崇め夕立ちを

 喉にナイフでも突きつけるように。淳史はやはり、羚と、アキラと、同じ側の人物である。狂の犬の如き動きで、言葉で、突然何を仕出かすかが分からない。あまり好まれる性格では無さそうだが、攪乱の騎手としては素晴らしいものだった。


「何か、知っているのなら、話してもらわないと」


 ぎょろりと動物的な淳史の目が、一夜の目を追う。一夜の中でも、それが、事実として成り立つかを咀嚼する。結果、それが、一本の道筋としてはあり得ると判断した。


「黙秘する」


 一夜が発した音は、それに尽きた。淳史がぱちくりと目を丸くする。


「お前は黙りたければ黙れと言ったろう。だから黙る。ただ、もう目に見えてわかっているようだから、これだけは言おう。俺はその条件に当てはまる人間を知っている。知っているからこそ、言わない」


 一夜が立て続けに唱えた言葉は、淳史にぶつかっては堕ちた。淳史はそれを拾い上げて、観察でもするように首をかしげて悩むフリをすると、また笑う。


「そうだな! 黙れと言ったのは俺だからな!」


 素直なのか、それとも、一夜が黙ると知っていてそう言っていたのか。どれかこそわからないが、彼は一夜の何かを知っている。それだけは、互いに、目を合わせて解した。


「……真夜についても答えた。説明もした。お前は神喰かもしれない者の近辺を確定させた。そこまでお前に利益が出たんだ。俺の利益になることを一つ答えろ」


 一夜が静かにそんなことを言うと、淳史は、良いぞ、と軽々しくも一夜の言葉を拾い上げる。


「権限上で俺が答えられる範囲になるけどな。一応、こんな態度でも組織の犬なんでさ」


 淳史が笑う。一夜が睨むことに変わりは無いが、後ろ、真夜も威嚇を示すように黙っている。


「神喰を見つけたところで、お前達はそれをどうするつもりだ」


 一夜の問いに淳史は間髪入れず答えた。


「殺す」


 隠すこともなく、黙ることもなく、ただ事実を述べた。それは感情を落としたような、稀に、羚が見せる殺人者の表情である。動いているのは口だけで、それ以上が、無い。


「何処へ逃げようと、最愛の人が居ようと、孤独だろうと、高貴な身の上であろうと、明日死ぬ病に侵されていようと、胎に子を抱えていようと、赤子だろうと、家族の目の前だろうと、かつて俺が愛した人だろうと」


 迷わずに、表情を変えずに、淳史は言った。


「俺が殺す」


 淳史の獣の目は、ただ爛々と輝いていた目は、一夜を映して事実のみを置いて濁る。人間性の欠如と、愛情の濁りと、少しの迷い。一夜の耳に響いたのは、彼が嘘を吐かない者であることと、そんな、酷く醜い異質な精神を持った化け物のような優しさが持ち合わされているという事実である。酷い疲労感が駆け抜けた。


「……そうか」


 一夜はそれ以上、どうとも言わない。ただ、こそばゆい耳の中の不快感と戦った。


「神喰はその名の通り、神を食らい、神となろうとする化け物だ。宮家の血からしか生まれないし、神喰が死ねば、次の神喰が生まれる。いたちごっこをするしかない。昔、一度だけ、神喰が神となってこの地域に被害を出したことがある。もう二度と同じことにならないよう、俺がずっと殺して回ってる」


 淳史が一つ置いて、また語る。


「まあ、一応、チームは組んでいるけどな。殺し慣れてるのは俺くらいしかいないんでね」


 軽々しい笑みをまた浮かべた。軽々しく殺意を語る彼は、初風と意思も無く目が合うと、にこやかに笑って返す。初風は少しだけ考えた様子を見せた後、ぷいと目を反らして一夜を見た。


「私の祖父が君の機嫌を損ねたならすまない。この人は意識していないでもこうなんだ」


 指さして淳史を私の祖父、と語る初風が、そう言って一夜に言葉を突きつける。


「祖父……祖父?」


 一夜が聞き返すと、初風は悪びれもなく、固まる淳史を他所に、また言葉を繋いだ。


「この豊宮淳史という男は、燈籠船の女と結婚して、子供を設けている。その子供のうちの一人が私と彬人の父だ。私と彬人は本家の若様と同じく、異界の客人、魔王の孫にあたる」


