第51話 ヨルヤの意図
数週間後、ヘズモントからアターシアへ呼び出しがあった。なんでもジフ・ベルディアージについての調査に、ある程度の成果がでたそうだ。相変わらずの薄暗い部屋に集まった五人。スレンとアターシアとヘズモントが長椅子に腰掛け、それぞれの後ろにそれぞれの護衛騎士が詰めたところで、ヘズモントによる報告がなされた。
「調査の結果、《結社》という組織が暗躍していることがわかった」
スレンは内心で首を傾げる。ヘズモントはエルベストルの赤獅子と称されたジフ・ベルディアージについて調査を進めていたのではないか、と。
「結社? 固有の名称はないのですか?」
だがアターシアは構わず話を続けた。ヘズモントの言わんとしていることを彼女は察したからだ。
「うむ。《結社》というのが名前らしい。あるいはそこまで掴めなかったか、じゃがな」
名前をもたないのは匿名性を高めるためだろう。
「ジフ・ベルディアージがそこに所属していると?」
「うむ、中枢を担う人物じゃと報告が上がっておる」
「ありえる話ではありますね。噂に聞く彼の技量ならば、尊敬する者も多いでしょう。野心家ともなれば、なおのこと彼の理想に同調する者もいるでしょうし」
その思想が社会の規範から逸脱したものであったとしても、眩いばかりのカリスマには多くの信奉者が集うものだ。ヘズモントは鷹揚に頷く。
「そうじゃな。お主から報告を受けた際の話し通り、奴らの目的はやはり体制の破壊じゃった。何やらアーグ教ではない新たな信仰が芽生えておるようで、聖女なる存在が確認されておる」
「聖女、ですか」
ヘズモントはジロリとアターシアに視線を向ける。敬愛する恩師の見定めるような視線を受け、アターシアは思わず唾を飲んだ。だが、その視線がどういう意図で向けられているのかわからない以上、それ以上の反応はしようがないというもの。
「聞いても食指を動かすなよ?」
ヘズモントが釘を差すが、やはり内容がわからなければそんな保証はできない。そう言われても、とアターシアは肩をすくめてみせた。ヘズモントは諦観し、ため息混じりに口を開いた。
「……聖女は治癒の魔法を使えるそうじゃ。その治癒魔法をもってして、多くの平民たちに救いの手を差し伸べているのだとか」
この言葉に一番に反応するのがスレンだなんて、いったい誰が予想しただろう。飛び跳ねるように立ち上がったスレンは、誰の目から見ても明らかに動揺していた。
「ど、どうしたの? スレン」
スレンとは逆にアターシアはいたく冷静だった。むしろ急に立ち上がったスレンに驚いたほどだ。もちろん治癒魔法などというものは彼女にとっても眉唾ものだが、スレンのせいで驚くタイミングを逃してしまったようだ。
「い、いや、なんでもない。ただ……」
「ただ?」
「そんな魔法があるなんて、信じられなくて」
それだけで立ち上がるほど驚くだろうかと、誰もが思っただろう。彼は何かを隠していると感じたはずだ。アターシアも言及するべきか考えた。だが、あの常識はずれのスレンが取り乱すほどのことだ。彼が口を噤むなら、この場所では深く掘り下げないほうが懸命だろう。アターシアはスレンから目を離し、ヘズモントに向き直った。
「まさか、先生の口からそんな言葉が出てくるとは思いませんでした」
魔力を研究する魔道師でありながら、そのような夢物語を語らないでくださいと、言外に含ませる。だがヘズモントは訂正することなく、そういう調査結果なのだと淡々と述べたのだった。
「……それは……例えば、その……」
「瞬時に、完全に、傷を癒やすそうじゃ」
例え話すら出てこないアターシアにヘズモントは畳み掛けるように言葉を被せる。
「先生の見解は? どう思われるのですか?」
否定しない師の姿を見て、初めて動揺を見せたアターシア。
「さてな、儂にもわからぬよ」
「否定なされないのですね」
「そういう調査結果が出たのじゃ。確かに、にわかに信じられぬことじゃが、否定するには材料が乏しすぎる」
己の、未だ不完全な知識のみで否定することは叶わない。研究者として、対象の調査もせずにそれを否定するなど許されないことだ。そうなるとアターシアに言えることは何もなくなる。
「騎士団には報告したのですか?」
「もちろんしたが、ジフ・ベルディアージが関わっておるとなると……」
「追放された真相を知らない者にとって彼はいまだ英雄。知っていても市長の不正を暴こうとしたカリスマ。士気は上がらないでしょうね」
ふたりの話は、すでにスレンの耳には入ってはいなかった。彼の頭の中は、ヨルヤと聖女がイコールで繋がっていたからだ。
もしかして結社の聖女というのがヨルヤなのか? ジフが聖女を逃がせと言った時、森の手前にいた奴らは、あの白ローブの魔道師を森へと逃した。あの白ローブが聖女なのは間違いない。確かに顔は見られなかったけど、背格好はヨルヤとよく似ていた気がする。でもどうしてヨルヤがジフとつるんでいるんだ。まさか利用されているのか? 治癒の魔法という珍しい力を持つヨルヤを、野心に燃えるジフが利用する。ありえない話じゃない。でも、どうしてヨルヤはおれに治癒の魔法を見せた? あの白ローブがヨルヤなら、あの戦場で向こうはおれに気づいていても良さそうなものだ。おれは顔を隠してなかったのだから。おまけにあんなに目立つ行動をして。とにかく、今度こそ問いたださなきゃならない。あの白フードはお前だったのかって。
