かがち喰い

 足音の後、また、個室の扉が開く。全員がそこに注目すると、そこにいたのは、この亥島にいるには、少々、意外性を持つ人物であった。


「これは驚いた。まさか、皆様お揃いだとは」


 黒く長い髪に、日焼けした肌とそれに映える炎の瞳。件の燈籠船の色を見せる女性は、あの海での姿とは違い、爽やかなワンピースを着込んで、控え気味な化粧をして、そこに佇んでいた。その腕に抱えられた花束と、几帳面に包装された菓子折りは、ワンピースの淡い色と相まっている。


「豊宮家分家、燈籠船当主代理の豊宮初風です。当主から改めて大宮真夜様に謝罪を承りましたので、これを以って謝罪とさせていただきます」


 形だけ、ですが。

 最後に一つそう付け足して、三つ編みで纏めた長い髪を、ゆらりと揺らす。ふくよかな胸囲に目が張り付く者が一部いるが、それも気にせずに、初風は笑った。


「ありがとうございます。豊宮家も体裁を保つのは大変なんですね。貴方達って、結構、こういうの気にしない人達だと思ってたのに」


 皮肉か本音か、真夜は受け取った菓子を眺めつつ、そんなことを言う。少しの溜息を置きながら、初風は満杯になりつつある花瓶に、自らが持って来た花束を雑に詰め込んだ。


「支族の中には他の宮家の血を継いでいたり、古い思想の人間もいますから。それに、彬人も私も、貴方達程じゃなくとも、若い方なので、舐められるんですよ」


 水が溢れつつある花瓶に、何とか収まった花達を撫で、初風は淡々と語る。その手が、酷く荒れていることに気づいた。それはおそらくは、塩水と日の光によるもので、一夜達が持つような、試練の跡ではない。彼女らが超えた壁は、常に、一夜達と似た、生死の境ではなく、身内からの鋭い言葉だろう。


「まるで豊宮家が革新的な思想だとでも言うようじゃないか」


 一夜が一口吐くと、すかさず、初風は答える。


「そう言ったつもり。兄貴の代理の謝罪は済んだ。それ以降に何を言ったって、私の勝手だ」


 何か反吐でも捨てるように、初風はそんなことを口にする。


「大宮家や千宮家の思想は酷く古臭くてやってられないと思うし、咲宮家の男はべたべた触って胸と顔ばかり見てくるから早く滅亡しろとも思ってるよ。日宮家のジジイはあの歳で未だに次々後妻に子を産ませて、まるで汚い鼠のようだ」


 淡々と、毒と泥を吐く彼女は、一つの恨みを以って、言葉を連ね続ける。その目は少し濁って見えた。

 一夜は、ふむ、と言葉を飲む。初風が言った言葉に、嘘は無い。一夜も何となく思っていることである。そもそも、一夜や大宮家全体が他家の中でよく交流があるのは、血縁のある千宮家、比較的近所に本家を座す豊宮家と月ノ宮家程度なのだ。他の三つの宮家の印象など、あまりにも薄すぎて、初風のようには語れない。


「大宮家と千宮家が古い思想なのはよくわかる。こっちもそれで散々に振り回されてるからな」


 銃夜がへらへらと初風に笑う。キッと顔を顰めた初風は、それに呼応するように鋭く口を開いた。


「兄弟姉妹を殺して生き残っている鋸身屋の若当主様が何を言っているんだか」


 上面の、印象だけで語る初風の言葉に、すかさず晴嵐が反論を唱えようと構える。だが、それをわかっていたように、銃夜が手で前に出るのを防いだ。

 自分が贄にならないために、他の肉親を贄にする。確かに、鋸身屋はそういった家系であることに間違いはない。ただ、そのように知る一夜も、銃夜という人間は、何処かそういったものとは別枠の存在であると、気づき始めていた。一夜も、おそらくは初風も、大宮銃夜が鋸身屋でどのようにして当主になったのかは知らない。銃夜が長男なのか、一人息子だったのか、兄弟姉妹は殺したのか、自分も贄の一人となったことがあるのか、彼の過去を知らぬ一夜達には、その経緯を語れない存在であった。

