第75話 セレベセスへ

 流星がアーチ状の天井を突き破って赤子の化物を蒸発させた時、アターシアとアキュナは己の死を確信した。確信するほどの時間が与えられたことが不思議だった。流星の爆撃に晒され廃城が倒壊するその渦中にいて、昏倒するか即死して本来見ることの叶わない滅茶苦茶な光景と音響を目の当たりにしている。スレンが風の防壁を展開させたのだろう。この極大魔法さながらの攻撃によって生じた爆風や瓦礫を完全に防いでいる。いったいどれほどの風が圧縮されているのだろうか。防壁の中から現在進行系で破壊されている廃城を見ていると、極大魔法のショーを見ているような気にさえなる。


 やがて、すべてを覆い隠していた土煙が晴れ、平穏を得た瓦礫の山のなか、ぽっかりと丸く空いた石畳の上で、彼女たちは立ち上がったのだった。


 スレンの身体には穴が四つ空いていた。すべてのナイフをアキュナが抜き取り、ボロ布で止血をしても、流石にすぐには歩けそうになかった。だが長くこの場に留まることはできない。空に浮かび上がったであろう魔法陣は、きっとエルベストルの街からも見えただろう。すぐに調査団が組織されるはずだ。アキュナがスレンを背負い、三人はすぐに山を降りた。そして一路セレベセスヘ。

 当然エルベストルに身を寄せられれば良かったのだが、街は警戒態勢を敷いているようで門の前は、検問の順番を待つ人だかりでごった返しているようだった。ようだった、というのは近づくことすらできなかったからだ。今の自分たちは叛逆者で、仮にそうでなくても疲労困憊の魔道師と騎士、それに子供は傷だらけときている。怪しさ満点だ。

 腹は減っていたが、しかたなく東進。街道から大きく外れた森の中で、長い長い一日の終わりを迎えた。


「……駄目だったわ」


 狩りに出ていたアターシアが、面目なさそうに夜営地に帰ってくる。手には魔道師の短杖だけ、左手は空だ。


「下手くそだなぁ」

「野生児のあんたと一緒にしないで。それにこんな暗くちゃ何も見えないわよ」

「研究ばっかりだから目が悪くなるんだよ」


 スレンとアターシアは軽口を叩き合うが、その実、収穫ゼロというのは死活問題だった。この三人の中で唯一狩りができるスレンが負傷しているということで、一日中スレンを担いで歩いたアキュナの代わりに食料調達役を名乗り出たアターシアだったが、経験したことのない狩猟、しかも夜間においては芳しい成果をあげることができないのは当然のことだった。


「仕方ないなぁ」


 はぁと溜め息を吐いたスレンは、アキュナに自分を森の奥深くに置いてくるように言った。



「――じゃあ、明日の朝方に迎えに来てよ」

「本当に大丈夫?」

「まあ、こんな狩りの方法はさすがに初めてだけどね」


 あっけらかんと笑ってみせるスレンに、アキュナは苦い笑みを浮かべた。


 アキュナが去った暗闇の森で、スレンは止血に使っていた布を太ももから解いた。そしてわざと傷口が広がるように殴打する。


「いってぇ」


 などとひとりごちながら血が滲んでいくのを見て、よしと頷く。血の匂いで狼をおびき寄せようというのだ。食べたことのない獲物だが、この際仕方がない。警戒心の強いシカやウサギが近くを通りかかるのを待つなんて運任せなことはしていられないのだ。

 興味を示して近づいてきた狼の首筋に氷柱を突き立て、仕留める。狼は賢い生き物だから、引っかかってくれるか心配だったけれど、とスレンは胸をなでおろしたのだった。



 エルベストルまでの道中、意外にもスレンは焦ってはいなかった。焦っても仕方がないというのもあるが、ヨルヤを人質にしたヘズモントにジフがした指摘にあるように、彼らはヨルヤに危害を加えることができないと知ったからだ。対照的に焦っていたのはアターシアのほうだ。


