第68話 手がかり

「あいつはノカを捨てたんだ! 今さら戻ってくるもんか!」

「こら、ノア! 滅多なこと言うんじゃねえ! おめえだって聖女さまに救われたんだろうが!」


 ノアと呼ばれた青年に聖女の帰還を信じる男は、きつく諌める言葉を叩きつける。


「五月蝿え! お前だって本当はわかってるんだろ? お前たちは見捨てられたんだよ!」


 だが自棄になった青年は悪態を吐くのを止めなかった。

 

「お前だってずっとどこかほっつき歩いてたんじゃねえか。急に帰ってきたと思ったら勝手言いやがって」

「けっ、半端に救って見せるなら最初っからするなってんだ。それこそ勝手なんだよ」


 ノアと呼ばれた青年は、聖女の信奉者ではないのだろうか。彼もヨルヤに救われたようだが、治癒魔法を受けたすべての人間がすべてヨルヤを崇めるようになるとは限らない。ただ、それにしてもここまで罵詈雑言を並べ立てるだろうか。故郷を見捨てらたと思い込んでいたとしても、あまりに非常識だ。ノアの言い様にスレンは憤ったが、アターシアは冷静だった。


「貴方は聖女のことを知っているの?」


 治癒魔法を受けただけの関係なら、敬愛が憎悪に変わってしまうほどの感情を持ちはしないだろう。精々深い悲しみにくれるくらいだ。となれば……。アターシアは推察する。青年は少なくとも他の者たちよりも、聖女と深く関わっていたのではないか、と。


「……知るかよ、あんなやつ!」


 青年はフードを被った顔をそむけた。そんな青年はスレンに胸ぐらを掴まれることになる。


「言えよ」


 ただでさえノアに苛立ちを覚えていたスレンだ。ノアが何か知っているというのならば胸ぐらを捕まえて脅すことに躊躇いはなかった。


「は、離せ!」


 乱暴にスレンの手を払いのけたノアは、渋々といった様子で口を開いたのだった。


「……俺は、ついこの間までエルベストルにいたんだ。ノカを出た後、エルベストルへ行って、そしてそこで聖女と初めて出会ったんだ」


 エルベストル。それは結社と関わるようになって以来、何度も耳にした名前だった。結社の騎士団を率いるジフ・ベルディアージはもともと同地の騎士だった。それと関わりがあるのかは不明だが、エルベストルの付近に結社の騎士団のアジトがあるらしい。それを踏まえて考えれば、聖女であるヨルヤと会ったというのは、なるほど確かに筋は通る。


「そこでお前は治癒の魔法をかけてもらったのか?」

「……そうさ。でもなぁ! 俺たちは騙されていたんだよ!」


 騙されているとは穏やかではない。スレンは相変わらず憤っているが、アターシアとアキュナのふたりは互いに顔を見合わせた。


「俺は聞いちまったんだ。聖女とそのお付きの騎士が信者を利用して反乱を仕掛ける算段をしているところをな!」


 結社が反乱を企てていることは想定の範囲内だった。だがその計画にヨルヤが関わっているなどと、スレンには到底信じることのできない話だった。


「ヨ、聖女がそんなことを企むわけがない!」

「信じたくないのはお前の勝手だよ。けどな、俺はこの耳で聞いたんだよ。お前らの親愛なるセイジョサマの口から、信者は駒だってな!」


 スレンにとって、ノアの話はあまりにも馬鹿げていた。ヨルヤが、反乱の駒にするために信奉者を集めていたと? 彼女の言う救いというのが、反乱の先にあるとでもいうのか。


「聖女への侮辱は許さないぞ!」

「侮辱かどうか、確かめてみればいいさ」

「なに?」


 確かめられるのならばとっくにそうしている。できないからこうやって彷徨い歩いているのだ、と言いたい気持ちでいっぱいになったスレン。だがノアの言葉にヨルヤへと繋がる手がかりを見出せた。


「エルベストルに行けば聖女に会えるのか?」


 その問いかけにノアは鼻を鳴らして嘲笑う。


「さてね。なんせ信徒を駒としか思っていないお方だからな、今頃エルベストルの奴らも見捨てられてるんじゃないか?」

「!!」


 あまりの暴言に耐えかねたスレンが、再びノアの胸ぐらに飛びかかる。が、ノアは素人ならざる動きでこれを躱した。そして、


「はっ、お前らも、会えば目が覚めるさ」


 吐き捨てるように言い残し、ノアはどこかへ消えてしまった。


「この――!」

「やめなさい!」


 逃がすものかと追いかけようとしたスレンをアキュナが制止する。邪魔をするなと、睨みつけるスレンに、彼女はノアの消えた方向を警戒しつつ口を開いた。


「貴方を躱した時の動き」

「はあ?」


 アキュナの言いたいことがわからないスレンは、珍しく彼女にくってかかった。


「かなり余裕があったわ」

「だからそれがどうしたっていうんだ!」


 なかなか冷静になれないスレンと違い、アターシアはアキュアの言葉の真意に気づく。


「罠だっていうの?」

「はあ?」


 思わぬ単語に間の抜けた声を出すスレン。そしてアキュナはおそらく――と、アターシアの疑問に肯定の意を示した。


「反応の早さも、動きの速さも尋常ではなかった。まるで野生の猫のよう。彼はただの平民ではないわ」

「でも、それが結社の回し者だってことには繋がらないんじゃないかしら。確かに、そういわれてみれば私たちを誘導するような言い方だったようにも思えるけど」


 まだ確信には至らない、とアターシアは首をかしげる。


「どっちでもいい。そんなこと、どっちでもいいよ」


 沸々と湧き上がる怒りを腹の底に押さえ込み、静かに呟くスレン。

 彼にとって、ノアが結社の回し者なのか否かなど、本当にどうでも良いことだった。スレンがはっきりさせたいことは、ヨルヤが何を企んでいるのかだ。ノアの言ったように、ヨルヤが民衆を駒として反乱を起こそうとしている、などとはもちろん信じていない。きっとノアの聞き間違いか、あるいはノアが結社の回し者ならば、自分たちを焚きつけるための捏ち上げなのだろう。ヨルヤは反乱を企んでなんていやしない。聖女として活動するなかで、世の中に絶望を覚えた? スレンは頭を横にふる。いいや違う。自分の知っている彼女は、そこまで他人に興味を持つことはない。彼女はただ逃げているだけなのだ。

 いつかの原色地でヨルヤが見せた涙をスレンは思い出す。そして強く思った。そうだ――


 あいつの悲しみはおれと共にある。だったら、それを解決できるのはおれだけだ。


 今まで何を悩んでいたのだろう。拒絶されて不安だったのか。自分の不安など、彼女が感じていた不安に比べればどれだけ軽いものか。いいや、違う。彼女に救われて欲しいと思う気持ちに比べれば、どれだけ些細なことだろう。


「行こう、エルベストルへ。その理由があるんだから」

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