第32話 悪友
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ある休日、昼を告げる四つめの鐘が鳴る頃、スレンとアルトセインはアカデミーの城壁の下に集まっていた。ふたりともアカデミーの制服ではなく普段着姿だ。それも庶民が着ていても可怪しくないような、控えめにいってもアカデミーの学生さんには相応しくない装いをしている。その上から土色のローブなど羽織っているために、顔を隠せばふたりをお貴族様だと思う者はいないだろう。
「スレン、準備はいいかい?」
取っ手のついた薄い鉄板を二枚持ったアルトセインは得意げに尋ねた。
「あ、ああ」
対してスレンの返答には覇気がない。緊張しているようだ。
「大丈夫だよ。魔法も随分うまくなったじゃないか」
不安げなスレンを励ますアルトセイン。彼の言った通り、スレンは自分の魔力を使った魔法をかなり上達させていた。といっても、実技主席のアルトセインに及ぶべくもなく、せいぜいクラスの下の上といったレベルだが。それでも小さな水晶に微々たる魔力を通わせるので精一杯だった編入試験を思えば、随分な進歩である。
スレンの成績はさておき、なぜふたりが休日に人気のいないアカデミーの隅っこに来ているのか。その理由は遡ること数日前にあった。
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「じゃあスレンはアニムの街を見たことがないのかい?」
「うん。アターシアに会いに直接アカデミーに着たからね」
放課後、みんなが帰った教室で、スレンとアルトセインはお喋りをしていた。厳密には遠目にアルトセインの取り巻きが待機しているのでふたりきりではない。
アルトセインは感心していた。いつもは視界に入るだけでも煩わしい彼女たちだが、スレンとこうして雑談していると気にならないのだ。スレンもスレンで、初めてできた同性の友人との会話は、それはそれは楽しいものだった。その感情すら初めてで、あといくつ鐘が鳴ろうとも、喋り飽きる気配はない。
ふたりの心境がどうあれ、刻々と終わりの時は近づいてくる。スレンには特に決められた門限はないが、夕食には戻ってくるようにとアターシアに言いつけられているし、アルトセインには寮の門限がある。日没を告げる鐘がそうだ。そして太陽は、すでにその光をランプの灯火のような色に変えていた。
そんななか、アルトセインは横目で女子たちの目を気にしつつ、スレンに手招きをしてみせる。口元に手を添えたことで、なにか内緒の話があるのだと察したスレンは、顔を少し横に向けて耳をアルトセインの方へ向けてみせた。
「じゃあ、次の休みの日に出かけてみようか」
スレンにとってアルトセインの誘いはとても嬉しいものだった。だがスレンが浮かべた喜色は、次の瞬間には消沈していた。
「でもだめだ。おれ、外へでるなってアターシアにいわれているから」
「そうなの? えらく過保護なんだね」
――平民なのに。と、アルトセインは心の中で意外そうに呟く。そこまで過保護なら、なぜ全裸騒ぎなど許したのか。
「そう……なのかな」
スレンは微妙そうな顔をした。
人と人が仲良くなるにはいくつかパターンがある。例えば一緒に苦難を乗り越えた時、例えば共通の人物の悪口を言い合う時、例えば秘密を共有した時だ。
「じゃあさ」
一度離れた顔を再び寄せてアルトセインは囁く。
「抜け出そうか」
「えっ!?」
「しー!」
思わず声を上げたスレンを慌てて止めるアルトセイン。両手で口を抑えるスレンだが、目は口ほどに物を言う。大袈裟に丸く見開かれた目は、訝しげなものへ変わり、そして伏せるようにアルトセインから視線を外した。
「そんなに心配しなくても大丈夫さ。バレなければ良いんだから」
「でもどうやって」
「任せて。私に考えがあるんだ」
□
「で、どうするんだよ」
詳しいことを何も聞かされていないスレンは、今に至っても、いまだ不安げである。対してアルトセインは悪戯な笑みを浮かべて言った。
「実技で習った防壁魔法があるだろう?」
「風のやつ?」
「そう。それって、前にかざせば壁になるけど……じゃあ、下に敷けばどうなると思う?」
横にあれば壁、上なら天井。なら下は?
