「完全に詰まされてしまいました」
「凛子、旅行どうだった?」
そんなことを考えながら、グズグズと片づけをしているところに、母がやってきた。
はたと思い出して、わたしはバッグのなかから、おみやげの箱を取り出す。
昨日ヨシキさんからもらった、天城産のわさびの漬け物だ。
「あら、ありがとう。まあ、『藤喜の大吟醸わさび漬け』ね。お父さまの大好物なのよ。喜ぶわよ」
そう言っておみやげを受け取った母は、旅行の感想を訊いてきた。
「旅行は楽しかった?」
「はい。もちろんです」
「いいわねぇ。伊豆は素敵なところだものね。海だけでなく温泉もあるし、わたしも独身時代はよく、お友達と泊まりで遊びに行ったのよ。
懐かしいわ。
旅館で出されたわさび漬けも、とっても美味しかったわ。
藤喜食品は、なかでも老舗で、伊豆じゃ有名だものね。凛子もなかなか味がわかるじゃない」
「いえ。そんな…」
「そういえば優花さん、お元気だった?」
「はい。お母さまによろしくと、言っていました」
「伊豆の海は綺麗だったでしょうね」
「とっても透きとおっていて、わたしたち一日中泳ぎ回っていました」
「やっぱり? 凛子少し焼けたみたい。お天気もよかったのね」
「はい。昨日は晴れましたけど、今日は雨が降って、あまり遊べなかったんです」
「それは残念ね。お天気が悪いと、せっかくのバカンスも台無しだものね」
「でもその分、温泉でまったりしました」
「あら、羨ましい。それで、雨って、一日中降っていたの?」
「はい」
「ふうん。でも、伊豆の方は雨だなんて。天気予報では言ってなかったわよ」
「…」
「…」
しまった!
さーっと、頭から血の気が引く。
気まずい沈黙が流れる。
これは母のいつもの手口だった。
誘導に引っかかって、調子に乗ってつい、余計なことをしゃべってしまった!
『語るに落ちる』とは、まさにこのこと。
頭の中フル回転で、わたしは必死に次の言葉を探した。
だけど、うまい言い訳が出てこない。
焦る!
手のひらを返したように冷めた口調で、母は問うてきた。
「凛子。怒らないから正直に言いなさい。本当に優花さんと出かけたの? 伊豆に」
「…」
「何十年、あなたのことを見ていると思うの?
あなたの考えていることなんて、とっくにお見通しなのよ」
「…」
「この前の外泊の件も、おおよそ察しがついているわよ」
「…」
「年頃の女の子が、親に嘘をついて泊まりに行くのは、ひとつしか理由がないわ」
「…」
「男の人。ね?」
「………はい」
「…」
一瞬、夜叉のように目を見開いた母は、黙ったまま目を瞑って深呼吸をすると、気を取りなおすように続けて訊いてきた。
「で… どこまで行ってきたの?」
「…山口」
「山口? 山口にも天城産のわさび漬けが売っているのかしら?」
「…申し訳ありません」
わたしはうなだれた。
もう、なにも弁解できない。
完全に詰んだ。
母はしばらくわたしを睨んでいたが、その瞳にはみるみる涙が溜まっていった。
そして、『ふう』と大きなため息を漏らしながら、ひと言訊いた。
「真剣なお付き合いなの?」
「はい。それは誓って」
「相手は、いくつくらいの人?」
「大学生で、来年卒業です」
「わたしたちに、きちんと紹介できる?」
「…はい」
「そう。でしたら、わたしが口を挟むことはありません。
だけど、あなたは優花さんに、どれだけご迷惑をおかけしたか、わかってる?」
「え?」
「あなたの嘘に優花さんが巻き込まれて、信用を失ったのよ」
「優花さんはなにも悪くありません。アリバイの件は、全部わたしが無理やりお願いしたことです。優花さんを責めないでください」
「…あなたのそういう態度は、立派です」
「あ… ありがとうございます」
「その態度に免じて、今回はお父さまには、黙っておいてあげます」
「えっ?」
「あなたも、お父さまには知られたくないでしょう?」
「…怒らないんですか? お母さまは」
「あなたももうすぐ18歳。充分に自分で判断できる歳なんだから、好きにしなさい」
「…」
「ただ、その行動には責任を持ちなさい。あなたはまだ学生で、わたしたちの監督下にあるのだから。
あなたの尻拭いなんて、わたしはごめんだわ」
「…」
「でも、裏切られた気分よ。
これからは、わたしには嘘をつかないでちょうだい。これ以上わたしを悲しませないで」
「…」
「もういいわ。早く自分の部屋に行って、やすみさい」
そう言い残すと、母は藤喜の大吟醸わさび漬けを持ったまま、台所へ消えた。
このときほど、わたしは母を恐ろしく思ったことはない。
たったひとこと、『好きにしなさい』と、突き放すように言われるのは、くどくどと愚痴を繰り返されるより、百倍も
翌朝、藤喜の大吟醸わさび漬けは、食卓に上がった。
「凛子の伊豆のおみやげですよ」
と、母は笑顔で父に告げる。
「おお、これは旨い! わたしの大好物じゃないか。
旅行先でちゃんと家族におみやげを買ってくるとは。親孝行者じゃないか。なぁ、凛子」
そう言いながら父は、まったく疑問を抱いた様子もなく、ホクホクとした笑顔をわたしに向けて、美味しそうにわさび漬けをごはんに載せて食べた。
母も、曇りひとつないような、満面の笑みを浮かべている。
わたしはなにも言えず、適当に相槌を打って、愛想笑いをするしかなかった。
まるで針のむしろに座らされている気分。
これなら雷のひとつでも落とされた方が、まだすっきりする。
こんな懲罰があったなんて…
あまりにも辛過ぎる。
恐るべし、母。
COSPLAY SIDE END
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます