打ちたる栄を

 その日、昼前の、天の頂点に陽が向かう頃。

 黒い狐の面を付けた子供達を見て、真夜は微笑む。黒稲荷高校の文化祭よりも更に盛大な雰囲気に包まれた神社は、いつも遊びに来ている時とは、また違って見えた。


「一夜君」


 本殿の中に入る一夜の背を見て、真夜は立ち止まった。隣と後ろを守る守護者の二人も、共に足を止める。人の間が尽く生まれては消える。自らの属する大宮家、その本家の当主が主催する祭りである。一夜に一言でも声を掛けねばと、真夜は駆け寄る動作で人の波を縫う。


「真夜様」


 葛木がその手を取ろうとすると、それはするりと抜けていく。何かに導かれるように、何処か操られているように、彼女はタッタッタと、屋敷の方向へ向かって行った。

 まだ、屋台の食事を全て網羅することすらしていない。不可解に対する念を葛木と光廣が顔を合わせて共有した。


「真夜様、去年はこんなだったっけ」

「いや、違う。今年はイレギュラーが多すぎる」


 光廣の問いを拾い上げた葛木は、すぐさま真夜を追う。それに更に追随する形で、光廣も沿った。人混みは少しずつ薄れていく。淀み消える先、ふと、見覚えのある顔を見た。


「安倍君」


 葛木が呟く。呼ばれたのは、安倍晴嵐。主人銃夜を共わぬ一人の、守護者の少年だった。


「やめろ、そんな皮被りで呼ぶな。龍之介」

「うんうん、そうだね。そうだ。確かに、そうだ、晴嵐」


 マスクを外した葛木の口元が、ギラリと光る。どうやら二人は、互いを名で呼ぶ程度には、見知った仲であるらしい。そのことを初めて目の当たりにした光廣は、一度パッと目を開くと、もう一度、怪訝な表情をした。

 そんな光廣を置いて、晴嵐がふと呟く。


「龍之介、主人はどうした。はぐれたのか?」

「あぁ、そうなんだ。いつもは俺達の傍を離れないのに、今日は離れた。そっちは? 銃夜はどうした? この祭りに来てるのも、初めて見る気がするけど」

「……いつもはこっちじゃなくて、白露神社の方に出席するから。珍しくこっちに来たんだが、どうも、様子がおかしい。妙に落ち着きがない」


 ふむ、と、葛木は首を傾げる。何も知らない光廣だけが、置いて行かれるようだった。


「あの、二人は、友達だったの……?」


 唐突に、光廣が問う。今それは重要なことかと、晴嵐は返そうとしたが、その前に、葛木が言った。


「アンタにわかるように説明するなら、とりあえず、そうだよ。俺と、晴嵐と、銃夜は、俺が金糸屋に来る前からお互いを知ってる。ほんの数年前、色々あったんだ。本当に、色々と」


 葛木が言葉を重ねる。それに呼応するように、光廣もほんのりと焦りと笑みを混ぜ合わせた口を見せた。


「言っておいてくれればよかったのに……銃夜様、ほら、ちょっと関わりづらい感じがあったでしょう。最初から知ってれば……」


 その言葉を遮るように、鋭く、葛木が鋭いその歯を見せた。


「俺達、そういう関係じゃないでしょ。アンタも俺に言ってないことがある。なら、俺も、必要以上のことは言わない」


 珍しい殺意にも似た圧力に、光廣は一瞬ひるんで、口を噤んだ。びくりと肩を震わせる彼を見て、晴嵐は溜息と共に口を開く。


「お前らも色々あるのかもしれないけど、今はそれどころじゃない。お互いに主人を探さないと。多分、本殿の中だとは思うんだが……」


 目の前にある、黒稲荷神社の本殿を見て、三人は全員が動きを止めた。その荘厳さ、その異様さ、その、強く体を押し出すような、来てはならぬと止めるような、その、威圧感が、体を潰すように痛い。これに魅かれるように、真夜は確かに入っていった。

 おそらくは、銃夜もそうだったのだろう。もしかすると、異夜も知らずのうちにここに来て、同じように、入っているかもしれないと、光廣は周囲を見渡す。


「何してるんだ、お前ら。主人たちはどうした」


 ふと、思考が漏れたように、三人の耳に、異夜の声が聞こえた。それは、本殿ではなく、屋台の、いつも、一夜が過ごしている屋敷の方向からである。彼自身、三人の前に、その方向から歩いて現れた。


「異夜。今まで何処にいたんだ」


 晴嵐が問う。そうすると、首を傾げて異夜は言った。


「庸介を振り切るのに、ガリュウと一緒に境内を逃げ回ってたんだよ。心配するな。一般人に見られるようなところには出てない。今はガリュウも影にいるし、シンは屋敷の涼しい場所に預けてもらっている」


