第52話 初めてのラブレター
ヨルヤを探す。ミルレットにはそう嘯いたスレンだが、かといって手がかりがあるわけではなかった。だからスレンは思考した。
ヨルヤの退学した理由が結社絡みであれば、もう一度ラベンヘイズに行けば会えるのか。組織があるということは、拠点も存在しているはずだとスレンは予想する。ズウラとともに、たった一人で暮らしていたスレンでさえ、一箇所を塒に定めていたのだ。遊牧民でもない彼らが、その真似事をしているとは考えにくい。であれば、彼らの現れたラベンヘイズの周辺にアジトがあると考えるのは自然な流れだ。
行ってみるか?
だが懸念がないわけではない。スレンはヨルヤに癒やされた右腕に視線を落とした。攻撃を受けたあの時、まったく反応できなかったことを思い出し、背中に冷たい汗が伝う。やろうと思えばジフは急所を狙うことだってできたはずで、たまたま振り上げた右手が的になってくれただけだ。
「行くならひとりの方が良いな……」
山狩りをするわけではないのだ。諜報活動の真似事ならば身軽な方が良い。戦闘になったとしても、逃走するにしても、そして、失敗して死ぬにしても、ひとりの方が何かと都合が良かった。
ひとりで勝手に考えて、ひとりで勝手に深刻になっているスレンだが、彼は肝心なことを失念していた。否、思い至れなかったのだ。なぜならスレンは姓というものを持っていなかったから。
スレンが、一応、後見人には報告しておくべきだろうとアターシアの研究室を訪ねた時だ。流石に「ラベンヘイズへヨルヤを探しに行く」と言えば制止されるだろうと予想し、手短に「ヨルヤに会いに行く」とだけ告げたスレンに、アターシアは「何言ってるの?」と呆れた顔をした。
「あんたみたいなのがパッと行ってパッと会える訳ないでしょ」
一蹴するアターシア。そんな事は言われなくてもわかっていると、スレンが反論する前に彼女は矢継ぎ早に苦言を連ねた。
「だいたい、私は嫌だからね。ヨルヤだけならいざしらず、ファーロラーゼ公爵家自体と関わるなんて」
ファーロラーゼ家現当主は、シフォニ王の伯父に当たる。元平民のアターシアにしてみれば天上人もいいところだ。普通の貴族なら公爵とのコネクションなど垂涎ものに違いない。だがスレンという爆弾を抱えたアターシアにとって、巨大な権力に認知されることは必ずしも良いこととは限らない。研究資金には困っていない。出世欲もない。そんな彼女は穏やかな研究生活のみを欲しているのだ。
だが、彼女は自ら墓穴を掘ってしまった。
「どうしたのよ」
目を見張って沈黙するスレンにアターシアは眉をひそめた。
「そうか、ファーロラーゼ。ヨルヤ・ファーロラーゼか!」
全寮制のアカデミーを退学した生徒は実家に帰る。それは当然の流れ。他にどこへ行く? だが姓、あるいは家というものを持たないスレンにとっては、けっして常識などではなかった。だがスレンでも、指摘されればなるほど確かにそうだと納得の答えだった。
「なに、あんたどこへ行こうとしてたの?」
「いや、なんでもない! あ、そう、正確な名前が思い出せなかっただけ。そうそう、ファーロラーゼだったね!」
訝しげなアターシアにスレンは、見当違いのラベンヘイズ行きプランを誤魔化そうと必死だ。
「あのねえ、話聞いてた? だから駄目だって言ってるの」
言及は避けたが、後見人の反対は揺るぎそうにない。けれどスレンには不可解に思うことがあった。
「あのさ、どうしてファーロラーゼ公爵が出てくるんだ? 行き先は確かにヨルヤの実家だけど、おれはヨルヤに会いに行くだけで、公爵ってのには興味ないんだけど」
「だから――」
何度も言わせるなとアターシアは言いかけたが、今度はスレンが彼女を制止した。
