第21話 アカデミーの学生たち2
□
「ヨルヤ!」
オレンジ色の夕日が明り取りの窓から差し込む放課後の図書館に、大きな声が響き渡った。アカデミーは全寮制で、王族や特別な事情のない限り、すべての学生は寮で生活することになる。当然全員が個室だ。だから図書館の――特に放課後の利用者は、借りるだけ借りて読書や勉強は寮の自室で行う者がほとんどだ。稀に図書館の雰囲気が好きで入り浸っている生徒もいるが、基本的にはガランとしている。だからといって静粛な館内で人の名を叫んでもマナー違反に当たらないというわけではない。
「ヨルヤ、どこにいるの? ヨルヤ・ファーロラーゼ!」
カツカツカツと速めのリズムを刻みながら大理石の床を踏み鳴らしてブロンドを伸ばした少女が歩く。何度も友人の名を呼びながら交差点の度に首を左右に振って歩く。陽光の届かないランプの薄明かりだけがぼんやりと明るい奥の方まで歩き、とある角を曲がったところで少女は立ち止まった。
「ヨルヤ! ここにいたのね」
「……ミルレット、図書館で人の名前を大声で叫ぶのは止めてくれないかしら」
黒髪の少女は読んでいた本を閉じて、顔をあげるなり開口一番にミルレットと呼ばれた金髪の少女に苦言を呈した。
「ごめんごめん。そんなことより――」
「そんなことなんて言っていると、またマエル殿下に叱られてしまうわよ。まだ他の利用者もいるのだし、王女の貴女が――」
「わかった! わかりました! ごめんなさい! 読書の時間の邪魔をして申し訳ありませんでした」
大声の主が王女さまとあれば、他の利用者は嫌な顔すらできないだろう。彼女に注意を促せるのは古参の教員か、信頼のおける護衛騎士か、あるいは兄たち、そして親友であり従姉妹でもあるヨルヤ・ファーロラーゼくらいだ。ヨルヤは呆れたように息を吐いて、ミルレットに話の続きを促す。
「それで、何かあったの?」
「そう!」
つい大きな声を上げたミルレットをヨルヤがジロリと睨む。おちゃめに小さく舌を出したミルレットは改めて小声で話し出した。
「そう、あのね、変態がでたんだって」
「変態?」
「そう、変態で魔法使いで全裸で白いんだって」
そう聞いて、ヨルヤの脳裏にはいつか出会った野生児の姿が浮かんだ。アターシアが欲しがっていたようだけれど、もう手に入れたのだろうか。ヨルヤは首を傾げる。
「なによヨルヤ、知ってるの?」
「……いいえ、ミルレットは見たの?」
「それがお昼過ぎの少しの時間だけ現れて、すぐにいなくなっちゃったみたいなのよ。衛兵に捕まえられたのかしら」
悔しそうにミルレットは言った。
「かもしれないわね」
「でも、すっごい話題なのよ!」
「そう?」
「一番大きな事件はアルトセイン・メイオールの前に全裸で現れたことかしら。ファンの娘たちが騒いでいたのよ。その娘たちはすぐに逃げ出してしまったから、その後のことはわからなかったけれど、アルトセイン・メイオールにしてみたら、ちょっとラッキーだったかもね」
「そうね」
アルトセインが常に女生徒に囲まれているのはアカデミーでも有名な事実だ。ふたりはクスリと笑った。
「それにラミアニアクラスの子たちも見たと言っていたわ。お前たちも魔道師かと尋ねられたらしいわよ」
「それで?」
「捕まえようとしたら逃げられちゃったんだって」
「その変態も魔道師なんでしょう?」
「うーん……」
歯切れ悪い返事のミルレット。
「噂ではね。眉唾だけど」
「そうなの?」
ミルレットは眉間に皺を寄せた。
「そりゃあ、どこかの貴族の秘蔵っ子って可能性もないわけじゃないけれど、その秘蔵っ子が全裸でアカデミーを徘徊するかしら」
「だから変態なんじゃない? そうでなければただの獣だわ。魔法を使うから魔獣かしら」
「それを言うなら魔人でしょ?」
