第8話 責任
「スレン? 初めて聞く名前ね。ヨルヤ、アカデミーの学生?」
村長の息子たちがアターシアたちの泊まる先の準備をしている間、スレンは四人から質問攻めにあっていた。空いた席には魔道師のアターシアとヨルヤが腰掛け、護衛の騎士たちはその後ろに控えている。
「いいえ。白髪に灰色の瞳、そのような目立つ容姿の学生、噂にも聞いたことがありません」
「じゃあアカデミーに来ないような名家の嫡子か……ねえあなた、家名は?」
「カメイ?」
スレンのその反応にアターシアは目を大きく見開いた。
「まさか野生の魔道師? いえ、それはもう魔道師とは呼べないか……でも……」
ブツブツと独り言を呟き始めたアターシア。他の三人は肩を竦めたり、ため息を吐いたり、苦笑いを浮かべたりと、三者三様だが、一様に呆れているようだ。思考を始めた彼女が周囲を置き去りにするのは、きっといつものことなのだろう。役立たずになったアターシアの代わりに、ヨルヤが口を開いた。滝で見たときは裸だったが、ローブを羽織った彼女はどうやら魔道師だったようだ。
「スレン、あなたはここの村の子?」
スレンは首を横に振る。
「違うよ。おれは黄昏の森から来たんだ」
「黄昏の森?」
「そう。森の奥へ、まる二日くらい行ったところ」
「そんなところに村があるなんて聞いたことがありません」
割って入ったのは村長だ。
「村じゃなくて森だよ」
「森に住んでるの? 家族は?」
「ズウラがいる」
「魔法はズウラというものに?」
「そうだ」
もしも彼女がズウラの正体――その身を魔力に喰われ、魔力の深淵を知ることとなった賢狼――について言及していれば、人類の魔法技術は大きく前進していたかもしれない。しかしズウラの正体を問わなかった彼女を誰が責められよう。普通、人間の親は人間だと思うだろう。それにスレンは「魔法はズウラから教わったのか」という問を肯定で返した。だからそこにいた全員がスレンのことを《隠居を決め込んだどこぞの魔道師の子か孫》だと考えたのは自然なことだ。なぜなら、彼女たちにとって魔法とは《自身の魔力を練り、神の力を借りて発動させる奇跡》のことで、それには祝詞や呪文の詠唱が不可欠。そしてズウラのような言葉を解す獣は、御伽噺のなかにしか登場しないフィクションの住人で、つまりそんな眉唾な存在から《魔法》を教わるなど、ありえないことだからだ。
「ふぅん。強いのね」
「そうなのか?」
「だって、ひとりで何人も相手にしたんでしょう?」
「ほとんど不意打ちだったし、普通だよ」
「そうかしら」
「そうさ」
謙遜か、いいや、スレンにとっては本当に大したことではなく、むしろ本人はもっと全力を出せばよかったと、恥じているくらいだ。だから返事も素っ気ない。
「それで、その盗賊たちはどうしたの? ちゃんと皆殺しにした?」
会話の輪に復帰したアターシアが出し抜けに尋ねた。酷く物騒な言葉選びだが、殲滅は盗賊退治の基本である。まして対峙している当事者とあっては、下手に生かすと必ず報復を受けることになる。当然皆殺しにしたと、四人の誰もが思っただろう。しかし消沈する村人たちの反応と無言で俯くスレンを見て、なんとも言えない表情を浮かべた。
「逃げられたの?」
違う。正確には《逃した》だ。所在なさげにしゅんとするスレンに、アターシアは呆れ顔で言った。
「まったく。だったらあんたが責任を持って奴らの報復を返り討ちにしなさい」
「アターシア?」
抗議にも似た声色でアターシアの名を口にしたのは、彼女の背後に立つ護衛騎士の女だ。アターシアは彼女をアキュナと呼んだ。アターシアに向けるアキュナの視線は、どこか咎めるような色を帯びていて、それを察したアターシアは無言で意味ありげにニコリと笑ってみせた。
アキュナが見抜いた通り、アターシアには企てがあった。
