第76話 再会

 スレンたちがモール商会セレベセス支部に世話になるようになったその翌日。久しぶりのベッドの上で深い深い眠りから覚めたスレン。ぼーっとした顔も、冬の冷たい水で顔を洗えば真剣な眼差しを取り戻す。スレンにはひとつの決心があった。エルベストルの廃城での戦いから――いや、正確にはもっと以前、最初に感じたのはカロア村でエンハスに刃を向けられた時だろうか、しかし魔道師であるという先入観と、その強大な魔法によって後回しになっていたこと――剣技の習得の必要性を強く再認識していた。


 カロア村の時も、ラベンヘイズの時も、エルベストルの廃城でも、おれに剣が使えたら、もっと違った結果になっていたかもしれない。


 さすがのスレンでも防壁を貫くような剣撃は避けるしかない。大きく離脱し、反撃の魔法を打ち込む。しかしそこに、剣で反撃するという選択肢が増えれば? 無詠唱にて即座に魔法を放つことのできるスレンにとって大きな味方となるだろう。それに戦闘への造詣が深くなれば、不意な攻撃にも対処できるようになるかもしれない。というよりも『不意な』という状況を生まないように立ち回れるようになるだろう。


 そんなスレンの考えを聞いた保護者とその騎士は沈黙した。


「え、アキュナ? アターシア?」


 思考停止というよりも、色々思いを巡らせているような表情のふたり。見定められているような無遠慮な視線に晒されたスレンは大いに戸惑うこととなった。


「まあ、納得はできるし、反対もしないけど……」

「私は構わないわ。スレーニャの弟弟子ということになるわね。それにしても……」

「な、なに」


 歯切れの悪いふたりの視線はじろじろとスレンを滑るようなそれ。スレンは思わずたじろいでしまう。


「いやあ、どこまで強くなるつもりなのかと思って」

「騎士から魔道騎士になるのはよく聞くけれど、魔道師から魔道騎士なるパターンは初めてだわ。貴方なら最強の魔道騎士になるでしょうね」


 何かと思えばそんなことを考えてたのかと、スレンは訝しげな表情を浮かべた。そしておかしなことを言うなと口を開く。


「何言ってるんだよ。弱いから強くなりたいんじゃないか」


 スレンの言いたいことも理解できるアターシアとアキュナだが、それでもやっぱり釈然としないふたりだった。


 商会の敷地は広大なものだ。本館は住み込みの奉公人たちの寮も兼ねているし、その中庭は洗濯物がずらりと干せるくらい広い。剣の稽古には持ってこいの場所だ。

 思い立ったが吉日。モール商会セリクシア支部では、その日から、木剣の打ち合う音が木霊するようになった。



 剣の稽古が始まって八日後、いつもはカンッカンッと小気味いい音が響く商館に、今日は別の音が飛び込んできた。バタバタと騒がしいのは大商会たるここでは珍しくもないことだが、今日のそれはまた別の慌ただしさがあった。


「お姉ちゃん!?」


 アターシアの客室に怒鳴り込むような剣幕で押し入ったのは彼女の妹ミザリ。姉からの手紙を受け取った彼女は、心配のあまり飛ぶようにしてセリクシアへと駆けつけたのだ。


「あらミザリ、思ったより早かったわね」


 なのに姉ときたら酷くあっけらかんとしているではないか。


「早かったわね……じゃないわよ! ほんとに心配したんだから!」


 だがそこはやはり姉妹なのだろう、今にも泣き出しそうなミザリの頭をアターシアは、優しげな笑みを浮かべてそっと撫でるのだった。


「ありがとうね」

「……うん」


 お互い、やれ護衛やら部下やらが常に付き従っているため、ひとりになる事が少ないふたり。姉妹水入らずはいつ以来だろうか。だがそこへ闖入者が。


「アターシア!?」


 ノックもせずに部屋に駆け込んできたのは、先程まで剣の稽古をしていたスレンとアキュナだった。ふたりとも普段は当然ノックをするのだけれど、潜伏中にアジトが騒がしくなれば、まさか――と発覚を疑ってしまうのも無理はない。だがその結果、普段強気な姿しか見せないミザリの姉に甘える姿という思いがけない場面に遭遇した。ミザリにとってはとんだ失態だ。


