第4話 全裸の救世主
少女たちから逃げるように走り続けたスレンは、今度こそ森の終わりに辿り着く。丘陵ごしに小さな森がいくつか覗いているが、それ以外はすべて背の低い草原だ。
まさか追っては来てないだろうなと、さっき会った少女たちの追跡を警戒し振り返ったスレンは、森が静かなことを確認すると、いよいよといった面持ちで歩き出した。目指すは人里。ズウラが言っていた《村》か《町》という集落を探しはじめた。
そよかぜが草の頭を撫でるように疾走る。その音が耳に心地よく、スレンは初めて見る森以外の光景に目を奪われていた。が、スレンが足を緩めていたのは束の間のこと。花見の席で食い気が勝ることを花より団子などと揶揄するが、スレンの場合、花より団子ならぬ草より人間だろう。追い風を追い越す勢いで川沿いを駆けるスレン。秋口の低い太陽が傾き出したころ、ようやく小さな農村を遠くに見つけた。
「あれ、多分町とかいうやつじゃないか?」
一応、ズウラからは村より大きいのが町、もっと大きくなれば都市と呼ばれるようになるということを教えられている。ただ大きさの基準がないスレンにとって、二十戸程度の小さな村でも十分大きな町だった。
さっきの少女たちとの邂逅は、その出会いから別れまであまりにも突然過ぎた。だから緊張も余韻もあったものじゃない。けれど今度は違う。スレンは高鳴る鼓動に胸を抑え、深呼吸をして落ち着こうとした。
「そうだ、まず最初に名前を言おう」
滝で出会った少女たちの時もそうしていれば物を投げつけられることもなかっただろうとスレンはそう考える。当然、それが大きな間違いだということに全裸の彼は気づいていない。
「おれはスレン、おれはスレン、おれはスレン……おれの名前はスレン、こっちのほうが良いかな」
スレンのファーストコンタクトが失敗に終わる光景がありありと目に浮かぶが、本人は今度こそ成功すると確信している。だから足も自然と早くなり、ついにはまた走り出してしまう。滝での出会いが良い具合に緊張を和らげているのだろう、なんだか嬉しくなったスレンは、
「おーーーーーーい!」
元気よく呼びかけながら緩やかな下り坂を駆け下りた。スレンも、自分がいつもと違うことに気がついている。けれど「これはきっと風のせいだ。だってこんなにも気持ち良いんだから!」と秋晴れの空に浮かぶ高い雲に叫んだ。
村に近づくと、なにやら騒ぎ声が聞こえてきた。それもひとつふたつではない、村のあちこちから飛び交っている。通常、この季節の農村で騒がしくなることといえば収穫祭だろうか、しかしお祭りのような賑やさはなく、野太い怒鳴り声が聞こえてきたりして剣呑な雰囲気だ。
農村の《通常》も《異常》も知らないスレンだが、声を荒げることが普通ではないことくらいはわかっている。最後にズウラに怒鳴られたのは、三年くらい前だったかなと、言いつけを破って生木の枝を折って薪にした時のことを思い出す。村でも誰かが言いつけを破って怒られているのだろうかと、スレンは間の悪さを感じながらも村に入り、ちょうど怒号が飛ぶ角を曲がった。
「この! 待ちやがれ!」
「きゃあ!」
「へへっ、手間かけさせやがって!」
少女がひとり、むさ苦しい男ふたりに羽交い締めにされていた。
「離して! 離して!」
「五月蝿え! 殺すぞ!」
男が発する言葉は、誰かを叱る時に使うものではなかった。いかに世間知らずなスレンで、今が尋常ならざる状況であることは想像に難くない。しかし、ズウラとたったふたりで生きてきたスレンには、まさか人間がいとも容易く同族殺しをしてのける種族だということなど思いもしなかった。だから訝しみながらも無遠慮に、
「なにしてんの?」
と、少女を取り押さえる大男の背中に声をかけたのだった。
「あん?」
男は肩越しに振り返って、そこにいたスレンを見下ろす。
「ああ? なんだおめえ、頭イカレてんのか?」
スレンが着る服を持たないような、泥まみれで傷まみれで痩せっぽっちの少年であれば、男も不思議がったりしなかっただろう。しかしスレンは健康的な体格で、傷などひとつもない。泥の汚れすらないのは水浴びの直後だからだが、それを知らなければ、スレンは露出趣味のどこぞの《ぼんぼん》に見えなくもない。ただ、そんな輩がこんな辺鄙な村にいることが不自然だ。落ち着きようからして明らかに村の者ではないわけだし。
