【祭り前夜の子供らは】

 夜が更け、子供らが寝静まった頃、草履の音を立てて、一夜は屋敷の周囲を巡った。その傍にはゲンと羚が連れ添う。


「こんな夜更けに僕らを連れ出して、何がしたいんだい、一夜君」


 羚がそう聞くと、一夜はふと立ち止まって、振り返った。後ろにいた羚とゲンは共に立ち止まる。二人に目を合わせると、一夜は鼻で溜息を吐く。小さな唇を動かして、一夜は言った。


「俺が何かしたいわけじゃない。ただ、寝る直前に電話でカズに呼ばれただけだ。守護者と従者の全員を連れ添って、という条件付きでな」


 一夜はゲンを見る。ゲンはふうんと鼻を鳴らしながら、何処か空中を見た。それに対して羚は、一夜に興味を示すように、顔を近づける。


「よく彼の言うことを聞いたね! 僕なら怪しんでやめとくけどな」


 羚の一言に、一夜は少しだけ考える素振りをして、言葉を落とした。


「契約的な話であれば奴は信頼できる。それに、四年間姿を消しておきながら今更俺に接触してきた理由も、何となく既にわかってる」


 これまでに重ねてきた事からだろうか。それとも、以前の事件での恩からか。とにかく、一夜はこれまで見せなかった程に、冷静に、カズを評価していた。豊宮和一が、豊宮和姫として振る舞い、姿を見せなかったことも、その理由も、淡々と想像はしていた。

 喋りながら、一夜はまた歩き始めた。その先は、屋敷の外の、神社の本殿であった。いつもは一夜が一部の仕事や掃除を行う時くらいしか入らない。人気のない静かなその場所に、羚は初めて足を入れる。ふと羚が隣を見ると、ゲンも同じだったようで、きょろきょろと周囲を見渡していた。


「宝物殿ではないから、貴重なモノは殆どない。そもそもここに神はいないからな。どれもただの飾りだ。それでも出来るだけ入れる人間は限っている」


 本殿の広い部屋に入った瞬間、一夜はゲンたちにそう言った。部屋は暗く、光源が無い。一夜の背には、壁と、一枚の掛け軸があった。


「この絵は機織りの女神である天棚機姫命だ。うちの祭神の一柱。俺は対面したことも無いが、これ自体は代々ここに飾ってある。だからここは【織姫の間】と呼ばれる」


 部屋の真ん中に一夜は座り、ゲンと羚を手招きで呼び寄せる。初めての場所の感触をどこか不安げに、二人は一夜の傍に寄った。


「裏には男神が描かれ、機織りの男神である天羽槌雄神であるとされている。だが絵を裏返しに掛けることは許されていない。それは黒稲荷神社の日誌に書かれていることで、理由は俺も分からない」


 誰かに語るように、一夜は正座でそう言い続けた。背の絵に集中をしているようにも見えるが、傍にいたゲンと羚は、一瞬の気配の動きに、耳を立てる。自分達が入って来た襖は開かれていた。そこに、一人の少年と、それを挟むように男女一組の影が見えたのだ。


「大宮家について知りたいなら、俺じゃなくて真夜に聞け。歴史についてはあっちの管轄だ。きっと、大宮家の主祭神くらいなら、ぽろっと教えてくれるさ」


 珍しく一夜が声を張った。やれやれと言った様子で、月あかりで顔を表したカズは一夜達を見る。


「俺は別に大宮家について知りたいからここに来たんじゃないさ。いや、教えてもらえるならそれはありがたいけどな」


 どかどかと遠慮もなく足を踏み入れるカズと、それに続く樒と千寿香。三人は一夜達の前に座り、一つ息を吐く。千寿香などは織姫の絵に少しだけ興味を示していたが、それに触れるより前に、カズが一夜への言葉をつづけた。


