

 アカデミーは図書館の、いつもの会議室。薄暗い室内でスレンは密かに溜め息を吐いた。ミルレットから寄越された手紙により自身の潔白を知り、急遽アニムに帰還。正式な面会を明日に控え、その前に友人としてミルレットと会うことになったのだが、


「――いったい何をどう言えば良いんだ」


 ヨルヤを探しに行くと大見得を切って飛び出していったものの、面目ない結果を引っさげて戻ってくることになってしまった。そんな自分が情けなかった。

 ほどなくしてミルレットが部屋の扉を開ける。


「こんな暗いところで何をしているの」


 スレンを見つけるなり、彼女は「まったくもう」と、呆れたふうに笑った。どこからか借りてきたランプを持ち込み、会議室の燭台に火を移す。ようやく互いの顔を見られる程度に明るくなったところで、彼女は再び口を開いた。というのもスレンがずっと黙っていたからだ。


「それで、ヨルヤは見つからなかったの?」


 流石に答えられる質問に答えないほどスレンだって女々しくはない。


「見つけたよ。見つけたけど…………連れて帰ることはできなかった」

「そう。あのこが拒んだの? それとも誰かに邪魔された?」


 後者である。王女殿下への詳しい報告は明日、スレンの後見人であるアターシアから行われる。そこで王都での立ち回りや、これからの方針などを話し合うことになっているのだが、『それまで何も話さない』ではふたりで会っている意味がない。


「ミルレットは結社って知ってるか?」

「結社? まさか、それが名前だというの? わたくしも情報を集めていたのだけれど、名前のない秘密結社が暗躍しているという噂以上のものが集まらなくて」

「結社、それがやつらの名前だよ。ヨルヤは結社に利用されてるんだ」


 ミルレットとて、何もしていなかったわけではないらしい。核心に至れないながらもある程度の情報は得ていたようだ。


「噂の聖女さまの正体はヨルヤだった、ということかしら」


 スレンが肯定すると、ミルレットは不思議そうに首を傾げた。


「さっきの言い方だと、ヨルヤは望んでその役割を演じているわけではないのでしょう? 結社には貴方を止められるほどの武力が存在しているというの?」


 極大魔法を単独で行使できるほどの魔道師が、いったい何に苦戦したというのか。ミルレットの言いたいことがわかるだけに、スレンは沈黙で答えるしかなかった。


「……ファーロラーゼ公には報告したの?」

「その公爵が黒幕なんだ!」


 まだ状況証拠しかない。告発できるほどの確固たる物的証拠はないけれど、確信している。だがこれは個人の確信だけで軽々しく口にして良いことではないらしい。ミルレットは慌ててスレンを咎めた。


「ちょっと、そんな大声で物騒なこと言わないでよ」


 同じようなことをアターシアも言ってたのを思い出したスレンは、思わず口を強く抑えた。


「ご、ごめん」


 ミルレットにとってファーロラーゼ公は、従姉妹――正確には又従姉妹――の祖父にあたる。いわば身内。面識だって当然ある。記憶にあるのは頼もしげな笑みだ。自分とは親戚にあたる人物で、父の伯父、そして又従姉妹の祖父、そんなファーロラーゼ公の裏切りなど、考えたくもないだろうか。悲しきかな、彼女はそれほど乙女ではなかった。陰謀渦巻く宮廷で生まれ育ったミルレットは、幼くとも立派な王族だった。


「根拠はあるのかしら」


 平然と話を続けるミルレットに、逆に驚いて問い返すスレン。


「否定しないのか?」

「どうかしらね。でも、貴方だってこじつけで言っているわけではないのでしょう?」


 なかなかに逞しい少女に半ば圧倒されつつもスレンは、アターシアに先んじてこれまでの経緯と、特にファーロラーゼ公を疑う理由を話した。

 結社の聖女が公爵の孫であることは、結社と公爵の繋がりを勘ぐるには十分な材料だ。そして結社の目的が救世だというのなら、その救われた後の世界を率いていくのは誰か、と考えれば自ずと黒幕に公爵の名前が浮かび上がる。しかし、いかに公爵が出資しようとも結社の活動だけで国家転覆をなすには、公算が低い。より確実に実行するためには、決定的な一手が必要だ。それが公爵自身の手による王位の簒奪なのだ。


「なるほどね。そのために戦争を起こす必要があり、そのきっかけに暗殺計画を立てた、と」


 しかし前段階として引き起こした戦争はスレンの手によって阻止されてしまう。


「……そう。確かに状況証拠しかないけれど、妥当な流れだとも思う。そしてそれがもし真実なら、わたくしには伝えなければならないことがあるわ。スレン、研究棟に戻ってアターシア・モールに伝えなさい。今すぐ面会すると」