 ただ、銃夜は初風の暴言に同等の仕返しすらもする気がさらさらないようで、睨む晴嵐の腕を引いて、ケラケラ笑うばかりだった。


「もし仮に俺や他の大宮家の分家、本家が皆、兄弟姉妹を殺していたとして、それを嬉々としてやっていると決めつけるのは良くねえな。寿命然り、生まれる家然り、親然り、自分の人生なんてのは、自分で全てが決められるわけじゃないんだからさ」


 そうだろ? と、銃夜は初風を笑う。はあっと初風が溜息を吐いた。樒の件から感じていた事ではあったが、初風はどうも、ケラケラと笑う男や、その他一定の不快感を持つ男が許せないらしい。言葉を返すこともなく、初風は一本、花を引き摺り出して、握りしめた。その表情が酷く怒りに満ちたものに見え、背筋に悪寒を持つ。


『何だ、さっきから殺気ばかりでおちおち寝てられねえ』


 ふと、部屋の低い方から、低く唸るような反響音が聞こえた。そちらの方に、全員が顔を向けると、その先にあったのは、異夜のスカートであった。


『お嬢ちゃん、あまり横暴なことを言うな。家族をに弄ばれて、気が立っているのも分かるが』


 異夜のスカートの中。否、影の中、その声は続ける。


『弄ばれている、というのの、格が違うぞ、こいつらは』


 その気配は、燈籠船で感じた、異夜の異質な影の声。獣の姿の影が、こちらに揺れて睨みを利かす。


『実害も被っていない小娘が、こんな餓鬼共に諭されているのは、実に滑稽なことだ。語るなら、もっと感情を抑えて語ればいいものを』


 笑うように、それは謳う。眉間に皺を寄せた異夜が影を踏みつけて、黙らせる素振りをするが、それは一向に消える気配が無かった。

 睨む時間が、ただただ長くなっていく。初風は押し黙って、何も言わない。暫くの時間、動かないモノの中、一夜が短く溜息を吐いて、適当に皿の中の林檎に被りつく。

 そんなときであった。ガラッとまた扉が開く音がして、白衣の巨体を現す。


「失礼、大宮嬢。管理課の調査員が面会に……」


 再びのアキラとの顔合わせに、一夜は一瞬驚くが、林檎の欠片を飲み込んで、首を傾げるに留まる。


「そういや、面会に来てる奴らが先にいたな。すまないが、ただ駄弁ってる奴らはもう帰ってくれないか。こちらの面会者は仕事でな」


 アキラはそう言って、親指をその背に向ける。そこにいたのは、黒の短髪と、炎のような燃え上がる橙色の瞳を持った、青年であった。その青年は喪服を着込んでいるのにもかかわらず、何処か軽そうな印象が見受けられる。何より、一夜は、その青年の全体的な形が、彬人に似ていると感じた。


「燈籠船の一件についてと、その他諸々の話を聞きに来ました。任意ではありますが、出来るだけご協力願います」


 声色が、やはり、彬人に似ている。一夜は、すかさず初風を見るが、彼女は平然とまだ、花瓶の前に佇んでいた。


「あぁ、大宮一夜君と、その守護者の稲荷山羚君と、あとは、そこにいる豊宮初風さんも、丁度良いので一緒にお話聞かせていただけますか」


 にこやかに、彼はそう笑う。それ以外は出ていけということらしく、青年とアキラは扉を開けたまま、異夜などに廊下に出るように手を出した。


「真夜さんの守護者のお二人も、出来れば外でお待ちいただけるでしょうか。何、これと言って別に、変なことをするわけじゃないですよ。屈強な女性二人と、意味の分からない少年二人に挟まれちゃ、指一本触れません」


 そうでしょ? と、銃夜とはまた違った、へらっと舐め腐った言語を、青年はぶつける。


「すぐすみますから。ご協力を」


 裏の何かを秘めて、青年はまた笑った。隣で、アキラがへッと、唾でも吐くように、何か嘲笑うように眉を顰めている。


「異夜、銃夜、他の奴らも出てってくれ」


 一夜がそう唱える。異夜と銃夜は面食らったように目を丸くするが、それに対して、一夜は言葉を吐いた。


「俺もこいつの話が気になる。どうせ、ただの陰陽師じゃないんだろ」


 ばっさりと切り込んだ一夜に、青年はクスっと笑って返す。


「ご当主様の命令だ。食堂で暇でも潰そうぜ」


 異夜が一声鳴いて、言われたとおりの人間だけ、病室に残していく。最後、扉を潜ろうとする光廣が、真夜を見た。


「大丈夫よ」


 真夜がふわりと笑って、守護者の二人を送り出す。それを見て、光廣は障りのない表情で、部屋から飛び出る。全員が出ていった部屋、するりと入ってきたのは、喪服の青年と、アキラである。