「床?」
「その通り」
スレンの口から正解が出たことに満足気にアルトセインは続ける。
「敵の攻撃を弾くってことは、下に敷いて上に乗れば飛べるってことだ。でもそのまま乗ったら靴がボロボロになってしまうだろ。だからコレ」
手に持った鉄板はこのためのものだったようだ。
「それの上に乗るのか」
「正解」
理屈はわかる。だが疑問もある。スレンは高い高いアカデミーの城壁を見上げた。
「あんなに高く飛べるのか?」
「それはまあ、しっかり時間をかけてたくさん魔力をつぎ込めばなんとか」
「下りるときは?」
アルトセインも身体強化を使えるのだろうか。しかしアレも無詠唱だし、呪文があったとしても授業では習っていない。たとえアルトセインが使えたとしても、彼のなかでスレンは未習得のはずだ。それに着地面も問題だ。森のように柔らかな土の地面ではなく、硬い石畳。まさか自由落下で着地するわけにはいかない。
「飛び降りるときも同じさ。ただ少し弱くするんだ。すると落ちてくる私たちの衝撃に耐えきれずに風の防壁は破れるけど、抵抗はあるから私たち自身の落ちる速度は遅くなる」
スレンは絶句する。
「そんなことできるの?」
アルトセインの発想には純粋な賞賛を送ろう。しかし今のスレンの実力ではかなり難しい。強すぎれば防壁に弾かれ、その衝撃で大怪我をしてしまうかもしれないし、弱すぎても落下の勢いを殺しきれずに石畳に激突してしまう。絶妙な魔力コントロールが必要な芸当だ。
「大丈夫だよ。下りる時のスレンの防壁は私が作るから。というか大きな一枚の防壁を作るから、そこをふたりで通ればいいよ」
「なるほど」
スレンはほうと安堵の息を吐いた。
「じゃあ詠唱するよ。スレンはそこ、私はここだ」
スレンは指定された位置に並ぶ。そしてしっかりと魔力を溜めて、詠唱を始めた。生まれ育った森のどの大木よりも高いアカデミーの城壁。それを一息で飛び越えるような魔法だ。運ぶのは人間。軽い矢を弾くのとはわけが違う。たくさんたくさん魔力をつぎ込んで、
「――求むるは虚空、幾重にも折り折りてここに顕現せよ」
ふたりは風の防壁を完成させた。鉄板ごと飛び乗るために、ふたりは壁際に置かれている木箱の上に登る。
「そうだ。下りに通る防壁の大きさを計っておきたいから、まとまって行こう」
そう言って差し出されたアルトセインの手を取り、スレンはもう片方の手に鉄板を持つ。
「じゃあ行くよ。せーのっ!」
アルトセインの合図とともに、スレンは木箱から飛び降りた。
防壁に触れると同時に、ものすごい衝撃がスレンの身体を突き上げる。とても立ってはいられず、鉄板の上に膝をついてしまうほどだ。上に跳んでいるはずなのに下からの突風で髪が上になびいている。そして城壁の目があっというまに流れ、スレンの眼下には広大なアニムの街並みが広がった。
そうだ、アカデミーは丘の上にあったんだった。
街に点在する神殿のシンボルでもある塔すらも見下ろす位置にある。たくさん魔力を使ったかいあって、城壁は簡単に飛び越えることができた。ほどなくして上昇が終わり、一瞬の浮遊感の後、ふたりは落下しはじめる。速度はぐんぐん上がり、見る間に城壁が、そして地面が迫ってくる。だがアルトセインが詠唱を始めない。
「アルトセイン?!」
焦ったスレンの声にハッとしたアルトセインは、慌てて詠唱を開始。地面ギリギリで展開した防壁をくぐり抜けて、ふたりは無事城外へと降り立った。
「もう、びっくりしたじゃないか」
「ああ、うん、ごめん」
「でも流石アルトセインだ。落下の勢いが完全に殺されてた」
「…………ああ、うん」
なぜかぱっとした返事を返さないアルトセインをよそに、スレンは坂の下を一望する。
この景色を見るのはこれが二度目だ。スレンは一度目の時のことを思い出す。寂しい別れがあった。アカデミーに来てからいろんなことがありすぎて、もうずいぶんと前のことのように感じられるけれど、実際は季節ひとつ分も経ってはいない。
心に吹き抜けるのは壁の外へ出た解放感という名の青嵐だろうか。それとも寂寥感という名の木枯らしだろうか。
「ねえ、アルトセイン」
スレンの横に並び、城下街を見下ろすアルトセイン。
「なに?」
彼女は喜んでくれるだろうか。
「ちょっと、行きたい場所があるんだ」
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