第72話 講堂の戦い 2

「ぐえっ」


 壁に背中を打ち付けたスレンが、コミカルな呻き声を上げている間にもジフの進撃は止まらない。今度こそ討ち取らんと突進し、幾百の血を吸った剣を振りかぶる。弛まぬ鍛錬が、熾烈な経験が、攻撃は最大の防御という理屈を見事に体現していた。敵に驚異を感じていればいるほど、自身に振りかざされる剣には、剣でなく盾で応えてしまうものだ。スレンの戦闘経験を知らないジフがそれを考えていたかはわからない。ただ、スレンが咄嗟に選んだのは、攻撃ではなく防御のための魔法だった。スレンが攻撃魔法を選んでいたら、その一瞬で勝敗を決していたかもしれない。だが、スレンは防御を選んだ自分を責めないだろう。刺し違えるという結果では無意味なのだから。


 氷壁では近接戦で不利になる。スレンが作り出したのは極限まで圧縮した風の防壁だった。この状況で出来る限りの、という枕詞がつく程度のものだが、それでもジフの斬撃を弾くには十分なものだった。だが、スレンの恐怖は止まらなかった。


「ならば――」


 と、ジフは切っ先をこちらに向けるように構え、突きを繰り出したのだ。接触面積が狭ければ風の影響も少なくてすむ。だが、力は最も乗せやすい。


 何度も、何人も、そうやって魔道師を屠ってきたのだろう。一撃目はスレンの防壁の展開がわずかに早かっただけ。ジフが腕の勢いを止められなかっただけだ。防壁に垂直に突き立てられた剣は、まるで抵抗なく暴風の膜をくぐり抜けた。スレンの背筋にゾクリと冷たいものが這う。


「させない!」


 スレンの鼻先まで迫ったジフの剣を弾いたのは折れたキュナの剣だった。暴風の中で体勢を乱したジフの剣は、弾き飛ばされてしまう。暴れた剣に振り回され、体勢を崩すジフ。スレンはこのチャンスを逃すまいと――いや、この極限状態にあってそこまで冷静ではなかっただろう。よくもやってくれたなと、目一杯ジフを睨みつけてスレンは両手をかざした。


 氷柱では弾かれるかもしれない。雷では眩しさに自分の視界も奪われてしまう。一瞬の判断のもと、スレンが選んだのは火炎だった。


 ただの火炎ではない。この講堂を満たすほどの業火。二階席すら飲み込み、天井にさえ届くほどの獄炎。講堂の出入り口はジフたち自身が締めた。逃げ場などどこにもありはしない。とくれば、残った騎士や魔道師もろとも排除できる最善の策だ。

 地獄のような光景が三人の視界を奪い、肌の焦げ付くような紅焔に熱せられた空気が喉の奥を熱くした。


 やがて炎が去り、アターシアとアキュナは冷たい冬の空気に安堵を覚える。スレンは乱れた息を落ち着かせようと呼吸を深くした。息が荒いのは魔力消費による疲労ではない。激しい動悸は恐怖と緊張の証だ。しかしそれももう終わり、焼け焦げた死体の山を前に、そう安堵したその時だ。


「とことん非常識なやつだ」


 と、ジフの声が死体の山から聞こえた。そんな馬鹿なと三人は目を疑う。


「どうして今のを耐えられたん――!」


 言い切る前にスレンは思い知る。ジフのいる位置、そして濡れた肩口。


 まさか――


「氷の壁に隠れていた……!」

「ふん、炎を使ったのは愚策だったな」


 これでも過小評価だったというのかと、スレンは戦慄した。


「けれど、味方は全滅したわ」


 事切れた死体から剣を調達したアキュナがジフの前に立ちはだかる。アターシアも短杖を構えている。そうだ――と、スレンは冷静さを取り戻した。


 ジフがどんなに手練でも、こっちだって雑魚じゃない。三対一は分が悪いはず。それ以前に、氷壁が完全に溶けきった今、もう一度あの火炎を使えば今度こそ殺せる。本当は生かして捕らえられれば一番だったけれど、ジフ相手にそんな器用なことはできそうにない。


