第15話 フィアレンゼの大衆食堂
「ミザリさん、貴方の言うとおりでしたよ。確かに南部の盗賊たちは全滅しているようです。大規模な抗争があったのは西にあるカロア村。アニムから派遣された調査隊が、討伐に関わった魔道師に深く関わったとして、ひとりの少女を参考人として連行したそうです」
「やはりそうなのね……」
情報屋からもたらされた知らせは半分は姉から聞いたとおりのことだった。ミザリは、アニムのモール商会支部で久しぶりに会った姉のアターシアに教えられたことを思い出していた。
「アニムから調査隊が派遣されているようだから、その動向を探りなさい。きっと村からアニムに連行される者が出るはずよ、これは確実。ここからは私の予想だけど、多分マリって女の子がそうなると思う。なぜなら村で一番スレンと繋がりが深い人物だから。それにマリにはもう身寄りがない。きっと村の平穏のために役割を買って出ると思う。そういう娘よ」
見事に姉の予想通りになった。後はこの噂をスレンの耳に入れれば、きっと彼は連行された少女を気にして会いに行こうとするだろう。その時、自分は貴族である姉を頼れば良いと助言すれば、晴れて任務達成だ。そしてミザリはそのための舞台を用意していた。
「こんなことどこで知ったんですか」
と、興味津々の情報屋にミザリは笑顔で銀貨が入った革袋を渡し、部屋を後にする。金額が相場より高めなのは、上客でいることで情報屋から情報の流出を防ぐためだ。自分の情報を売るような無節操な情報屋を、誰が二度も利用するだろうか。クライアントの情報を漏らす情報屋もそういるわけではない。いるわけではないが、人の口に戸は立てられないのもまた事実だ。念には念を入れておいて損はない。
スレンの部屋に行く途中、ミザリはセバスチャンに手はずを整えるよう指示を出す。歩きながらこれからの予定を話し、終わる頃にはスレンの部屋の前に到着していた。
□
スレンは部屋のベッドにうつ伏せになって倒れていた。ミザリの猛特訓によってかなり消耗していたようだ。
「……なに?」
スレンはシーツに顔を埋めたまま横目でミザリに尋ねた。いったいどれだけのスパルタ教育だったのか。スレンはすっかりミザリに苦手意識を持ってしまったようだ。そんな出来の悪い生徒に肩を竦め、ミザリは呆れ口調で答えた。
「今日は料理人が休みだから、夕食は外で食べるのよ。私はもう準備できてるから、スレンも早く服を着てちょうだい」
「……わかった」
全裸のスレンはシーツに顔を埋めてからのそりと起き上がった。同時にスレンに背を向けたミザリは、頬を少し赤らめて小言を言った。
「もう、この部屋の中は良いって言ったけど……」
「だって」
「脱ぎ散らかしてあるのをちゃんと着て。着方はもうわかるわね?」
「わかるよ」
「じゃあ外で待ってるから」
足早に部屋を出るミザリ。彼女が扉を閉めるのを確認したスレンは、一度大きくベッドに倒れ込み、それからまた勢い良く身体を持ち上げるのだった。
用意された服は腹はマリに貰ったものよりも幾分装飾に凝っている。といってもミザリが着ている洋服よりも質素なものだが。
「うええ、ゴワゴワする」
増えたのは装飾だけではなく着る物の数自体も倍以上になった。マリに貰った時はズボンとシャツだけだったのが、今回用意されていたのは下着と靴とベストが新たに増えた。ズボンにベルトもつくようになった。それらをうんざりしながらも拙い手つきでひとつひとつ身につけていく。時に頭を捻らせて、時に身体を捻らせて。ようやくすべてを着終えた頃、スレンのHPはレッドゾーンに突入する勢いで減っていた。
「は、腹減ったぁ……」
正直、外出には乗り気でないスレンだったが、それでも空腹には抗えず部屋の扉を開ける。
「遅か――って、ふふっ、もう、ちゃんと着れてないじゃない」
「し、仕方ないだろっ」
袖ぐりの位置が左右でずれていたりズボンが上手く履けていなかったりして、着慣れていないのが一目瞭然のスレン。それをミザリに笑われ、照れ隠しにつく悪態は悪あがきにもならない。「はいはい」とあしらうミザリに服の乱れを正され、スレンは数名の従業員とともに夕焼けの繁華街へと向かった。
海運業が盛んな貿易都市フィアレンゼは、南部最大の漁港でもあり、同時に貝殻細工の伝統工芸が有名な街だ。大小色とりどりの貝殻でできた可愛らしい小物が町娘たちのみならず、遠方の乙女たちを虜にしているのだとか。
ミザリが案内したのは坂の上の小さなダイニングだった。大衆食堂という言葉が似合いそうな庶民的な店だ。扉を開けるとまだ客足はまばらで、スレンたちは一番奥の席に座った。窓からのぞくのは、坂の下のフィアレンゼの街並み。白い壁が夕日の茜色を映し出してまるで絵画のようだ。
