第20話 アカデミーの学生たち

 アカデミーの敷地には、魔道師たちの護衛についている騎士たちのために宿舎が設けられている。宿舎といっても、訓練施設もある立派な騎士団の施設だ。昼食後の昼過ぎ、何組かの非番の騎士たちが訓練場を利用していた。アキュナと、彼女に師事している騎士見習いのスレーニャもその一組だ。

 アキュナが護衛のお役目を放り出しているように思うだろうか。しかし護衛騎士といってもその勤務内容は人によって違う。もちろん四六時中護衛対象の魔道師に張り付いている騎士もいるが、都市外へ出る場合や、外部の者と面会する時を除いては《なあなあ》になっている場合が多い。原因は大きく三つある。

 ひとつはアカデミーが安全であること。この国最大の魔法機関であるアカデミーは、ある意味最も軍事力が豊富な場所でもある。見習い以外にも多数の騎士が在籍し、学生以外にも多数の魔道師が務めている。

 ふたつめは魔道師が護衛騎士を指名することを許されていることだ。といっても公には認められていないが、任命官に多少握らせるとあっさり希望を通してくれる。豪商出身であるアターシアにその金を払えないわけはなく、付き合いの長い気の知れたアキュナを護衛騎士として指名したのだった。

 みっつめは、見習い騎士の制度である。見習い騎士もアカデミーの学生で、基礎教養や魔法、戦略を学ぶ。だが剣術や騎士の精神は師匠から学び取っていく必要がある。だから弟子を持つ騎士は、可愛い見習いのために訓練の時間を確保しようとするのだ。


 アキュナとスレーニャ、はいつもどおりチェインメイルの上に魔法都市アニムのシンボルカラーである深緑のサーコートを羽織っている。フル装備なのはより実践に近づけるためだが、流石に武器は真剣ではなく木剣だ。コンッ、カンッと、乾いた音が屋内の訓練場に響き渡る。ぶつかりあう木剣の軽やかな音とは対照的に、両者――特にスレーニャの方は動くたびに汗を飛び散らせていた。


「スレーニャは――」


 カンッ!


「身体が小さいから――」


 コンッ


「剣を振り上げるよりも――」


 スレーニャの剣を受けながら彼女に指南をするアキュナ。聞いていないわけではないが、攻撃の手を緩めようとしないスレーニャ。いなされては大勢を立て直し、また素早く打ち込みを入れる。そして今度は受けずに躱したアキュナがアドバイスを締めくくる。


「下に構えた方が良いわ」


 交わされたスレーニャは勢い余ってアキュナの背後に派手に転がった。


「せっかくの小さい身体なのだから、それを活かすような立ち回りを覚えなさい」


 スレーニャを横目で見下ろしたアキュナは助言する。身体が大きければそのぶんリーチも長くなるので有利だが、小さいなら小さいなりの戦い方というものがある。アキュナがどれだけ言い聞かせても、スレーニャは上段に構えたがった。コンプレックスから意地を張っているのだろうけれど、護衛騎士が自分の戦闘スタイルを意地で固めてしまい、その結果、護衛対象を危険に晒してしまっては元も子もないというのに。スレーニャ自身、筋が良いだけに勿体無いことだと、アキュナは常々思っていた。


「…………わたしだって、これから大きくなります」


 木剣を床に突き立ててなんとか立ち上がるスレーニャは、恨めしそうにアキュナを見上げて言った。アキュナは呆れたように溜息を吐いた。


「それはその時に、また考えれば良いことだわ」


 この問答も幾度目だろうか。


 ふとアキュナは数日前に再開した少年のことを思い出す。立ち上がったスレーニャに目を落とすと、彼女は息を切らしていて立っているのもやっとな様子。アキュナは丁度いい休憩になると、スレンの話をした。


「そういえば、あの子、カロア村で出会ったスレンがアターシアのもとへやってきたのよ」


 スレーニャは一瞬考えた後、思い出したように口を開いた。


「まさかあの変態がですか?」

「変態って……」

「だって――」


 水浴び中のヨルヤの前にスレンが現れたときのことを口にしようとしたスレーニャは思わず口ごもる。もちろんアキュナも知っている一件だが、この訓練場には自分たち以外の騎士もいるのだ。見ず知らずの男に裸を見られたなんて、ヨルヤの名誉のためにも絶対に言えない。


