第33話 ルイルの少女

「行きたい場所? どこ?」

「えーっと、確か……」


 ミザリのところで働くことになったはずだ。


「ミザリの店だ」

「ミザリってだれ。店の名前は?」

「さぁ……」

「さぁって……」

「アターシアの妹なんだ」

「アターシアって、研究狂いのアターシア・モール?」

「あ! モール! モール商会だ!」

「めちゃくちゃ有名じゃないか。というか、後見人の実家ぐらい覚えておきなよ」


 呆れ顔のアルトセインと照れ笑いのスレンは、フードを深くかぶり、アカデミーの坂を下っていった。





 アニムが魔法都市という名を冠しているのは、ひとえにアカデミーがあるからだ。別に市街に魔法が溢れているわけではない。魔法のランプも、空飛ぶ宅急便もない。人々が、ただ忙しなく毎日を生き抜いているはどこの都市も同じことだ。

 ただ、レギニアで最も魔法に注力している国の、それも魔法都市が辺鄙なわけはなく、アニムはシフォニ王国で二番目に大きな都市としても有名だった。街並みは中心部になるほど複雑で、外縁に行けば行くほど整然としている。都市壁付近と中心部とでは街並みの美しさがまるで違うが、これはアニムが度重なる拡張を繰り返してきた証拠であり、まるで切り株の年輪のようにどの時代に拡張された区域かがひと目でわかるのだ。


 スレンとアルトセインは中心部を行く。複雑な街並みだが、住んでいるのは貴族か富豪ばかりだ。一区画あたりの面積も大きく、荘厳な神殿を除き、基本的に二階建てが多い。中心部を抜けると三階建てが多くなる。一階部分が店舗になっているものも多く、閑静な中心部とは違って往来には活気が溢れている。外縁部は四階建ての集合住宅がひしめき合う。流石に都市門とそこから延びる大通りは美しく整備されているが、一歩奥に入ると、一日中陽の差さない路地も多い。治安も悪く、夜道の独り歩きは避けなければならない。流石に最大手の商会がそんな区画にあるわけがなく、スレンの要望を聞いてアルトセインが目指したのは、中心部と外縁部に挟まれた真ん中の区画だった。


「迷った……」


 だが、具体的な場所など知るわけもなく、大きな商会だからすぐに見つかるだろうというアルトセインの安直な考えは、見事に打ち砕かれてしまった。大船に乗った気持ちですべてを任せていたスレンは驚きの声を上げた。だがすぐに冷静さを取り戻し、


「有名なんだったら、誰か知ってるんじゃないか?」


 と言って、今までとは逆にアルトセインの前を歩き始めた。

 平民と会話したこともないアルトセイン。辛うじてあるのは屋敷の使用人くらいだろうか、どちらにせよ通行人に道を尋ねるなどという行為は戸惑われることだ。それだけに前を歩くスレンの背中がいつもより広く感じられたのだった。

 スレンは、大通りを目指した。聞き込みをするのなら人の多いところが良い。耳を澄ますと、こんな人気のない路地裏にも大通りの喧騒は聞こえてくるものだ。

 子どもしか通れないような狭く暗い路地を通るたびに後ろのアルトセインが「大丈夫?」と不安げに尋ねてくる。森で生きてきたスレンをして、まるで洞窟探検でもしているような気分にさせられるが、見知らぬ街ということで洞窟探検よりもスレンは興奮していた。徐々に近づく大通りの喧騒。暗い道の先からは光が差し込んでいる。きっと大通りだ。スレンの胸は高鳴り、アルトセインは安堵した。


 広いアニムにはいくつも大通りが存在する。ふたりが出たのは商業区の大通り。ひときわ活気があって、当然人も多い。目まぐるしく行き交う人々に酔いそうになるも、スレンはすぐ近くの壁際に並ぶ露店の主人に話しかけることにした。


「こんにちは。少しお話を伺ってもよろしいデショウカ」

「ああん? お貴族様みてぇな喋り方しやがって」


 教科書通りのバカ丁寧な言葉遣いでぎこちなく話しかけるスレンに目を丸くした露店の店主。彼の言う通り、ふたりとも貴族――スレンは予定――なのだが、そんな者がこんな市井にいるはずがない。スレンの慣れない話し方も相まって、店主は平民の子どもが貴族の真似事をしているのだと思ったのだろう。