「少し、お前にやってもらいたいことがあってな。それを頼みに来た。あぁ、頼みに来たというよりも、協力を持ちかけに来たとでも言った方が良いか?」

「諄い。とっとと本題を言え。腹が立つ。それに、俺は明日から仕事だ。早く寝たい」

「そんなに焦るなよ。今のお前はあんまり眠らなくても大丈夫なんだろ?」

「…………ハッ」


 一夜が鼻で笑う。腕を組み、一回りも体の大きいカズを睨みつけた。


「俺のことはどうでも良い。本題だ。お前も言いたくて本当はウズウズしてるんだろう。言いたいことは大体わかってる。答えも用意している」


 淡々と一夜は言った。一夜の言葉を咀嚼するカズは、少々嬉しそうに、一夜に顔を近づけた。だが、フッと、急に、そこから表情が抜け落ちる。どうも話は真剣なことらしい。一夜はカズとのしばらくの沈黙に、表情一つ変えず、睨み続けた。


「……明日からの祭り中、俺の言うとおりに、儀式をしてくれ。今用意している状態から、少しだけ術式を書き変えるだけでいい。お前への負荷はほとんど変わらないはずだ。それだけアイツは近くにいる」


 カズが懐から畳まれた紙を取り出す。黙って一夜はそれを受け取ると、手元で開いて見た。


「成程、確かに俺が用意したものとそう変わらない。だが理由を聞こう。俺達も祭りを、鎮魂祭を、最初から最後まで取り仕切る者として、勝手な真似は分家や支族への立場もある。どんな些細な理由でも、明確に聞こう。その上で判断する。その理由が俺にとって大きな利であるなら、受け入れる」


 そんな建前を、一夜は吐いた。おそらく一夜はカズがこれから言うことも、全て知っている。わかっている。カズが口を開く。それと同時に、一夜も言葉を紡いだ。


「朝伏を取り戻す方法が、これなんだ」「姉ちゃんが帰ってくる手段なんだろう、これが」


 その声合わせの後、暫く、また沈黙が続いた。睨み合いと、それに伴う静けさは、互いに後ろを守る守護者と従者の気まずさを助長する。


「姉ちゃんが消えたのは三年前の明日だ。三年前の鎮魂祭。姉ちゃんの誕生日であり、成人の儀の日。姉ちゃんは消えた。おそらくは、代償に」


 一夜がつらつらと言葉を置く。それに対応するように、カズがこくりと頷いた。その場で、それを知らないのは、羚だけである。彼に説明をするように、一夜は言葉を続けた。


「鎮魂祭はそもそも盆祭りに託けた、神降ろしの儀式だ。祭りは毎年やらなきゃ怪しまれる。よって、惰性で地域の祭りとして、形だけのそれをやって来た。でも姉ちゃんの時は違った、おそらく、誰かが神降ろしを行い、神を呼んだ。姉ちゃんはその対価として消えたんだ」


 推測だけど、と付け足して、一夜は声を落とす。それにカズが付け足すように、首をひねって言った。


「いや、多分だけど、鎮魂祭のそれは神降ろしの儀式になってない。もっと近くの存在からの者と、こちらの世界の人間の、交換を行ってるだけだ」


 そう言ってカズは羚を指さす。


「時間や聞いた話からして、数年のズレを許容範囲とするならば、その時に朝伏と交換に至ったのは、羚だ」


 名指しされた羚は、少し不思議そうな顔をして、うーんと唸る。群青の目を開くと、ふむ、と鼻を鳴らして、声を上げた。


「成程。それは僕らの方の考え方としても、矛盾は少ないだろうね。僕の故郷にも、こっちの世界の神様や人々の痕跡がある。何かしらの門を通して繋がっていたとしても、不思議じゃあない」


 それに、と、羚は続ける。


「大宮家がこの世に神を降ろしたなんて歴史、実際存在しないわけだし」


 ぴくりと眉が動いた一夜を見て、羚は、言っちゃいけなかった? と、クスクス笑う。


「そもそも、神を降ろすなんて表現がおかしいんだ。『呼ぶ』だけなら、祭りという偽装をしなくても、大宮家くらいなら好き放題に儀式を行える」


 カズが足すように語る。それに合わせて、だんまりを決め込んだ一夜は、やっと唇を動かした。


「大宮家にとって、神を降ろすとは、『形を問わず、神を受肉させる』ということだ。おそらく、羚達のいる世界の住人を、俺の先祖が『受肉した神』だと思ったんだろうさ。実際にはただの死にぞこない達だったわけだが」