 いつものことだと、何も気にしない素振りで、彼は言う。いつもの不機嫌そうな表情も変わらない。三人は異夜を見て、もう一度、本殿の入り口を見た。


『コイツはのだから、お前らと同じでに誘われたりなんてしないぞ』


 突如として頭に響いたのは、病院でも聞いた、あの真神の声である。異夜の影から聞こえるガリュウの言葉が、何度も頭を突き刺す様だった。


「……成程」


 晴嵐が呟く。ふと、何かが吹っ切れたようでもあった。いつもの困ったような顔が、少しだけ和らいでいる。


『今回の門はとびきりデカイらしい。アイツらがふらふらと誘われるのは仕方がない。お前らも、何が出て来るかわからないんだ、くれぐれも一人になるなよ。それと、仕切られた空間の中に入るなよ。迷うからな』


 ガリュウはそう唱えると、そのまま黙って、影を揺らした。異夜が少し怪訝な表情をして言う。


「十朱の三人を連れて来なくて良かった」


 あの幼い三人を思い起こして、異夜は暗闇の続く本殿を覗く。嫌な予感がした。四人が顔を見合わせて、さて、と、息を飲んだ。


「探しに行こう。銃夜のことは俺も気になる。晴嵐、一人なら、俺も着いて行こう。ガリュウもいれば、ある程度安心だろう」


 異夜は晴嵐の肩を叩いて、本殿に足を向ける。え、と、声を濁らせた晴嵐を睨んで、異夜は歩き出した。


「俺達も真夜様を探すよ。光廣君、どうする? ここに残る? 俺は無理強いはしないよ。気分悪いんでしょ?」


 暗闇に消えた二人を見て、葛木がそう言った。光廣はその彼の顔を見て、グッと口を歪める。以前、蹴り飛ばされて、それを能力で補った部分が、酷く痛んでいたのは確かだった。既に治りかけていたと思ったそれは、まだ影響を残している。またグッと唾を飲んで、光廣は顔を上げる。


「いや、行くよ。そうじゃないと、君が一人になる」


 覚悟は腹の中にあった。光廣は葛木の隣を取る。


「そう」


 葛木はただ一つ、肯定も否定も張らずに、光廣に歩幅を合わせた。





 一方の、外。鳥居を見上げるのは、少女と少年。一夜を慕う二人は、人の多くなっていく階段の下で、フセは溜息を吐く。


「……なんでまた連絡が取れないのかしら。ヒヨ、アンタ、何か見えない?」

「千里眼じゃないんだぞ。先生の様子がわかるわけじゃない」

「使えないわね」


 久しぶりにいがみ合う二人は、目を合わせることなく、行きかう群集を眺めていた。その感覚が、実に懐かしくも感じる。二人が待っていたのは、カズの従者である樒佑都である。カズのお守をしているだろう彼を待ち、数か月前に三人で巻き込まれたとある事件について、顔を合わせて話を共有する次第だった。


「やっぱり、中で探した方が良いんじゃないか」


 ヒヨが言う。だが、フセはキッと目くじらを立てて放った。


「今日だけは無理! 絶対に! アンタも絶対に行かない方が良い! 絶対!」


 剣幕に吠える彼女を、ヒヨは初めて認識する。一夜のことで取り乱す彼女は何度か見たことがあったが、それ以外に、フセが声を上げる姿が、心底珍しく感じられた。

 ヒヨは目を丸くして、フセを見つめる。答えを告げる気のないフセは、ぷいっと顔をそむけた。


「……なあ、ずっと思ってたことがあるんだ」


 ヒヨが問いを言葉にする。声色が揺れていた。フセは目を合わせずに、それでも耳は塞がずに、ただ黙って聞く。


「お前、本当は神なんじゃないか?」


 突拍子もない言葉に、フセは首を傾げて黙った。その言葉の先を待つ。耐えきれなくなったヒヨは続けた。


「揶揄的な意味じゃない。ネットスラングでもない。例えばそう、真夜さんみたいな、そんな感じ。もしかしたら、一夜だって……」


「それは、何か根拠を持って語っていること?」


 突如返された質問に対する問いに、ヒヨは年相応の、表情の濁りを見せる。その様相が、彼の目立つ青い瞳を際立たせた。


「……縁。縁が、おかしいんだ。俺の目には、縁は、人ならその人生の因縁の先へ繋がる。神なら、足掻いても足掻いても消せない理と繋がっている。真夜さんは、安倍先輩と繋がってた。でもそれは、因縁じゃなくて……絶対の理のようだった」

「話が具体的に見えて抽象的過ぎるわ」

「強固なんだ。人間の因縁なんて、案外脆くて、俺でも結べるし、切れる。でも、真夜さんと安倍先輩は……触れた時、手先が切れた感覚がした。鋼の糸みたいな。誰にも触れてくれるなというような」