「ほら、商売の邪魔だ! あっち行った!」


 しっしっと、手を振る店主にスレンたちは追い払われてしまった。スレンはともかく、アルトセインの正体を知れば、きっと店主は青ざめることだろう。そして明日からは、いや次の鐘がなるころにはすでに、この場所に彼の店はなくなっているに違いない。


 ふたりを追い払った店主が大声を張り上げて客寄せを始めたのを見て、スレンはこの場所が聞き込みに相応しくないことを悟る。こう賑やかでは落ち着いて立ち話もできやしない。ふたりは一本奥の路地に場所を移すことにした。


「こっちの道はまだ人が少ないね」


 大通りとは違い人影がまばらな裏路地。大きな袋を抱えている人は、買い物を終え、帰宅する途中だろうか。


「そうだね」


 と、アルトセインが答えるのと同時にスレンは動き出す。もう目星をつけたのかと、スレンの向かう先を見たアルトセインはハッと息を呑んだ。


「こんにちは。少しお話を伺ってもよろしいデショウカ」

「スレン、ソレは……」


 明らかに動揺するアルトセイン。すでに話しかけてしまってなお制止の声をスレンに発した。

 スレンが話しかけたのはキャイル・イルーゼの少女だった。襤褸布一枚からのびる手足は、痩せ細っていて骨が浮き出している。砂埃にまみれたブラウンの髪はくすんでいてぼさぼだだ。ただ大きく見開かれた空色の瞳だけは、澄んだ輝きを宿しているように見えた。


「な、なに……」


 話しかけられた少女は、露店の店主と同様に驚きを顕にした。しかしその意味はまったく違っていた。彼女のそれは、まさか忌み嫌われているキャイル・イルーゼである自分に話しかける者がいるなんて、という驚きだった。


「モール商会って知ってますか?」

「あ、う、うん」

「知ってるんだ!」


 喜色満面に前のめりになるスレンに気圧されながら少女は答える。


「その、大きいところ、だから」

「じゃあ、案内してください!」

「えぇ?!」


 突然の申し出に困惑し、スレンの後ろに見えるアルトセインに助けを求める少女。だが目も合わせないアルトセインの態度に、もはや諦めるしか道はないと悟った。






 散々迷って見つけられなかったモール商会だが、道が分かっていればあっさりたどり着けるもので、キャイル・イルーゼの少女は角を二つ曲がるだけで案内してみせた。


「あの、わたしはこれで……」

「うん、ありがとう。そうだ、お礼しなくちゃ」


 何かをしてもらったらお礼をする。ズウラの教えはまだスレンのなかに息づいている。だが彼女が何を求めているのかわからないし、自分も何も持っていない。思い悩むスレンだが、少女の纏う襤褸を見て閃いた。


「え……」

「な?!」


 少女とアルトセインが同時に驚きの声を放つ。


「寒いから。これを着てください」


 スレンは自分のローブを脱いで少女に羽織らせたのだ。けして高価なものではないが、持たざる者が持てるはずのない物を持っていたら彼女の主人はどう思うだろうか。


「や、やめて……!」


 少女は逃げるようにローブを払いのけ、それ以上何も言わずに走り去ってしまった。離れていく後ろ姿に呆気にとられたスレンが立ち尽くしていると、横からアルトセインの呆れ口調が投げかけられた。


「ルイルだと気づかなかったのか?」

「ルイル? ああ、キャイル……」

「キャイル・イルーゼ。異端者だよ」

「異端者……」


 異端者といえばマリにかけられた罪状だ。マリはアターシアに助けられたけれど、彼女はどうだろうか。


「酷い目にあうの?」

「もうあってるんじゃないかな」


 魔道の名門ゆえか、アルトセインは興味なさげに振る舞っているがどこか態とらしい。何かしら思うところがあるのは、スレンにもわかった。


「そうか……」


 そしてその《思うところ》というのが、同情などという好印象なものでないこともわかっていた。なぜなら、彼女に案内される道すがら、アルトセインは一言も言葉を発しなかったし、彼女を視界におさめることすらしなかったのだから。

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