このシフォニ王国において、魔道師は貴族の一員である。これは出自の話ではなく、この国においてアカデミーと呼ばれる魔法学校を卒業した魔法使いには、もれなく魔道師という爵位が授与されるからだ。ほとんどの魔道師がアカデミー出身であるため、ことシフォニ王国において魔道師という言葉には貴族という意味も含まれている。つまりスレンは魔法は使えても、この国が定める《魔道師》ではなかった。
カロア村を救うも救わぬもスレンの自由だ。だがアターシアはスレンにカロア村を救ってほしかった。正確にいえば、救おうと決心してほしかったのだ。どんな《魔道師》でも詠唱という枷がある以上、必ずそこに隙きが生じる。その隙は一対多において致命的な敗因となりえる。アターシアはスレンはひとりでは勝てないと確信していた。
《野生の魔法使い》
それは魔力を研究するアターシアにとって、このうえなく魅力的な素材だった。どうしても手に入れたい。そのためにスレンに貸しを作る必要があったのだ。
だが、スレンは普通の魔道師ではなかった。
「あんたが戦うなら、私たちが力を貸してあげても良いけど」
「おお!」
歓喜の声を上げたのは村長だった。当然だ。アターシアたちが参戦してくれれば戦力は、騎士が二人に魔道師が三人となり、勝算は格段に上がる。
「いや、これはおれがやらなきゃならないことだから」
だが、スレンはその申し出を断った。アターシアの企みを看破したわけではなく、単純に律儀さゆえのことだ。
「今度は向こうも対策してくる。昼間と同じようにはいかないわよ」
「ふうん」
脅しにも似たアターシアの忠告に鼻で空返事を返すスレン。
「スレン……」
「マリ。大丈夫、今度はちゃんと殺すから」
不安げにスレンの名を呼ぶマリにスレンは、元気づけるようににんまりと笑ってみせる。だが、その邪気のない笑顔に、マリは表情を陰らせた。いくらならず者が相手でも、いくら誰かを守るためでも、戦いはやっぱり恐ろしいことで、いくらスレン自身の甘さが原因だったとしても、もともとスレンは部外者だったのだ。
服の着かたも知らないほど無垢だったスレンを穢してしまっているのではないか。それは、いけないことなんじゃないか。マリは罪悪感に苛まれていた。
「なにか作戦でもあるの?」
完全に他人事の調子でアターシアは尋ねる。
「作戦? 作戦かぁ」
スレンは少し考えるが、誰かと戦う事自体初めての彼に、まともな策など思い浮かぶわけもなく。
「うーん、あ、でも村のなかでは戦わない方が良いよな」
「そうね」
念押しするようにヨルヤが頷いた。
「わ、私にも、何かできることはありますか!?」
戦闘員の会話に唐突に割り込んできた非戦闘員はマリだった。スレンに作戦がないということで、もしかしたら自分も力になれるかもと考えたのだろう。自分たちのことなのだからある意味当然の思考だが、マリの申し出に特に驚いたのは村長だった。まさか村を上げて盗賊たちと戦うことになってしまうのではないかと、危惧したのだ。彼は身勝手だろうか。しかし実際、彼らにできることといえば、ただのひとつくらい。
「そうね……相手の数にもよるけど、スレンが詠唱を終えるまでの時間稼ぎ、肉の壁くらいかしら」
現実は残酷だった。桑、鎌、武器になりそうな農具はたくさんあるが、不作続きの寒村で、まともに戦える健康な肉体を持つものなど誰一人としていない。みんな空腹に震えながら起床し、力の入らない手で鎌を振るい、領主に収奪される予定の麦を刈る。そしてまた腹をすかしたまま明日を迎えるのだ。身体は痩せ細り、肋骨は浮き出て、骨ばっている女性も多い。
大して力になれず、必死の囮にしかなれないのなら、いっそのことすべてを任せてしまいたい。これが身勝手だったとしても、村長には村を守る義務があったのだ。
幸いにも話は村長の望む方向へ転がる。
「マリたちを守るために戦うのに、それじゃ意味が無いだろ」
スレンがアターシアの案を切って捨てたのだ。村長が安堵の、マリが悔しさの溜め息を吐いたのは同時だった。
「こんなの、おれひとりで十分だよ」
これ以上、誰も何も言うことはなかった。
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