第18話 アカデミーでの一日

 マリを救い出すためにアターシアに借りを作ったスレン。金額にして金貨三百七十枚。その返済のために、スレンはアターシアに自由を売り払った。だがスレンは悲観してはいなかった。なぜなら旅に出た当初の目的である魔道師に会えたのだから。


「じゃ、行きましょうか」


 マリを姿の見えなくなるまで見送った後、スレンはアターシアに続いてアカデミーの門を再びくぐる。門から玄関まではいかにもお貴族さまの学校らしい道の両側には庭が広がっていて、綺麗に切り揃えられた植え込みがシンメトリーに設置されている。見上げれば石造りの巨大な城が古めかしくも雄大に聳え立っている。それは魔法都市アニムの象徴であり、シフォニ王国での魔道師の権威を知らしめているかのように見えた。


「何してるの、置いてくわよ」


 スレンが城を見上げて唖然としていると、前からアターシアに急かされる。スレンははっと我に返り、駆け足でアターシアとアキュナのもとへ向かった。




 アカデミーの内部はいくつかの区画に分かれている。講義棟、屋内実習棟、屋外実習場、寮、研究棟、図書館、博物館、神殿、使用人寮等。アターシアは学生ではないので寮ではなく研究棟に自室を構えている。またスレンも学生ではないので、すぐ近くの空き部屋を住まいに与えられた。


 マリと別れた翌日、スレンは昼前まで寝過ごしていた。いや、誰も起こしに来なかったし、特別予定もなかったので《過ごした》わけではないのかもしれない。ただ、普段よりも長く寝ていたのは事実だ。旅に出てからはほとんどが野宿だったし、ミザリと出会ってからはずっとマリのことが心配で落ち着いて寝られなかった。どんな形であれ、ようやく地に足の着いた生活ができそうで安心したのか、ベッドがふかふかだからという理由だけではないだろう。


「むにゃむにゃ……うーん」


 などと時折覚束ない寝言を発しているところへ、


「起きなさい、スレン!」


 と、突如ノックもなしに勢い良く扉が開かれ、同時に現れたアターシアの声が部屋中に響いた。


「うわああぁぁ?!」


 思わずベッドの上で飛び上がったスレン。やはり全裸だ。


「あー、そういえばミザリがなんか言ってたわね。気をつけてってこれのことか」


 アターシアは今年二十一歳になる。同年代ならともかく、十二歳の裸をみたところでいちいち動揺などしたりしない。スレンが誰にも会えない格好だと知ると、彼女はにこやかだった顔を素に戻し「服、ちゃんと来たら私の研究室にいらっしゃい」と、ベッドの上で身構えているスレンに命じ、部屋を後にした。



 服を着たスレンがアターシアの研究室を訪ねると、アターシアとアキュナの他に、見知らぬ男が目に入った。前の二人に比べ、いくらか質素な格好をしている男は、緊張した様子でぎこちない笑顔を浮かべている。一体誰なんだろうとスレンが思っていると、視界外からアターシアの、


「スレン、服を脱ぎなさい。パンツは履いていていいわ」


 という指示が飛び込んできた。


「ええ? また脱ぐの?」


 着ろと言ったと思ったら半刻も経たないうちに今度は脱げだ。スレンはアターシアが馬鹿になったんじゃないかと勘ぐった。


「脱がないと採寸できないでしょ」

「さい……なに?」

「一応私兵なんだから、適当に防具を誂えてあげるわ。この人は職人ギルドの職員よ」


 アターシアに紹介された男はぎこちない笑顔を崩さずにスレンに歩み寄る。そしていくつもの線の描かれた紐を取り出した。いったい何をされるのか、男の持つ紐をチラチラを横目で見ながら服を脱いでいく。そしてスレンがアターシアの指示通り、パンツ一丁になると、男は跪いてスレンの背中に紐を通した。