「何故主治医でもない医者まで一緒にいるんだ」


 一夜が問うと、勝手に見舞い用の椅子を引き摺り出していたアキラは、ただ答えた。


「部外者じゃないからだ」


 二つ、用意した椅子のうち、一つは青年に。そして、もう一つは初風に見せる。


「お嬢さんも座ったらどうだ? あまり体調が良いようには見えないが」


 背もたれをとんとんと叩いて、合図を送る。初風は黙ってそこに座った。丁度、青年の隣に座している。その様子を向かえで見る一夜には、やはり、日焼けをした血色の良い肌こそ無いが、何処か、青年が彬人に近いように見えていた。


「あー、羚と師匠せんせいは椅子足りないんで立っててもらって良いか?」


 突然、砕けた言葉で、ぼろぼろと口を動かす青年は、雰囲気だけは変わらず、酷く一夜達の精神を掻きむしるようである。


「それじゃあ、俺は管理課の調査員を務めている、豊宮とよみや淳史あつしだ。早速で悪いが、色々と根掘り葉掘り聞かせてもらうから、よろしく」


 豊宮という名に、一夜がぴくりと反応し、口を零した。


「豊宮家の人間が陰陽師をしているのか? 燈籠船と血縁のように見えるが、燈籠船の出身か、お前」


 一夜がそう聞きただすと、淳史の隣で、初風が淳史に目を合わせる。だが、それにも動じずに、淳史は笑った。


「豊宮という名は、俺の本当の名前じゃないんで、ここで気にすることじゃない。名乗り直すなら、俺の名は沢山ある。焔朱王えんしゅうおう、四番目の魔王、火焔の使、カグツチノキミ……」


 だらだらと続ける彼を、一夜が睨んで制止する。場を改めるように、手ぶり身振りで、淳史はまたへらへら笑いながら言葉を口にした。


「ま、そこの体のデカい神野彰だとか、厳島だとか、色々名乗ってる魔王様と同じような感じだと思ってくれていい。昔、生きてた場所で、ちょっとばかし、誤解を生みやすい名を貰っちまっただけだ」


 とにかく、宮家とは関係が無いと、淳史は弁解を続ける。始まらない話に、一夜がまた眉間に皺を寄せて、唱えた。


「言いたくないなら別にちょろまかすみたいな言葉を使わなくていい。とても気分を害するからな」


 睨まれた淳史は、委縮するでもなく、ハハっと笑って、後ろを向いた。その先、アキラを見て、もう一度笑う。


「こいつ、噂には聞いてたけど、なんかいつかのアンタの上司みたいな奴だな! 餓鬼の癖に生意気で言ってることが支離滅裂! 恐怖政治を敷くタイプ! 良いね! 俺お前みたいな奴扱いやすくて大好き!」


 ケラケラ立て続けに笑う淳史の背を、一夜の苛立ちに呼応するように蹴り倒す。


「悪いけど、早く話終わらせてくれない? 長いんでしょ? 僕達、この後結構忙しいから」


 よろしくね、と、羚が微笑む。似たような表情で、真夜も淳史を見ていた。背を蹴りつけられた淳史は、痛みというものを知らないのか、ゲラゲラ笑いながら、身を起こして、一つ、深呼吸を置く。すると、すぐに喪服の懐からメモ帳を取り出し、それを読むように、真夜に言葉を向ける。


「あー……本当はもう少し色々と雑談を入れてやりたかったんだがな。良いや、こっから全員に色々と聞くから、黙りたければ黙って、答えたければ正確に。これでも仕事なんでね」


