DEAD OR BACTERIA
もおち
第1話 DEAD OR BACTERIA
少年が自分の首に刺したナイフを引き下ろそうとした瞬間、轟音が洞窟内に響き渡った。ナイフの柄を持つ右手が硬直した。
外の光を背にした男がその鱗のついた手を片方上げる。
「よぉお、ご両人。ご機嫌いかが?」
息絶え絶えな少年たちを労わる口調ではない。飄々とした口調。けれど、身に纏った服のところどころが裂かれ、泥に似た茶色の斑点が付いていることから、口にせずとも男の心境が伺えた。
岩の壁に寄りかかり、左腕に少女を抱きかかえている少年が忌々し気に言う。
「……ぉ、おっせえよ……」
ひゅーひゅーと喉が音を立て、増えつつある酸素を摂取する。吸うたびに急激な酸素供給に頭が痛み、刺されたままの首が痛んだ。
「悪りぃな。道が混んでたもんでな」
長い尾を揺らしながら、男が少年たちに近づいた。
少年は男を朦朧としつつある頭を動かし、見上げた。
「で、うちのお姫様はご無事かい?」
男が言う。
少年は無言で、抱きかかえた少女を男に診せた。
少女は目を閉じ、真っ青な顔をしていた。
「あーあ、唇震えてやがる。待ってろー、お姫様-。今楽にしてやるからー」
慌てた様子も見せずに、男は少女を軽々と抱え上げる。
そして、瞳孔の細長い目を開いたまま、少女の唇に口付けた。
「……」
少年は深く息をしながら、その動向を見守った。人間よりも長い男の舌が、二人の合間合間に見え隠れする。びちゃりびちゃりという水音の後を追うように、少女の口端から透明な液体が顎を伝って流れ落ちた。
少女の喉が何度か鳴ると、男の唇が銀の糸を生みながら少女のそれから離れた。
「やっぱ女の唇はいいなあ、やあらけえ。うめえ」
ご満悦。とでも言うように、男が深くため息を吐き、恍惚とした表情を浮かべる。
「……」
少女は目を閉じたままだ。けれどその顔は程よい血色を帯びており、心安らかな寝息を立てている。
間に合った。少年は安堵した。
岩牢に閉じ込められ、どちらかが死なないと開かない仕掛けに少年と少女は最後の最後まで策を考えた。男が助けに来るまで待つという選択肢はもちろんあった。けれど、待っている間に。少女は酸欠で気を失い、少年は選択を迫られた。
その結果が、首に刺したナイフだった。
「じゃあ、次はお前な」
男は少女を横たわせ、少年の首に刺さったナイフに手をかけた。
振動に、少年は顔を顰めた。
「一気に抜くぞ。舌噛まねえよう、手でも噛んでろ」
「……ああ」
少年は自分の手を口に入れ、歯を立てた。
男はそれを見据えると、宣言通り、ナイフを一息で抜いた。
「――!」
少年のくぐもった声と首から鮮血が吹き出した音が同時だった。
男の顔が血で汚れた。拭うという行為を一切せず、男は少年の傷に舌を這わせた。何度も何度も、傷口に唾液を塗り込める。
傷の痛みと舐められているという不快感に、少年の手を噛む力が強まった。
男が少年の首から離れ、顔を歪めた。
「ホント、男はまじいなあ」
吐き出された血混じりの唾液の塊が、地面に砕ける。
少年は露骨に嫌そうな顔をして、舐められた箇所を袖で拭った。
傷は、消えている。
「あんたのそれは、もっと別のやり方はないのか」
少年は言う。
男の唾液には治癒能力があり、効果は少年や少女が身をもって証明した通りだ。
「治療してもらった立場のセリフじゃねえなそれは」
男は袖で顔を拭うと、肩を落とす。
「じゃあ聞くけどよぉ」
首裏を長い爪で掻きながら、少年に訊ねる。
「俺にキスされんのと俺の吐いた唾飲むの、どっちがいい?」
「両方ごめんだ」
少年は即答した。
「だろ? 俺だって男にんなプレイを強要する趣味はねぇよ」
女なら大歓迎なんだけどな。楽しそうに男は笑った。
男の過去を、少年は詳しくは知らない。ただ、龍と言われた亜人の一族が大昔、その能力を欲した国に奴隷にされたという事実がある。
一族は滅んだと言われていた。目の前にいる男が、それを否定した。
「俺が生きてるんなら、他の奴らが生きてても、良いだろ」
そんなセリフを、寂しそうな顔で言っていたのを思い出す。
「ほおら、行くぞ」
男は一族を探すため、少年と少女は両親を探すため。
寂しさをそれぞれ補いながら、一緒に旅を続けていく。
「……ああ」
眩し過ぎる、光の中を。
DEAD OR BACTERIA もおち @Sakaki_Akira
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