第11話 勧誘

「静かになったわね」


 村長宅の表で戦いの様子を見守っていたアターシアが言った。見守っていたといっても、直接観戦することは、彼女の護衛騎士であるアキュナが許さなかった。だから村の中で様子を窺っていただけなのだが、それでもスレンが消えていった方角の空が真っ赤に染まったことや、一瞬遅れて届いた轟音から、戦闘が苛烈なものだったことは簡単に察することができた。


「さ、行きましょ」


 言うが早いか動くが早いか、逸るように歩き出したアターシア。


「危険では? 一度わたしが様子を窺ってきましょうか。もしあのへんた……スレンでしたか……が、負けていたら」


 と、ヨルヤの護衛騎士であるスレーニャが提案した。


「大丈夫よ。空を赤く染めるくらい大規模な魔法を何度も使ったのだから、仮にあの子が負けていても、私たちで十分対応できる数しか残っていないわ」

「そうでしょうか」

「大丈夫よ」


 不安げなスレーニャをクスリと笑ってヨルヤがアターシアを追う。


「あ、ちょっと待って下さ――」「あの!」


 スレーニャが三人を追おうとした時、ふいに背後から呼び止める声が聞こえた。四人は立ち止まり、振り返る。


「どうしたの?」

「あ、あの、私も行っても良いですか?」


 村長宅の扉を背にして立ってたのはマリだった。アターシアは逡巡する。とても勝手にしろとは言えない。連れて行くなら、護らなければならない。もしも死なせてしまえば、きっとスレンは深く悲しむだろう。アターシアにとってスレンの傷心などどうでもいいことだが、その先の企みに影響がでるのは問題だった。


「アキュナ、頼める?」


 アターシアは後ろに控える女騎士に尋ねる。


「構わないけれど」


 その返事を聞いて、マリは安堵の表情を浮かべた。


「まだ安全かどうかは確認できてないんだから、ちゃんと言うこと聞くのよ」

「は、はい!」


 アターシアの忠告にハキハキと返事をしたマリは先を行く四人を追った。


 マリは怖かった。

 まったくの赤の他人である自分たちのためにスレンが犠牲になることが怖かった。

 まったくの赤の他人である自分たちのためにスレンが殺人を犯し、その穢れなき心を怪我してしまうことが怖かった。


 マリは後悔していた。

 なぜ、村長宅で話していた時、アターシアたちに助力を乞わなかったのか。たとえ貴族が相手でも、たとえ村の代表者たる村長が口を噤んでいても、自分だけでも訴えかければ良かった。貴族に命の借りを作るのはとても恐ろしいことだし、村として乞うか乞わないかは、自分が決められることではない。それに自分たちは戦わないくせに他人にそれを頼むだなんてとても恥知らずだ。ただ、だからって何も知らないスレンが、スレンだけが犠牲になるなんてあんまりだ。


 マリは嫌悪した。今まで自分が弱者であることを憎んだことはなかった。しかし今、どうして自分はこんなにも弱いのだと、俯き、唇を噛んだ。


「ついたわよ」


 そして顔を上げたマリは目撃する。


 焦土。しかし四百人の死体から流れ出る血液のせいで、ところどころ泥のようにヌラリと光っている。白み始めた空の下、朝もやのなか、死体で埋め尽くされた黒い大地を歩くスレンの姿があった。


 彼の手はまったく汚れていない。けれど透き通るような綺麗な白髪はドロリと血に濡れている。滴った鮮血は服にまだら模様を作り、足元に至っては土のせいか血のせいか、おそらく両方だろう、とにかく地肌がみえないくらいドロドロに汚れている。


「う……あ…………たすけ」


 と、スレンの近くから呻き声が聞こえた。スレンは声の方へ寄っていく。何をするのかと見守っていたマリは、思わず両手で口を覆った。

 心を抉るような断末魔が闇夜に響く。スレンが無言で放った氷柱が男の胸を貫いたのだ。


「なんだ、来たの? 今終わったとこだけど」


 こちらに気づいたスレンは、さっきと同じ表情で何気なく話しかけた。少し息が上がっている気がするけれど、服の着方さえ知らなかった時と同じスレンだ。だからこそマリは空恐ろしかった。

 スレンのことをただ純朴なだけだと思っていた。しかしほんの今、何百人も殺したところだというのに、ほんの今、無抵抗な男の胸に鋭い氷柱を突き立てたところだというのに、昼間と変わらずこちらに笑顔を向けてくるスレン。そんな彼をマリは恐れてしまった。だから思い至れたなかった。生きるため以外の理由で殺し合う人間の業を理解できなかったスレンが、四百人を殺す最中、ただの少しも苦しまなかったわけがない。マリが自分も戦うと言った時、「こんなの、おれひとりで十分だよ」と言ってくれたスレンが、何の葛藤もなく男の胸に氷柱を突き立てられるはずがない。