「と、とにかく、アイツは変態のケダモモなんです!」

「ケダモモ?」

「ケ、ダ、モ、ノ、です!」


 顔を赤くして言い直すスレーニャ。彼女もスレンの異常な強さを目の当たりにしたはずなのに、彼の評価は相変わらず変態のままなのかと、アキュナは肩を竦めたのだった。


「まぁ、確かに脱衣癖は矯正しなくてはねぇ」


 アキュナは手を口元に当てて悩ましげに首を傾げた。




 講義棟はアカデミーで三番目に大きな建物だ。学生たちの居住区画である寮に比べれば小さなものだが、それでも五クラス五学年分の教室と、授業に専用の設備を必要とする科目の教室がいくつかあるため、豪商の商館などよりもよほど大きい。けれど多くの学生や教員、使用人たちも多数務めているので日中は最も賑やかな場所となる。静かな場所の少ない講義棟でも、特に騒がしい場所がいくつかあって、そのうちのひとつが、メイオール伯爵家の長男アルトセイン・メイオール、彼のいる場所である。


「はぁ、今日も麗しくいらっしゃるわ」

「アルトセインさま……」

「あっ、今わたくしと目が合いましたわ!」

「何をおっしゃっているのかしら、彼はわたくしを見られたのだわ」

「はぁ、あの美しい宝石のような赤い瞳で見つめられたいわ」

「貴女ならせいぜい白い目で見られるだけよ」

「それでもわたくしは満足よ!」


 階段状に机が並べられた教室の窓際で、アルトセインは深い溜め息を吐いた。寒空を思わせる曇天のせいでも、ついに降りだした雨のせいでもない。背後から聞こえる姦しい黄色い声にうんざりしているのだ。はらりと目の先に垂れた金髪を掻き上げると、さらに悲鳴にも似た歓声が上がった。


 ふとアルトセインは、窓の外――アカデミーの研究棟だろうか、その屋根の上に人影を見かける。あんなところにバルコニーなんてあっただろうか。アルトセインは目を擦って注視したが、見間違いではないらしい。雨の中だというのに、ローブのフードを被らず白髪頭を晒している。遠くてよく見えないが老人ではなさそうだ。というか、あれはローブではない? 象牙色のシルエットはローブにしては細すぎる。まさか裸なのかとアルトセインは再び目を擦った。だが、再び目を凝らしたときには、すでに屋根の上に人影はなく、アルトセインは三度、目を擦った。




 アルトセインの行くところ、常に十名以上の女生徒がつきまとう。別のクラスどころか、別の学年からもアルトセイン目当てに集まってくる。

 まだあどけなさが残る十二歳という年齢だが顔立ちは端正で、上品に切り揃えられた金髪は一切のくすみがない。赤い瞳は彼女たちの例えたとおり宝石のように透き通っている。女生徒のみならず、男子生徒、教員、メイドに至るまで、全員が認めるアカデミーいちの美男子がアルトセイン・メイオールだ。おまけに実家が伯爵家というのも彼の女子人気の一旦を担っているだろう。王族や公爵のような天上人ではなく、かといって下級貴族でもない。親しみやすく、かつ高貴というのが夢と現実を天秤にかける女生徒たちの心を鷲掴みにして離さない。ただ、容姿や家柄の良さだけでは、これほどの人気は出なかっただろう。メイオール家といえば古来より続く魔道の名家。彼は実技も座学も学年次席と、その名に恥じない成績を納めていた。


 もしも彼に恋人がいたら、彼女はきっと嫉妬の嵐に巻き込まれて酷い目にあっていただろう。しかし幸いにもアルトセインに良い人はいない。これだけ多種多様な女生徒に好意を寄せられても、アルトセインはにこりと微笑って、しかしその笑みの裏側では嫌悪に満ちた感情を押し殺していた。