「こらスレン。あんたも無関係じゃないんだから、ちゃんと聞いていなさい」
完全に上の空だったスレンをアターシアが叱りつけたが、スレンは空返事を返すだけだった。
■
翌日、スレンは図書館に来ていた。
まだ朝靄も残る早朝で、これではヨルヤが来ているはずもない。ただ、スレンが図書館の開館時間を間違えたわけではなかった。有り体に言うと、居ても立ってもいられなかったというやつだ。日が昇り、やがて一限目の始まりを告げる鐘がなってもスレンは図書館の大階段に腰を降ろして動かなかった。しばらくして、背後で正面玄関の鉄の扉が重い音を鳴らして開いた。裏口から入った司書が解錠したのだ。司書は門の前に座り込むスレンを見て目を丸くした。
季節はもう冬だ。王国南部とはいえ、流石に外で待ち続けるのは堪える。図書館が開いたことで、スレンはなかで待つことにしたが、いつもの会議室には行かず、エントランスで留まることにした。今日だけは、ヨルヤが会議室に来ないかもしれないと思ったからだ。
そんなわずかな可能性にさえ気を配ったが、いつまで経ってもヨルヤは姿を見せなかった。優等生らしく授業を受けているのだろうと考えたが、昼休みになってもヨルヤは現れなかった。そこでスレンは胸騒ぎを覚える。もしかして今日は来ないのか? ここで待っていても無駄なのだろうかと。
午後の授業が始まって、スレンはようやく動き出す。目的地は自分のクラスではなく、ヨルヤの所属するセレベセスクラスの教室だ。授業が終わり、教室から出てきた生徒に尋ねてみたら、ヨルヤは今日は欠席していると返ってきた。
スレンは図書館に戻る。カウンターで本を読んでいた司書に問いただすと、ヨルヤ・ファーロラーゼはまだ来ていないという。
結局、放課後まで待ってもヨルヤが図書館に現れることはなかった。
スレンは急いでセレベセスクラスに向かう。そしてちょうど教室から出てきた担任を捕まえ、
「すみません! ヨルヤは、ヨルヤ・ファーロラーゼは、今日来なかったって、何かあったんですか?」
と捲し立てるように尋ねた。
「君は?」
教師は訝しげな視線をスレンに向ける。
「あ、お、えと、私は、ルニーアクラスのスレンです」
「ああ、君がスレンか」
力なく、項垂れるような溜め息を吐いて教師は続けた。
「ヨルヤ・ファーロラーゼは、今日付けで退学したよ」
一瞬、スレンは硬直した。だが、すぐにハッとして教師に食ってかかった。
「え、退学って……ヨルヤ、また何かしたんですか?!」
「知らないよ。自分から退学届けを出したんだ。なあ君、彼女と仲が良いのなら何か知っていないか?」
取り乱すスレンを宥めるどころか、自分も頭を抱えているんだと言わんばかりの表情で教師は質問を投げ返してきた。もちろん何も知らないスレンは沈黙で答えるしかない。だが噤んだ口とは対照的に頭の中はぐるぐると思考が巡っていた。ただ、順序よく正解への道を辿っていたわけではなく、どうあがいても答えの出ない堂々巡り。ヘズモントの部屋で出した結論から何も変わってはいない。結局、ヨルヤに問いただしてみなければ何もわかりはしないのだ。今はそれが、ただただもどかしかった。
とぼとぼと夕日の眩しい中庭をスレンは歩いていた。無意識のうちに足は図書館へ向いていた。ヨルヤはいないというのに健気なことだとスレンは自嘲する。
と、伏せた視線に長い影が写り込んだ。顔をあげるとそこには夕日を背にした少女のシルエット。スレンが目を見開いたのはなぜだろうか。彼女が、真相に迫るためのヒントをもたらしてくれると思ったのか。それとも――
「ミルレット……」
「なんて顔してるの」
スレンの呼びかけに答えた少女は苦笑いを浮かべた。スレンは、何もわからないことが不安だったのだ。ヨルヤの意思も、安否さえもわからないのだ。
「ヨルヤがアカデミーを辞めたって?」
「そうなんだ」
ミルレットは治癒魔法のことを知っているのだろうか。それがわからない以上、迂闊なことは言えない。
「ミルレットは何か知ってるのか?」
「何も」
わたくしもさっき報告を受けたばかりだものと、ミルレットは首を横に振った。
「あのこったら、相変わらず肝心なことは何も言わないんだから」
ミルレットに会ったところで何が判るわけでもなかったけれど、それでもスレンはこの再会を喜んだ。
「けれど――」
「え?」
なぜなら、
「けれど、探しに行くのでしょう?」
なぜなら、誰かが背中を押してくれるということが、こんなにも心強いことだと知ることができたのだから。
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