「なっ、ノックくらいしなさいよ!」


 慌てて姉から離れるがもう遅い。アキュナとは誂われるような間柄ではないし、スレンはそもそも兄弟姉妹や家族というものをよく知らないので、ミザリがいることに驚いてはいるがそれだけだ。だが、ふたりがどうであるかは関係なかった。なぜならこれはミザリの自意識の問題だからだ。むしろ冷静でいられるほうが恥ずかしいというもの。


「ふ、ふたりも無事だったのね。良かったわ」


 なんとか取り繕おうとするミザリ。恥ずかしそうにする可愛い妹に、アターシアはクスクスとイタズラな笑みを浮かべたのだった。




 私には純粋な疑問があった。


「――それで、どうしてセレベセスなんかにいるのよ」


 どうしてお姉ちゃんたちが危険を冒してまで敵の本拠地に潜んでいるのか、だ。わざわざ地下に潜るような真似をしなくてもいいのに。国王陛下の庇護下に入れば、いかに公爵といえどもそう簡単に手出しはできないはずだ。それに王さまと面会できるチャンスを得られたなら、公爵の謀反を告発することだってできるというのに。


 最初、セリクシア支部からニーザ平原の戦いの話が伝えられた時は、いったいスレンは何をしでかしているのかと理解に苦しんだ。叛逆者は一族郎党皆殺しだというから夜逃げの準備をするべきだ、とも考えた。国王陛下が寛大にもスレンたちを家臣として召し抱えるつもりらしいという話を耳にした時は、心底ほっとしたもの。

 なのにお姉ちゃんたちはちっともアニムに帰ってきやしない。噂では一度アニムに立ち寄って、都市門をくぐらずにそのままどこかへ消えたとか。でも今はこうして私の前にいるし。


 お姉ちゃんが権力に縛られることを嫌うのは知っている。スレンもそういうタイプだろう。それに、王さまに公爵の件を話しても信じてもらえるかわからないし、逆に無礼者と打首にされるかもしれない。それを危惧してあえて秘密裏に行動しようと考えたのだろうか。


「どうしてって……ちょっと疲れたから」

「そうじゃなくって、どうしてファーロラーゼ公爵領に? 危険じゃない。もし見つかったら……」

「ああ、それね――」


 理由を聞いて愕然とする。都市を人質にするだなんて、いつの間にそんな暴力的な考え方ができるようになったのか。数多くの死線をくぐり抜けてきたのだろう。生きてこうして話せているのは嬉しいけれど、妹としては複雑なところだ。


「あの、国王陛下に話してみるというわけにはいかないの?」


 それにも危険が伴うと、わかっているけど聞いてみる。


「何言ってるの。私はまだ死にたくないわよ。もしかしたらお顔くらい拝見させてもらえるかもしれないけれど、大勢が同席するような場所で告発しても無駄よ。個人的な面会を取り付けられなければ、絶対に信じてはもらえないわ」


 結果は「やはり」といったものだった。公爵にとっては、自分の叛意に気づいている者たちの謁見となる。その場に同席しないはずがない。面会を申し出たところで受けてもらえるとは、確かに思いづらい。陛下はスレンの能力を評価しているようだけれど、家臣としての信頼を得たわけではないのだ。人払いされた個室での面会など、敵うはずがない、か。


「じゃあお姉ちゃんはこれからどうするつもりなのよ?」

「そうね、今はスレンの方の準備が、一応でもいいから整うのを待っているのと、あと、また手がかりを失ってしまったから、その情報収集かしらね」

「スレンの準備?」


 スレンは手に持った木剣を軽く掲げてみせた。


「それで、情報収集って?」

「それはほら……ね? そのために可愛い可愛い妹ちゃんに来てもらったのよ」


 わかりきった答えだった。また危険な橋を渡るのかと思うと溜め息も吐きたくなる。


「まったく、仕方ないわね、お姉ちゃんは」


 私はふいと顔を背けて窓の外を見る。この笑顔は見せられないな。

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