 まさか先生が禁忌に手を出していたなんて。スレンが見つけた研究室というのは、もしかして先生のものだったんじゃ。エルベストルの廃城で先生は、私の「いつから」という問に「ずっと」と答えた。先生はアカデミーの研究室でずっと古代ネユタ時代の魔術について研究していたのだろうか。アカデミーの古参として着実に役得を得て、周到に自らの異端を隠し続けていた。それにあの様子だと他にも実験室を持っていたに違いない。あの廃城も、そのうちのひとつだったのだろう。廃城で先生が詠唱した魔術がぶっつけ本番だったとはとても思えないから。

 それから先生は魔人と言っていたけれど、あの大量の死体はいったいどこから……いや、生命属性の魔力は死体には宿らない。とすると彼らはどこかから攫われ、生たまま実験材料にされたのだわ。生贄ってとこかしら。なんて酷いことを。そこまでして……


 アターシアの胸中には沸々と湧き上がる感情があった。


 おそらくラベンヘイズで、タイミング悪く結社と遭遇したのは先生のさしがねだったのかも。公爵からあっさり面会許可が下りたのも、きっと先生がファーロラーゼ公にスレンの危険性を説いたのだろう。弟子の私を巻き添えにすることを何とも思わなかったのかしら。

 ……愚問ね。弟子の命と引き換えにしても構わないほどの執着があったのだわ。


 アターシアはフードを深くかぶり直す。アキュナにもスレンにも、今の笑みを見られるわけにはいかなかったからだ。


 知りたい! 先生がそれほど夢中になって追い求めた研究、その成果、気にならないわけがなかない。

 

 なんとしてでも手に入れてみせると、密かに決意するアターシアだった。 




 さて、いかなる目的であろうとも、旅をするならばそれなりの準備が必要である。これまでは逃亡中につき、拠点を構えることはできなかったが、こんな根無し草のような生活をいつまでも続けるわけにはいかない。アターシアがセレベセスへ向かったのは、同市の商会支部を頼ろうと思ってのことだった。セレベセスといえばファーロラーゼ公のお膝元。つまり敵の本拠地となるわけだが、だからこその勝算がアターシアにはあった。


「あんたには酷かもしれないけど、覚悟してもらうからね」

「本気なのか? 都市をまるごと人質にするだなんて」

「仕方ないでしょ。他の街ではその価値はないんだから」

「でもおれ、もしものことがあっても都市を破壊することなんてできないぞ?」

「あんたは、公爵にしてみれば生温いところもあるけど、潔癖ってわけじゃないし、十分脅しにはなると思うの。それに、あんたがそうじゃなくったって、公爵が脅威を抱けばそれで良いのよ」

「通用するかな」

「きっとするわ。だって、公爵はそういうお方だから」


 もちろん都市を人質にするなんて、潜伏がバレた時の最終手段だが、カードは多くあったほうが良い。それよりも問題は都市への入場方法だった。

 叛逆者という話自体がヘズモントの口からでたでまかせなのではと疑わないわけではないが、それを信じて捕まってしまっては間抜け以外の何者でもない。正攻法での都市門突破が無理なら邪道を試みるしか無い。


「スレンが、アルトセインに教わったという風の防壁を使った壁越えをしましょう」


 これでは邪道というより悪道である。遵法精神豊かな騎士アキュナは了承するだろうか。言ってしまった後でアターシアはちらりとアキュナに目を遣った。


「……そう、都市壁を」


 やはり難しい顔をしている。いかに緊急事態とはいえ安寧の守護者たる矜持を忘れないことは良いことだが。


「こ、この場合しかたないでしょ。超法規的措置ってことで見なかったことにしておいてよ」


 必死に説得しようとするアターシアにアキュナは呆れた溜め息を吐いた。


「都合の良い解釈もあったものね。まったく、そんな下手くそな説得しなくても大丈夫よ。これしか方法がないのでしょう? なら、迷っている暇なんてないじゃない。そこまで石頭だと思われていたことのほうが心外だわ」


 とはいえ、都合のい鉄板などそうそうあるものではない。なので魔法で作った氷の板を足場にして三人は、夜のセレベセスに侵入を果たしたのだった。

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