望み故と言え
一方で、中学校の正門から分かれ、カズは樒と共に、皆とは別の道を行った。商店街を突っ切って、電車に乗る。隣町はすぐ近くだった。動く車内の中に、戌島の文字を見て、鉄の棒に頭を擦り付ける。
「寝ないでくださいよ。すぐ着くんですから」
「わかってるよ」
ゆりかごのような揺れが、カズをうつらと眠りに誘うが、それを樒が遮った。一際重い揺れが来て、動いていた鉄の塊は人の流れを作る。開いた扉から、カズが飛び出す。樒もそれに続いて、ホームに降り立った。
やたらとこちらに目をやる人間が多い。皆、樒の顔と、西洋混じりのカズの髪と目に目が行っているのだ。亥島ではそれなりに顔が割れている二人だが、一歩隣町に出れば、見知らぬ人間達から酷く奇異の目で見られる。
「戌島高校は……西口改札か」
その目を潜って、ホームの看板とにらめっこをしていたカズは、そう声を上げた。どうも、ある程度都心部になると、駅の構造が分かりづらい。階を下がったり上がったり、地図を見続けようとすれば、後ろの見知らぬ人々にジロジロと見られる。
「ところで西口改札の案内と東口改札の案内が同じ方向に出てるんだが」
カズが樒に問う。共に向く先、上の掲示板のようなものを見る。亥島がレトロなだけかもしれないが、やはり、一歩外に出ると、新しいものが多すぎて、上手く呑み込み切れないのだ。
「すみません、そこのお嬢さん。戌島高校に行きたいのですが、何処かわかりやすい改札はありませんでしょうか」
飲み込めない地の利を、樒が軽やかに、近くにいた女子大生のような女にぶちまけて、行く先を示させていた。女は友人なのか、もう一人の女と共に顔を赤らめて、早口に地図を指し示す。その指と口は熟知された道をわかりやすく教える。
「ありがとうございます。その道で行ってみます」
無駄に良い顔で、樒はそう笑い、丁度良くホームにやって来た電車に乗る二人に、笑顔を崩さないまま手を振った。電車が行ってしまえば、フッと口角を下げ、カズを見る。
「さて、行きましょうか」
いつもはただ腹が立つだけの、人外の域まで到達するその美を、久しぶりに、カズは心の中で褒めたたえる。やはり、顔面偏差値の高い従者は、使えるものだと、ほくそ笑んだ。
「使えるなあって、顔に出てますよ。女性に笑いかけるとベラドンナが可哀想なのであまりしたくないんです。次からは若が道を尋ねてくださいよ」
「顔はお前の一番使える道具なんだから良いだろ。使っとけよ」
歩き出しながら、そんな問答をしていると、しびれを切らしたように、樒は首を振る。
「何だよ。宮家に従者として仕えてるんだから道具として使われるのは当たり前だろ? 裸女家や君影家じゃあるまいし、主人にあんまり文句を言える立場じゃあないだろ、お前」
人ごみの中に紛れて、二人はそうやって、バラバラと口から言葉を吐き出す。二人とも、何処か表情は曇りがかっていた。
「従者が主人に逆らえないのは、契約書がある場合の話です。俺達の契約書は五年も前に期間満了で終わってますよ。しかもあれ、従者じゃなくて守護者じゃないですか。俺には十分に若に文句と関係解消の端を出すだけの資格があると思いますがね」
ぶつくさと樒が言う。眉間に皺を寄せて、カズの隣を歩いた。カズの方は珍しくつまらなそうな顔をして樒を見ている。
「その資格があるのに何でお前、未だに俺にくっついてくるんだ?」
主人の問いに、従者は嘘なく答えねばならない。だが、樒は、奇妙な嘘とも取れる顔で、少しだけ声を震わせて、言った。
「給料が良いので」
散々こいつにはATMだのなんだのと言われているが、はて、こいつに自分が給料を出したことなどあったか、などと自分の記憶に問いながら、カズは、ふうんと鼻で笑った。欲しいものを聞いてそれに見合う小遣いを、子供にでもやるように自分の父がやっていたなあと思い出し、カズは一つ、溜息を吐く。
