第16話 命の値段

「その話、本当なの!?」


 突然割り込んできた少女に、注目する三人の男。いや彼らだけではない。ピークタイムを迎える騒々しい店内にあって、それでも周囲のテーブルからはいくつもの視線がミザリに向けられていた。


「お、おう。俺が直接聞いたんだ、間違いねえよ。丁度すれ違いだったから、詳しい話は聞いてねえが、その女が異端の魔道師本人じゃないのなら、その弟子か信者ってところだろ」

「そ、そう」


 ミザリは最初に噂話をしていた男たちを見る。男たちは、自分たちは何も知らないと主張するように首を横に振った。これ以上の情報がないことを悟ったミザリ。彼女はふと我に返る。想定外のことに取り乱してしまったが、本当は自分よりも取り乱すべき人物がいるのだ。そしてその人物がいるであろう後ろに振り返った。


「スレン……」


 そこには、極めて真剣な、鋭い目つきのスレンが立っていた。


「ミザリ、アニムって街はどこにあるんだ」


 スレンはアニムへの旅を急いでいる。ミザリにとっては好都合だった。しかしどうにも素直に喜べない。スレンを我が物とする姉の片棒を担ぐ商人にも、その程度の良識はあったということだ。


 店を出て、帰り道。


「ね、ねえ、どうするつもりなの? ねえ!」


 ミザリが問いかけるスレンは、前だけを向いて黙々と歩いている。背丈は年上のミザリのほうが高いのに、彼女は時々小走りになってスレンの隣を歩いている。


「決まってるだろ、マリを助けに行くんだ」


 スレンはミザリを見ない。


「どこにいるのかもわからないのにどうやって助けるつもり? 私だって、マリの場所なんて知らないのよ!」


 言外に自分のことをアテにするなと込めるミザリ。


「…………だったら、街の一番偉い奴に会う」

「会えるわけないわ」

「それでも会う! 家に乗り込んででも!」

「そんなことすれば大騒ぎになる。スレンがどんなに強くたって、アニムは世界で一番魔法が盛んな街なのよ! 盗賊を相手にするのとはわけが違うんだから! それに乱暴なやり方はそのマリって娘も望まないんじゃないの?」


 ミザリは姉からマリのことを優しい少女だと聞いている。だからこんな台詞がでたが、ミザリとアターシアに繋がりがあることはスレンは知らない、知られてはいけないことだ。だからミザリのこの言葉は失言に相当する。だが言わざるを得なかった。言わなければスレンの暴走を止める根拠を、ミザリは提示できなかったから。そして幸いにも視野狭窄に陥っているスレンは、ミザリの発言の不自然さに気づくことはなかった。逆に自分のなかのマリの記憶を引っ張り出してハッと立ち止まった。思い出したのは四百人もの死体の上で血まみれになっていた姿を見られたときのこと。あの時のマリは、酷く怯えたような表情をしていた。確かに乱暴なやり方で救っても、マリは喜ばないだろう。それどころかまた怖い思いをさせてしまうかもしれない。


「……だったら」


 立ち止まったスレンは横顔を見せたまま呟いた。


「だったら、どうしろっていうんだ」


 ミザリへの恨み言のようにも聞こえた。


「スレン、あなたこの街で魔道師を探すつもりだって言っていたわね」


 常識の猛勉強をしていた昨晩、休憩時間には互いにいろいろなことを話した。スレンが旅をしている理由もそのうちのひとつだった。


「そうだけど、今は関係ないだろ」


 不機嫌そうに答えるスレンに、ミザリは首を横に振る。


「いいえ、魔道師は貴族だから、もし口添えしてもらえるならマリを助け出せるかもしれないわ」

「ほんとか!?」


 現金な反応だが仕方がない。


「だったら早く探さなきゃ!」


 魔道師の居場所もわからないというのに慌てて駆け出そうとするスレン。

 

「ちょっと待ってスレン、この街で探してもダメよ。だってマリが捕らえられているのはアニムなんだから」

「あ、そうか」


 立ち止まり、再びスレンは考える。そこへミザリは当初の予定通りの台詞を投げかけたのだった。


「私、アニムに魔道師の知り合いがいるの。彼女を紹介してあげる」


 まさかそれが《胡散臭いアターシア》のことだと思わないスレンは、喜び勇んで首を縦に振った。





 貿易都市フィアレンゼから魔法都市アニムまで馬車で四日かかる。スレンが本気で走れば昼から出発しても日没には到着するだろう。二都市間の距離をスレンは知らないが、ゴトゴトと地面の凹凸さえも感じられるほどのんびり進行する馬車に揺られていると、焦りは募るばかりだ。だが道を知らない以上、案内役のミザリに合わせるしかない。ミザリは、マリのことは姉が助けていると確信しているため、特に焦りはない。それがかえってスレンを焦れさせた。