 なぜか。別に男が好きだからというわけではない。アルトセインが異性に嫌悪感を抱くようになったのは、彼の家庭環境に理由があった。

 アルトセインは幼いころより厳格な祖母に厳しく育てられた。物心ついた頃にはすでに貴族らしい話し方をしていたし、身のこなしも厳しく躾けられた。拙い仕草が子供らしくて可愛らしいなどという言い訳は許されない。大の大人が思わず一人前の男として見てしまうような振る舞いを身につけよと、時には折檻をもって叩き込まれた。母も気が強く、家中では姑の祖母とグルになって伯爵であるはずの父親を尻に敷いていた。

 姉弟関係も要因のひとつだ。アルトセインには三人の姉がいる。全員がそれぞれ別の意味で男勝りだった。


 一番上の姉は歳が離れすぎていることもあってあまり関わりがなかったが、嫁ぎ先のリュワーズ侯爵家から帰省しては、愚痴をこぼしている姿をよく見かけた。決まってそんな夜は、アルトセインと仲のいいフットマンの少年が彼女の部屋に呼ばれた。何をしているのかとフットマンの少年に尋ねても、少年は慌てて「何もなかった」と答えるだけだ。どうしても気になったアルトセインは、ある夜、姉の部屋の扉の前で聞き耳を立てた。聞こえてきたのは、恍惚に満ちた姉の罵声と、必死に許しを乞う少年の声だった。

 二番目の姉はアカデミーでの権力闘争に燃え、終にはライバル関係にあった派閥の筆頭貴族の長男をたらしこんで結婚。険悪な両家の関係を取り持つことで、王宮に対する強大な影響力を家にもたらした。今、彼女は身ごもっており、向こうの家では跡継ぎに男児を期待されているらしい。だがアルトセインはその腹の子が、結婚相手の男との間にできた子どもではないことを知っている。すべてはその家を血を絶やすための策略で、ゆくゆくは婚姻によって得た力をメイオール家に集合させるらしい。そうなる頃には、当主はお前になっているだろうと、誇らしげな次女はアルトセインに言い聞かせた。

 アルトセインに一番関わったのは三番目の姉だった。彼女も非常に優秀だったが歳が近かったためアルトセインへのライバル意識も強かったのだろう。それに三女ともなるともう政略結婚の利点も弱くなっていく。むしろ広すぎる血縁関係は害でさえある。《しがらみ》を《縁》と捉え、社交界に張り巡らせた血の繋がりを活用して権力闘争を生き抜く貴族もいるが、メイオール家は魔道の名門であって、腹芸でのし上がることを得意とする貴族ではないためだ。女としての活躍を求められ、期待通りの成功を修めた姉たちへの反発もあり、三女は魔道師としての栄達を望んだ。将来は軍の魔道師ではなく研究者としてアカデミーに席を置くことを希望しているようで、だからこそ今は何よりも研究成果が欲しいらしい。同じ魔道を志すものとして、アルトセインは三女には他の姉たちにはない親近感を感じていた。懸命に研究に打ち込む姿には尊敬の念すら抱いていたのに。だから彼女からかけられた「アルの研究も失敗に終わればいい」という言葉には酷く幻滅させられた。自分は彼女の苦悩が報われる日を願っていたのにと、彼の兄妹愛は無残にも裏切られた。


 かくして女性への幻滅と嫌悪感を植え付けられたアルトセインは、しかし貴族のご令嬢に嫌な顔をすることもできず、今日も溜め息を吐きながら顔を背けるのだった。


 魔法史の授業が終わり、わずかな休み時間の間、アルトセインは次の教室へ向かうべく渡り廊下を歩いていた。もちろん、少し離れた背後に大量の女生徒を引き連れて。常にこんな有様だから、同性の友達なんてできやしない。


 渡り廊下は中庭を突っ切る形で整備されている。屋根を伝って庭へ滴る雨水が、一定間隔でリズムを刻んでいるのが心地良い。だが煩わしいささやき声が多数あっては、すべて台無しだ。


