第17話 再会と再びの別れ

「金貨三百七十枚と銀貨二枚。これが今回の事件で私が使った経費。謎の異端魔道師――つまりあんたの存在を隠すために金貨三百七十枚、そしてマリの保釈金に銀貨二枚が必要だった」


 スレンの表情は動かない。当然だ。いくら貨幣価値を学んだといっても、スレンは数を十までしか数えられないのだから。


「リンゴをいっぱい買える」

「リンゴって……まあそうねえ、だいたい三十七万個くらい買えるかな」

「さんじゅ……わからないよ」

「わからなくても問題ないよ。とにかくもう全部終わってるから」

「全部って、マリは無事なのか!?」


 前のめりになり、食いつくようにアターシアに尋ねるスレン。


「マリは今別室で寝てるわ。酷く疲れていたようだったから」


 アターシアは明後日の方向を向いたが、おそらくその方向に別室があるのだろう。マリの無事を聞いてスレンはほっと息を吐いた。


「そうか……ありがとうアターシア。何かをしてもらったらお礼をするもんだってズウラが言ってた。だからおれはアターシアのケンキュウシリョウっていうのになるよ」

「あら、えらく素直ね。胡散臭いんじゃなかったの?」


 茶化すようにアターシア。


「でも、マリを助けてくれたんだろ?」


 スレンの言葉に、アターシアは何も言わず口角をにっと上げた。


「ひとまずあんたも別の部屋で休んでいなさい。私は後ろのミザリと話があるから、それが終わったらマリのところへ連れて行ってあげる」





 使用人にスレンを案内させた後、部屋にはアターシアと彼女の護衛騎士であるアキュナ、そしてミザリの三人だけが残った。


「お姉ちゃん、本気なの? というか本当なの?」


 開口一番ミザリが信じられないといった面持ちでアターシアに尋ねた。


「何が?」

「わかってるでしょ。まさか本当に金貨三百七十枚も使ったっていうの? 本当にあの子にそれだけの価値があるの?」

「商人のミザリにとっては無価値か、むしろ厄介としか思えないだろうけど」

「スレンの魔法のことね」


 アターシアはにこりと笑みを深める。


「あの子の魔法は異常だわ。たちの悪いことに本人はそれをまったく理解してない。断言してもいい、放っておいたら大変なことになってしまう。もしかしたら国が滅んでしまうかもしれない」


 アターシアが剣呑なことを言っているというのに、その妹であるミザリは腰に手を当てて首を傾げている。


「研究狂いのお姉ちゃんが、えらく殊勝なことを言うのね」


 ふんと鼻を鳴らしたアターシア。と、ふたりの会話にアキュナが割り込んできた。


「ミザリ、貴女は姉を過大評価しすぎているようね。普段の取引現場ならばこの程度の建前は見抜けるでしょう」

「アキュナ、余計なことは言わないくて良いよ」

「あら、余計なこととはずいぶんね。まあ、彼を野放しにしておくのがシフォニ王国にとって良くないことだというのは間違いないことなのでしょうけれど」

「アキュナさんが仰るなら本当なんでしょうね」

「ミザリまで……」


 目尻に涙を浮かべるアターシアだが、これも演技なのだろう。次の瞬間にはころっと表情を変えて、話題を次に移したのだから。


「で、マリのことだけど。無罪を買ってあげたわけだけど、もう村には帰れないと思う」


 アキュナもミザリも黙っている。異論はないようだ。


「無罪となったとはいえ、一度は異端者扱いされてしまったということもある。だがそれ以上に、あの事件でマリの家族は全員殺されてしまったことが大きい」


 アターシアが何を言いたいのか、ふたりは何となく察する。特にミザリはいつになく真剣な面持ちだ。


「そこでスレンのお願いがかかってくるんだけど。あの子はマリを助けてくれと言った。ここで村へ帰すのは助けることにならないと思う」

「つまり、スレンが何の憂いもなく研究に付き合えるようにしたい、と」

「大当たり」


 得意げな姉にミザリは溜め息を吐いた。


「それで、姉さんは私に何をさせたいの? まさか商会で雇えって言うんじゃないでしょうね」

「それができれば手っ取り早いけど、まあ読み書き計算が出来ない農民がなれるほど商人は簡単じゃないしね。お金は追加で払うから、住むところと働き口を斡旋してあげて欲しいの。どこでも良いけど、その辺りはふたりで相談してちょうだい」