 そう告げるミルレットは王女の顔だった。急に雰囲気の変わった友人に「わかった」と真剣に頷いたスレン。しかし一体何を伝えなければならないというのか。面会は明日。何日も先のことではない。それをわざわざ前倒しにする程のことなのだろうか。


「でも、一体どうして?」


 振り返り、そう尋ねたスレンにミルレットは、酷く深刻そうな顔つきで答えたのだった。


「わたくしに貴方の居場所を教えたのはファーロラーゼ公なのよ」



 スレンがミルレットと会っていた時、アターシアはヘズモントの研究室の扉の前に立っていた。隣には護衛騎士のアキュナ。室内に人の気配はない。

 ファーロラーゼ公と違って、ヘズモントの裏切りと異端は確定している。アターシアが報告しさえすれば直ちに異端審問官が派遣され、研究室を荒らしにくるだろう。研究者でない彼らにとって異端の証拠以外は無用の長物。荒らされるだけで済めばまだましだが、一切合切奪われた挙げ句、焚書されれば百五十歳を越えるヘズモントの蓄積された叡智は失われてしまう。アーグ教徒にとって異端は忌むべきものだが、信仰心の薄いアターシアに言わせれば「知識に善悪は無い」なのだそうだ。言っていることは高尚だが、つまり見たいだけなのだ。


「そういえばラハベリクはどうしたのかしらね。エルベストルでは見なかったけれど」


 ヘズモントの護衛騎士ラハベリク。基本的にアカデミーの研究者につく護衛騎士の主人はアカデミーである。アカデミーの抱える騎士団から出向しているという形式になっているから、ヘズモントの裏切りに付き合っているとは限らない。とはいえそう考えるのは甘いだろう。何しろ監視対象の魔道師が裏切っているのにアカデミーの騎士団に報告を上げていないのだから。それともラハベリクが気づいていない? まさか。護衛騎士には監視者という側面もある。そのスタンスを保っているのなら、地方に実験室を持っていたり、あまつさえアカデミーに秘密の研究室を構えていることなど、気が付かないわけがない。ならばアカデミーの騎士団も飲み込まれているのか。まだそちらの方が現実的だが、それならもっと効率的にスレンを殺せたはずだ。


「明日、殿下との面会が終わった後、騎士団に顔をだして彼の消息を尋ねてみるわ」


 少なくともミルレット王女殿下に公爵や結社の企てを伝えておかなければならない。そう告げるアキュナに頷いて、アターシアは研究室の扉を開いた。



 結論。ヘズモントの研究室はすでに荒らされた後だった。


「もう審問官がきたのかしら。早いわね」

「いえ、違うわ。多分先生が必要なものを持ち運んだ後なのよ。その証拠に、まだ異端を示す内容のものが残ってる」


 奥の本棚の足元に散らばっている紙類は、大方がアターシアも知らないような古代ネユタ時代の魔術に関する資料だった。書棚の奥が広いことから、二列目に仕舞われていたのだろう。


「あの御方にしては迂闊ね」

「そうかしら。事を成した後、先生はきっと権力を手に入れる。異端が異端でなくなるくらいの変革は起きるんじゃないかしら」

「考えただけでもぞっとしないわ」


 嫌悪感を隠そうとしないアキュナ。そんな彼女を見て、アターシアは少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 一応、この異端まみれの研究室を訪れる理由は、エルベストルの廃城でヘズモントが見せた『化物を作り上げる魔術』のような危険な研究の痕跡を調べるため、となっている。旧エルベストル城では、スレンだったから対処できただけだ。ヘズモントの異端が公になれば、異端審問官の要請を受けて討伐騎士団が結成されるだろう。その時、断罪者たる異端審問官たちが、異端研究の内容を討伐隊に流すだろうか? 誰かが敵の情報を討伐隊に伝えなければならないのだ、とアターシアは主張した。が、もちろん建前だ。


 広がる未知を前に輝きを増す瞳を、アキュナに気づかれないように顔を背けながらアターシアは資料を漁った。だが、さすが長い付き合いなだけあって、アターシアの心理などアキュナにはお見通しだったようだ。


「取り繕わなくても大丈夫よ、アターシア」

「え?」

「貴女があんな悍ましい魔術の実験をするようになったら、そのときは私が貴女を殺してあげるから」


 アターシアが振り返ると、アキュナの態とらしい笑顔がそこにはあった。

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