第74話 崩れゆく廃城で

「ちぃ! 貴様がもたもたしておるからじゃ!」


 二階の手摺より身を乗り出して、せっかくお膳立てをしてやったのにと喚き散らすヘズモント。


「もとより貴様に彼女を殺すことなどできなかっただろう」


 だが、ジフは呆れたように肩をすくめるだけだ。いち魔道師に過ぎないヘズモントが、公爵から聖女として借り受けた令嬢を手にかけることなどできるはずがない。ヘズモントはスレンとの関係性を考え人質にとったのだろうが、そもそも実力行使ができないのであれば、彼女に人質としての価値は無い。むしろ自分の身を危険に晒しかねない代物。もとより義理も道理もなかったわけだ。


「彼女の治癒魔法は魔道師にとって脅威だと言っていたのは貴様ではないか。とうとう耄碌したか? それともまだ幼いと油断したか」

「やかましい! もとはといえば、貴様がぼやぼやしておるから儂が出てきたのではないか!」


 アターシアが気がつくのだ、その師であるヘズモントがヨルヤの治癒魔法の危険性に気づかないわけがない。図星をさされたヘズモントは、吐き捨ているようにジフを責め立てた。


「ふん! 騎士団も全滅させてしまいおってからに。おい! アレを使うぞ! その隙きに奪い返せ!」

「……今度は大丈夫なのだろうな」

「儂を誰だと思うておる。此度は贄も十分、とあれば結果は決まっておるわ。貴様もさっさとそこを退け」


 二人の会話にそこはかとない剣呑さを感じるスレンたち。ヘズモントが何かを企んでいるのは明らかだ。だが魔道師として同じテーマを研究するアターシアでさえ、彼が何をしようとしているのか見当もつかなかった。先生の研究は魔法の戦術的価値を高めるようなものではなかったはず。この戦いの場で一体何ができるというのか、と。


 得意げに杖を掲げるヘズモント。その口から紡がれたのは、この場にいる誰もが聞いたことのない呪文だった。


「ディアラ、エルダ、ロキア、グルズ。ギーア、ヘルア、フィリア、ギルグ。ナナヤ、ゼゼア、トトガ、イルド。寄る辺なき魂を喰らえ、血肉は此処へ、生まれいでし仔よ、其方は望まれず、其方は屠られ、其方は忘れられるだろう。されば殺せよ。骸の数だけ其方は永久となろう」


 詠唱に応じるように講堂の床に緑色に光る魔法陣が浮かび上がった。ヨルヤを抱えたスレンが慌ててその場から飛び退こうとするも、地響きが発生し足をとられてしまう。


「まさか極大魔法!? でも――」


 城をも揺らすほどの地揺れだ。アターシアの知る魔法にこれほど強力なものはない。しかし断定しきれない理由もあった。


 スレンじゃあるまいし、極大魔法に必要な魔力を先生ひとりで賄うなんて不可能なはず。それに詠唱呪文に神々の名が入っていなかった。


 後者から導き出される答えはひとつ。


 まさかこれは、魔法ではなく魔術?!


 アターシアが思い至った瞬間、地面が割れた。

 足場がどうとか言っている場合ではないと、スレンは足腰に魔力を集中させ、ガラガラと崩れ始める石畳から魔法陣の外側へと跳躍する。下階があったようだ。瓦礫の崩れ落ちた先、暗闇の向こうからけたたましい絶叫とともに、巨大な腕が飛び出してきた。


 天井に届きそうなほど巨大な手の先には指が三本しか生えていない。北方に生息するといわれる巨人族かとアターシアは疑った。だが、講堂の床を支えにして乗りあげた上半身に驚愕する。


「人間の……赤子?」


 ――のような姿をしている。しかし眼窩に目玉はなく、耳も抉れている。近しい輪郭のものを他に知らないがゆえの形容に過ぎなかった。


「なっ、なんですかこれは!!?」


 悔しげに舌打ちをするヘズモントをアターシアは問い詰めた。


「ああん? そうじゃな、最後の講義をしてやろう」


 声を荒げるアターシアに気づいたヘズモントは、ふんと鼻を鳴らした。


「魔力に侵され、魔力に生かされている獣を魔獣と呼ぶじゃろう。これはな、人のそれよ。魔人とでも言うべきかの。ま、失敗作じゃが」


 ヘズモントの赤子へ向ける視線は、汚物を見る時のそれだ。――と、その視線が下階に向いていることにスレンたちは気がついた。ヘズモントの視線を追って穴の空いた床の先に目を向ける。


