第69話 エルベストルの廃城

 スレンたちはエルベストルへと急いだ。もしもアキュナの言うように、ノアの言葉が結社による罠だとしたら、急ぐ必要などないわけだが、確証がない以上、悠長に旅路を楽しんでいる場合ではない。それに何より、スレンが勇み立って聞かないのだ。気になったことは何でも尋ねてくるスレンだが、ノカを出発してから数日、ずっと深刻そうに黙り込んでいる。その様子は、盗賊討伐など、多くの戦闘に参加してきた騎士アキュナには酷く危うく見えた。頭に上った血をなんとかして冷まさないと、今度は怪我だけでは済まないかもしれないと。


 ただ、エルベストルまであと一日と迫った夜、いつにもまして緊張した面持ちのスレンに声をかけたのはアターシアだった。さすが後見人と感心するべきか、あるいは空気を読まないと呆れるべきか。彼女も、スレンの危うさに気がついていたのだろうか。


「どうしてそこまでヨルヤに拘るの? あんたたち、そんなに仲良かったかしら?」


 それにしても命を賭して行方を追うなど、まるで愛を誓いあった恋人のようだ。それも物語に出てくるようなとびっきりロマンチックなやつ。だが、そういうわけではないらしい。マリの命と引き換えに自身の自由を差し出した頃の、世間知らずだったスレンとはわけが違う。


「どうかな……おれにもよくわからないよ」


 イマイチ要領を得ないスレンの答えに、アターシアとアキュナは顔を見合わせた。


「――でも、おれのなかで確かなことがあって……」

「確かなこと?」

「そう。ヨルヤを守らなきゃならないってことだ。そうだ、夢を見たんだ」


 思い出したようにスレンは続ける。


「そうだ、あの女は白フードに変わってた……そして白フードはヨルヤだった」

「スレン?」


 バラバラだった線がひとつに繋がっていく。朧気だった夢の記憶も、その瞬間に鮮やかさを取り戻していく。愛しさも、鮮血も、悔恨も。

 もはやアターシアの呼びかけは耳に入っていない。かわりにスレンの言葉には徐々に力が宿っていった。そして確信へと至る。


「ヨルヤだったんだ。あの息苦しさも、手の震えも、全部ヨルヤのためのものだったんだ」


 顔を上げたスレンにアターシアがかけた言葉は、彼を我に返らせるには十分なものだった。


「どうして泣いてるのよ」

「……え?」


 頬を拭った手は確かに濡れていた。濡れた手をローブで拭ったスレンは、苦笑いを浮かべながらも嬉しそうに口を開いた。


「多分おれ、あいつに伝えたいことができたんだ」


 ようやく見つけた、長い旅の理由を。



 製鉄都市エルベストル。ふたつの鉱山都市からもたらされる豊富な鉱物資源を用いた産業が発達した都市である。鍛冶職人が多く、特に武器防具の生産量はシフォニ王国で最も多い。それゆえエルベストルの騎士たちは、常に良質な武具に恵まれ、高い士気に支えられた騎士団の実力は、王国三指に数えられるほどだ。


 だが、エルベストルはけっして豊かな都市というわけではなかった。土属性の原色地の傍という立地でも、周囲にある他の原色地が水属性や生命属性であればまだましだった。だがエルベストルは製鉄都市。周囲にあるのは金属属性の原色地ばかりだ。水気のない土壌は作物が育ちにくく、主食の小麦でさえかなりの量を他所から買ってきている。だが水を買うことはできず、だから街に点在する井戸はまさに都市の生命線だった。


 現在のエルベストルの街から馬で半日ほどの岩山にその廃城はあった。過去、その岩山の麓には、エルベストルの街並みが連なっていたのだが、井戸が枯れて以来、放棄され、今では誰も住んでいない。

 頂上の廃城には最近、良からぬ輩が寄り集まっているらしい。そんな噂を聞きつけ、スレンたちは今、岩山の上の無骨な城を見上げていた。

 良からぬ輩というのが結社であることは間違いない。だがそこにヨルヤがいるとは限らない。いなければ聞き出すだけだとスレンは意気込んで一歩一歩踏みしめ坂を登った。乾いた土、剥き出しの岩、足を踏み出す度に小石を噛んで、それがパラパラと音を立て、からっ風の吹きすさぶ虚空に木霊した。


 枯れ色の岩壁を右手に坂を登ると、やがて開け放たれた城門が見えた。扉は錆びついてもう動かないのだろう。王国北部とあれば、他に盗賊もいるだろうに、いささか以上に不用心ではないか。しかし、スレンたちにとっては、自分たちを飲み込まんと大口を開けているように見えた。


「門番がふたり。どうする? まさか正面から堂々と行くつもりじゃないでしょうね」


 門番から死角となる岩陰に身を潜める三人。


「え、だめなのか? だって忍び込もうにも、中の様子がわからないのに」


 やはり、というべきだろうか。スレンの無策は予想済みだが、改めて聞かされると呆れるしかない。


「あのねえ、もし罠なら致命的な事態になりかねないのよ。もっと慎重にいかないと。今度は腕にナイフ投げられるだけじゃ済まないわよ」

「うーん」


 それを言われると弱い。スレンは足りない経験、情報、知識、すべてをひねり出して頭を抱えた。


「じゃあ、おれが横から忍び込んで……」


 アカデミーを脱出した時と同じ要領で魔法を発動させれば、そびえる城壁も飛び越えられないことはない。問題は鉄板の代わりになるものがないので、革の靴がぼろぼろになることを覚悟しないといけないことだ。だが、やれないもないだろうとスレンは算段をつける。


「なるほどね。アキュナをふたりで挟めば、三人で飛べなくもないわね」


 アキュナの鎧がプレートメイルではないことが幸いだろう。もし全身を鉄板で覆うような鎧なら、重くてとても抱えて飛べたものではない。


「じゃあ、一旦下がりましょう。ここでそんな大胆なことをすれば見つかってしまうわ」


 アターシアの言葉に従ってスレンが腰を浮かせたその時だった。小石を噛んだ靴が滑り、ジャリっと地面をひっかくような音を盛大に鳴らしたスレンは、潜んでいた岩陰からその身を投げ出してしまった。


「ん? な! なんだお前!?」

「や、やばっ!」


 音に反応した門番に、あっさり発見されてしまうスレン。まるで三下の盗賊のような声を出しつつもスレンは、即座に土属性の魔力を掌に。現れたふたつの石礫をふたりの門番に投擲する。


 ドゴォ!


 拳大の投石をヘルムに受けたふたりはあえなく失神。その場に崩れ落ちた。


「……」


 迂闊さを諌めるべきか、対応力を褒めるべきか、複雑な表情で沈黙するアターシアとアキュナに、


「う、上手くいったね」


 と、目一杯の虚勢をはって取り繕うスレンだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る