 しれっと言葉にする初風に、淳史は隠したかったのか、それともあまり明言すべきことではなかったのか、冷や汗に塗れて対面する。後ろで一夜達に背面を見せて声を殺すアキラの肩は震えていた。


「勝手に宮家に血を入れそれなりに宮家内で暴れた償いに、この人は神喰を殺す仕事をしている。だから出来るだけ答えてやって欲しい。神喰で祭神達に小言を言われるのは宮家の本家に座す君も嫌だろう?」


 関係のない話ではないのだと、初風は釘を刺した。淳史の方は一夜が拾い上げるのを待っていたが、初風は続ける。


「既に豊宮家は主祭神の月読命が、本家の若様にぐちぐち言っているらしい。何より今回の神喰は特殊で、動向がよくわからないそうだ。もし君の身内なのであれば、君に加護を与える神々を食らう可能性もあるし、何なら、そこの女神様だって食われる可能性がある」


 当たり前のようにするすると是を言う初風を止めるように、淳史が唸った。


「つまり、そういうことなんだ。それにだ、神喰は神を食らう程に理性を失い、本能のままに人間すら襲う時もある。それが神になりかけている時だと、本当に手に負えなくなる。そうなる前にもう一度聞きたい」


 淳史はもう一度唱える。浮ついた印象が過剰に重くなる。初風の目と、淳史の目が同時に、一夜を見据えた。


「君が神喰と思う人物は、誰だ」


 天地を返すように、ぎゅるりと一夜の胃が傾く。真夜が一夜の肩に手を置いた。それで決心がついたのか、一夜は一つ溜息を吐いて、口を尖らせた。


「お前がその人を殺さないと誓うなら話す」


 既に曝け出しているようなものだった。ここまで語って、隠し通すことは出来ないと思っていた。ただ、おそらくは、この男は、確信を得たいのだと思えた。


「話が並行してしまうな。俺は知れば絶対に殺すよ。多分、その人にとっても、狂う前に殺してやるのが良いし」


 淳史の発言で提示されたのは、狂ってまで生きたいか、願い叶わず狂い続ける生物になっても生きたいか、そんな問いである。八百万の神々というものは、絶対に叶わぬ願いを持って、ただ永遠を生き続け、耐えられない時間を生きる生物である。影で共に生きる一夜には、神という生物の、その異質性と悲劇的な精神が理解できた。故に、淳史が言うこともわかる。


「……神になっても生きていて欲しいと、周りが願っているんだから、殺して良いということにはならない」


 一夜がそう言うと、淳史は肩をすくめて笑った。


「例えその人が世界に必要とされる善人だとしても、俺は平等に殺すよ。言っただろ、さっき。それが嫌なら黙ってていい。交渉にもならない。まあ、今回のことで、君の周囲をざっと調べさせてもらうことにはなるだろうけど」


 せいぜい頑張って隠せ、と、淳史は笑う。爛々と輝く炎の目が際立つ。一夜は溜息でそれに返した。

 ふと見えた羚と目を合わせて、一夜はもう一度首を振る。


「隠すどころかお前ら全員ぶち殺してその辺の神の生贄にしてやる。とでも言いたいが、そうも出来なさそうだな、お前も」


 髪をかき上げた一夜に、また淳史が笑った。羚とアキラを合わせて、一夜は睨んだ。


「俺も淳史も羚も、そういう生物だ。仕方がない」


 アキラが卑しく笑いながら、一夜を見た。軽薄そうな笑みというより、何処かの独裁者を思わせる笑みである。ただ、その一言を、一夜は拾い上げて問う。


「お前らってなん何だ。魔王だのなんだのと、勝手に掻き回しやがって。お前らは生物の音がしないから嫌だ。神々よりも気味が悪い。井戸に沸くヒルみたいで、生理的に好かない」


 反吐のように言葉を吐く一夜に、ククッとアキラが笑う。


「だろうな。俺達はお前よりも低次な世界に生きていた者だ。そう思ってもしょうがない。特にお前はそう言う感覚になるだろう。死なないだとか、変なことを口走るだとかも相まって」


