第71話 講堂の戦い

 旧エルベストル城はアカデミーのような巨大な城塞ではない。エントランスを抜ければすぐに広い講堂に出た。天井は高く、シャンデリアが天井に吊り下げられているが、よくも今までぶら下がっていたものだと感心するくらい錆びついている。講堂の正面には大階段が。踊り場から左右に分かれて二階席が講堂を囲むような構造になっている。


 両開きの扉は開け放たれており、講堂の奥の大階段にひとりの騎士が見えた。マントの色は緋色。


「ジフ・ベルディアージ……!」

「よく来た、叛逆者ども」


 溜め込んだ怒りをゆっくりと吐き出したような声に、彼がすでに臨戦態勢であることを知る。ジフは魔法を使えないらしい。ならばこれは自分の錯覚なのだろうか。スレンは、空気の振るえるのを感じていた。

 凄まじい緊迫感に気圧されそうになるが、スレンは一歩踏み出して声を荒げた。


「ヨルヤはどこだ!」


 それは自分自身を鼓舞しているかのような。知ってか知らずか、ジフはスレンを見下ろして嘲笑うように顔を歪めた。


「ここにいるさ。貴様は会えないがな」


 ジフが右手を挙げると、二階席から三十名を下らない兵士が弓を構えて現れ、一階の左右の扉からは多数の騎士と魔道師が雪崩込むように講堂に押し入ってきた。


「悪いがここで死んでもらうぞ。やはり貴様らは邪魔だ」


 ジフが凄むと同時に騎士たちが一斉に剣を抜いた。総勢およそ六十名。四百の盗賊とは、数の上では比べるべくもないが、数以外では全てが上回っていた。士気、技量、構成、場所、配置、何から何までスレンたちを不利たらしめている。


 くそ、ヨルヤの場所さえわかれば……!


 周囲を見渡しても彼女の姿はない。もしも彼女を確保できれば、あとは城ごと破壊してしまえば万事解決するというのに。それができない以上、ジフから聞き出すか、あるいは全滅させた後でゆっくり捜索するしかない。だが、後者は最終手段だ。もしもヨルヤがこの廃城にいなければ、また振り出しに戻ってしまうのだから。

 城を破壊するような巨大な魔法を封じられたスレンは、水属性の魔力を両手に集めた。無詠唱の強みは先手を取れることだ。だが、相手の多さが仇となる。

 これだけの人数を相手取るためには多くの魔力が必要だった。だが膨大な魔力を動かせば、野生を手放した人間でさえ肌で感じられるほどの違和感を生み出してしまう。原色地の破壊と再生を間近で経験したジフにとって、その違和感の正体を断定することなど造作も無いことだった。つまり――


「かかれ!」


 先手を取るという無詠唱の利点をスレンは失うことになる。

 まずスレンたちに襲いかかったのは三十本の矢。四方から飛来する矢は防壁による全周防御でしか防ぐことはできない。スレンの手にあるのは水属性の魔力。風属性の魔力を集めなおしている暇などないと、スレンは瞬時に氷の防壁を展開させる。風属性のそれとは違い、実体があるぶん弓矢には効果の高い氷の防壁。しかしこれには視界の確保が難しいという致命的な欠点があった。


 矢を弾いたことに安心した瞬間、防壁に衝撃が走った。重く大きな衝撃は、みしりと不気味な音を立てて氷にヒビをいれた。実体があるぶん風とは違って圧縮することができず、強度は見た目通りとなる。もちろんスレンもそんなやわな厚さにした覚えはない。だが、鍛え抜かれた騎士のシールドチャージにそう何度も耐えられる代物ではなかった。


 崩れ落ちる氷壁。何倍もの人数の騎士に取り囲まれ、その外周には魔道師まで配置されている。頭上は手練の弓兵に捉えられ、わずかな隙間からも狙い打たれてしまうだろう。まさに絶体絶命だなと、ジフが敵ながらに憐れみの視線を向けたその時だった。

 ガラガラと崩れ落ちていく氷壁の隙間から突如、身を焦がすほどの閃光が飛び出した。

 身体が目を守ろうと勝手に瞼を閉じた。だが、耳は閃光に引き裂かれた空気の悲鳴を捉えた。すべてはあっと言う間もなく終わる。閃光の後遺症か、ジフは眩む目を細めて周囲を見渡した。まだ見えない。まだ見えない。やがて視界に空いた穴の縁に、もぞもぞと蠢く騎士たちの姿が確認できた。


「な、何が起こった?」


 これも少年の魔法なのか?


 甚だ疑わしかったが、原因はそれしか思い浮かばない。話に聞いたニーザ平原での出来事が本当なら、非常識という点でありえない話ではない。だがこんな魔法は聞いたこともなかった。


 水を知らずして水属性の魔法を使えるだろうか。火を知らずして火属性の魔法を使えるだろうか。スレンとて、ズウラから流星の正体を聞いていなければ、ニーザ平原に大穴を開けたあの魔法を使うことはできなかっただろう。だから、馴染みのない雷属性の魔法を使える魔道師は、このシフォニ王国には存在していない。だがスレンは雷の放つ魔力を知り、同じ色の魔力を集めることで雷を再現することができた。アーグ教の唱える『魔法』ではないからこそ、スレンは雷属性の魔法を使うことができるのだ。


 絶体絶命だと? 馬鹿な。


 視力を取り戻したジフは眼前の光景に慄き、数瞬前の自分の考えを否定した。否定せざるを得なかったのだ。前列の騎士は全滅。二列目以降も負傷者は多い。閃光を遮るものがなかったという理由で、最前列の騎士たちと同じように二階の弓兵たちは全滅しているようだ。魔道師たちが健在なのは幸いだった。階段上で戦場を見下ろしていた自分が無事だったのは、ただ運が良かっただけなのろう。


 氷壁の中から三人の侵入者が姿を現す。当然無傷だ。対してこちらは半数以上が戦闘不能。あの一瞬の閃光でだ! 少年の様子を見るに、魔力が尽きた様子もない。これではここから先もままならない戦いが続くだろう。ジフは自らも戦列に加わるために剣を抜いた。


 階段を下りてこちらへ向かってくるジフ。正直、高みの見物を決め込んでいて欲しかったが、流石に一撃で半分以上の部下を失えばそうも言っていられないらしい。赤獅子の名の如きジフの形相にスレンは思わず右腕を抑え込んだ。ヨルヤに癒してもらったはずなのに、まるで傷が疼いているように気持ちが悪い。もう二度と同じ攻撃はくらわないぞと身構える。そして、


 閃光と雷鳴を間近で受けた騎士たちが体勢を立て直している横をジフは走り抜ける。まさに怒涛。疾風の如きジフは、あっとういまにスレンをその間合いに捕らえる。魔法の選択もままならないスレンは、咄嗟に作り慣れた風の防壁を強固に構築した。だが、ジフの切っ先は防壁を切り裂いた。


 ガキイイン!


 スレンの喉笛を捉えたジフの剣閃を阻んだのはアキュナの剣だった。ガントレットで切っ先を支えていなければ、割り込んだアキュナが真っ二つにされていただろう。振り抜かれたジフの剣は、アキュナの剣を砕き、彼女もろとも後ろのスレンとアターシアを壁まで吹っ飛ばした。けっして大柄とは言えないその身体のどこにそんな力を秘めているのか。ともかく、スレンがたった一撃で形勢を変化させたのと同じように、ジフの一撃もまた、形勢に大きな衝撃をもたらすものだった。

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