第14話 とんだ一日

 都市門から少し離れた岩陰にミザリたちの荷馬車があった。荷馬車は五人のあらくれ者たちに囲まれていて、胸ぐらを掴まれ凄まれている御者はすっかり顔を青くしている。幸い男たちは丸腰で、セバスチャンの言ったとおりほんとうにただのチンピラのようだ。しかし武器に馴染みのないスレン――そもそも無詠唱で魔法を操る彼に武装する意味はない――にとって、丸腰だから命は安心だろうという理屈は通じなかった。だからスレンの目には、御者たちが大男に羽交い締めにされていたマリにかぶって見えたのだ。


「大丈夫、全員殺すから」


 そう呟くようにミザリに言い聞かせると、スレンは丸腰の暴漢たち相手に一切の躊躇なく氷柱を作り上げる。まず御者を解放させようというのか、氷柱は一本だけだ。だが腕ほどの太さ。たとえ急所を外れても出血は致死量に至るだろう。

 そしてスレンは躊躇なく氷柱を男の頭蓋目掛けて放つ。しかし、


「ダメ!」


 突然腕にしがみついたミザリに、狙いを外されてしまった。

 

「あがあああああああああ!」


 だが悲鳴は上がる。辛うじて身体に風穴が空くことは避けられたようだが、御者の胸ぐらを掴んでいた男の肩の肉が一部えぐり取られていた。


「な?! なにするんだ!」


 守ろうとしたのにそれを邪魔されて、驚いたスレンが声を上げる。ミザリからすれば当然だが。


「殺す必要なんて――!」

「そうしないと報復がくるんだ! また襲われるんだぞ!」

「相手は丸腰なのよ!」

「お前たちだってそうだ!」

「!」


 スレンはまだ他人が魔法を使う場面に遭遇していない。だからみんなが自分と同じように魔法が使えると勘違いしていた。


「こんなの聞いてない……。お姉ちゃんったら!」


 酷く混乱した様子のミザリは頓珍漢なことを呟いたが、使命感に燃えるスレンの耳には届かない。氷柱を再度作成し、追撃の姿勢を見せるスレン。絶体絶命の危機に晒された暴漢たちは、大きく目を見張ったり逆に固く目を閉じたりした。そこへ突如、新たな登場人物が登壇する。


「おい、何の騒ぎだ?」


 騒ぎを聞いて駆けつけた他の商人が岩陰からひょいと顔を出したのだ。商人は暴漢を見るやいなや、慌ててて大声を上げ門兵を呼ぶ。暴漢たちの増援だと勘違いしそうになったスレンだが、ミザリの「ふう、助かったわね」という心から安心するような声に《門兵》というのが味方であると悟り、集めていた魔力を解放した。

 隣ではミザリが深く息を吐いている。その様子から本当にもう大丈夫なのだろうと判断したスレンも、暴漢たちから目を離さず、それでもひとつ息を吐いたのだった。

 それからほどなくして門兵が到着し、無事暴漢たちは逮捕されることとなった。





 その翌日のことだ。シフォニ王国でも有数の大商会であるモール商会のフィアレンゼ支部、その商館の一室にミザリはいた。


「はあぁぁぁ」


 部屋を歩き回っては、時折深い溜め息を吐いている。


「お姉ちゃんったら、いつも説明が足りなすぎるのよ……」


 何かを待っているのか、姉のことを愚痴りながらミザリは落ち着きなく足を揺すった。彼女がスレンと出会ってから一日と少しが経った。昨日は本当に慌ただしい一日だった。十四歳という若さで大商会の一支部を任されているミザリは毎日が大忙しだが、昨日はそれとはまた別種の忙しさがあった。


 まず最初。スレンに《借り》を作るために、手隙の冒険者を雇って狂言の襲撃を起こした。スレンに助けさせることによって、その礼として自然な形で都市への入場の手助けをするためだ。フィアレンゼに到着してから毎日門前で張り込みをしていた甲斐あって、無事スレンに出会うことができたし、雇った冒険者たちもあんな本分とはかけ離れた仕事をよく引き受けてくれた。だが、