 アキラの言葉に、一夜は溜息で返した。ふと、淳史のスーツの裾から、バイブレーションの音がして、皆がそこに反応する。


「ん……俺は今日は時間切れだな」


 誰からかの呼び出しだったらしいそれを握って、淳史は言った。


「この辺りでお暇させてもらうよ。それじゃ、また」


 淳史が座っていて折れた裾を直して立ち上がる。


「もう二度と顔を合わせたくは無いがな」


 一夜がそう捨てると、淳史はハハっと笑って歩く。個室のドアを開いて、廊下に出ると、一つ深く頭を下げて、また歩いた。ドアは自然に閉まって、パタンと音を立てる。

 外はもう既に夕方である。カーテンの外から眩しく赤い光が漏れ出していた。一夜がそれを眩しそうに見ていると、遠くからパタパタと足音を聞く。


「真夜お姉ちゃん! お話終わった!?」


 聞き覚えのある声と、深い緑の瞳が、朗らかに笑う。制服姿の真樹がひょこりとドアの隙間から顔を見せた。その後ろ、ヒヨとフセも顔を覗かせて、一夜を見る。


「あら、今日はお客さんの多い日ね」


 真夜がそう言って、手招きで三人を迎えると、真樹はわき目もふらずに真夜の傍へ駆け寄った。一夜は座っていた椅子を片付けると、これ見よがしに胸に抱き着く真樹を見て、鼻で笑うような溜息を吐く。


「真樹ちゃんは今日も元気ね」


 ぽんぽんと真樹の背を叩く真夜は、幼い容姿の真樹と並ぶと、妙に、『お姉ちゃん』というような雰囲気を見せる。


「真樹ちゃんは本当の弟みたいで可愛いわ。一夜君や一夕君も昔は弟みたいに甘えてくれたのに」


 真夜が言うと、真樹は一夜を見て、首を傾げた。


「そういえば一夜君って真夜お姉ちゃんと従姉弟同士だよね? お互いに昔のこと知ってるの?」


 無垢なる表情で、真樹は唱えた。ただ純粋に、知らないことを聞いただけであるが、一夜は少し訝し気に口を開く。


「真夜は知っているだろうが、俺は知らん。俺は一夕が眠り始めた日より前の記憶が曖昧で欠落しているからな」


 淡々と、一夜が述べると、また真樹は首を傾げた。


「一夕君って、改めて、誰? 何で君は記憶が無いの?」


 真樹の無邪気で、愛すべき好奇心に、一夜は初めて嫌悪を抱く。それがよく顔に出ていたらしく、ヒヨとフセが、二人の間に割って入った。


「一夜、真樹は一夕についてあまり深く知らない。ここ最近は話題にもしていなかったし、寛容になれ。俺達が話していなかったのが悪い」


 ヒヨがそう言うと、一夜は機嫌を直すことは無いまま、目を背けて、真夜を見た。


「多分、俺より一夕の方がお前によく懐いていた」


 一夜は真夜にそう言った。真夜は、えぇ、とだけ頷く。そのまま続く一夜の言葉を、皆が耳にした。


「一夕の印象は真樹に似ている。俺より他人に寛容で、悪戯が好きで、胸の大きい女が好みで、自分の見た目と年齢が武器になることをよく理解していて、テトリンの酒場で常連によくお菓子とかお小遣いを貰ってた」


 それは真樹が夏休み中、夕方から夜にかけて、一夜と共にテトリンの店に夕飯を食いに行くとき、やっていることと同じであった。真樹は目を反らす。胸の大きい女が好みであるというのも、真樹と通じていた。


「それと俺より女にモテた。人間の女にモテた」


 一夜はそんな事を言って、虚無の目で真樹を見る。朗らかな笑みのまま、真樹は尋ねた。


「一夜君女の子にモテたいの?」


 真樹は同時にフセを見るが、一夜は目線を反らさずに言った。


「いや、全く。単純に、一夕は双子で、俺と同じ顔なのに、何故か一夕だけモテたんだ」


――――それは君の発言と立ち振る舞いのせいだと思うよ。

 そう真樹は言おうとして、口を手で隠し、止めた。実際、真樹は一夕を見たことが無いが、双子で、一夜とそっくりの見た目だとするならば、そこまで美麗な顔ではないだろう。年齢を加味して、おそらく、可愛い系というやつである。一夜は顔と体格に似合わない殺気と威厳をその身に常に纏わせていた。おそらくは、一夕の方は、一夜と違い、年相応の態度と雰囲気だったのだろう。印象の違いというのが、ハッキリと、それで、見えた気がした。


「……そこまで言えて、一夜君はその、一夕君が色々あった日より前のことがわからないの?」


 導き出した問いを、当たり前のように口に出す。答えを知るのは一夜本人でしかない。未だ自分が一夜にとって、この亥島の子供達にとって、赤の他人であり、よそ者であることを、真樹は痛感していた。一夜の答えを聞くしか、真樹は一夜を知っていることにはなれない。


