愛憎とすれ

 味の付いた氷を齧って、しゃぶりつく意味も失った木の棒を、傍にあったゴミ箱の中に落とす。ストンと音が鳴ったことから、ゴミ箱の中身が何も入っていなかったことに気づく。


「えらく掃除が行き届いていることだ」


 一夜がそう呟く。傍でアロエ入りのジュースを飲み干すヒヨが、聞き耳を立てて、それに返す。


「良いんじゃないか。宿泊と娯楽の施設なんだから、それで」


 ヒヨは一夜にとっての不可思議を問わない。一夜が旅館の至る場所をくまなく見るのは、あまりこういった場所には来ないこともあるのだろう。自己解釈を陥れて、一夜は、細好と二人で半分に割った、最中アイスを食らい終わろうとする真樹を見て、思考を冷やす。

 自販機ばかりが置かれた休憩室で、晴嵐と銃夜を抜いた六人がだらりと過ごす。温泉の熱気を冷やすように、まだ早すぎる夜に備えて、眠気を覚ますように、氷菓を口に突っ込んでいた。


「あれ? 皆ももう上がり?」


 ふと、開かれた廊下から、一人の少女の声が聞こえて、振り返る。そこにいたのは、火照った頬をタオルでゆっくりと冷やす、真夜であった。しっかりと着込まれた浴衣は、彼女の純和風の素朴さと、凛とした美しさを際立たせていた。それに対して、カズが一瞬だけ舌打ちしたのを、一夜は聞き逃さない。


「金糸屋は呉服屋でもあるから、真夜が和装を着崩すことはないぞ。因みに大宮家と千宮家は大体皆、着物を着崩すって概念が薄いんだ。豊宮家みたいに外人を取り入れることがあまり今までにないからな」


 そんな、期待するなよと、一夜はカズを睨みつけた。真夜はその発言を理解してかは分からないが、同じくカズを見て、そのまま微笑みを返す。彼女の後ろ、同じように頬を紅潮させたフセが、こちらを見る。


「カズ、アンタの従者借りたわ。何処の奴らも腕がいいのは野郎ばっかりなんだもの」


 スッと、フセの裏、千寿香が顔をのぞかせた。


「異夜のとこの新しい奴らだっていたじゃないか」


 カズが鼻で笑いながらそう言うと、目を反らし、フセは頭を掻いた。


「あの娘達は守護者というよりも、ただのお友達よ。私の身を守らせる気はないわ」


 淡々と、冷えたようで暖かく、フセは言う。背負わせないのも優しさであると、それくらいは理解できている一夜は、カズに加勢することも、フセに手を貸すこともしなかった。


「若より無理に暴れないのでとてもやりやすかったですよ。提示された給料がもう少し多ければ転職してました」


 何処かで始まっていたらしい商談に、ウっとカズが冷や汗をかく。


「お前のそういうそれは冗談に聞こえないんだよ」


 眉間の皺を、カズは寄せる。コーラで補給した水分が、嫌な形でまた零れると、冗談めかしく笑う。


「そもそも冗談ではないので?」


 ハハっと乾いた笑いを浮かべて、カズの隣、ミネラルウォーターを自販機で買うと、真夜とフセに手渡しし、千寿香はカズの隣へと寄る。信頼をしているのかしていないのかもわからない主従は、そのまま黙りこくって、他の者の反応を見ていた。


「他の守護者とか従者は個別に入ったり、勝手にフラフラしているようね。羽賀屋は守護者と従者が大所帯だし、深夜にフラッと入るとか聞いたけど、貴方達、夕食まで何しているつもり?」


 フセがペットボトルの蓋の上、キリキリ音を立てていると、そんなことを口に出す。開かない蓋に眉間を寄せるフセの手、無言で一夜がペットボトルを取る。


「それなりに時間が経ったら、ヒヨの蝶が戻ってくるし、それまでは俺もフラフラしてるつもりだ。時間は一時間も無いようだしな」


 つらつらと言葉を並べながら、一夜はキャップを開けて、緩く戻すと、置き場の無い手を見せるフセに、そのボトルを返す。少し濡れた手が、齧っていたアイスの温度で低くなっていたのに、冷えたボトルを持って、もっと冷たくなっていた。