「おれ? おれか? おれはス……おれの名はスレンだ」
スレンは言い直したことをハニカミながらも内心でほっと安堵した。大成功とはいえないけれど、今度はきちんと名乗れたので良しとしよう。
「お、おう」
大男は戸惑ったが、今度は傍にいた別の男が声を荒げた。
「んなこた誰も聞いてねえだろうが! 殺すぞ!」
「ええっ」
ちゃんと名乗ったのにどうしてそんなことを言われないといけないのか。スレンは困惑してしまう。
「ちょっと待てよ、どうしてそうなるんだ」
友好的に振る舞おうとするスレンの半笑いは男たちを苛立たせた。自分たちは奪い殺すことを生業としている盗賊団だ。職業上誰からも舐められるわけにはいかない。ましてやこんな毛も生え揃わないガキごときに、あたかも対等のように振る舞われるだなんてあってはならないことだ。
男たちは互いに目配せをして、それから殺すぞと脅し文句を吐いた男が、ナイフを手にスレンに近づいてきた。
「逃げて!」
羽交い締めにされている少女が叫ぶが、大男に腹を殴られて咳き込んでしまう。
「お、おい、乱暴はよせよ」
「何言ってんだおめえ。乱暴だと? この村の状況見て言ってんのか!」
そう言って男はナイフを振り上げる。そして問答無用でスレンの胴体に袈裟に振り下ろした。
「ったく、手間取らせやがって」
大男は吐き捨てる。彼に捕らえられている少女は、無念そうに目を背けた。
「おい! いつまでそうしてやがる。さっさと行くぞ」
スレンを攻撃したまま動かない男の背中に吐き捨てるように大男は言う。しかし男はピクリとも動かない。
「おい?」
「う……」
「う?」
「動かねえ……こいつ!」
お前行けと、大男はもうひとりの男に顎で指図する。指示を受けた男は、動かねえと身体を震わせて力んでいる男の肩越しにスレンを覗き込んだ。
「な!」
そこには振り下ろされたナイフを指先で摘んでいるスレンがいた。
「やめろって言ってるだろ」
振り下ろされたナイフを摘むなんて、普通の人間ができるわけがない。その道を極めた達人でなければ到底不可能な芸当だ。だから男たちは驚愕した。こんなガキが! しかしスレンはそれを誇ることもなく、さも当然のような表情をしている。スレンが手を頭上から横にどかすと、ナイフを掴む男の腕も抵抗虚しく強制的に動かされた。
「こんのっ、馬鹿力が!」
スレンが手を下ろそうとするものだから、男の手はありえない方向に曲がろうとして、そのために男は弾かれるように柄から手を離した。
スレンは考える。女のことはまだよくわからない――滝での一件もあって、女性に対して苦手意識が芽生えつつあった――から、できれば男の方と仲良くなれればと思ったのだけれど、拙いとはいえ、受け止めなければ死んでしまうような斬撃を繰り出されて、今更仲良くなれるだろうか。少なくとも相手にそのつもりはなさそうだ。それがとても悲しくて。しかしめげそうになりながらもスレンは顔を上げる。男がだめなのであれば……と、大男に羽交い締めにされている少女に目をやった。
「おいおい、何やってるんだよ」
もうひとりの男が不用意に伸ばした手が視界に割り込んでくる。どう見ても好意的でないその手を払い除けて、スレンは少女に尋ねようとした。
「あんたは……あんたも――」
尋ねようとしたが、迷いからくる歯切れの悪さによって、言葉は最後まで音になることはなかった。スレンは怖がっているのだ。歩み寄ろうとしたのに二度も拒絶されたから。しかしその不安は、少女の悲痛な表情を目の当たりにしたことで瞬時に霧散する。彼女の訴えるような眼差しに、スレンは悪夢に出てきた少女――スレンの目の前で死んでしまった、守れなかった黒髪の少女の最後を思い出した。苦痛に顔を歪ませた彼女と、目の前で大男に捕われてる少女が重なって見えて、スレンの胸は酷く締め付けられる。そして、
「助け……て」
殴打された腹部が痛むのか、呻くような声で少女は懇願した。
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