第70話 アプローチ

 旧エルベストル城の錆びついた門を潜ると、前方に開け放たれた正面玄関が見えた。玄関までは山城にしては広めのアプローチが続いている。門には門番がいたにもかかわらず、アプローチどころか、開け放たられた玄関から覗くエントランスにもひとっこひとりいない。まさか揃って留守なのかとも思ったが、スレンはすぐに否定する。目に見えなくても確かに気配があるのだ。


「いるね」

「ええ、いるわね」


 短く確認しあいながら三人は慎重に進んでいく。当然まっすぐ進むわけがない。できる限り城壁に背中を預けながら、アプローチの外周を滑るように半周し、玄関を目指すのだ。そうすれば少なくとも四方を挟まれることはない。


 三人が玄関まであと半分と迫ったあたりだった。


「放て!」


 前触れなく、どこからか号令が発せられる。それに呼応して、城壁上の複数箇所から一斉に矢が放たれた。前触れはなかったが、三人の誰も唐突だとは思わなかった。騎士であるアキュナはもちろん、戦闘経験に乏しいスレンでさえ、城壁に囲まれたアプローチという場所が、敵にとって非常に有利な地形であることを理解していたからだ。そこにのこのこと迷い込んだ獲物を彼らが逃すはずがない。監視も門番だけではないだろう。罠を張っておいて、その罠の管理を怠るほど敵は迂闊ではない。剣を交えたからこそわかる。相手は訓練された騎士団だ。その頭領であるジフ・ベルディアージという騎士を過小評価することなどできるはずがなかった。


 だからこそスレンは、敵の号令と同時に風の防壁を展開させ、第一波を難なくいなすことができた。


「魔法?!」「無詠唱か!」


 驚愕する敵弓兵。だがスレンも、防壁の内側で戦慄していた。今の攻撃は闇雲に放った一斉射ではなかった。一人ひとりが確実に自分たちを捕らえていた。標的を視認すると同時に狙いを定めることができるほどの手練ということだ。敵が狼狽えている今の内にと、スレンが氷属性の魔力を手に集めかけたその時、


「狼狽えるな!」


 今度は開け放たれた玄関から咆哮にも似た喝破が飛び込んできた。それは城壁に木霊してアプローチ中に響き渡る。流石だと敵を讃えるべきだろうか、この一喝で、弓兵たちの顔から動揺の色は消え、すでに戦士の面構えに。スレンは意識を玄関に向けた。


 騎士が二名と、軽装の兵士が四名。ジフはいない。


「ジフの話に聞いていただろう。何かカラクリがあるに違いない。よく見るのだ」


 喝破した方とは別の騎士が冷静に指示を出す。そしてスラリと剣を抜き放ち、掲げ、冬の風を斬り、その切っ先をスレンたちに差し向けた。


「殺せ!」


 号令に合わせ一斉に飛び出す四人の兵士。同時に頭上からは第二射が放たれる。風の防壁を展開させ続けているかぎり、向こうの攻撃がスレンたちに届くことはない。だが、こちらから飛び出して攻撃を仕掛けることもできない。戦闘が長引いて困るのはスレンたちの方だ。


 とにかく頭を抑えられているこの状況を何とかしなければ。スレンはいつもの氷柱を作りだす。高速で飛来する複数の氷柱は、ひとり、ふたりと城壁上の弓兵を次々と貫いた。


「行くわ!」


 頭上の安全を確認したアキュナがスレンに防壁の解除を要請する。スレンが防壁を解くと同時に飛び出すアキュナ。その背後から援護するスレン。スレンの飛ばした氷柱は、飛び出してくる軽装の兵士に弾かれてしまうが、振り払った剣を戻す前に、アキュナの剣が兵士の喉笛を切り裂いた。さらに流れるように走る彼女の切っ先は、もうひとりの剣を弾き飛ばす。崩れた体勢にアキュナの回し蹴りが炸裂し、瓦礫に背中を打ち付けた兵士はあえなく沈黙した。


 残りのふたりはアターシアに迫っていた。通常、魔道師は騎士には強いが弓兵や身軽な兵士には遅れを取ってしまうものだ。それは魔道師には詠唱という致命的な弱点があるからだ。詠唱時間を稼いでくれる前衛がいて、初めて魔道師はその真価を発揮することができる。アターシアもその例外ではなかった。だが、今までの研究はけっして伊達ではない。スレンのように無詠唱で魔法を使えるわけではないが、従来の呪文の半分以下にまでその長さを省略することに成功していた。

 すなわち、兵士たちがアターシアをその間合いに捉えたときにはすでに、彼女の詠唱は終了していた。


 あっけなく崩れ落ちるふたりの兵士たちの背中には無数の氷柱が突き立てられていた。


「あんたの真似よ」


 アターシアは不敵に笑ってみせた。



「ちっ、確かにジフの言ったとおり、子供だけではないな」


 後ろで見ていたふたりの騎士が舌打ち混じりにスレンたちの評価を上方修正する。


「あら、光栄ね」

「ほざけ」


 アターシアの軽口に忌々しげにひとりは顔を歪めた。


「いや、まあ良い、もとより捨て駒だったのだ。奴らは物差しという役割を十分果たしてくれたさ」


 憎らしげにスレンたちを睨みつける騎士を、もうひとりの騎士が宥める。だが、彼の言葉はスレンにとって聞き流せるものではなかった。


「捨て駒? 仲間じゃないのかよ」


 やっぱり信奉者を駒としてしか見ていないのだろうか。


「仲間? そいつらのことか? あんな下賤と我々を一緒にするな。あれはただの傭兵だ」

「傭兵?」


 スレンはアターシアを見る。


「結社にお金で雇われた兵士ってことよ」

「お金でって……死んでるじゃないか」


 死ねば貨幣など何の意味も持たない。それを他者に強要する仕事を請負い、しかし自分がその報いを受けることになる。一体全体何がどうなっているんだ。思わず頭を抱えたくなるほど、スレンにとって意味のわからないことだった。ただひとつだけ思うことがあった。


「それでもお前たちは、自分たちのために命を賭けて戦った者を侮辱するのか」


 かつてアキュナは言った。騎士は災から皆を守る誇り高き盾なのだと。その剣は、守るべき者たちのために振るわれるのだと。

 目の前のふたりが、そんな高潔な人種だとは到底思えない。見た目はアキュナとほぼ色違いの騎士。だが彼らの名誉は酷くくすんでいるように見えた。


「金のために戦うような輩だ。勝たなければごみも同然だ」


 吐き捨てるように言い放ち、騎士たちは城内に消える。

 貨幣価値を知り、身分制社会に身を置いたスレン。ずいぶんと人間社会の価値観を理解できたと自分でも思っていた。だが、彼らの言葉の意味はまったく理解できなかった。


 彼らはこの世界を救済しようとしているのではないのか。この社会を変えたいのではないのか。命を賭けて戦った者を侮辱する彼らの正義はどこにあるというのか。この策謀の果に何を見ているのか。


 スレンは騎士たちの背中を追った。

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