「だから、ファーロラーゼ公に会いに行くんじゃないんだ。アカデミーの学生のおれが、同じ同級生のヨルヤに会いに行くだけだ」
そこに家が出てくる余地などないというのがスレンの主張だ。アターシアは黙考する。スレンの目論見は建前上問題ないように思える。だがしかし、いや、やはりと言うべきか。スレンはまだ、社会というものを理解していないのだとアターシアは断じた。未成年同士のやり取りだけで面会の予約などとれるわけがない。古くから付き合いがある家同士で、お互いの使用人の理解と情が得られるような条件が揃っていれば、裏口からひと目見るくらいのことはできるのかもしれいない。親に隠れて心を寄せ合う恋愛劇は、劇場でも定番の演目だ。物語というのは往々にして現実よりも奇なるもの。だからこそ人々は憧憬するだ。今回、手を回してくれる使用人にあてなどない。自分の身を危険に晒してまで、スレンに手を貸してくれる使用人など皆無。現実とはままならないものなのだ。
「やはり会うのは無理ね。面会の予約は取れないでしょう。でもそうね、学友からの見舞いと称して手紙を送ることくらいはできるわ。当たり障りのない内容なら、返事くらいはくれるかも」
「返事? それじゃだめなんだ……」
それでヨルヤの真意がわかるとは思えない。
「じゃあ本当に恋文でもしたためてみる? あんたの文才如何ではヨルヤの心を動かせるかも」
「コイブミって?」
「貴女のことを愛していますと、情感たっぷりに記した手紙のことよ」
ヨルヤの心を動かすことができれば、彼女の方から使用人に協力を請うてくれるだろう。請われた使用人も、平民上がりの魔道師と由緒正しい公爵令嬢の許されざる恋に心を蕩めかせるはずだ。
「そんなの書いたことないよ」
「あんた、ヨルヤ姫のことはどう思ってるのよ。退学した彼女に会いに行きたいのは何故?」
「それは……」
口籠るスレン。アターシアはその沈黙を肯定ととらえ、微笑ましげに花の挿絵が描かれた洒落た便箋を手渡したのだった。
その夜、スレンはヨルヤに宛ててラブレターというものを書いた。アターシアは具体的なことは何も教えてくれなかったので、通りかかったメイドに尋ねると、
「まぁまぁまぁまぁ、スレンさま、ご自身の恋心をそのまま素直に表現すれば良いのですよ」
と、アドバイスされた。
「とはいってもな」
生まれてこの方、恋心など抱いたこともない。いくら合理的だからといって嘘を吐くのは性に合わない。わからないものをさもそれらしく、愛してるなどと書けなかったスレンは、ヨルヤに対しての嘘偽り無い素直な想いを筆にのせたのだった。
『ヨルヤにあいたい』
文章も書き慣れていないため、たった一言になってしまった手紙。封緘した後で、もっと色々書いたほうが良かったかなと思ってしまうのは良くあることだろう。
□
スレンが手紙を出してから数日、アターシアはスレンにどう取り繕えば良いのだろうかと頭を悩ませていた。ラブレターを書かせたは良いが、スレンは返事が返ってくるものだと思い込んでしまっている。あまつさえ面会の手筈が整ったとばかりに、毎日首を長くして待っているようだ。確かにラブレターを書くように提案したのは自分だが、あくまでも接触できる可能性が上がるのではないかと思ったにすぎない。しかも搦手である以上、結果を確信することなどできやしない。
だが数日後、幸か不幸か、アターシアの予想に反してファーロラーゼ家の封蝋の押された手紙がスレンのもとに届けられた。手紙を読んだスレンは、困った様子で首をひねる。手渡された手紙を読んだアターシアは愕然とし、思わず頬を引き攣らせた。
「どうしてファーロラーゼ公から返事が返ってくるのよ」
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