 死にぞこないと言われた羚は、言うね、と微笑んだ。一夜は羚が姉を身代わりに呼ばれた存在だと仮定しても、その感情が動いているようには見えない。カズには、妙に、ここ最近の一夜の脳が、人間性を欠いているように思えた。


「それで、結局のところ、俺の提案は受けてくれるのか?」


 話を切り替えてしまえと、カズは一夜に言葉をぶつける。当の一夜は少し面食らったような顔で、少し考えたふりをすると、また口を開く。


「良いよ。姉ちゃんが戻って来るなら」


 好色な返事をする一夜に、カズは良し、と歯を見せて笑う。家族のことなら了承するだろうと踏んでいたのか、契約書も何も持たずに、カズは拳を床について、頭を下げる。


「ありがとう」


 カズの勢いと、妙な誠実さに、一夜は唖然としながら首をかしげる。いつもクズがクズが保冷剤で頭カチ割って死ねと卑下している相手が、こうもキッチリしている所を見ると、非常に心臓の辺りがこそばゆかった。


「でも、その方法を取るなら、朝伏の代わりに、その、あちら側へ行く生贄が必要なわけだろ? それは誰なんだ?」


 ずっと一夜とカズの会話に耳を傾けていたゲンが、ふとそんなことを言う。それに対して、カズが前髪をかき上げながら、声を低くして言った。


「心配するな。アテがある。うちの分家から一人、父さんが見繕ってくれた」

「一姫様が?」


 ゲンの不思議そうな声も、仕方がない。ゲンを含めた子供達にとっては、一姫は今ある命を、たった一人の人間の為に使うことを許さない人物である。


「明確には父さん一人の決定じゃない。だが生贄になる本人が、自ら許諾しているわけでもない。俺達は一人の人間を騙して、観測できない彼方遠くに追いやるんだ」


 カズの言葉に、一夜がつまらなそうに尋ねた。


「そいつは一体どんな罪を犯したんだ?」

「つまらない話だ。俺達が最も尊重しなければいけない相手を、侮辱した。簡単に言えば、豊宮家の主祭神である月読尊の、その神子を自分の手で殺したらしい」

「成程。信用問題を起こした者の、処分も兼ねるわけだ」


 宮家と神の間にある信頼を覆すことは、今後の家の存続や、当代の生死にも関わることを、一夜もよく知っていた。だが、それと同時に、月読という存在が、豊宮家にかなり強く依存した存在であることも、一夜は聞いている。


「お前達が良いと言うなら、ありがたく俺は使わせてもらうだけだ。ただ、豊宮家もまあ、俺達とそう変わらない、古い考えをしているな」


 一夜がそう言うと、カズが手を組んだ。眉間に皺を寄せ、また口を開いた。


「初風の粗相については俺からも謝る。アイツは家族が宮家であるからと言う理由で、山幸彦の呪いに振り回されたことが、許せないらしい」

「だがそれは俺達が介入して、解決しただろ」

「解決した現在があったからと言って、初風の過去が変わるわけじゃあないんだよ」


 不思議そうな顔をする一夜に、カズは言った。その声は妙に重々しい。それと同時に、カズは立ち上がる。言葉が、一夜に降り注いだ。


「一夜、それがわからないなら、お前は真に人間に成れはしない。例え、一夕の全てをお前が得たとしても、その思考の底が超越を忘れられないならば、それを失わない限り、お前は人間ではいられない」


 意味を解さぬ言葉に、一夜は酷く嫌悪感が沸いた。ゾッとするほど、暗闇の中で見上げるカズの顔は、冷たかった。


「誰だお前」


 一夜がカズ、否、カズのような何かにぶつけた。後ろの従者たちは、カズの姿をした者に、平然と付き従う。気配はカズ本人である。周りもそうだった。音は等しくずれていない。ただ、一夜の耳に、カズのものと上手く重なって、妙な心音が歪む。


