第34話 三度の別れは嫌だから

「スレン? さあ、知らないなあ」


 商館の扉を叩いて出てきた青年にアルトセインが、スレンの名を告げたらそう返ってきた。スレンはアターシア・モールの被後見人で、ここは彼女の実家であるモール商会の支部。だから男がスレンを知らないというのであれば、事情を知らされないくらいの下っ端か、アターシア・モールが実家に報告せずにスレンの後見人を引き受けたかのどちらかだ。そしてスレンの名を出した時、アルトセインは支部長のミザリ・モールではなくその姉、アターシアの名を一緒に出した。さらにスレンの話では、彼はミザリ支部長とも顔見知りのようだ。とうことは、目の前の青年が、三名の関係性を知らないほどの小間使いということとなる。

 アルトセインは溜め息をついて、懐からアカデミーの制服のタイを取り出した。


「私はアルトセイン・メイオールだ。ミザリ・モールに用がある」


 アニム市の紋章でもある大樹の意匠が施されたブローチを見た青年は、急に青ざめて返事もロクに返せずに商館のなかへ走り去っていった。アニム市の紋章などただの平民がもっているわけがない。いやしくも大商会で働いている青年にはブローチの効果は絶大だったようだ。ただ、どこでどれだけ待てば良いのかくらいは伝えられて然るべきなのだが、よほど驚いたのだろう。青年の勢いに呆気にとられて思わず立ち尽くしてしまうアルトセインだった。

 ほどなくしてバタバタと慌ただしい足音が、わずかに開いた扉の隙間から聞こえてきた。足音は扉の前で止まり、一呼吸置いた後、優雅に隙間を広げた。


「ようこそモール商会アニム支部へ、アルトセイン・メイオールさま。わたくしはここの支部長を務めさせていただいております、ミザ――……リ・モールと申します」


 名乗りの途中、スレンと目があったミザリ。驚愕の色を顔に浮かべながらも無事に名乗りきったのは彼女の意地か、あるいは染み付いた口癖か。


「ははっ、ミザーリってなんだよ」

「なっ……ちょ……あ、あの! 本日はお忍びでどのようなご用件でしょうか」


 無邪気に笑うスレンに反応しかけたミザリだが、まさかアルトセインを無視するわけにもいかないと、とっさに向き直り、話を続ける。だが自らが犯した過ちにいち早く気づき、訂正した。


「し、失礼しました。すぐに応接室を用意させますので」

「いや、いい。ここに用があるのは私ではなくスレンだからね」


 ミザリの動揺を気にする様子もなく、アルトセインは半身になってスレンに対応を譲った。


「やあミザリ。久しぶり」

「スレン……あなた、一体……」


 聞きたいことは山ほどあるが、平民のなかでさえ有名なメイオール家の子息など連れているので迂闊なことを言えるはずもなく、必然的に言葉に詰まるミザリ。とはいえその要件というのは聞かなければならない。積もる話を一切合切を無視して、ミザリは単刀直入に要件を尋ねた。


「マリがどこで働いているのか知りたいんだ」

「ああ……」


 なるほどと、納得するミザリ。あるいは姉の遣いかとも思ったが、そうではないらしい。


「マリは酒場で働いているわ」

「道を教えて欲しいんだ」

「何言ってるのよ。そんなわけにいかないでしょ」


 スレンの申し入れをあっさり拒否したミザリは、アルトセインに向き直り「今、馬車を用意させますので、やはりなかでお待ちください」と、営業スマイルを見せた。






 モール商会ほどの大商会ともなると、貴族との取り引きも少なくない。取引相手の屋敷に上がり込むこともあるし、貴族を連れて市街を移動することもある。そんな時、自分たちが普段遣いしている馬車にお貴族様を乗せるわけにはいかないので、豪華絢爛な馬車の一台くらいは用意してあるのだ。

 黒塗りに金細工で装飾された、どう見ても街並みとは不揃いな馬車に揺られてスレンたちは、マリの働く酒場へ向かった。


「スレンとはどのようなご関係なのですか?」


 道中も、スレンとミザリはあまり会話することはなかった。ミザリからすれば見知ったスレンよりも、より上位の存在であるアルトセインを放置しておくわけにはいかないからだ。とはいえ商会に用のないアルトセインにミザリと話すことなどない。それを知っているミザリの振る話題は、もっぱらスレンとのことだった。


「ああ、スレンとはアカデミーの同級生でね。恥ずかしながら私には友人が少ないから、彼は貴重な存在だよ」


 そうだったんですねと何気なく頷きながら、ミザリは気付かれないように頬をひくつかせる。スレンがアカデミーの学生に? そんなことは姉のアターシアから一言も聞かされていない。だからどうということはないのだけれど、一方的に驚かされるのは少し癪だった。だからこそほくそ笑む。今のマリを見たら、スレンはきっと驚くだろうから。


 目的の酒場の少し手前で馬車を停車させたミザリ。流石に貴族用の馬車で乗り付けるのも迷惑だろうという酒場への配慮だ。御者が車の扉を開け、ミザリが降り、続いてスレンが降りようとしたところでアルトセインが、