改札が見えた。その先には戌島高校へ何キロメートルという表示と、都心部に特徴的なビル街が、二人を飲み込むように存在していた。
「それにしても、よくノア君だけ他の地区の高校に移せましたね。扱いは食客と言えど、宮家の関係者であることに変わりはないはずでしょうに」
樒がそう呟くと、カズのスマホが軽やかに鳴いた。画面には、件のノアのメッセージが端的に表示される。
「関係者でも、宮家の血筋ではないからな。体自体は一般人だ。筋は通る」
スマホを閉じて、カズは言う。
「ノア君は何と?」
「学校前のカフェで暇をしてるってよ」
軽々しく二人は歩く。人は多ければこちらを見ない。一人として同じ人間はいないのだ。自分から離れた人間のことなど、過ぎてしまえば忘れ行く。数十メートルを歩いて、亥島では見ない人口密度を掻き分けて、およそ学校と呼ばれる形の建物が目に写った。「私立戌島高等学校」と掲げられた門を見て、その反対側に目を向ける。
こじんまりとしたカフェは、サラリーマンなどで静かに席を埋めている。窓越しに、よく見ると、奥で一際ガタイの良い学ランの男が、ナポリタンか何かを頬張っているのが見えた。その目は金に鈍く光り、獣のような雰囲気を醸し出す。
金目のノアの存在に、樒も気付いたようで、二人は揃ってカフェの来客ベルを鳴らした。
「待ち合わせ。金目の人の所に」
カズは客案内をしている店員に、短くそう呟く。するとその店員は何か気付いたように、にっこりと笑って、どうぞ、と、奥に続く道を案内した。カズと樒の存在に気づいたノアは、こちらに手を振って笑う。
「遅かったな。次はクリームソーダでも頼もうかと思ってたところだ」
テーブル席、向かいに座るカズと樒を見て、ノアはそんな事を呟いた。共に来た店員は、ノアの平らげたナポリタンの皿を手際よく片付ける。最後にごゆっくりどうぞ、とだけ会釈して、店員はその場を立ち去った。さてと、と、ノアが手を広げる。
「報告だ。お前が再起動した
ノアがそう語ると、カズはつまらなそうに机を指でコツコツ叩いた。
「具体的な話をしろ」
「そうだな、そうさせてもらう」
問答を言う。ノアがカズの苛立ちを察して、また笑った。
「実験がてら戌島で目覚めさせたら、怯えて怯えて————ここは何処だ家に帰せとうるさかった。面倒だったから、声が出せないようにちょっと首を捻じ曲げさせてもらったよ。俺も亥島の外だと力加減が上手くいかない」
気絶ってのは難しいんだ、と、へらへら笑う。そんなノアを見て、樒は短く溜息を吐く。
「まあ、何だ、あの不老不死の人形はここの裏に置いておかせてもらったから。欠損はさせていないし、首の位置を元に戻せば、記憶が曖昧なまま、また目覚めさせられる。死体にして持って帰ることはない」
淡々としたノアの説明に、カズは眉を顰める。そしてそのまま、言葉を垂れ流した。
「つまりは、やっぱり、宮家やそれに信仰される神々の力は、特定地域で最大になり、それ以外だと狂うわけだ」
カズが断じる。その結論が出たのは、先程から機械のように呼ばれる高月というモノが、ノアの言うような動きをしたからだった。
高月は、豊宮の本家に代々所有されている青年で、およそ見た目は高校生程に見える。ただ、顔がとびきり良いわけでも、特別強い力を有するわけでもない。彼はただ、死なないのである。その身を神に食われても、体をバラバラにされて煮込まれても、他の肉を豊宮の構築で繋ぎ合わせてやれば、簡単に蘇生した。しかも、その記憶も簡単に改竄が出来、いつまでも、健全な、何も知らない青年であれた。しかし、その体や脳の動きは、何代も続けた実験で、全てが宮家の力と、ある高名な神の力によるものだとわかっていた。その再生という特性と、高濃度の宮家の力と神の力を以って、カズはそれらの特性を調べる実験を度々していたのだ。
