第11話 嫉妬して自爆

 遠い山の向こうに陽が落ちて、世界がとっぷりと夜の闇に浸かる頃、予定通りに一日の仕事をこなしたセルジュは、自室に戻り、ベッドの端に腰を下ろして盛大な溜め息をついた。組んだ両手で口元を隠し、膝の上に肘をついて項垂れる。

 昼間のダンスの練習での出来事が、頭のなかを掻き乱していた。転びかけたコレットを抱き止めたあのとき、セルジュにはコレットが可愛らしい少女のように見えてしまい——あろうことか、ちょっぴりときめいてしまったのだ。

 容姿こそ整っているものの、マイペースな性格や軽いノリの言動が目立つせいか、セルジュが抱くコレットのイメージは「年長者を敬わない小生意気な女」というものだった。女性に対して弱腰のセルジュのことを特に下に見ているような、そんな気さえしていたから、可愛らしいとか好きだとか、そういった好意的な感情をコレットに対して抱くこと自体、セルジュにとっては癪にさわるものだったのだ。

 それなのに、あんな顔をして見せるから。一瞬でもコレットのことを可愛いと思ってしまった。遠い昔のこととはいえ、酷い屈辱を与えられたはずなのに、いつの間にか彼女に絆されかかっていた。


「まぁ、悪いヤツではないからな……」

 言い訳のように呟いて、ぽりぽりと後ろ髪を掻く。

 ちょうどそのとき、コンコンと部屋の扉がノックされた。

「セルジュさん、こんばんは」

 半開きの扉の陰から顔をのぞかせて、コレットがにこりと笑う。いつもと変わらない詰襟の黒のロングドレスに白いエプロン姿のコレットを確認して、セルジュはホッと息をついた。

 昼間のドレス姿も悪くはなかったが、あの姿でそばに居られるのは、どうにも落ち着かない気がしていたのだ。

 セルジュが無言で扉を開くと、コレットは軽い調子で「お邪魔しまーす」と言ってセルジュの前を通り抜け、部屋の真ん中で立ち止まり、くるりとセルジュを振り返った。

 あまりにものびのびとしたその態度にセルジュは困惑せずにはいられなかった。昼間、セルジュに抱きとめられて、恥じらうように頬を染めたあの姿はなんだったのか。

 胸の奥にもやもやとした気持ちを抱えたままコレットの目の前に進み出ると、セルジュは躊躇いがちに口を開いた。

「その……今日の、昼間の練習のときだが」

「はい」

「ドレス、似合ってたぞ」


 僅かな沈黙が降りる。

 その間きょとんと目を丸くしていたコレットは、次の瞬間セルジュの顔をまじまじと覗き込み、訝しむように眉を顰めた。

「……頭でもぶつけたんですか?」

「お前は、本ッ当に可愛げがないな! 俺だって褒めるべきときは褒める!」

 ——せっかく褒めてやったのに!

 セルジュが露骨に不機嫌になると、コレットは「へぇ」と気の抜けた返事をして、それからくすりと微笑んだ。

「ありがとうございます」

 告げると同時にセルジュの胸に顔を埋め、背中に腕を回す。コレットの唐突な行動に戸惑いつつも、セルジュは平静を装うように華奢な身体を抱き寄せた。


 いつもと変わらない訓練のはずなのに、胸の奥がざわざわして落ち着かない。今夜のコレットはどこか様子がおかしいような、そんな気がする。

 亜麻色の髪におそるおそる手で触れて、セルジュはコレットの顔を覗き込んだ。

「どうした、何かあったのか?」

「……なんでもありません。ちゃちゃっと訓練終わらせちゃいましょう」

 セルジュの問いにぎこちない笑顔で答えると、コレットは顔を伏せ、ふたたびセルジュの胸に顔を埋めた。

 棚の上に手を伸ばし、砂時計をひっくり返す。時の砂がさらさらと透明な音をたてて流れ落ちていく。

 コレットの意味ありげな態度は気になったけれど、押し付けられた胸の感触に気を取られてしまい、その夜、セルジュは結局コレットから何も聞き出すことができなかった。



***



 セルジュがダンスの練習をはじめてから数日が経った。コレットの協力もあり、ようやくダンスのリードに慣れつつあったセルジュは、その日、初めてリュシエンヌとパートナーを組むことになった。

 庭園で失態を犯したあの日以来、コレットを除き、女性に接触することなく暮らしてきたセルジュは、また失態を重ねてしまうのではないかと気が気でない思いでいた。けれど、実際にそのときになってみると、意外にもすんなりとリュシエンヌに触れることができた。