 だからスレンが無事だったことに安堵しつつも、声をかけることができなかったのだ。


「あなたは間違っていないわ」


 立ち尽くすスレンに、一番に声をかけたのは魔道師の少女ヨルヤだった。驚いたスレンは、気丈に振る舞おうとして装っていた表情を驚きに変えて問い返した。


「わかるのか?」

「別に。でも、こんなふうに戦ったのは初めてなのでしょう?」


 納得はしなかった。なぜなら、こう問い返してくるヨルヤも、戦いの経験があるということだからだ。自分と同じくらいの歳の人間が、死体の山を見て平然としていることにスレンは戸惑った。


「こういうものなのか……?」

「いいえ。けれど、こういうこともあるわ」

「……そうか」


「それより!」


 死体の山を《ソレ》と断じて、テンション高めのアターシアがスレンの前に立った。


「え、なに、なんだよ」

「それより、あの魔法は何?! 詠唱してなかったように見えたんだけど!」


 スレンの肩をガシッと鷲掴みにして前後にゆさゆさ揺らす。その表情は異常なくらいにやけている。不気味すぎてスレンは思わず顔を引きつらせた。何か可怪しいことをしただろうかとスレンが考えていると、ふと手が離されて、


「いや、アレはもう魔法じゃないわね……」


 自分勝手に問い詰め、自分勝手に考察を始めるアターシア。


「ま、魔法って、魔力を使って火を起こしたり氷を作ったりする技術だろ?」


 スレンにとって当たり前のことだったが、アターシア、ひいては人間社会の常識では違うらしい。


「技術?」と、ヨルヤが首を傾げた。

「技術と言いましたね」と、スレーニャも反復する。

「アターシア、迂闊な発言は避けてください」アキュナは次のアターシアの発言を予測しているようだ。


 アキュナの忠告を捨て置き、にんまりと笑ったアターシアは言い放つ。


「スレン、あんた私と一緒に来なさい」


 聞きたいことが多すぎて、もはや立ち話ではどうしようもないと判断したアターシアは、スレンの確保を企てる。しかしスレンは彼女の提案に「嫌だ」と即答した。


「どうして? 詳しくは聞いてないけど魔道師を探してるんでしょう? ならここにふたりもいる」


 アターシアは右手で自分を、左手でヨルヤを指した。予想が的中し頭を抱えるアキュナを尻目にさらに突っ走るアターシア。


「それに私と来ればもっと博識な先生だって紹介してあげる! ジャンルだって魔法史から詠唱学、神学、魔導書に魔法道具と全部の科目に高名な先生がいらっしゃるんだから! アカデミーは世界で一番魔法に秀でた場所なのよ!」

「……なんかお前、胡散臭い」

「そんなことない。ほら、あの子だって安全に連れてきてあげたし」


 アターシアは後ろでおどおどしているマリを指す。


「それは……」

「どんな理由で魔道師を探してるのかは知らないけど、こんな村で見つかるとは思えない」


 対人コミュニケーションではアターシアに一日の長があったようだ。矢継ぎ早に続いた会話は、アターシアの勝利に終わった。かのように見えた。


「でも……」


 スレンが煮え切らなかったのは怖かったからだ。森から出て、人に出会って、まだたったの一日。なのに知りたいことを知るどころか、逆にわからないことが増えてしまった。今でさえ頭を悩ませているというのに、これから先このペースで問題が増えてしまっては、すぐに身動きが取れなくなってしまう。


「そ、わかった」

「え?」


 先程までとは打って変わってあっさりと引き下がったアターシア。


「まあでも、これも縁だし。何か困ったことがあったらアニムのアカデミーを訪ねてきなさい。アニムという都市のアカデミーで、アターシア・モール》の名前を出せば私に繋がるから」

「……わかった」


 どこか得心のいかないスレンだったが、魔道師に伝手ができるのは彼にとっても悪いことではなかった。


「それじゃ、そろそろ私たちは行くわね」


 村人が連れてきた馬にまたがり、アターシアたちはそうそうに立ち去っていった。急ぎのようでもあるのか。どこかへ行く途中だと言っていたことをスレンは思い出した。



 アターシアたちは目的ある旅の途中だったが、襲撃があった昨日の今日に出立するほどの急ぎではなかった。しかしアターシアが他の三人に断りもなく急いだのには理由があった。


「原色地の調査なんて早く終わらせて、さっさとアニムに帰るわよ」

「……アターシア、何を企んでいるんですか?」


 そう問い詰めるスレーニャは徹夜明けで眠たげな目を擦っている。


「スレンのこと?」

「ふふん」


 アキュナの問いにアターシアはニコリと頷いた。


「あの子は、強い力には魔力が宿ることを理解していない」


 アターシアが口にした魔力とは、魔法の原材料のことではない。強い力は人を惹きつける力を持つ。スレンにとってそれは、厄介事を引き込む原因となるだろう。


「このまま放っておくと、近いうちに王国の中枢に取り込まれてしまうわ。まったく、世話の焼けること」

「そう言う割に顔はにやついているわ」


 冷静に指摘するヨルヤ。  


「彼のためというより、自分の手が届かないところへ連れて行かれるのが嫌なだけでしょ」


 アキュナは呆れてため息を吐いた。

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