「そんな! 貴方は……何をしでかしているのですか!!」


 血溜まりと数十に至る大量の死体がそこにはあった。


「責められるのも仕方あるまいな。これだけの犠牲を払ってもなお、足を作ることは叶わず、状態も十全には至らなかった」


 まるで見当違いな方向に落ち込むヘズモント。そんな白々しいヘズモントに激高したのは騎士のアキュナだった。


「ヘズモントさま!!」

「アキュナ!」


 彼女の怒りはしかしアターシアに制止されてしまう。止めてくれるなとアキュナは親友を睨みつけるが、親友は落ち着けと諭すように首を横に振った。


「今は堪えて」


 スレンが続きを代弁する。


「ヨルヤを助けられたんだ。もう結社なんてどうでもいい」


 スレンとしては、ヘズモントの馬鹿げた実験の後始末になどまったく興味はなかった。薄情だろうか。しかし彼にとって大切なのは、不特定多数の弱者ではなく、ようやく救い出せたヨルヤや、これまで助けてくれたアターシアとアキュナの方だ。それに本来の目的を達成した今、この場に留まる理由はない。一刻も早くこの廃城から脱出するべきなのだ。


「こんなことをしでかしたのだもの、いずれ裁きは受けるわ」

「……そうね」


 不満げに奥歯を噛みしめるアキュナ。しかし脱出することが最優先だということは、彼女も理解していた。


「行きましょう」


 幸いにして赤子の化物は敵意というものを持っていないようだ。そもそも他者を認識することができるのだろうか。ただ闇雲に暴れているように見える。ぶんぶんと不規則に腕を振り回しているため、軌道の予測はたちにくいが、そのおかげで講堂の入り口が破壊されていた。

 ジフと赤子に注意を払いつつ、四人は扉に向けて全力で駆け抜ける。


 この長い旅もようやく終わりを告げようとしている。ファーロラーゼ公爵の企てや、自分についた叛逆者の汚名など、解決しなければならない問題は山積みだが、ヨルヤと一緒なら何だってできる気がした。

 握りしめたヨルヤの手は熱く、その熱を感じながら、もう二度と離さないとスレンは誓う。結局あの悪夢の正体はわからなかったけれど、スレンにはひとつの確信があった。もう二度と、あの悲しい夢は見ないだろう。


 あと三回、地面を蹴れば講堂を抜けられるところまで迫った時、突如床から石壁が出現した。勢い余って激突するスレン。壁? いや、壁に見えるそれは土属性の防壁だった。スレンは咄嗟に振り返る。すると二階席のヘズモントが、愉快げな笑みをたたえていた。


「ヘズモントオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 スレンは咆哮する。こんな壁なんて! と、壁を破壊しようと両手を壁にピタリとつけた瞬間、スレンの両手にナイフが突き立てられた。あまりの唐突さにスレンが慄いていると、となりでヨルヤの呻き声をあげた。振り向くと見覚えのある灰色の短髪の男が気を失ったヨルヤを担ぎ上げているところだった。


「なっ、なにを――!!」


 壁を壊そうと魔力を集め始めた瞬間、太ももに違和感を覚える。見下ろすと両大腿にもナイフが突き立てられてた。そしてスレンをジフの影が覆う。


 ギイイン!


 アキュナが逸してくれなければ、スレンは両断されていただろう。


「何をしておるか! さっさと殺せ!」


 耳障りな老人の激が飛び、ふたたびジフが剣を振り上げた。一切の油断なく、微塵の容赦もなく、一瞬の躊躇もない。すでにヨルヤを担いだ男は離れつつある。このままではまた連れ去られてしまう! スレンは一切合切を無視し、手足に突き立てられたナイフすら後回しにして氷属性の魔力を収束させる。構築された氷柱は、次の瞬間にはヨルヤを担ぐ男に高速で射出された。だが――


 グワッ!


 と、音を立ててもげたのは、赤子の化物の腕。千切れた腕が下階に消え、途切れた視界が戻った時、ヨルヤを担いだ男の姿はすでに消えていた。茫然自失のスレン。目の前が真っ暗になり、途方もない喪失感の後から湧いて出たのは、頭が割れそうなほどの激情。憤怒だった。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「スレン?!」


 揺れる大気。だがそれはすぐに収まる。しかし平常を取り戻したわけではない。異常を察知したジフは、即時に退避を選択、男の後を追って消えた。


 パラパラと壁から剥がれ落ちる小石の雨のなか、スレンは小さく呟いた。


「絶対に許さないぞ。何度でも追いかけて、そして必ず殺してやる!」


 どんなに遠くからでも見逃すことはないだろう。それは宣戦布告のための魔法だった。スレンから、結社に向けた開戦の狼煙。



 無数の燃え盛る岩石が、崩れゆく廃城を貫いた。

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