 立ち上がり、杖と剣を構えるアターシアとアキュナ。その影に隠れてスレンが再び火属性の魔力を集めだしたその時だった。




「そこまでじゃ!!」



 突如、老人の声が講堂に響き渡った。聞き覚えのあるその声にスレンたちは、そんな馬鹿なと耳を疑う。だが、幻聴ではない。声の出処、見上げた先、二階席に、ヨルヤの首にナイフを突きつけているヘズモントの姿があった。


「ヨルヤ!」「先生!」

「動くでない!」


 動揺を顕にするスレンとアターシア。スレンは如何にヨルヤを奪取するかを考えたが、アターシアは思わぬ恩師の登場にただただ困惑していた。どうしてここにいるのか。交わさなければならない言葉がたくさんあった。


「一体いつから――」


 いつから裏切っていたのですかと問いかけようとしたアターシアの言葉は途中で途切れてしまう。


 まさか、ラベンヘイズで最初に結社に襲われた時、あれは私たちの情報を先生が結社に流していたから? あの時は、あの場にいた唯一の魔道師が私たちだったということが襲われた理由だと思っていたけれど、こうなってみると、まさか原色地を修復しただなんて普通思わない。

 ファーロラーゼ公がスレンに面会を許可したのだって、先生が情報を流していたと考えれば、辻褄が合う。結局面会するにしたって、本来なら私たちの身辺調査くらい済ませてから許可を出したはずだわ。そして、私たちが叛逆者として追われているという話。もしそうならどうしてアニムの門兵たちは私たちを捕らえず、わざわざ待合室に通したのか。ずっと、先生があらかじめ手を回しておいてくれたのだと思っていたけれど、まさか叛逆者というのは私たちを追放する嘘だった? ノカで出会った青年に、私たちをここに来させるように誘導させて確実に殺す。そのために仕組んだことだった? 確証はないけれど、全部辻褄が合う。


「いつから? ずっとじゃよ。それこそお主がアカデミーに入学するよりずっと前からの」

「そんな……」


 放心するアターシアを尻目に、ヘズモントはジフに向き直る。


「ほれ、何をしておる。儂が抑えておるうちにさっさと殺さぬか」


 その言葉に緊張を取り戻す三人。しかしジフは鼻を鳴らしてヘズモントの指示を撥ね退けた。


「無駄なことをするな」

「何じゃと?」


 訝しげに片眉を挙げるヘズモント。落ち着き払ったジフの言動はスレンにとっても不可解だった。アキュナから教わった騎士道精神というやつかとも考えたが、だとすれば無駄なことという言い回しはしないだろう。真意はわからないが、ジフがこの状況を利用しないのならばこれはチャンスだ。スレンは大きく踏み出し、さっきから目を逸らし続けているヨルヤに話しかけた。


「ヨルヤ!」


 スレンの声に反応し、さらにきつく目を閉じるヨルヤ。


「こっちを見ろ! ヨルヤ!」

「ええい、五月蝿い! これが見えぬのか!」


 ヘズモントがヨルヤに突きつけたナイフを揺らしてみせるが、それはまったく問題ではなかった。むしろ脅威はジフ。なぜか動かず静観しているが脅威には違いない。スレンが二階に跳躍すれば後ろのアターシアとアキュナが襲われるだろう。これではスレンも迂闊に飛び出せない。だから、


「ヨルヤ」


 今度はゆっくりと彼女の名を呼んだ。


「ヨルヤ、おれ、わかったことがあるんだ」


 何を言えば彼女は振り向いてくれるだろう。彼女の苦しみの原因が自分だというのなら、彼女が目をそらすのも当然だ。けれどそれは逃げだと、彼女自身もわかっている。彼女の秘める感情は、嫌悪ではなく不安や恐怖といった類のものなのだから。そういう感情に恐れを抱くのは、わからないからだ。わからないのなら教えてやればいい。


「ヨルヤ。ヨルヤはおれに出逢うために生まれてきたんだ」


 傲慢ねと、彼女は呆れ笑うだろうか。けれど、それで彼女が笑ってくれるなら――

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