「ほんとうになりたい自分にはなれません」

「教師にならないなら、どうするつもり?」


怒りで燃え立つわたしの視線を、真っ正面から受け止めるように、母はわたしをじっと睨み返すと、静かな口調で訊いてきた。


「モデルになりますっ!」


勢い余って、わたしも断言した。

せせら笑うように顎を上げ、母は口元を歪める。


「森田さんからも事務所からも見放されたあなたに、いったいなにができるっていうの?」

「ぐ…」


言い返せない。

『してやったり』といった表情で、母は続ける。


「コスプレの世界のなかで『素敵レイヤー』だとか、『カリスマモデル』だとか周りから持ち上げられても、所詮、井の中の蛙。あなたはまだ無力で中途半端な高校生よ。

自分ひとりの力じゃ夢を叶えることもできない、ちっぽけな存在でしかないじゃない」

「………」

「もういいじゃないか、母さん。そのくらいにしておきなさい」


ぐうの音も出ないほど言い負かされ、うなだれるわたしを見かねたように、父が助け舟を出してくれた。


「凛子。母さんがなにに怒っているか、おまえにはわかるか?」

「なににって、、、 嘘をついて、同意書を偽造したこととか、アリバイ工作までして彼氏と外泊したこととか、コスプレしてることとか…」

「それは違うぞ」

「え?」


思わず父の顔を見つめる。

わたしを見据えていた父は、諭すように語りはじめた。


「おまえは昔から正義感があって負けん気も強く、なにごとにも正々堂々と、正面からぶつかっていったな。自分を信じることができる、矜持のある子だった。

わたしも母さんもそんなおまえを誇りに思い、愛してきたんだ。

だけど、今のおまえはどうだ?

胸に手を当てて、よく考えてみろ。

今、おまえがしていることは、自分でも本当に正しいと信じられるか?

正々堂々と、わたしたちにそれを主張できるか?」

「…」

「もし、それができるのなら、わたしたちをキチンと説得してみなさい。

わたしたちが怒っているのは、おまえのやっていることじゃない。おまえが、自分の正義を貫いていないということなのだ」

「…」


『自分でも本当に正しいと信じているか?』


、、、それは、この数ヶ月間、いつでも自分のなかでモヤモヤと渦巻いていたこと。

そこをグサリと突かれてしまった。


わたしが今やってることは、本当にやりたくて望んでたこと?


確かにわたしは、『変わりたい』と願って、コスプレをはじめた。

だけど、今の自分は、あの頃に、変わりたかった自分なのだろうか。

コスプレ雑誌に掲載されて、他のレイヤーやカメコからチヤホヤされて、アフターでヨシキさんの隣に座ることが、本当にわたしのやりたかったことなのか、、、


自分でも、よくわからない。

真意を見極めようとするかのように、父は目を見開き、わたしの瞳を正面から見据えて言った。


「わたしはおまえがコスプレをするのにも、イベントに行くのにも反対はしない。高校生で親密な彼氏がいてもいい。モデルになるのも、それが受験勉強からの逃避などでなく、おまえの心からの望みならば、認めよう。

わたしも母さんも教育者だ。難しい年頃の子供は、いくらでも見てきた。

理性的に対処できるつもりだ。

ひとときの感情や衝動で、おまえの未来や自由を縛ることはしない。

だが同時に、わたしたちはおまえの保護者だ。

自分の可愛い娘には、不本意な人生を送ってほしくはない。

おまえにはだれよりも幸せになってほしいと、わたしはいつでも、心から願っているのだ。

だから、おまえに明確なビジョンがなく、わたしたちを納得させられないのなら、おまえにはわたしたちの希望する道を歩いてもらう。

凛子。

おまえはなぎなた二段。実力では四段はあるだろう。

そんなおまえが、目の前の敵からコソコソと逃げ出すのか?

陰で卑怯な偽装工作なんかするのか?

自分の信じる道を進んでいるのならば、まずはおまえの前に立ちふさがっているわたしたちを、正々堂々と打ち負かしてみせろ!」


強い口調でそう言い終わると、父は再び目を閉じて、わたしの返事を待った。


そう、、、

そうだった。


ずっとモヤモヤしてたのは、わたしがこのふたりと正面から向き合ってなかったからだ。

父と母という、目の前にそびえるふたつの大きないただきを、わたしは登ろうともせずに、『どうせダメだろう』と、避けることばかり考えていたからだ。

この巨大な壁を乗り越えなきゃ、ほんとうになりたい自分には、なれないんだ!


“ピンポーン”


そのときだった。

表の呼び鈴が鳴ったのは。

『はーい』と返事をして、母が玄関に出る。

引き戸が開けられる音がして、挨拶が聞こえ、ふたつの足音が廊下を歩いてくる。

こんな夜中に、いったいだれだろう?


「夜分遅く失礼します」


えっ?

どうして、、、


振り返ってそのお客の顔を見たわたしは、驚いて目を丸くした。

床の間の引き戸から顔を出した女の人は、森田美湖さんだったのだ。


つづく

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