「あんなに野蛮な子だったなんて!」


 暴漢に扮した冒険者を見た途端、スレンは血相を変えて「全員殺すから」と静かに言い放った。もちろんミザリは慌てて制止したが、無詠唱で魔法を操るスレンを発動前から止めることなど不可能。体を張って妨害したお陰でなんとか致命傷は避けさせたが、一名の負傷者を出してしまった。流血沙汰を起こした結果、都市門前は大騒ぎ。門兵にまで駆けつけられる羽目になった。


「適当に追い払わせて一件落着の予定だったのに……。なんのために冒険者に丸腰になってもらったと思ってるのよ。」


 スレンも丸腰なのでそれは仕方がない。

 ミザリの目的がスレンの確保だったのでスレンのことを門兵に知られるわけにもいかず、さらにスレンに企てがバレるのも回避しなくてはならなかった。結果、雇った冒険者たちが犯罪者として投獄されるのを、ミザリは門兵に感謝の笑みを浮かべながら見送るしかなかったのだ。


 当然、後で保釈金を払い、出所した冒険者に見舞金を包んだのは言うまでもない。




 流石に流血沙汰はこれだけだが、昨日一日で小さな事件はまだまだ起こった。


「――それに、いったいどんな生活してきたのよ。本人は森にズウラって人と住んでたって言うけど……まったく、いったいどういう育て方をしたのかしら!」


 無茶を言う。狼手ひとつで二足歩行に育て上げただけで奇跡だろうに。

 都市にはスレンの知らないことがたくさんあった。そしてスレンが知らないことをミザリもまた知らなかった。ということはスレンの起こす問題のすべてを未然に防ぐことができないということだ。


 例えば市場に並んでいるリンゴを勝手に手にとって頬張ったことだ。すぐにミザリが代金を支払って事なきを得たが、激高する店主がスレンの胸ぐらを掴んだ時は、またスレンが殺そうとするんじゃないかと、ミザリの背中に冷や汗が伝った。事後、貨幣の存在を知っているかと問いただすと、案の定スレンは首を横に振った。


 例えば商館を全裸で歩き回ったこと。商館に着いたミザリが、持ち込んだ書類を片付けていると、突然建物中に使用人の悲鳴が響き渡り、何事かと駆けつけたらすっぽんぽんのスレンが服を持った使用人たちに追い回されていた。スレン曰く、もぞもぞして好きではないのだとか。今まで着ていた服は、貸し与えた客室に脱ぎ散らかしてあった。もちろんスレンの希望は却下された。


 例えば夕食の肉料理をテーブル上で炙ったこと。ミディアムレアのステーキをスレンは手で掴み、掌に炎を浮かべてウェルダンになるまで加熱したのだ。こんがり焼けた肉にスレンはにんまり。商人であるミザリは魔法にはあまり詳しくない。だからアターシアほど過剰な反応を見せなかった。それでも魔法を使うには呪文を唱えなければならないということは知っていた。だからミザリは「これが、姉がスレンを欲しがっている理由だ」とこの時気づいたのだ。暴漢を追い払った時は唐突だったし、いつの間に詠唱したのかと感心こそすれ、まさか無詠唱だなんて思いもしなかったから。


 それからミザリは仕事を置き、翌日――つまり今日――の夕食前までスレンにつきっきりでひたすら常識を叩き込んだ。貨幣経済のこと、所有権のこと、服のこと。魔法については詳しくないので本格的なことは家を飛び出して魔道師になった姉に任せるが、とにかく無闇に使わないようにときつく言い聞かせた。


 と、部屋の扉が叩かれる。ミザリが返事をすると、扉の向こうのセバスチャンから知らせが届けられた。


「ミザリお嬢さま、リュード様が到着なされました」

「そう、すぐ行くわ」


 姉から頼まれたのは、スレンをいち早くアニムに連れてくること。だがこれには追加で達成しなくてはならない条件が付随していた。ミザリはスレンを呼びに行く前に、スレンに貸した客室とは別の客室に足を運んだ。待たせていたリュードというのは情報屋だ。


「さて、情報は集まったかしら」


 ミザリの問いかけに、情報屋は興奮気味に答えた。


「ミザリさん、貴方の言うとおりでしたよ。確かに南部の盗賊たちは全滅しているようです。大規模な抗争があったのは北西にあるカロア村。アニムから派遣された調査隊が、事件に深く関わったとしてひとりの少女を捕らえたそうです」

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