その高月の様子がおかしかったということは、悪いのは高月ではなく、土地のそれである。
「各宮家の所在が局所的なのはそういうことなんだろうな。宮家が集まる場所には封じられた神や神の寝床も多い。お前のような魔女と違って、俺達は常に土地に縛られている。おそらくは、高月も国の外に出したら、崩壊するだろう」
けらけらとその様子を思い浮かべて、ノアが笑う。魔女と呼ばれたカズが、少し機嫌を損ねたように口を尖らせた。
「どうりで宮家が海外に拠点を持たないはずだ。宮家の力はこの土地に大きく依存してる」
そう言ったところで、また、カズはふと口を零した。
「……一夜の車酔いもそれか? そもそも一夜は宮家のいない場所に滞在した記録が無い。あいつの妙に強い力も、土地が関係しているのか?」
カズの零した言葉に、ノアはクスクスと笑う。
「それは————それは、俺からは伝えられないな。お父様曰く、それだけじゃ答え合わせにも応じられない、だそうだ」
子供らしい清潔そうな笑みではなく、心底反吐が出そうな、にたりという笑いに、ノアの表情が変わった。
「……伝達者としての仕事、最近してくれてないじゃないか。少しぐらいおまけをくれても良いんじゃないのか?」
カズのそんな声に、ノアは表情を戻して、人差し指を唇に当てる。
「俺が仕事をするかどうかじゃない。勝手に聞いて、勝手に発信しているのはお父様だ。俺の意思じゃない。俺はお父様の感情なんてわからないし、聞こえてくることしか伝えられない」
諦めろ、と、ノアは店員が運んできたパフェを見る。
「何だ、クリームソーダなんて要らないじゃないか」
カズがそう言うと、ノアはにっこりと口を開けた。
「いや、お前のだよ。俺からのおまけだ、おまけ。お前、結構甘いの好きだろ? 最近忙しそうにしてるし、支払いは俺のバイト代から出すよ」
ずずいと、ノアはカズの前に高く積みあがったクリームとアイスの層を移動させる。スプーンを受け取ったカズは、その頂点を突いて、口に入れた。
「忙しいのは仕方がないさ。鎮魂祭が近い。ようやく達成できるんだから、万全を期したい」
ふうんと、カズの言葉をノアは鼻で震わせた。
「
ノアがそう呟いた。カズは冷えた匙の先を口から抜き取って、もう一度パフェの頂点を突く。
「……何度も聞かない辺り、お前は利口だから好きだよ。お前は俺を彼女の為にお父様……月読から貸し出してもらってるわけだけど、俺は肝心の彼女のこと、よくわからないんだよなあ」
いつの間にか注がれていた水を、ノアは一口飲み込んで、また言葉を吐いた。
「この体は大宮朝伏について、覚えがあるみたいだけど、それでも繋ぎ合わされたこの目の一部分にある、何処か知らない戦場での汚れたフィルム的な、画としての彼女だ。ただ、そこから導けるのは、朝伏ちゃんがこの世界ではなく、もっと別の場所にいたってことくらいだ」
実に穏やかに、ノアは語る。その言葉の端が生まれるたびに、カズは溶ける前にと、パフェを突いていた。物思いにふけるように、カズはノアを見つめる。
「それがわかれば十分だ。違う世界にいるなら、こちらにその世界を繋げればいい。その世界について、羚や他の異世界から来た奴らが証言してくれている。その場所の座標が大体でも割り出せれば、引っ張って来れる」
その力を手に入れたのだと、カズはノアに、利き腕を見せる。へえ、と、興味の無さそうな顔で、ノアはその腕の表面を突いた。カズの腕には、以前に悪魔マモンに与えられた紋が刻まれていた。しかし、それはよく見ると、少しだけ、形を変えている。
「マモンの解呪の紋を、少し改造したな?」