「それではお体の方、失礼致します」

「え? え?」


 あからさまに動揺するスレン。その様子にアターシアはくっくと笑いを堪え、アキュナは咎めるような視線を彼女に向けた。


 男が立ち上がり、採寸の終わりを告げるとアターシアは「もう服を着ていいわよ」と、スレンに言う。


「え、また着るの??」

「当たり前でしょ」


 呆れ口調で言ってはいるが、その実スレンの反応は想像通りで、アターシアはいっそう困惑しながらズボンを拾い上げるスレンにまたくっくと笑いを堪えるのだった。


「それではモールさま、私はこれで失礼致します。また品物ができ次第お持ち致します」

「ええ、今日はありがとう」




 男が部屋の扉を閉めたのを確認したスレンは、部外者が消えるのを待ちわびたとばかりに口を開いた。


「今の誰だ? おれに何したんだよ」

「あんたの服を作るために身体のサイズを計ったのよ」

「はぁ? 服? おれに?」

「そうよ。冬物の普段着が五着、春物の普段着が五着、街着用の外套が冬用二着に春用二着、旅用マントが一着、それに……」


 アターシアが指折り数える度、スレンの表情がげんなりしていく。


「……魔道師のローブが一着、ブーツが二足に……」

「ええっ、まだあるのか?」

「……私兵として働いてもらう時用に革のハーフメイルと短剣、式典用のプレートメイルと儀礼用の剣、式典用の礼装が二着に……それと肌着が適当に」

「そんなにいらないよ。服なんかこれで十分だよ。マリに貰った服もあるし」


 スレンは襟元を引っ張ってぶつくさ言う。


「ダメよ。あんたは貴族じゃないけど、貴族に仕えるんだからそれなりの格好をしてもらわないと私が困るもの」

「……」


 スレンが身に纏っているのはミザリに貰った服だ。さきほどの男と同じで、アターシアやアキュナと比べてかなり見劣りする。カロア村で農民の服を、フィアレンゼで町人の服を、ミザリのモール商会で商人の服を、そしてアターシアたちと出会ったことで貴族や騎士、魔道師の服を知ったスレンは、使われている色の数や模様の有無、作りが複雑かどうかで、その服が《すごいのかすごくないのか》くらいはわかるようになってきた。だからアターシアの言い分も理解できた。確かに、この城の中で見る者は従業員であろうとみんな自分よりもすごそうな服を着ていたと、スレンは廊下ですれ違ったメイドたちの姿を思い浮かべた。

 それにしても多すぎだろうと、スレンがアターシアの並べた数え切れないほどの衣類に圧倒されていると、彼女が話を変えるようにパンパンと手を叩いた。


「さて、用事も済ませたことだし、スレン、早速仕事よ」


 アターシアはテーブルに向かい合うように並べられた長椅子を指す。


「仕事って、そのシヘイってやつか? 兵士ってことだろ? 戦うのか?」

「何言ってるの、あんたの仕事は私の研究資料でしょ」

「ケンキュウシリョウ」

「そ。さ、そこ座って」


 そうだったと再確認すると同時に、スレンは原初の目的を思い出す。


「アターシア、おれ、森を出たのは知りたいことがあるからなんだ」

「ちょっと待って! ……それって魔力と関係有ること?」


 スレンを我がものとし、住環境も整え、これでようやく研究を始められると意気込んでいたアターシアは、広げた手を突き出してスレンの発言を遮った。ここにきて研究がさらに後回しになるのは勘弁願いたい。


「え……わからないけど」

「……そう……一応、聞くけど、なに?」


 閉じた目を片方だけ開けてスレンに向ける。


「あの、夢が……」

「夢?」

「そうなんだ、しばらく見ていなくて、あんまり覚えてないんだけど……」


 感情だけが喉の奥の方にこびり付いて離れないのだ。


「覚えてないんじゃわかるわけ無いでしょう」


 この世界には魔力が満ちている。人間、獣、昆虫、植物といった生き物には生命属性の魔力が、鉱物には金属性の魔力、水には水属性の、空気には風属性の魔力が満ちている。人間は太古よりそれら魔力に大きな影響を受けてきた。例えば、魔力が多ければ多いほど基本的には長命であること。高名な魔道師で百歳を越えてなお活躍し続ける者は少なくない。二百を超えるとなると稀になるが、中には三百歳を超える魔道師もいるとかいないとか。さらに魔力の恩恵は自然治癒力にも関係してくる。魔力が少ないからといってペナルティのように本来持つ治癒力がマイナスになることはないが、百歳を越える魔道師と普通の者とでは大きく隔たりがある。肉体のみならず精神にもその影響は及ぶ。魔力が低い場所だと、気分が落ち込んだりイライラしたりする。だから人は古来より魔力の高い場所を《原色地》と呼び、その近くに都市を築いてきた。


 アターシアは考える。各属性の魔力を司る神さまに不敬を成してでも、魔力には研究を続ける価値があると。だから神殿から非難されても、周囲から研究狂いと揶揄されても研究を止めることはなかった。だから今となっては、彼女の魔力研究は国内随一だ。だが夢と魔力が関係あるかなんて今まで考えたこともなかった。


「……そうか」


 すっかり落ち込んでしまったスレンに見かねたアターシアは、


「まあでも、何か思い出した時は言いなさいよ」


 と声をかける。スレンが平凡な魔道師なら、きっと彼女はまともに取り合わなかっただろう。しかしスレンは無詠唱で魔法を使ってみせた。それはアターシアにとって衝撃であるとともに、行き詰まっていた研究に突如差し込んだ一筋の光明だった。スレンは自分の常識の外側にいる。であれば思い悩むほど彼に影響を与えている夢というのもまた、十分研究に値する素材だった。


 そんな思惑も胸に秘めつつアターシアはペンと紙切れを取り出し、対してスレンは「わかった」と深く頷くのだった。

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