 ネクタイを引き締めて、淳史は言う。袖から出したボールペンを手に、首をかしげながら、問いを零し始める。


「大宮真夜さん、君は、今、どういう状態なんだ?」


 妙に曖昧な問いに、真夜は首をかしげながら答えた。


「私は私よ。大宮真夜という一人の少女、人間」


 一度黙って、淳史はもう一度唱える。その表情からは、軽率そうな言葉は、出そうになかった。


「それは、君は、豊玉姫の妹としての君が、存在しないということ?」

「いいえ。豊玉姫が姉さんであることに変わりは無いし、海夜が私の双子の妹であったことに変わりは無いわ」

「……つまり、どういうこと?」


 淳史が問い、真夜が語ろうとすることに、一夜も興味があった。耳を研ぎ澄ませる。それに嘘が無いかを、一夜は聞き入るのだ。


「世界が重なって存在しているのよ。神々の世界にいる私と、この人間の世界にいる私が、同時に、同じところに、一緒に存在しているの」


 ねえ、と、真夜は一夜に向かう。一夜は一度だけ首をかしげると、あぁ、と、納得したように言った。


「……陰陽師たちが何処まで解答を得ているのかは知らないが、この世ならざる世界が見える者と、そうでない者の違いは、どれだけ遠くまで見渡す目を持っているかという問題だ」


 一夜は手に持っていた林檎を指さす。


「例えば、この林檎は、普通の人間にも見えているものだ。勿論、俺達にも見えているし、今、俺が食っていたように、干渉したり影響を及ぼすことも、生きている人間なら、簡単にできる。それは、俺達人間にとっては、生きているということが、この林檎の存在する世界と、同じ世界に存在するということだからだ」


 欠片を放り投げて、一夜は飲み込む。すると、自らの影から、一本、人間の腕を取り出した。明らかにそれはこの世ならざるもので、おそらくは、一般的な人間には見えないであろうモノ。


「これは俺に加護を与える神の腕だ。これを普通の人間が見ることは出来ない。それはつまり、普通の人間は、この神が存在する世界には、存在していないということであり、更には、その世界を見るだけの、ある一定方向の視力が無いということだ」


 わかるような、わからないような、そんな文章を並べる一夜に、淳史はそれで? と返す。淳史の言葉に、ムッと顔を顰めながら、一夜は続けた。


「多少話が逸れたが、要は、神々と俺達人間とでは、生きる世界がそもそも違うんだ。俺達視点で生身を持って生きるには、この世界に存在する必要がある。だが、そこに、存在が一つでなくてはいけないなんて制約は無い。人間として生きる世界の下地に、真夜は、神々の世界で生きる体を持っている」


 よって、そういうことだと、一夜は言った。淳史がメモ帳を放り投げて、首を傾げながら、笑った。


「俺にはよくわからんが、君の証言は録音させてもらったし、解釈の問題は管理課うちの研究部に任せるとして、次の質問に移ろうか」


 いつの間にかあったICレコーダーに、一夜は眉間の皺を深くしながら、その、次とやらを待つ。


「これは全員に聞きたいんだけど、君達の身近で、今の年齢が十三歳から十七歳で、失踪した宮家の人物って知らないかな」


 燈籠船の話からそれて、急なカーブを投げつける。淳史は笑うようで、笑っていないのがわかる。


「……? 支族まで含めれば、いくらでもいるだろ」


 一夜がそう答えると、真夜も頷いた。だが、その答えを知っていたように、淳史は続ける。


「じゃあ、三年から二年前の間に、急に消えちゃった、それくらいの年齢の子は? 当時は十一歳から十四歳くらいだと思うんだけど」


 考えて、考えて、黙る。思い当たることも、わからないことも踏み潰して、黙っていると、淳史がまた付け置いた。


「あぁ、あと、大宮支族の安倍家と、しきみ野菊のぎくと、オシラサマ、九頭龍、月読命と過去に関わりがある人物」


 ぴくりと、一夜が眉を動かす。すかさず、淳史が言った。


「俺が今日聞きたいのは、燈籠船の話じゃないんだよ。俺は、神を食らう化け物『神喰かんばみ』の正体を探りに来たんだ」


 淳史は目線を一夜の赤い瞳に落とす。あぁ、捕まったと、一夜は悟る。

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