第9話 獅子の腹
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その洞窟は人目につきにくい山奥にあった。ゴツゴツした剥き出しの岩肌が、まるで獅子の牙のように見えることから、そこに住む者たちは洞窟のことを《獅子の腹》と呼んだ。誰もが足を踏み入れたくなくなるような恐ろしい名を、自らの住処につけたのは、彼らが盗賊だからだ。
洞窟の入り口はいつになく騒がしく、百名は下らないだろう大勢の盗賊たちが集まっていた。別の場所にもアジトがあるのだろうか、武器を携えた盗賊たちが森のさまざまな方向から続々と集まってくる。そのため窟の入り口付近は、これから戦争でも始めるのかと思ってしまうぐらい物々しい雰囲気に包まれていた。
対して《腹》のなかは暗く、しんと静かだった。いつもは昼間でもあかあかと蝋燭が灯されているのに、今は最低限足元を確保できるだけの明かりがぽつりぽつりと、奥に続いているくらいだ。その明かりを辿った先、穴ぐらの最奥に、垂れ幕で仕切られた小部屋があった。
「――で、勝手に飛び出していった挙句、このザマはなんだ?」
血塗れの拳を痛そうに抱えた十二人の男が仲良く整列している。その前には椅子に浅く腰掛け、偉そうにテーブルの上に脚を投げ出している灰色の髪の青年がいた。青年は見るからに不機嫌そうで、両腕をだらりとさせている。椅子は前足を浮かせ、負担のかかった後ろ足が、彼が揺らす度にギィギィと剣呑な音を立てた。
青年はこの場にいる誰よりも若く、そして華奢だ。とても荒々しい男たちはから恐れられるような存在には見えない。しかし集められた男たちの、この怯えようはどうだ。青年の問いかけに誰も答えられないまま、重い沈黙がしばらく続いた。
「す、すまねえエンハス……」
と、ひとりの男が沈黙に耐えきれずに口火を切った。
「すまねえエンハス、じゃねえよカスどもが。なに? 全員生きて帰ってきただと? 舐められてんじゃねえか」
「……」
エンハスと呼ばれた青年は、言葉遣いのわりに落ち着いた口調で話した。もしかしたら大して怒っていないのでは? と、事態を甘く見た新入りの男が、ヘラついた苦笑いを浮かべて言い訳を並び立てた。
「ふ、不意打ちだったんだ。相手は魔道師だったし、かなりのやり手だった。きっと有名なや――」
男の発言は途中で途絶えた。エンハスの投げた短剣が、男の喉笛に突き刺さったからだ。骨に刺さった刃によって気管が塞がれ、苦しさのあまり男が無理に息を吸うと、動脈から溢れた血が気管に入り、咳を誘発させた。ごぼっごぼっという気味の悪い音を鳴らして、やがて男は地面に崩れ落ちた。他の男たちは、恐怖のあまり唾も飲み込めなかったが、エンハスは事も無げに見向きもしなかった。
灰色の前髪の隙間からジロリと男たちを睨みつけるエンハス。
「す、すまねえ! 許してくれ!」「もう二度と勝手なことはしねぇ!」「俺も誓う! た、助けてくれ!」
口々に命乞いをする男たちに、深く溜息を吐いたエンハスは、ゆっくりと立ち上がった。男たちは息を呑む。そしてエンハスの両手にさげられた短剣を目撃して目を見張った。
「やっ、やめてくれ、頼む! エンハ――」
慌てて制止しようと声を上げた最前列の男の喉が掻っ切られた。
「うあ……うわああああああ!」
隣にいた新入りの男が絶叫する。そして剣を抜き放ち、エンハスに飛びかかった。エンハスはそれを難なく躱し、男の首筋に深い切込みを入れた。目にも止まらぬ早業。誰も彼もが自分の死を確信しただろう。残り九名、全員で飛びかかれば、あるいは勝機はあるだろうか。しかしそれには全員の息を合わせる必要がある。ゴクリと唾を飲み込んだひとりの男が、エンハスの目を盗んで隣の男に目配せをする。気づいた隣の男は、意図を察して小さく頷いた。