 動悸が乱れることも嫌な汗をかくこともなかった。コレットが言っていたとおり、リュシエンヌと組むほうが踊りやすいようで、今日のセルジュはいつもよりずっと踊れていた。

 ふわりと微笑んで、リュシエンヌがセルジュを見上げる。穏やかな笑みを返し、ふと視線を落とすと、セルジュの身体に圧し潰されたリュシエンヌの豊満な胸が目に入った。


 普通の男ならば、この状況では股間を気にせずにいられないことだろう。しかしながら、セルジュは驚くほど冷静だった。匂いたつような色香を纏うリュシエンヌと密着していても、セルジュの男根はぴくりとも反応を示さない。まさに絶望的なまでの無反応だ。

 これまでにない爽やかな笑顔で顔を上げ、セルジュは記憶の中のヴィルジールに動きを重ねた。なめらかな動きに合わせて、リュシエンヌのドレスの裾が優雅に翻る。

 ふと目線を上げれば、ふわりと揺れる柔らかな紅茶色の髪の向こうに、ぼんやりと窓の外に目を向けるコレットの姿が見えた。セルジュの視線に気がつくと、コレットはにっこり笑って小さく手を振ってみせた。


「練習をはじめて間もないのに、セルジュさんはダンスがとてもお上手なのね」

 そう言って、リュシエンヌがくるりとターンを決める。

「この数日間、暇さえあれば踊っていましたから。それに、これ以上あいつに馬鹿にされるわけにもいきませんし」

「まあ」

 ひくりと口の端を上げてセルジュが答えると、リュシエンヌは愉しそうにくすくすと笑った。

 ダンスの練習の際にコレットがセルジュを馬鹿にしたことなど一度たりともなかったけれど、この城で再会して以来、コレットがセルジュの情けない部分を知りすぎているのは否定しようのない事実のはずだ。

 コレットのセルジュに対する評価は駄々下がりに違いないのに、セルジュのコレットに対する評価は上がりっぱなしで、セルジュにはそれがとても不公平に思えてならなかった。

「……と言うか、礼儀もなにもなってない癖に、不思議と評判が良いんですよね、あいつ」

「あら、コレットは慎ましくて可憐で機知ウィットに富んでいて、社交の場では高嶺の花だと有名なのよ」

「まさか、あんなに煩くて落ち着きがないのに?」

 さすがに冗談だろうとセルジュは笑い飛ばしたが、リュシエンヌは呆れたと言いたげに小さく肩を竦めてみせる。

「それは、そうしていればあなたに構ってもらえるからでしょう?」

「私に、ですか?」

 言われてみればと考えて、セルジュはこれまでのコレットの様子を思い返した。それからコレットのほうにちらりと目を向けて——真顔になった。

 いつの間にやらロランがコレットの隣に居て、何やら楽しそうに話をしている。以前にも増して親しげな様子を見せつけられて、セルジュは無性に腹が立った。


 ピアノの演奏が終わると同時にリュシエンヌの手を放すと、セルジュはつかつかと靴音を響かせて、ふたりの元へと向かった。

「珍しいな、ロラン」

「お疲れ様です、セルジュ」

「殿下の手伝いは終わったのか」

 さりげなくコレットを押し退けるようにして、ふたりの間に割って入る。ロランは一瞬目を丸くして見せつつも、すぐに穏やかに微笑んで、

「まあ、ほどほどに。そんなことよりも、ダンス、大分様になっていましたよ」

そう言ってセルジュを褒めた。

 ロランの褒め言葉をセルジュが鼻で笑い飛ばしているうちに、コレットはさっさとその場を離れ、リュシエンヌと楽しそうにおしゃべりをはじめていた。遠巻きにふたりの様子を眺めながら、セルジュはがくりと肩を落とした。

 あまりにも大人気おとなげない行動だった。

リュシエンヌに対しても、酷く礼儀に欠けていた。

 原因不明の感情に任せて人の会話に割り込むなんて、これまでのセルジュにはあり得ない行動だった。

 

「あの状態でリュシエンヌ様に反応しなくて済むのだから、勃起不全に感謝ですね」

「確かにそうだな」

 落ち込んだまま流されるようにロランの話にうなずいて。セルジュは勢いよく顔を上げた。

「……ってお前、なんでそれを知ってるんだ」

「カマをかけてみただけですよ。女性恐怖症だと聞いていましたし、騎士団員のみなさんが貴方は娼館に行くのを嫌がると言っていましたので」

「くそっ……!」

 ——最悪だ! コレットだけでなく、ロランにまで恥ずかしい事実を知られてしまったなんて!


 してやられた、とセルジュが舌打ちする。

 屈辱に歪むその顔を眺めながら、ロランはくすりと口の端を釣り上げたのだった。


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