第19話 アターシアの研究

 スレンに自由はない。といってもずっと牢屋にぶち込んでおくわけにもいかない。だからスレンには、自分がこの世界でどんなに非常識な存在であるかを理解してもらう必要があった。ある意味異教徒ともいえるスレンにアターシアは、シフォニ王国の国教であるアーグ教を教え、《魔法》のなんたるかを示した。こちらの常識を知ってもらえれば、そこから外れる部分がすなわち自分の話すべきことだとわらせる意図もあった。


「魔力には属性があるでしょ? 一番目の神ザルラは雷を司る存在。二番目はカンカ、彼は炎を司る神。三番目のクベーは土属性、四番目はディアで、金属製、五番目のイルスは生命の属性、私たちが持っている魔力もこれに当たる。六番目は風の神フィーロ、七番目は水の神ルート。人々はそれら七柱の神に祈りを捧げ、信仰の拠り所としているのよ。例えば商人が崇める金属性のディアは取引や価値を司るし、水属性のルートや土属性のクベーは農民に広く信仰されている」

「そういえばマリやミザリがご飯を食べる前に、土の神がどうとかっていうのを言っていたな」

「そうね。神への信仰は身分問わず広く深く根付いているわ」

「アターシアもか?」

「そうね。特に魔道師は神の力を借りて魔法を発動させるから、最も確信的な信仰心を持っている種類の人間でしょうね。ちなみにアーグ教式魔法の呪文はもともと神へ捧げる祝詞だったんだけど、長い歴史のなかで詠唱学という形で研究が進み、より実践的なものになっていったの」

「ちょっと待って、呪文ってなんだ?」


 アターシアは目を丸くした。スレンの師匠が千年を生きる狼であると、一体誰が考え及ぶだろう。誰に魔法を教わったのかわからないが、少なくとも何らかの信仰はあるはずだとアターシアは考えていた。そしてその教えのなかで、神は別の名で呼ばれているのだろうと、であれば、当然その存在への祈り文句もあるに違いないと、彼女は考えていた。その推測が今外れたのだ。


「あ、あんたは必要ないみたいだけど、普通は魔法を使うのに神への祈りが必要なの」

「どうして?」

「だって、私たちの魔力は生命の属性でしょ? それを火や水の属性に変化しないと魔法にならないじゃない。その時に神の力を借りるのよ」

「へぇ、なるほど」


 神への祈りなどなくとも魔法を使えるスレンは、良くできた仕組みだなと他人事のように感心する。そして当然の疑問を口にした。


「神って本当にいるのか?」


 スレンが思い浮かべる、神に一番近い存在は魔法の師匠であるズウラだ。光の粒が身体から溢れている青白い狼は、それはそれは特別な存在だった。ズウラのような存在はあの広い森のなかでも見たことがなかった。ただ、あれが神かというと……。アターシアの口から語られる、各属性を司る存在とは違うようにスレンには思えた。


「じゃあ、誰の力で魔力の属性を変えるのよ」

「うーん、属性って変える必要ある?」

「木属性のままだと木属性の魔法しか使えないでしょう」


 今、ふたりの会話は噛み合っているようで噛み合っていない。スレンは魔法を発動させる時、自身の魔力ではなくその辺りに漂っている魔力を集めてきて使っている。もちろん自分の魔力を使うこともできるが、あえてしんどい思いをする必要もない。対してアターシアは、自分の魔力を使って発動させることを前提に話を進めている。そもそもスレンのように他所から魔力を引っ張ってくるということができないのだから、そういう発想になりようがない。


「だから、火の魔法が使いたいなら火の魔力を使えば良いだろ」


 だが、流石にここまで言われれば誰でも気づく。


「あんた……あんたまさか、自然にある魔力を! ……使ってるっていうの?」


 珍しく取り乱したアターシアだが、すぐに立て直し、周囲を気にして声のトーンを落とした。


「普通だろ」

「……そんなの誰もできないわよ」


 他者の魔力を自由に使うことができるというのは脅威だ。あらゆるものに魔力が満ちているということは、逆を言えばあらゆるものが魔力の変化に大きな影響を受けるということだ。例えば、木から木の魔力がなくなればどうなるだろうか。水から水属性の魔力がなくなればどうなるだろうか。人から生命の魔力がなくなってしまえば――。アターシアは背筋に寒いものを感じた。


「もしかして他人の魔力も勝手に使えたりするの?」


 恐る恐る尋ねるアターシアに、スレンは眉間に皺を寄せて首を横に振った。


「なに言ってるんだ。自分の魔力が他人に動かせるわけないだろ。おれも他人の魔力を動かしたりなんかできない。自分以外の魔力で、自由に使えるのは空とか、水とかにあるやつだけだ。常識だろ」


 どうやら生命に宿る魔力は使えないらしい。ほっと胸をなでおろすアターシアは「非常識よ」と冷静にツッコミをいれた。その心中で、スレンの見る景色は一体どのようなものだろうかと考えた。手を顎に当てた格好を崩さずに目線だけでチラリとスレンを見る。物珍しそうな視線を部屋のなかに彷徨わせている。


「ねえスレン。神がいるのかって尋ねたけど、あんたはどう思うの」


 呪文による超常的な存在への呼びかけもなく、自身以外の魔力を好きに使えるなんて、アターシアの常識ではそれこそ神くらいなものだ。しかしスレンは神ではなく人間。自分たちが信仰してきた神の教えが真実なら、彼の魔法は虚構となる。だがスレンの魔法はまぎれもなく現実だった。二律背反はありえない。だとすると……


「おれは……わからないけど、神にお願いしなきゃ魔法が使えないっていうのは、ないんじゃないか? だっておれが使えているんだから」

「……」


 スレンでも神自体の否定には至れないらしい。見たことがないのなら否定のしようもない。おそらくそういうことだろう。アターシアは、残念なような安心したような、複雑な気持ちだった。ただ、このわずかなやり取りの間で、彼女の常識は大きく揺れ、緊張を強いられた結果、どっと疲れたのは確かだった。


「もう今日は良いわ」


 どっかりと椅子に腰掛けたアターシアはパタパタと手で顔を仰いだ。


「もう良いのか?」

「ええ、ちょっと考えをまとめる時間が欲しいわ。また明日、同じ時間にここへ来てちょうだい」


 目も合わさないアターシアは、机に散らばった書類や本を漁っている。そして石版にすごい勢いで石筆を走らせ始めた。ほんのさっきまでの疲れている様子はどこへやら、スレンの「わかった」という返事すら耳に届いていないようだ。




 スレンが退出して一刻。アキュナがスレーニャに訓練をつけるために出ていった研究室で、ひとりアターシアはもくもくと書物を漁り、石版に石筆を走らせていた。カッカッカッと気持ちのいいリズムが、散らかった研究室に木霊する。


 彼女は失念していた。

 スレンが使う魔法はすべてが無詠唱である。それはアターシアたちシフォニ王国の魔道師――いや、すべての人間にとって劇薬となる。なぜなら、神への呼びかけなしに神の力を使うことができるだなんて、それは信仰を揺るがしかねない新事実だからだ。アターシアが金貨三百七十枚を叩いてまで手に入れた《非常識》が白日のもとに晒された時、軍やアカデミーは実利をとるかもしれないが、神殿はスレンを異端者扱いするだろう。そうなればアターシアも彼を庇護することは難しくなる。だからミザリがそうしたように、アターシアも警告すべきだと考えていた。ほんのついさっきまで考えていたのだ。だというのに……。


 やがて窓を雨が打つ。それに気づき、外を眺めたアターシアが、アカデミーの屋根にある厳つい彫像に腰掛けている全裸のスレンを目撃する。アターシアの手からは羽ペンが転げ落ち、跳ねたインクが羊皮紙に黒子を作った。

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