 いい加減、何とかしたい。アルトセインは考えていた。ずっと考えていた。そして何度も注意しようとして、その度に断念した。

「ひとりになりたいのですが」「放っておいてくださいますか」「私などさほどの価値もありませんよ」

 いろんな文句が浮かぶがどれもさほどの効果は産まないだろう。いっそのこと「目障りだ」と言ってしまえればどんなに楽か。だが、祖母や母が必死で身につけさせた教養は何のためか、そしてふたりの姉がなんのために《化物》になったのか。それを思うと、そんな暴言は吐けなかった。


 けれど、一言くらい言ってやる。示さなければ何も変わらない。アルトセインは渡り廊下の真ん中で足を止めた。くるりと振り返ると、黄色い声が湧き上がる。ピクリと眉を動かして、アルトセインは集団の方へ歩み寄った。


「君たち――」


 と、アルトセインが苦言を発するのと同時に、集団をかき分けてひとりの女生徒が姿を現した。


「フロランジナさま……」


 フロランジナ・リンドベル。アルトセインのクラスとはライバル関係であるラミアニアクラスの女子で、みっつ上の上級生だ。実家は公爵家とアルトセインよりも格上にあたる。というか王族の親類だ。邪険にできるわけもない。まさかこんな大物がこんな下らない集団に混じっていたなんて。あまりの驚きに、覚悟を決めたアルトセインの表情はあっさりと崩れてしまった。


「なにか用かしら」

「フロランジナさまのような高貴なお方が、なぜこのような集団に混じっておいでなのですか」

「あら、知られていなかったのは残念だわ。わたくしも貴方のファンなのよ」


 フロランジナは意外そうに答えたが、アルトセインには彼女の態度は酷くわざとらしく映った。本当は誂っているのではないだろうか。


 ダメだ……。身分社会に雁字搦めにされ、アルトセインは絶望する。手足が鎖で繋がれているような気さえした。


「……先生方の迷惑にならないように、ほどほどにお願いしますね」


 言いかけた手前、無言で済ますわけにもいかず、しかし辛く当たることもできないアルトセインは、せめて一矢報いたい思いで注意を促したのだった。血の滲むようなポーカーフェイスはこの時のために身に着けたのだろうか。柔らかな笑顔を見せつつも心は敗北感でいっぱいだった。

 そんなアルトセインが逃げるように踵を返そうとしたその時だ。背後からドシャリという何かが落ちたような音が聞こえた。優しい雨音のなかでそれはあまりにも不自然で、当然アルトセインはすぐに振り返ろうとした。だがそうしなかったのは、目の前の天敵たちが目を丸くして息を呑んでいるのに気がついたからだ。


 何を言うまもなく、アルトセインも振り返る。


「お前たちは、アカデミーのやつか?」


 そこには全裸の少年がいた。ペタペタと渡り廊下の石畳に濡れた足跡をつけ、少年は歩み寄る。


「な――」


 何だお前はと、アルトセインが問い詰めようとした瞬間、背後から何人もの悲鳴が発せられた。いや、悲鳴などという穏やかなものではない。絶叫と呼ぶべき金切り声に身体をビクつかせたアルトセインは、とにかく女生徒たちを宥めなければと振り返った。


 そして瞠目する。さっきまで十五人はいたはずのそこには誰の姿もなく、優しい雨音に満たされた石畳の渡り廊下には、自分と全裸の少年だけが残されていたのだ。


「お、おれ、何か悪いことしたか? やっぱりこれのせいか?」


 少年は不安げに自分の裸体を見る。一糸纏わぬその姿を衆目に晒すことが非常識なことだという自覚はあるようだが、今のアルトセインにはそんなことよりも重要なことがあった。


「くくっ、くっくっくっ」


 その重要な発見にアルトセインは、呆れたような表情を浮かべ、声を噛み殺すように笑う。


「こんなにあっさり――」


 アルトセインの笑いは止まらない。注目すべき少年は置き去りにされている。


「こんなに簡単なことで――」


 今までどれだけの苦悩があったろうか。それが馬鹿らしくなるくらい、解決したのはくだらないことだった。たとえその場しのぎだろうと、アルトセインにとっては大きな一歩。ただ、彼が露出癖に目覚めないことを祈るのみだが……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る