「死と再生を掌握し、夜に太陽という忌々しい母なる光を反射して、お前達を照らす者。天津神の中で唯一、力と願いに狂わず、宮家という修正原理を発案した者。封じられた星々の長の、最後の友人にして、唯一繋がっている縁の先」


 カズは、カズの体を借りて、こちらに語りかけるそれは、ニパっと笑って、一夜に対して手を広げる。そして、その名を謳う。


「こうして神として対話するのは初めてだね! 一夜! 僕はツクヨミ! お前のことはいつも神子達を通して見ていたよ! 今日まで元気で良いことだ!」


 月明りで逆光となる彼は、そう笑った。カズの顔だが、ガラリと印象は変わる。一夜は苦虫潰した顔で言った。


「それはわかったからその顔でその笑い方は止めろ。気持ち悪い」


 酷いなあ、とツクヨミはケラケラ笑う。子供のような、好青年の面を見せる彼は、一夜の頭に触れながら言った。


「突然意識を乗っ取られて、カズトが怒ってるから早めに帰るけどね、一つだけ、これだけは伝えたかったんだ」


 そう置いて、ツクヨミは続ける。


「明日の鎮魂祭、お前がまだ一人の人間として姉に会いたいなら、この本殿から出てはいけない。明日は全ての本性が解される。出来れば無理やり宮家の呪詛で生き延びている人間や、玉依姫のような化身や転生した神も神社の中で匿うか、亥島から遠ざけるべきだ」


 カズトにも言っているんだよ、と、ツクヨミは言う。一夜はまじまじとツクヨミの目を見た。神が入り込んでいるからか、カズの眼球はがらんどうだった。


「神が言うなら聞こう。聞いてやるから体の持ち主を解放しろ。暴れまくって心底煩くてかなわない」


 一夜が眉間に皺を寄せて、顔を近づけた。ツクヨミはまたニパっと笑うと、良いよ、と穏やかに微笑んだ。


「また神として語り合おう。一夜、お母様と弟君によろしく」


 そう言って、ツクヨミは目を瞑った。ぐらりとカズの体が揺れる。だが、すぐに体の重心を元に戻し、カズは樒のシャツの裾を掴んだ。


「お前! こういうことやるなら先に言え!」

「何のことでしょう」

「月読の因子をぶち込んだのお前だろ! 千寿香! お前もだ! 呪具使って俺の意識一瞬だけ吹き飛ばしただろ! 大事な話してんのに! さあ! 先言え! 言ってくれれば自分でやったよ! 凄く痛いんだよ! この札!」


 カズの手には、おそらく、カズの背に貼られたのであろう術式の入れられた札が握られていた。千寿香はそっぽを向き、樒もまた、白々しく何のことだとニヤニヤ歯を見せる。


「月読様への文句はノア君へどうぞ」


 さらりと、樒がそう言った。カズはむしゃくしゃした、何とも言えない声を出して、くるりと一夜を見る。


「寝付きに変なこと聞かせて悪いな。アレが俺が祀ってる馬鹿なんだ。馬鹿だけど悪い奴じゃない。アイツの言うことは聞いておくべきだと俺は思う。手伝いに来る身内には似たようなことを俺から伝えるようにするから、お前は儀式に集中してくれ」


 カズがそう言うと、一夜は首をかしげ、一度顔を振り払って言う。


「わかった。痴話喧嘩ならとっとと自分ちに帰ってやってくれ。俺はもう寝る」


 妙に素直だな、と、カズが零すが、一夜は立ち上がって、二人の守護者を率い、本殿を出る。


「お前達も早く出ろ。鍵をかけるぞ」


 一夜が、カズ達をそうやって促すと、本殿はすぐに無人になった。ふと、羚が、閉まる扉を最後まで見つめていた。


「どうかしたのか」


 ゲンが尋ねると、羚は笑う。閉まった扉に背を向ける一夜を追いながら、羚は答える。


「あの掛け軸、布が出てきそうだなって」


 そんな不思議な言葉を吐いた羚に、ゲンは、いつもの別世界の話かなと、黙って何も言わなかった。鳥居を見ると、カズ達が小突き合いながら外に出る頃である。外の階段や道路には、屋台の準備がしてあった。

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