この街にも肉料理はあるが、名物となるとやはり魚料理だ。どこの店も自慢の魚料理を一品持っている。例えばここ《茜色の白斧亭》の名物料理は白身魚の煮付けだ。盛り合わせの二枚貝と大ぶりの海老も人気の一つ。出された料理の鮮やかさにスレンは思わず目を見張った。そしてミザリたちの作法を真似ながら皿に手を伸ばした。白身魚はスープと一緒にスプーンで口に運ぶが、どうやら大きな二枚貝や海老は手で食べるらしい。
バキっと海老の殻を割って頬張ると、じゅわっと汁が溢れてきて口角から垂れてくる。それを舌で器用に掬いながら啜って、スレンは付け合せのガーリックトーストを口の中に放り込んだ。今まで感じたことのない強い旨味に口内が刺激され、落ちそうになる頬を咄嗟に抑えるスレン。初めての味覚に驚いて目を丸くしていると、前の席からクスクスと笑い声が聞こえてきて、顔をあげると頬杖をついて微笑むミザリに、
「美味しい?」
と、話しかけられた。口の中がパンパンで喋れないスレンが、コクコクと頭だけで返事をすると彼女は「そう」と言って自分も皿に手を伸ばした。
スレンが食事に夢中になっている間に、辺りはすっかり夜になっていた。席に座った時、窓の外から見えていた、夕日に映し出された絵画のような街並みには夜の帳が下り、かわりに家々の窓から漏れる明かりが星空のように輝いていた。店内もいつのまにか混み合っていて、注文をとったり料理を運んだりしている給仕が、身体を捻らせて通路を歩かなければならないくらい賑わっていた。
スレンが最後の皿を空にしたのを確認すると、ミザリは「そろそろ行きましょう」と言って席を立った。
最初は不安だったが来てよかったと、スレンが皿のひとつひとつに並べられた料理を思い返していると、突然隣のテーブルで大声が上がった。
「そんなことあるわけねえだろ?!」
ガタンと椅子を鳴らして男が立ち上がる。相手の男は手で座るよう促しながら言葉を続けた。
「いやいや、それが本当らしい。南部の盗賊が全滅したって、すごい噂になってるんだ」
興奮のあまり立ち上がった男は、周囲の視線を追い払うように鋭い目つきを利かせて座り直す。そして今度はトーンを落として噂話を持ち込んだ男に尋ねた。
「全部ってなんだよ全部って」
「いいや、どうやら辺境の村を襲おうとしたらしいんだが、逆に返り討ちにあっちまったって話だ」
荒唐無稽だと言わんばかりに聞き手の男は背もたれに身体を預けて笑う。
「ははっ、もうちょっとマシな嘘つけよ。盗賊団はかなりの人数らしいじゃないか。自警団もいない村が追い払えるわけないだろう」
「俺もそう思った。でも盗賊が壊滅したって話は本当らしい」
「…………馬鹿言え」
「まあ聞けよ。でな、盗賊団は村人にやられたんじゃなくて、魔道師にやられたらしいんだ」
スレンは、彼らの話している魔法使いが自分のことであるとすぐに察した。自分の噂話を目撃することにバツの悪さを感じたスレンが、その場を去ろうと一歩踏み出したところで、男たちの話は思わぬ方向に転がった。
「誰なんだよ」
「それがわからねえんだ。話を聞こうにも調査隊が村に到着したときには魔道師は去った後だったらしくて」
「なんだそりゃあ」
「それでな、村人からひとり、話を聞くためにアニムに連れて行かれたらしいんだ。参考人に選ばれたのは若い女らしいぞ」
「へぇ」
と、そこへ隣のテーブルから声が投げ入れられた。
「違う違う!」
突然話に割り込まれた男たちは、大袈裟に驚いて隣のテーブルを見る。男たちの噂を否定した男は、いかにも得意気に話しだした。
「参考人なんて生易しいもんじゃねえ。ありゃあ完全に犯罪者扱いだ」
「なんだぁ、まるで見てきたふうに言うじゃねえか」
「見たんだよ。俺は今朝アニムから到着したところなんだが、途中で調査隊とすれ違ったんだ。若い女だったぞ。名前は確か……マリ、といったか。両手を縄で縛られて、馬に引かれとったわ。お役人にどうかしたのかって尋ねたらよ、異端者だって言うんだ」
「まじかよ……」「異端者か……」
噂話をしていた男たちは深刻そうな顔をする。
「調査して、裁判か?」
「そんなまどろっこしいことするかよ」
《異端者》や《裁判》という単語の意味がわからなくとも、男たちの雰囲気が不穏なものであることはスレンにもわかった。そして、
「調査なんてただの建前で、異端者として捕まりゃ即拷問してから火あぶりさ」
発言した男にスレンが詰め寄るよりも先に、青ざめたミザリが隣のテーブルに詰め寄っていた。
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