「そういう存在だったということは知っているんだ。ただ、どう過ごしただとか、記録にあたる部分がごっそりと無い。何なら、真夜と海夜のことは存在すら忘れていたし、知っていたはずの、宮家の構造もよく覚えていない。印象という形では存在するが」


 故に、と、一夜は続けた。


「一夕は俺の大切な双子の弟だということは知っていても、何故そう思うのかは理解が出来ていない。心の底からアイツを死なせてはいけないと思っているし、早く目覚めさせたいのに、何故眠りについたのか、何故アイツを生贄にしてはいけないのかもわからない」


 本能に近い、と、一夜は語る。根本を知らないことの、不安感を、漏らす。狂心の根本とその思い出の虚無に、真樹は頷いて、何となく納得したフリをする。


「ヒヨ君やフセちゃんや真夜お姉ちゃん……あと、多分知らないとは思うけど、アキラ先生とか、初風お姉さんは知らないの? 一夕君が眠っている理由」


 真樹が尋ねると、初風を一夜が睨んだ。だが、初風はさも当たり前のように真樹に放つ。


「知らん。私は今回の事件以前に大宮家と関わったことが無い」


 アキラは、と、目を向けると、アキラも肩をすくめて知らないと示した。


「フセとヒヨは知らないはずだ。知っているのは、多分、元治と一部の大人だけ」


 一夜がそう言って真樹の動きを止める。口を動かしかけたヒヨの目も泳いで、時が止まったようだった。


「おそらくは俺か元治が何かしらの儀式を行い、それの失敗によって一夕は眠った。今はこの病院で眠っている」


 もし俺が原因だったら、と、一夜は呟くが、それ以上の発言を止める。それは、ドアを開ける音。一人の男が病室に入る音であった。


「何だ、お前ら、まだ居たのか」


 文夜が面食らったようにそう言った。アキラを見ると、溜息を吐く。その様子は、何処か一夜と似ている。


「アキラ、もう時間が遅いんだから、帰してくれれば良かったのに。銃夜達はとっくに帰ったぞ」


 夕暮れの色が濃くなった外を見て、文夜は言った。さして珍しくもない面々を見て、続ける。


「面会時間は終わり。テトリン佐々木から一夜達が帰ってこないと連絡が入ったんだ。そろそろ帰ってもらおう。もう夕飯の時間だ。俺も今日は早く帰れと言われているんだ」


 通常通りといった文夜に促され、一夜は真樹を引っ張って、文夜に近づいた。生けた花がまだしおれていないのを見て、初風も立ち上がる。他がそれに付いた。


「真夜はいつ頃に退院するんだ」


 一夜が文夜に尋ねると、後方、真夜から声が出た。


「鎮魂祭までには出られるよ」


 真夜がそう言って笑う。一夜は眉だけ動かして、それに理解の意を示した。真樹は嬉しそうに一夜と廊下に出る。


「伏子、悪いがお前はちょっと診療があるから待ってくれ」


 ぞろぞろと出ていく子等の中、フセだけを文夜は呼び止めた。それと同時に、アキラがフセの後ろを逃がさぬようにと塞いだ。


「今日からアキラが担当医になる。引継ぎついでに今日、少し体調を見たい」


 アキラがハハっと笑う。それを睨んで、フセは静かに唸った。一夜はそれを聞いていたらしく、一度、フセを見る。だが、すぐに振り返って、外へ歩みを始めた。


「一夜、一夕を今日、終末病棟からこっちに移した。次に見舞いに来るときは、裏口から直接でも大丈夫だ。今日はもう遅いから案内はしてやれないけど、鎮魂祭の前に一度来ると良い」


 体調は変わりないから、と、文夜が一夜の隣を歩いて、つらつらと呪文のように連絡を落とす。一夜はちゃんと聞いているのか、あぁ、とだけ置いて、ただ歩き続けた。


「一夜君、その時は僕も一緒に連れてってね。僕も一夕君と友達になりたいからさ」


 真樹が笑う。一夜は少し驚いたような表情で答えた。


「眠っているのに友達になんてなれるわけないだろ」


 廊下は赤く燃えるように。初風の瞳と同じ色で、空間を彩っていた。夏の熱が窓から漏れる。皮膚が熱く燃えるようだった。

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