「服を着てればそうだったかもね」
ヨルヤの言い様にミルレットは数回瞬きをして「それもそうね」と同意した。
一通り話が終わったと感じたヨルヤは閉じられた本を再び開ける。指を挟んでいたのだろう、開いたページにそのまま目を落とした。分厚い本で、サイズも大きい。深緑に染色された革製のカバーからは高級感を感じさせられる。十二歳の学生が読むような本ではない。その文字だらけの本を読みふけるヨルヤに、ミルレットは小さく溜め息を吐いて「興味ない?」と尋ねた。ヨルヤは本から目を外さずに「噂にはね」と、言葉だけで答えた。
「……ヨルヤってクラスに友達いなさそうよね」
ミルレットは言う。
ヨルヤは王国中央に位置する大都市セレベセスを擁するセレベセスクラスで、ミルレットは首都ラミアン率いるラミアニアクラスだ。従姉妹ということで昔から仲がよかったが、入学してから半年、お互いに自分のクラスのことを話し合ったことは一度もなかった。
「それはミルレットもでしょう」
ヨルヤは顔を上げて答えた。
王女さまということで、たくさんの取り巻きに囲まれている。だが、彼らは友人ではない。ヨルヤも公爵令嬢ということで一応王位継承権保持者だ。第二十三位とかなり低位だが。それに座学において学年主席でもあるため、ミルレットほどではないが擦り寄ってくる者はいた。ただ、やはり彼らも友人とは呼べない代物だった。ふたりが友人と認めるのは、お互いだけだった。
お互いの自虐に、ミルレットはくすりと笑いヨルヤは呆れたように小さく息を吐いた。
□
研究棟の薄暗い廊下をアターシアは歩いていた。急いでいるわけではないが、元商人というだけあって歩くのはここの平均よりも速い。だから石畳を踏み鳴らす音も気持ちよく響いている。やがて足を止めたアターシアは、自分にしか聞こえないくらい小さく溜め息を吐く。うんざりしているのか、緊張しているのか。その両方だろう。そして目の前の高級感ただよう複雑な細工のなされた木製の扉を叩いた。
「アターシア・モールです」
アターシアが名乗ると、扉越しに「入りなさい」という言葉が返ってきた。許可を得たアターシアは扉を開ける。
「失礼します、先生」
「そこへ座りなさい」
アターシアに指示したのは、長い白髭をたくわえた老人だった。だるだるのローブ姿に、脚が悪いのか長い杖をついている。いかにも魔道師といった格好で、研究机にも本が山積みになっている。アターシアの研究室と違うところと言えば、研究机の周囲以外は綺麗に整頓されているところだ。アターシアは指定されたソファに座り、積み上げられた本の向こう側で何か作業をしている老人を待つ。足をピチッと閉じて、手は隙間のない太ももに潜り込ませるように置いていささかバツが悪そうだ。
そんなアターシアが黙っていると、まだ手が止められないのか、ごそごそと動く丸い背中だけを見せて、机の向こうの翁が彼女に問かけた。
「お主、儂に話すことがあるじゃろう。いや、話すことがあったじゃろうて」
「……はい」
問題となった今ではなく、そうなる前に報告すべきだったのだと、老人は諭すように言う。しかしアターシアはそうしなかった。そうしたくなかったからこそ、大金をはたいてカロア村での一件を闇に葬ったのだ。
「ヘズモント先生のおっしゃる通りです」
「ふむ」
ようやく手を止めた老人が、アターシアの向かいのソファに腰掛けた。
ヘズモント・レンネターク。アカデミーに在籍する教員で、アターシアが師事する魔道師だ。教員たちのなかでも古参中の古参だが、要職には就かず、毎日研究に明け暮れている。アターシアが師事するだけあって、彼も魔力について研究しているが、決して人気のテーマというわけではない。魔道師たちのなかでの権威主義的研究テーマは、もっと実用性の高い戦術的な魔法の開発だ。どんな研究者でも、何らかの形で軍事的側面から魔法の研究に関わっている。そうせざるを得ない。なぜなら成果を出せば国から資金がおりてくるからだ。だがアターシアとヘズモントはそんなものには見向きもせず、自分のやりたい研究だけにひたむきになっていた。アターシアはアカデミーで得た情報を実家へ売ることで資金を得ている。ヘズモントはパトロンがいるようだ。
