第78話 ミルレットからの書簡

 ある日、アターシアのところに一通の書簡が届けられた。送り主はアニムのアカデミーにいるミルレット王女殿下だった。書簡は王家の封緘がなされていて、これが公式の文書であるとを証明していた。いかにも剣呑な雰囲気漂うブツを執務机の上に滑ららせてアターシアが溜め息を吐いていると、扉を叩く音がして、剣の稽古をしていたスレンとアキュナ、それにミザリが入室してきた。


「今日はノックするのね」


 と、軽口を叩くアターシアだが、表情はひどく苦い。


「何かあったの?」


 アキュナの問いかけに、アターシアは筒状の書簡を指先で弄んだ。すると今度はスレンから疑問符が挙がる。


「手紙? 誰から?」

「……ミルレット王女殿下よ」

「ミルレット!」


 聞き知った名前に思わず喜色を浮かべるスレン。その無邪気な笑顔を恨めしそうに横目にしながらアターシアは丁寧に封緘を解いた。


「ええっと……」


 そして端から読み進めていく。


「なんて書いてあるんだ?」


 逸るスレンの期待に反してアターシアの表情はどんどん曇っていく。


「アターシア?」


 そしてついにはガクリと力なく執務机に突っ伏したのだった。青ざめるとか、慌てるとか、窮地に陥ったような反応を示さないあたり、それほど悪いことではないように思えるが、なら一体なにが書いてあるというのか。項垂れるアターシアの手から手紙を抜き取り、アキュナは文字列を追った。


「考えなかったわけじゃないんだけどなぁ……」


 そうぼやくアターシアはひどく後悔している様子。


「まあ……仕方がなかったんじゃないかしら」

「おれも読みたい」


 今度はスレンがアキュナから手紙を奪い、並んだ文字列に目を向けた。文字を読むのはかなり久しぶりのスレンだが、ヨルヤに学んだことはきちんと身になっているようで、ところどころ詰まるものの、存外すんなりと読むことができた。そして肝心の書簡の内容はこうだ。


『本格的に寒くなり、王国南部の都市アニムでも冬の到来を感じられるようになりました。大商会たるモール商会におかれましては、冬支度にむけての商戦期を終えられ、春に向けて英気を養われているところと存じます。また来春も、より良い関係であれますよう、ご期待申し上げます。


 ところで、わたくしには貴女がたに問わねばならないことがいくつかあります。アカデミー魔法科の学生、スレンと、その後見人たる貴女、アターシア・モール。貴女がたがニーザ平原でしでかしたことに国王陛下は、ひどく胸を痛めていると聞きました。しかし陛下はその寛大なお心をもって、赦すとおっしゃっておられるようです。にも関わらず現在、貴女がたが陛下の要請を反故にしておいでなのはいかなる理由があってのことなのでしょうか。いかに権威主義とはかけ離れた研究者とはいえ、それを維持するには、権力と正しく向き合う必要があります。貴女は厭いながらもそれをなし、報酬として自由を手にいれてきた。であればこそ、陛下の要請を無下にすることの意味をご存じないわけではないでしょう。


 今ならばまだ謀反を疑われることはないでしょう。わたくしもスレンの友人として口添えをすることはできます。

 馬車の準備をしてお待ちしておりますので、そろそろアニムに帰還なさいませ。詳しい話はそちらで致しましょう。


 アターシア・モールへ

 ミルレット・エナ・オーグ・シャロレ』


「これって、おれたちはまだ叛逆者じゃないってことか?」

「まだって、なるつもりがあるの?」


 スレンの質問に質問で答えたのはミザリだった。


「そんなつもりないけど」

「じゃあ、まだってどういう意味なのよ」

「いや、それはだって――」


 ミザリの訝しげな鋭い視線に思わずたじろぎ口どもるスレン。


「スレン、それじゃ逆に怪しいわよ。あのねミザリ、私たちはすでに自分たちが叛逆者として指名手配されていると思っていたのよ。ヘズモントさまの嘘にまんまとのせられてしまっていたわけね」

「先生が裏切り者だとわかった時点で、その嘘を疑わなかったわけじゃないんだけど、セレベセス支部の誰も、ミザリも教えてくれなかったから、本当のことだったんだと思い込んでいたわ。一応聞くけど、ミザリが独自に掴んでいる情報でも、私たちが叛逆者として指名手配されているってことはないのよね?」


 問われたミザリは何とも複雑そうな表情を浮かべ「ええ」と短く頷いた。そして続けざまに聞き返す。


「それで、当然この手紙には従ってくれるのよね?」

「当然よ。要請というのが何のことかは書かれていないけれど、これは事実上の召喚命令だと受け取るべきよ。正直、王女殿下のお口添えがどこまで通用するのかは甚だ疑問だけれど、それでも出頭しないと後戻りできなくなってしまう。そうなれば商会にも迷惑がかかってしまうわ」

「公爵さまのことは……」

「言わないわよ。どうせ陛下はスレンの極大魔法が目当てなんでしょう。どのタイミングで公爵が裏切るのかはわからないけど、余計なことを言わない限り、公爵も私たちに手を出すことはできないでしょう。なにせ国王陛下という庇護者がいるんだから」

「……あんまりあてにしない方が良いと思うけど」


 自分の安全を他人任せにするのは良くないことだ。当然アターシアも理解しているし、スレンはともかく自分やアキュナを国王陛下が守ってくれるなどと、本気で思っているわけではない。ただ、何を言ったところでこんな手紙が来てしまえば、もはや知らないでは済ませられない。最初から選択肢がないのなら、希望的観測のひとつやふたつ、口に出して自分を励ましてやりたい気分にもなる。


 決めてからの行動は早かった。さすがは元商人。時間の貴重さをよく知っている。いや、召喚命令をすっぽかしている現状で、どうせ待たせているのだからと開き直れるほど図太くいられないだけなのかもしれない。


 ともあれ、ようやく愛しのマイルームに帰れるのだと、スレンもアターシアも、そして弟子を待たせているアキュナも、ほっと息を吐いたのだった。

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