エンハスは後ろを向いている。今なら殺れる。男たちは互いに頷き合う。音を出さないように武器を握る。いくら団長でも九人からの同時攻撃を捌ききることなどできないはずだ。誰もがそう考え、誰もがエンハス没後の自分の地位を思い描いた。それ故誰もが先陣を切ろうとしなかった。一番槍は必死だから。 焦れる男たち。エンハスはまだ背を向けている。右手の短剣を置き、私物の棚で探しものをしているようだ。だが、いつまでもこの好機が続くわけはない。動かなければどの道殺されてしまう。ならばと、最初に目配せをしあった前列のふたりがついに動いた。
「「うらあああああああああああ!」」
小部屋は広くない。たった二歩でふたりはエンハスのいる壁際に到達する。そのまま斬り下ろせば自分たちの勝ちだ。背中には後続の怒号も届いている。ふたりはニヤリと笑った。だが、剣を振り下ろす瞬間に見た、振り返ったエンハスの不気味な笑みに、己の死を確信したのだった。
瞬き五回分。それがエンハスが九人の身体を斬り刻むのにかかった時間だ。
「エンハス、表にみんなを集めたぜ」
処刑が終わるのを見計らっていたのか、ちょうど小部屋が静かになったタイミングで垂れ幕の向こう側から声がかけられた。
「ああ、すぐ行く」
「しかし、本当に全員でいくか?」
「こいつらが、相手はガキだが魔道師で、それも呪文を唱えた様子もなく、いきなり魔法が飛んできたって言ったんだ。もし本当なら全員で行っても足りないくらいだ」
魔道師は呪文を唱えて魔法を発動させる。これは生まれてから一度も村から出たことがないような農民でも知っているこの世界の共通認識だ。ただ、その常識がどれほど重大なものかは、その者がどれだけ魔法を、あるいは戦いを傍に置いているかによって異なる。マリのような戦いとは無縁の者にとっては、無詠唱の非常識さよりも、眼の前で発現した魔法こそ驚くべきことだったのだろう。しかし盗賊や騎士、あるいは魔道師にとっては「矢を番えていない弓から矢が射出された」と言われるのと同じくらい現実離れした話しであった。だからエンハスを呼びに来た男は問う。
「そんな与太話、信じるのかよ」
その問いかけにエンハスは、
「俺は仲間を信じる良い団長なんだよ」
と答えた。相手の男は「よく言うぜ」と、転がる死体を一瞥し皮肉っぽく笑った。
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その異変に一番最初に気づいたのはスレンだった。地震を予知する小動物のように顔を上げたスレンは、何も語らずに村長宅の表へ出た。何だ何だと後から続く魔道師に騎士に村人たち。不思議がっていた者たちも、やがてスレンが一方向を注視していることに気づき、自分たちも視線を向けた。
この日は新月だった。田舎の夜は普段から真っ暗闇だが、今夜はそれに輪をかけて暗い。それでいてやけに静かで、普段は五月蝿い鈴虫すら、気配を隠すようにその歌声を止めている。その静寂と暗黒のなか、唯一蠢くものがいた。巨大な大蛇か、あるいは大蜥蜴か。なだらかな丘にかかる影の濃淡がもぞもぞと動いている様が鱗のようで。しかしそれは極端に大きい。まさかドラゴンが? しかし巨大な足音はせず、ガサガサと草原の上を腹這いにずり動いているような不気味な音を鳴らしている。
と、ぽつりとオレンジの光が見えた。それは闇夜にあってゆらゆらと揺れている。もうひとつ灯る。目にしては離れすぎている。またひとつ増えた。三つ目の化物か。いや、まだ増える。
「これは……」
それは無数の松明の明かりだった。その数、約四百。
「そういえば、南方の盗賊団が統一されたと騎士団の詰め所で聞いたことがあります。大事になる前に大規模な討伐隊を組織しなければと、先輩方が言っていました」
スレーニャが話す。
「ス……スレ…………」
青ざめたマリがスレンの名を口にするが、動揺して上手く音にならない。数歩、歩いたスレンは振り返り、
「それじゃあ行ってくる」
と、事も無げに言った。
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