第3話 ふたりの少女

「森の泉があるだろう、そこから流れる小川を伝って下流へ。森を抜ければ恐らくどこかの村か町を見つけることができるはずだ。人間は水辺の近くに棲みたがるからね」


 ズウラの言葉を頼りに、スレンは清流のせせらぎが気持ちの良い小川を下った。


 黄昏の森は、山脈の袂に苔のようにこびりついた広大な森林地帯の深部にある。魔力で強化した身体能力で飛び跳ねるように木々を移動するスレンの脚でも、森を出るにはまる二日は走らなければならない。一晩を木の上で過ごして二日目、森に満ちる魔力が薄まってきたことから、スレンは黄昏の森からずいぶんと離れたことを悟った。川幅も広くなって、棲息する魚も大きさを増している。当然それを餌にする獣も頻繁に見られるようになり、あちこちから生命の気配を感じるようになった。黄昏の森とその周囲の深部は魔力が濃すぎるために、獣の類はほとんどいなかった。スレンの知っている森とは、光と静寂に包まれたものだった。それが今はなんと豊かなことか!

 スレンは森に満ちる賑やかなざわめきに顔をほころばせつつ、川を下っていった。


 やがて木々の隙間から眩い光が漏れ出してきた。いよいよ森を抜ける。速まる鼓動に胸を抑えながら、スレンは光に飛び込んだ。


「あ……崖か」


 森は寸断されていたがまだ終わってはいなかった。岩場が続き、その先で川が途絶えている。少しがっかりしながらもスレンは崖に向かった。


「結構高いなぁ」


 崖は垂直に切り立っていて、滝となって落ちる水が風に吹かれて霧状に舞い上がっている。そんな雄大な光景の先に、確かに森の終わりが見えた。


「おお!」


 初めて森以外の大地を見るスレンは、感嘆の声を漏らす。その先は草原が広がっていて、まだら模様のように点在する小さな森の淵を滑るように川が地平線の向こうまで続いている。

 スレンは崖下を覗く。滝壺に大きな池ができているのが見えた。


「結構深そうだな。汗もかいたし、丁度いいや」


 身体を清めるのは二日ぶりだった。昨日は寝汗が酷かったし、たくさん走ったから体中がベタベタしている。スレンは着水位置を確認すると、滝口から滝壺めがけて飛び降りた。



 吹き上がる霧を突っ切ると、あっというまに水面だ。勢い良く着水するとスレンの身長の倍ほどの水柱が立った。そのまま水中を岸まで泳ぎ、上陸する。上から見るよりも池は広かったようで、岸に上がると本来ならば心臓を揺らすほどの瀑布の大音響は遠く向こうにあった。


 絶え間なく落ち続ける滝を眺めながら、少し休憩しようかなとスレンが考えていると、


 ジャリッ


 と、背後で石を噛む音がした。


「貴方、誰ですか!」


 スレンが肩越しに振り返ると、そこには金髪の少女がいた。見たところスレンよりも年下に見える。彼女は騎士のようにチェインメイルの上にサーコートを着て剣で武装していた。彼女の菫色の瞳はきつくスレンを睨んでいる。


「スレーニャ? 誰かいたの?」

「来てはいけません、ヨルヤ!」


 そこへもう一人。長い黒髪が印象的なスレンと同い年くらいの少女がやってきた。そちらの少女は水浴びでもしていたのだろう、スレンと同じく一糸まとわぬ姿だった。通常の男子ならば慌てて目を逸らすか、逆に眼に焼き付けるか、どちらかの反応を示すだろう。しかし普段から全裸で、かつ異性に馴染みのないスレンは、ただただ彼女たちの存在に目を丸くしただけだった。


 スレンは戸惑っていた。確かにスレンは自分以外の人間を探して黄昏の森を出た。けれどこの出会いはあまりにも唐突すぎだ。心の準備もままならないまま、奇しくも目的を果たしてしまったスレン。一言も話せなかったのは、出会って以降のことをまったく考えていなかったからだ。とはいえこのまま黙り続けていても何も始まらない。そう判断したスレンは、とにかく彼女たちについて自分の知っている知識を披露することにした。理解があることをアピールすることで安心してもらおうとしたのだ。


「知ってる。お前、女だろ。胸が膨らんでる。そっちのちっこい方は……ちょっとわからないな」

「な!?」


 スレーニャと呼ばれた少女騎士はとっさに胸を覆う。安心させるどころか、スレンは顔を赤らめたスレーニャに涙目で睨まれてしまった。

 全裸のスレンに対してのふたりの少女の反応は真逆なものだった。少女騎士スレーニャは強い警戒心を露わにし、あまつさえ抜剣している。見たところヨルヤと呼ばれた黒髪の少女の護衛のようだから、突然降って現れた全裸の少年を危険視するのは当然である。対してヨルヤの方は素肌を晒しているというのに恥じらう様子も見せず呑気なものだ。琥珀色の目を丸くしているだけで警戒している様子は一切ない。


 ともあれ、スレンは自分以外の人間に会うという第一目標を達成した。しかしこれからどうすれば良いのかがわからない。困ったスレンはふたりから話を聞こうと体ごと向き直った。


「へ、へ、へへへへへ!!」


 顔を真っ赤にして著しく動揺するスレーニャ。当然視線はスレンのアソコだ。なるべく見ないように顔を上げているが、ついつい視線を下げてしまう。ヨルヤの方は相変わらず無反応というか、スレンが身体の向きを変えたことすら気づいていないのではないだろうか。


「へ?」

「へ、変態!!」


 スレーニャがスレンよりももっと年上であればまた違った反応だったかもしれないが、まだ乙女のスレーニャには同世代の男子の局部は刺激が強すぎたようだ。罵声を放ったスレーニャは腰に帯びた予備の短剣を抜き放ち、一切の躊躇なく投擲する。


「うわ!?」


 スレンはスレンで全裸であることに何の不思議も抱いていない。きっとスレーニャに短剣を投げつけられた理由もわかっていないのだろう。

 飛んでくる短剣を軽く交わしたスレンだったが、こうも剥き出しの敵意を向けられては話しをするどころではないということで、慌てて背を向けて川沿いを下流へ走っていった。


「ヨルヤ、スレーニャ、何かあった? すごい声が聞こえたけど」


 少女たちの仲間が駆けつけたときには、すでにスレンの姿は見えなくなっていて、


「ふふ、まるで山猿ね」

「ただの変態です!」


 ヨルヤが愉しげに微笑い、スレーニャは憤慨した。

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