「そう。私も売店でフラフラしてようかしら」


 緩くなった蓋を取って、フセは言った。


「売店開いてたんだ?」


 真樹がうずうずと、フセに問いかける。


「えぇ、さっき、バイトらしい若い女性が来て、開けてたわよ。買っていくお土産選びでもしても良いんじゃないかしら」


 フセの冷淡で且つ、すとんと落とすような声色が、真樹の動きを速めた。真樹は細好の手を取って、行こうと呟く。細好がうんと言う前に、真樹は細好を引きずって、欲望の先に走り去っていた。


「俺は部屋で休んでる。何か疲れるんだ」


 式神の影響か、どうかなどは一夜にはわからないので、あぁ、とだけ一夜は答えて、フラと歩くヒヨの背を見る。


「私もお土産見てようかな。お母さんに美味しいモノ買ってきてって言われてるの」


 真夜のくすりと笑う顔が、ゆらりと一夜の目に映った。ふと、近くで動く、カズを見る。何も気にしないような顔で、フラフラと歩く彼は、目元が強張っていたようにも見えた。


「どうした?」


 一夜がカズに尋ねると、彼は首を一度傾げて、頭を掻いた。


「ちょっと彬人と話してくる」


 考えの推論が、一夜の中でぐつと煮える。


「事後報告をよろしく」


 不自然さの極みを、カズに任せてしまおうと、煮え立った汁を注ぐ。一夜はそうやって、白く細い指で唇を抑えた。背筋を伸ばして、誰を追うわけでもなく、羚を従え、歩き出す。その隣、フセと真夜が共に付いて行く。最早、何故ついてくるんだとかは、言うべきではないだろうと直感する。

 土産物屋の賑わいは、自分達しかいない故か、そこまで盛り上がってはいない。ここにいたのは、先に走り去った細好と真樹、いつからいたのかわからない異夜であった。それなりに広く、モノも豊富なそこでは、民芸品やネタモノが悪く目立つ。


「何か良いのはあった?」


 細好の隣、真樹を含み、真夜がそう笑う。


「テトリンに良い匂いの石鹸を渡そうと思ってて!」


 真樹が返した言葉の中、細好が、少し眉間に皺を寄せて、小さく唸った。


「楓とリュウに何を寄越してやれば良いかわからない」


 その場にある箱やら布やらを取っては仕舞、細好が言った。彼の他人が為に悩む素振りを初めて見た一夜は、口を開けそうになる。

 ふと、とん、とん、と、二つ揃いの足音を聞いて、それを出すことを止めた。


「細好様から頂けるものであれば何でも!」


 唐突に、聞こえた言葉は細好の目を丸く、一夜の目を伏せさせた。


「とか言っちゃうもんね、君」


 そうやってケラと笑う羚を横に、一夜は口を押える。細好が驚いて、見つめる先、そこに、楓とリュウがいた。幻ではなく、ただ、そこに、当たり前のような顔をして彼らは存在した。以前見た時とは違い、二人とも袴姿で、どちらかと言えば


「あんまり亥の島にずっといるもんだから、お迎えに来たんだよ。佐々木さんとかには連絡済みだから、いっぱい楽しんだら、京に帰りましょう」


 ね? と、楓が細好へと尋ねる。そんなことを話している二人を見て、一夜の隣にいたフセと真夜が一夜に寄った。


「誰? あれ」


 フセが一夜にそう尋ねる。おそらくは先にいる、楓やリュウのことを言っているのだろう。一夜はフッと溜息を吐いて、また吸って吐く。


「女の方が日方楓。細好の許嫁の魔女。男の方が神楽坂竜也。細好の守護者。というか、わんわんだ。わんわん」


 ぴくりとその言葉を聞いた細好が、一夜と似たように息を吐く。


「間違ってないから困るな」


 細好が、眉間に皺を寄せて、不思議そうな顔をしている真樹を見た。それを返して、もう一度、楓達を見る。


「宿はここなのか」

「いいえ。突然だったし、もう一つの近くの民間の宿に、一人一部屋で借りているわ。ご飯も量ってものがあるし、今日はここで一度、私たちの宿の方に帰るつもり。明日の朝、またここに来る」


 細好の言葉に、楓が即座に反応した。一瞬、隣で、いられるならと、声を上げようとしたリュウがいたが、楓の言葉に遮られ、少し悲しそうな顔をしていた。


「わかった。二人ともゆっくり休んでくれ。こちらももうすぐ夕飯なんだ。明日、一緒に海に行って、母様へのお土産を考えよう」


 そう言った細好を見て、わかったわ、と、一つ楓が笑った。彼女はリュウの首根っこを掴むと、そのまま引きずってロビーを歩く。こちらに手を振って連れられるリュウに、細好は僅かに溜息を吐いていた。