やきもきしながら門をくぐり、ミザリの商会へは寄らず直接アカデミーへ向かった。そして、


「待ってたよ」


 通された部屋で待ち構えていたアターシアを見て愕然とした。


「お、おまえ!」

「お前呼ばわりとは随分ね。何かお願いがあってきたんでしょう?」


 驚きのあまり悪態をついてしまったが、本来の目的を指摘され、スレンは慌てて口に蓋をした。本がたくさん積み上げられた部屋にはアターシアの他に彼女の護衛騎士であるアキュナの姿があった。スレンはアキュナを一瞥すると、研究机の前で腕組をしているアターシアに向き直った。


「……アターシア」

「なに?」

「…………お願いがあるんだ」

「マリのこと?」

「えっ?」


 まるで……いや、アターシアはマリが捕まっていることを最初から知っていたのだ。スレンはアターシアを見上げる。やはりアターシアは迷いのない目をしている。


「知っていたのか?!」


 問いかけるというよりも、問い詰めるといったほうが正しいだろう。


「ええ、マリのことを差し引いても大きな事件だったからね。私もその場にいたわけだし、あの後のことは調べさせていたの」

「……そうか。だったらもしかして、おれが来ることも――」

「あんたがマリのことを知れば遅かれ早かれ私を頼ってくるだろうとは思っていたわ」


 スレンの後ろでミザリは肩を竦めた。スレンにマリのことを知らさせ、あまつさえアニムまでの道案内を自分に頼んできたのは他ならないアターシア自身だ。いったいどの口が「知れば」とか「遅かれ早かれ」などと口にするのか。もっともその台詞も企てをスレンに気取られないための演技なのだけれど。


「お願いだアターシア、マリを助けてくれ!」


 訴えかけるスレンに、アターシアは得意げに微笑した。


「代わりに条件があるわ」

「……条件?」

「そう、私の研究資料になりなさい」

「研究? 研究って、魔法の研究か?」

「正しくは魔力の研究よ」

「魔力……」

「とにかく、あんたは自由を失うの」

「自由ってなんだ?」


 生まれてからずっと、スレンはある意味すべてから自由だった。だからスレンの辞書に自由という言葉は載っていなかった。ズウラも同じだった。人間社会の物質的なところを教えることはできても、もっと抽象的な、概念を教えることは難しい。


「もう好きに出歩いたりできないってこと。基本的に何をするにもどこへいくにも私の許可を取ってもらうし、私の言う事を聞いてもらうわ」

「…………わかった」


 わずかな沈黙は逡巡の証ではない。難しい言葉があって、理解するのに少し時間がかかっただけだ。


「本当にわかってる?」

「わかってる。おれはアターシアのものになれば良いんだろう? それでマリが救えるのなら」

「そ」


 スレンに迷いなどなかった。そのためにアニムまで来たのだから。


「安心してよ。別にとって食おうってわけじゃないから。衣食住は保証するし休みだってあげるわ。そうね、表向きは私の私兵ということにしておきましょうか」

「そんなことより早くマリを――」


 急かすスレンをアターシアは再びピンと立てた人差し指で制止した。そして、


「金貨三百七十枚と銀貨二枚」

「え?」


 唐突に並べ立てられた金額にスレンは眉をひそめた。先日のミザリとの猛勉強で貨幣についての知識は得た。人間社会では主にコインによって取り引きが行われている。金貨一枚は銀貨十枚、銀貨一枚は大銅貨十枚、大銅貨一枚は銅貨十枚、銅貨一枚は錫貨十枚。金属の含有量によって、特に金貨や銀貨の価値は大きく上下するが、おおよそこれくらいの相場で両替されている。ちなみに、貨幣を知らなかったスレンが勝手に食べてしまったフィアレンゼの市場に並んでいたリンゴは、銅貨一枚あれば買える。


「これが今回の事件で私が使った経費。謎の異端魔道師――つまりあんたの存在を隠すために金貨三百七十枚、そしてマリの保釈金に銀貨二枚が必要だった」

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