ノアが笑う。カズは裾を戻して、またパフェを突こうとした。
「改造したんじゃなくて、改造してもらったんですよ。祖父の魔王様にね」
いつの間にか樒の手の中に移動していたパフェは、言葉を垂らす樒の口の中に内容物を次々と消していく。
「見モノでしたよ。わざわざ高月君の成型が終わった後に病院まで行って、笑われながら土下座しろと言われて土下座して。挙句に頭踏まれてましたからね。とても面白いものでした。俺は厳島さんとは仲良くやれそうです」
悪魔のようなギザ歯を見せて、樒はカズにパフェを取られないように上に掲げながら、そんなことを漏らした。カズは口を塞いでやろうと、パフェを取り戻そうと、樒に迫るが、同じくサメのような歯を見せて笑うノアのケラケラという笑い声に、やる気がそがれていく。
「アレは男には手厳しいらしいからなあ。娘にゃかなり甘いらしいが。あぁそういえば」
話の流れのついでと言わんばかりに、ノアがふと呟いた。
「俺じゃなく、他の神子からの話なんだが」
机に肘を置き、ノアはカズと樒に迫る。
「最近、豊宮の分家の
原罪の魔女と聞いて、カズは顔を顰める。樒もパフェを置いた。すかさずカズはパフェを自分の手に戻したが、既に底は見えかけていた。
「国津碑のやってる店で働いてる、俺の妹の情報だからな。正確なことは妹の方に会って聴いた方が良いかもしれないが、それもな、出来なくて」
ノアが少しだけその笑みを曇らせる。
「普通はあり得ないが、連絡が途絶えた。お父様にも何故彼女が連絡を断っているのかはわからないらしい。彼女は俺みたいにお父様との縁で生きているような体じゃないから、彼女が何か発信しないことにはお父様にもわからない」
つまり、と、カズはノアの言葉に付け足した。
「神子が殺されたか。最悪だ。よりによってやったのは豊宮家か」
カズは机をコンコンと指で叩く。ノアが頷いた。
「俺達神子は、死と再生の神である月読の化身や、胎児のときに因子を埋められた分裂体、死体を縁で紡いだ生き人形。どれであっても月読の子であることに変わりは無い。神の力を持つ時点で、弱点を知ってる豊宮家でも無けりゃ殺せねえよ」
ノアがそう牙を魅せる。カズに対してではない。おそらくは、その、神子として繋がっていた、妹と呼んだその女に、何か、感情があったのだろう。
「そもそも今の豊宮家に弱点が知られているのは、豊宮家が月読を裏切らない、月読が豊宮家を助けると契約したからだ。神とお前らとの信頼で成り立つ関係だ。これを裏切ったかもしれない国津碑は拙い」
そんなノアの言葉を、カズは考え込むように、噛みしめる。だが、熱を出していたノアは、スッと冷めた様子で、またケロっと笑う。
「こんなところで話しても仕方がないな。豊宮家が関わる話だ。一姫様や、今丁度亥島に来ている初風にも伝えないといけない。もしもそこに原罪の魔女が加わっているなら、それこそヴィヴィアン様やあの魔王にも関わる」
さあ、帰ろうと、ノアは立ち上がった。
「高月の話だけここでしようと思ったんだけどな。悪い。流れでつい、お前だけが抱え込むべきじゃない話までしちまった」
黒稲荷高校の学ランのポケットから、ノアは財布を取り出す。テーブルの上にあった伝票を持ち、レジまで指をさす。
「お前は今は、朝伏ちゃんのことだけ考えろ。事が一番近いのは、そっちだ。豊宮家の話だったら、一姫様でも解決できるし、俺以外の神子も招集できる」
だから気にするな、と、ノアはレジの前で財布の中の札を数えた。少しだけ青い顔になって、ギラリと歯を見せる。嫌な予感を見せて、ノアは言った。
「ところで樒先生、二千円くらい無い?」
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