「明日が楽しみねえ」


 後ろ、今までのことを聞いていたらしい店員の中年女性が、うふふと笑う。髪を結わいて、後ろにし、この旅館のものではない、シャツとズボンで、エプロンをすることで、店員であると知らしめていた。

 ふと、その声で、一夜は時計を見る。思えば時間がかなり経っている。


「おばさん、お夕飯終わってからも暫くはいるから、ゆっくりいていいのよ」


 一夜の行動に、そう女性が笑う。化粧が皺によって、ひび割れたようにも見えた。


「貴女はここの町の人ですか?」


 一夜が問うと、女性がケラケラと笑う。


「そうよ。彬人さんの前の、先代からずっとここで仕事させてもらっているの」


 女性の言葉に、一夜は首を傾げた。細い手の指を、唇に渡した。


「……子供がいなくなってるっていう話は、聞いているんですか?」


 聞きにくいことを聞こうと、一夜は爪を噛むふりをする。女性は一度、ぽかんとして、また笑った。


「聞いてるわよ。でもね、それを解決しようとしているのも知ってるの。この辺りで、この家が儀式をやってるって信じてる人なんて、まずいないわよ」


 その言葉に、一夜は目を丸くした。同時に、真夜も一瞬、何かを疑うような表情をする。少し遠く、異夜も耳を立てている様子である。


「この辺りの人達は皆、燈籠船の人達には感謝しているのよ。寂れたこの町に堤防を作ったのも、色んな整備をしたのもこの家だからね」


 女性は、至って普通であるような、極々当たり前にそんなことを言う。一夜が首を傾げた。その傾げたことに対して、女性も、首を傾げる。


「……そろそろ夕食の時間だね。お腹も空いてきただろう?」


 羚がそう言って、全員の動きを促した。そのまま、彼は目線を女性に向けて、少しばかり遠くにいた異夜にも向ける。


「ちょっと、耳を澄ませておいた方が良いと思うよ」


 一夜の耳元、羚が呟く。すぐ近くにいたフセもその言葉に気づいている。真意をここで聞くことの、愚かさを捨てる。ふらりと何食わぬ顔で、皆が、夕食の会場へと歩く。途中、長い廊下で、あまり見かけたことのない男が一人、こちらに会釈していた。それを無視して、一夜は会場の襖を開けた。


「よう。結構早く来たじゃないか」


 そこで胡坐をかいて座り、既に手元の茶を飲み始めていたのは、銃夜であった。隣で同じく胡坐をかいて、お品書きを見ている晴嵐もいた。他に、安倍家の二人や、葛木がいる。膳に立てられた一人一人の御馳走が、人数分、自分達が知っているよりも少し多くあった。


「何だ、お前ならさっさと食ってると思ったのに」


 後ろ、異夜の声が聞こえて、一夜は振り返る。言葉を押された銃夜は、ククッと笑う。


「そこまで意地汚くねえのよ俺」


 どうかな、と、異夜が浅く息を吐いた。その途端、彼もまた、後ろから押され、一瞬、よろめく。


「早く座ってください。後が閊えるでしょう」


 低のある声色が、淡々と、何も無いような感情で、出された。その男を見れば、それは、先程、一夜に対して会釈した者である。ゴミでも見る様な目で、異夜を見下ろす彼は、一夜の澄ました耳に、憎悪と妙な熱のような感情を聞かせる。


「こんなところまで来て主人に嫌味をいうなよ、庸介」


 銃夜がそう言って、低く、肺から声を出す。一夜にはわかる。珍しく、銃夜が怒りに近い感情をあらわにしていた。


「本家の当主様の前で粗相してるのは今は主人じゃなくて、てめえだ。わかったらやめろ。お前、その調子で十朱達にも威圧してるらしいじゃないか。こういう時くらい大人しく出来ねえのか」


 銃夜の後ろ、ぐるりと闇が動く。何か言葉を出そうとしていた男が、眉間に皺を寄せて、引いた。異夜は知らぬ顔をして、銃夜の隣を陣取った。男は、いつの間にか、廊下の奥に消えている。