「もうっ、それって丸投げってことじゃない」

「まあまあ、ついでだと思って」


 他人事のように言い放つアターシア。文句のひとつでも言いたい衝動に駆られたミザリだったが、姉の身勝手は今に始まったことではないと問答を諦め、呆れ口調で話を続けた。


「マリが村に帰るって言ったときはどうすれば良いの?」

「その時は村に送ってあげて。スレンも納得するでしょ」

「わかった。……あ、そうそう姉さん」

「なに?」

「スレンはアカデミーに住むのよね」


 だしぬけに何を言うのかと、アターシアは首を傾げた。


「ええ、私の部屋の近くに空き部屋があるから、そこをあてがうつもり」

「ふぅん」

「なによ」


 気味の悪い笑みを浮かべるミザリに、アターシアは訝しげな表情を見せた。


「別に、大したことじゃないけど、気をつけてね。彼、目立つから」

「ん、まあそうね、白髪は珍しいし、魔法の使用についても注意しておかないとね」


 スレンの脱衣癖のことには触れずにミザリは頷いてみせる。このささやかな復讐が叶うのは、わずか一日後のことである。



 スレンの立ち会いのもと、目覚めたマリはアターシアから今後の話を聞いた。異端者の汚名を背負ったまま味方のいない生まれ故郷へ帰るか、モール商会という巨大な庇護者のもと、知らない街でひとり生きていくか。マリは悩んだ末、後者を選んだ。たとえ疑いが晴れたとしても、一度押された異端者の烙印は、そう簡単に消えるものではない。まして陸の孤島である辺境の農村では、マリは依然として異端者であり、村に危機をもたらす者だ。何か問題があればどんなに不条理だったとしても脊髄反射的にマリが責められるだろう。誰が――たとえアターシアでも――どれだけ説明しても、一度出来てしまった村の空気を変えることは難しい。マリに向けられる奇異と疑惑の視線は、一生彼女を苦しめ続けるだろう。そしてそれに耐えうるほどマリは気丈ではなかった。


「今度こそ本当にお別れだ」


 アカデミーの城門前で、スレンはマリとの別れの時を迎えていた。ミザリに借りた服を来たマリは、いかにも町娘といった容姿に仕上がっている。


 アカデミーはアニム市内でも小高い丘の上にあり、眼下には貴族街が、さらに外側には庶民たちの街並みが広がっている。今日から自分は背後の巨大な城で、マリは坂の下の、さらに壁の向こうでそれぞれ暮らしていくことになる。マリのことはわからないが、少なくとも自分は好きに出歩くことができなくなるらしい。同じ街に住んでいるからといって気軽に会いにいけるわけでもなさそうだ。それがわかっていたから、スレンは別れだと言ったのだ。


「同じ街に暮らしているのにね」

「うん」


 ふたりは顔を突き合わせ、互いに苦い笑みを浮かべあった。


 マリは知らなかった。スレンが自分のために自由を売り払ってしまったことを。


「アターシアさま、本当にありがとうございました」


 アターシアに向き直り、膝をちょこんと折って礼を言うマリ。

 知らない仲ではないし、特別な奉公人――アターシアはマリにスレンのことをそう説明した――のお願いということで、アターシアは私を助けたのだと、マリは理解していた。スレンもそれで良いと考えていた。マリには自分自身を責めてほしくない。だから彼女には自分たちの取り引きのことを話さないでくれと、アターシアやミザリに願い出たのだった。


「銀貨二枚。貸しよ」

「はい。必ずお返しします」


 貨幣経済から縁遠い農民でも、倹約すれば二年ほどで貯まる金額だ。これから町娘になれば、もう少し早く稼げるかもしれない。


「スレンも、助けに来てくれてありがとう」


 手を取って礼を言うマリにスレンはギクリとしたが、すぐに思い直してとぼけてみせる。


「おれは何もしてないよ」

「ううん、来てくれたことが嬉しいの」


 マリの反応に、秘密が護られていることを知り安心したスレンは肩の力を抜いた。スレンのそのわずかな不自然さに、マリは少し首を傾げたが、それも束の間のこと。この場にあれば誰だって見逃すだろう。


 そしていよいよスレンに背を向けたマリは、アカデミーのある丘の上から貴族街のさらに向こう側、これから暮らす街を見下ろす。


「……さようなら」


 その呟きは生まれ故郷への別れ。そして振り返ったマリは、優しく微笑むスレンに笑みを返し、


「きっとまた」


 と告げ、先に行ったミザリの背中を追うように坂を駆け下りていった。

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