「それが、一夜と私にどう関係を?」

「一夜とお前の間には何もない。いや、もっと言えば、お前には、因縁が無い」


 ヒヨは大きく息を吸う。それを繰り返した。


「お前はこの世界に、因縁も理が無いんだ。お前の家族にも、一夜にも繋がっていない。いや、そもそもこの世界の————」


 それを口にしようとしたとき、ヒヨはウっと声を落とした。その視界の中、異様な存在感を放つが、恐怖心で彼を黙らせる。。それは、フセ。威厳と、恐怖と、ヒヨが理解できないを露出させる、一人の少女。

 否、少女と言うには、少女という存在に失礼である。フセに当てはめるべき言葉は、それではない。何度もヒヨは脳内で語彙を咀嚼する。最後、見つけた言葉は、ある女の呼び方だった。


「お前、お前は————王、なのか?」


 それは『神』とも違う。一夜のようなそれではない。支配者の形が異なる。強いて言うなら、ヒヨの精一杯の経験の上では、そう、アキラ、あの医者の男に似通っている。


「何故? 何故そう思うの? 何を以って、私をそう定義しているの?」


 静かに、自分を鎮めるように、フセは一言置いた。心底小奇麗な顔をしていると思った。女の子らしいルックスだが、金の髪と青い深い瞳が、女性を魅せている。


「……似てる。支配者だ。絶対的な支配者。一夜が『神』とするなら、カズが『英雄』とするなら、お前は、『王』と言う名の支配者。女王」


 知り、感じている言葉を並べ立てる。ヒヨのいつもの知性的な雰囲気は少しだけ損なわれていた。


「細かく説明するだけの語彙を、俺が持ってない。でも、今のお前は、絶対に、俺達とは違う。ただの能力持ちじゃない。一夜以上に、カズより遥か先に、お前は何かを掴んでる」


 胸の辺りを掴む。少し高い生地のシャツが寄れた。そんなヒヨを見て、フセはフッと溜息を吐く。


「そう、、そこまでわかってるのね。前から思ってはいたけど、結びという能力は少し危険ね。縺?■縺ョ螂エ髫キに注意させなきゃいけないわ」


 聞き取れなかった言語を、ヒヨは耳を立てて再度咀嚼しようとした。その前に、フセは顔を近づけて言った。


「良い? あのね、どうせ貴方は忘れるでしょうから、本当は、私のことは気にしないでもらいたいの」


 しっとりとした少女の声だ。フセの声ではあるが、その気配は少し異なっている。


「私のことはすっぽり忘れるわ。私の名前も、私の存在も、きっと貴方は自分から消す。知っているのは一夜だけ。一夜と譛郁ェュ蜻スだけが私を忘れない。ずっと覚えている」


 またノイズが走った。何を言っているのかが、言語野に壁が生じるように、わからなかった。ヒヨは次第に、顔を青くしていく。


「陞コ譌矩嚴谿オ縺ョ縺昴?蜈医?縲√★縺」縺ィ蜈医∪縺ァ縲∫ァ√r霑ス縺」縺ヲ縺上k」


 既に何もわからないほど、フセの口からは、何もわからなかった。ヒヨは、その場にへたり込み、フセを見上げる。フセは、ハッと鼻で笑った。


「だから最初っから、アンタが何しようと、一夜にアタック決めようと、最後まで一夜の傍にいるのは私なのよ!」


 最後に吐き捨てた言葉は、完全に理解が出来た。その言葉で、ヒヨは憤りと共に立ち上がる。いつもの口喧嘩の始まりだった。唇まで声が迫って、ふと、目の端にあった存在に気を取られた。


「何をしているんだ、君達。当主様の友人だろう。祭りには行かなくていいのか?」


 丁寧に梳かれた長い髪を揺らして、初風はヒヨとフセを見つめる。そこまで印象に残るようなことはしていないはずだと、ヒヨは首を傾げた。


「貴女は確か、豊宮家の、燈籠船のお姉さんでしたよね? 俺達、樒先生を待ってるんです。カズのお守の」


 ヒヨがそう言うと、初風はあからさまに怪訝な表情を向ける。だが、矛先は鳥居の奥にいるらしく、グッとにらんだ先は、そこであった。


「いるのか? この先に、奴が」

「いるんじゃないかしら。カズが仕事の手伝いに来てるって感じだったし。佑都先生好色馬鹿も、待ち合わせるからここで待ってろって言ってたし」


 フセが言った言葉で、初風は鳥居を潜る。どうやら、大層何か彼等には因縁があるらしい。彼女から伸びる、その強く繋がった縁は、鳥居の向こうに繋がっていた。


「……樒先生のだと思う縁が、本殿の方に繋がってる」


 そんなことを漏らしたヒヨの声で、初風は走り出した。おそらく、また吊るし上げるつもりなのだろう。ヒヨとフセは合わせて溜息を吐いた。


「ねえ、メールして、うちのカフェでプリンでも食べない? 今日がら空きなのよ、お祭りに皆出ちゃってるから」

「それが良いな。あ、代金は後で払うから」


 呆れと何か他の強い共感で、二人はその場を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る