「それで、例の……その、変態とやらがお主の研究室へ入っていったという噂が流れておるが、真か?」
「……はい、間違いありません」
もう隠し通せないと、アターシアは腹をくくる。
「ふむ。では其奴とお主はどういう関係なのじゃ」
「彼の名前はスレンといいます。最近、原色地の調査で赴いたカロアという農村で拾ってきました」
「確か、ここより西の原色地だったか」
「はい」
「そういえば、南部の盗賊が全滅したそうじゃが、その事件と何か関係があるのかの? わざわざ拾ってくるくらいじゃから、何かしら特別な何かを持っておるのじゃろう?」
「……はい。彼は同い年の――十二歳の学生たちよりも魔力の扱いに長けておりました。魔法も数種類使えるようです。なので、彼の魔力への接し方が良い資料になるだろうと思い、表向き護衛として雇用しました」
予測できた質問に、アターシアは少し間を置いて用意しておいた回答を並べた。嘘ではないが全てでもない。そんな回答に信憑性を持たせるためだ。だが彼女の浅知恵などお見通しと言わんばかりに、ヘズモントは目を細めて、
「そう構えるでない。別に教え子の研究資料に手を出したりはせんよ」
と、パタパタと手を振った。アターシアは観念したように目を瞑り眉間に皺を寄せ、深く溜め息を吐いた。だが嘘は突き通す。
「やだなぁ先生。本当ですよ」
いかにも態とらしい素振りだ。当然ヘズモントにも伝わっただろう。言葉と態度のギャップは、これ以上追及しないでくれというアターシアの意思表示。それほどまでにヤヤコシイ素材なのだと、言外に含ませたのだ。
「ならば良い。とにかく、手綱はちゃんと握っておきなさい。今回は学生間の噂話程度で済んだが、次はわからぬぞ」
「申し訳ありませんでした。肝に銘じておきます」
そうだ。今回は学生間の噂話で済んだ。全裸の不審者が学び舎に侵入し、学園の秩序と平穏を著しく乱したというのに、アターシアのところにはアカデミーからお咎めのひとつも来やしない。さっそく大金をはたいた効果が出たようだ。ただ、師であるヘズモントに飛び火したのは痛かった。実際、呼び出しをくらったアターシアの心境は、迷惑をかけたことの申し訳なさよりも、最高の研究素材を知られたことへの落胆の方が大きかった。もちろんそのような心境おくびにも出さないが。スレンの特異性を知る人間が増えれば、そのぶん面倒事が増えることは火を見るより明らかだ。彼の存在が明るみに出れば、政治、宗教、魔道と、さまざまな方面から彼を欲し、また拒絶する者が現れるだろう。それが嫌でアターシアは金貨三百七十枚も支払ったのだから。
アターシアは退出しようと立ち上がる。扉の前に立った彼女の背中にヘズモントの声がかかる。
「ところでアターシアよ」
ドアノブに伸ばしたアターシアの手がピタリと止まる。
「論文は、一番に見せてもらえるのじゃろう?」
論文? そんなもの発表できるはずがない。そもそも研究成果を文章にまとめるつもりはなかったのだ。しかし師にせがまれれば見せないわけにはいかない。
アターシアは偽の論文をでっち上げる必要にかられる。
師に悟られないように小さく息を吐いたアターシアは、振り返ると、
「当然ですよ」
と、笑顔で答えてみせた。そして胸中で叫ぶ。
面倒くさ!
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