「スレン、私はここで待ってるよ。ふたりで行ってくると良い」


 と声をかけた。マリという人物について、アルトセイン自身にはまったく関係がないし、スレンたちにはそれぞれ積もる話もあるだろうということで気を回したのだ。ミザリが気を使って自分の相手をしてくれていたことはわかっていた。


「そう?」

「貴族の私がいたら、そのマリという女性も緊張するかもしれないしね」

「確かに。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」


 頷くアルトセインを残し、スレンは馬車を降りた。




 こっちよ、と誘うミザリの背中をスレンは追う。フィアレンゼで出会った時と同じ紅い髪をふわりと揺らし、テンポよく石畳を行く。


「まさかアカデミーに通っているなんて思わなかったわ。おっと、これは失礼致しました。魔道師さま」

「ははっ、止めてくれよ。アターシアは何も言わなかったのか?」

「そうね。あれ以来とくに連絡を取ることもなかったから」


 そんな世間話をしつつ歩いていると、マリの働く酒場が見えてきた。一階部分が店舗になって、二階以上は住居になっている。アニムには良くある一般的な形式の建物だ。


「酒場ってご飯を食べるところ?」

「そうよ。食べたり飲んだりするところ」

「そうか、よかった」

「如何わしい店にでも放り込むとでも思った?」


 ほっと安堵するスレンに、心外そうにミザリは尋ねた。


「イカガワシイ?」

「その、娼館とか……」


 言いにくそうにミザリ。それでもスレンには伝わらない。


「ショウカンって?」

「あーもーいい!」


 娼館の存在も知らないというのであれば、心外だと思ったのは自分の被害妄想なのだろうと、ミザリは意図せず答えを得たのだった。


「食べ物屋なんだろ。だったら、食べ物には困らないなって思ったんだ」


 そして告げられる「よかった」の真意。この酒場を紹介したのはミザリだ。姉からよろしくと頼まれた人物に劣悪な職場を紹介するはずがない。


 そういうの、スレンはわかって言っているのかしら。食べ物がたくさんあるから食べるものには困らないだなんて、そんなに単純なものではないのだけれど。


「まあ、賄いくらいはでるわね」


 ミザリの言葉に、スレンは満足そうに頷いたのだった。


 そうこうしているうちに、ふたりは酒場の前にたどり着く。


 通常、酒場のピークタイムは夕方以降だ。いくら昼間から営業しているといっても、客の仕事が終わらなければ客席は埋まらない。だから今はまだ、店内も空いているはずだった。普通の酒場であれば。

 だが、ミザリの開けた扉の先には、所狭しと席についているたくさんの客の姿があった。当然店内は時間帯に似つかわしくないほど賑やかだ。これではマリと話す暇などないのではないかと、スレンは不安に思いながらも周囲を見渡してみる。だが、まだ出勤していないのか、マリの姿は見当たらない。


「いないね」


 騒がしさのなか、声を張ってミザリに報告するスレン。だがミザリは横目でスレンを見て「もうすぐのはずよ」と答えるだけだ。目線はすぐに顔の向きに戻る。顔の向きは常に一定方向を向いていた。何かあるのかと、スレンはミザリの見ているほうを見る。だが客たちが壁になって向こうまでろくに見えやしない。

 やきもきしたスレンが背伸びをしようと踵を上げた瞬間、今まで騒々しかった店内がシンと静まり返った。明らかな異常事態にスレンはミザリに目を向ける。だがミザリはスレンの視線に気づきもせずに、ただ前だけを向いていた。


 と、スレンの耳に聞き覚えのある歌が届いた。

 咄嗟に声の方を見るがやはり見えない。だが諦めるわけにはいかない。なぜなら、この歌声はマリのものだからだ。


 酒場や大衆食堂の名前には理由がある。例えばフィアレンゼでスレンたちが行ったダイニング《茜色の白斧亭》は、白身魚の煮込みが名物料理だ。斧の分厚い刃のように切り分けられた白身魚に茜色の光沢をもつスープがかかっているので茜色の白斧亭。

 そしてマリが働いているのは《歌う小麦亭》という。小麦を練って作った団子の料理が名物で、夜になると専属の歌手が小さなステージに立つ。料理も美味いが歌も上手いことで人気の酒場だった。


「前座だけどね。先週からステージに立っているのよ」


 人混みの隙間からようやくマリの姿が見える。


 あれがマリ?


 カロア村にいた頃とかなり印象が違っていた。骨ばっていた四肢は、すっかり女性らしい丸みを帯びているし、頬は柔らかそうで、薄紅色に染まっている。村にいた時よりもとても健康そうだが、スレンにはそれよりもマリが笑顔で歌っていることが嬉しかった。


「驚いた?」


 なぜか嬉しそうに問うミザリ。


「うん。驚いた」


 肯定するスレンだが、あまりそうには見えない。思惑が外れたミザリは内心で悔しがる。けれどスレンの横顔が本当に嬉しそうだったので、まあいっかと、小さく息を吐いた。


「どうする? 少し話す?」

「いや、もう十分だよ。ありがとうミザリ」


 嬉しそうな割に意外な返答をよこすスレン。ミザリが本当に良いのかと尋ねると、


「だって、この人たちはマリの歌を楽しみにしてるんだろう? 邪魔しちゃ悪いよ」


 と、当然のように答えた。



 ――それに、三度目の別れは寂しいだろ。

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