「うちの守護者の一人だ。俺の教育係でもある。気にするな」


 怯える様な真樹を見てか、不審がる一夜を見てか、異夜が、正座でつくと、そんなふうに言っていた。


「おや、いらっしゃいましたか」


 会場の隅、厨房に繋がっているらしい扉から、漣が幾つかの御櫃を持って現れる。後ろからは、共に、同じように、海人も現れた。


「皆様お集まり次第、温かいものを運びます故、おくつろぎください」


 漣の言葉に、一夜達は従って、それぞれ、思うままに席に着く。一夜の隣、羚は一つ開けて、座っていた。おそらく、そのうち来るだろうゲンの為に開けているのだろう。もう片側には、既にフセが座っていて、細好と真樹は周りに気も留めずに、更にその隣に座っていた。真夜は少し離れて、葛木の傍に寄る。


「何だ、早いな」


 後ろ、カズがヒヨと千寿香を従えて、こちらを見やる。ふと、一夜が睨んだのに気づいて、カズは、ヒヨと千寿香を他の席に座らせて、一夜に身を寄せた。ゲンがまだ座っていない場所に、膝をついて、一夜の耳に声を落とす。


「安心しろ。彬人は味方だ。後でアイツの部屋に一緒に行こう」


 一夜が耳を澄ませていることを前提としたような、それくらいには小さな声であった。カズは一夜の前からオレンジジュースの瓶を一本取って立ち上がり、もらうぜ、と、口笛をふかしながら笑って立ち去る。


「和一様! すぐに同じものをお出ししますから、他の人から取るのはおやめくださいね!」


 海人が、可愛らしく、そんなふうに言葉を上げた。


「そう怒んなよ」


 カズらしいおちゃらけた声が会場に響く。少し離れた場所に腰を下ろすと、その傍にあった、襖に手をかけた。


「漣。人も多くなるし、襖、良いな?」


 漣のこっくりという了解の意に、カズは襖を開けた。そこは、軒下の見える、大きな庭で、敷地の山も近い。朝顔が月夜にてらめくのが見える。

 その中、一夜の耳に、ギシギシという、縄の軋む音を聞く。気になって、その傍を見ていると、漣が、気を利かせたのか、外の見える襖を、全て開いた。


 見えた庭、木が幾つか生えており、整備がよく行き届いていた。その一つ、最も太く、最も頑丈そうな木に、皆は目を止めた。その様子、カズに目を見やると、もう何も知らないと言ったような、穏やかで酷く疲れたような顔をしていた。

 それもそうだろう。木にあるのは頑丈な縄。それにぶら下げられているのが、車から走って逃げていた、美男。樒佑都である。自分の従者が、ボロボロになって、縄で身動きを取れないようにぶら下げられている。自分がもしゲンでやられていた場合、思考が進まず、同じような表情をするだろう。


「初風様は何処でしょうね」


 漣はいつものことのように、樒を吊るしたであろう女性の名を呟く。千寿香は何事も無かったように、樒の傍に駆け寄って、一度、彼の顔を見やった。


「無様」


 そうしてハッと笑うと、ズボンのポケットから取り出したナイフで、適当に縄を切り、重力に逆らうことなく、樒を地に落とした。縄は連動するように、樒を解き放った。


「女性に顔面を殴られるのは慣れたか?」


 カズがそう笑うと、立ち上がった樒は、舌打ちを鳴らして、頭を掻いた。


「漣さん、俺の食事は部屋へ。風呂に入ります。あと、貴方の主人にはよくよく注意をお願いします」


 どすの効いた、いつも以上に邪悪な声で、樒は言った。血やら、泥やら、打撲やらで、整ったその顔は汚れている。どうやら、いつものことらしい。カズの様子を見て、一夜は一息を入れる。澄ました耳の中、何処かの廊下を走っている、身軽な誰かの足音が聞こえた。それが、樒を捕まえないことを祈る。

 そうしているうち、皆、会場に顔を出していた。知っている顔が揃う。皆が皆、緩み切った顔をしていた。会場に人が揃ったことを確認すると、漣が、椀物や、刺身など、新鮮なものを次々に出していく。それを手伝うのは、海人であった。そのうちに、彬人も現れて、彼も一夜の目の前に、皿を置いたり、逆に引き上げたりしていく。


「土産は良いのがありましたか?」


 突然、彬人が一夜にそう語りかけた。一夜は眉間に皺を寄せる。


「……あの女の言っていることと、俺がお前から聞いたことに矛盾があったなあ、ってことが、最高の今の土産かね」


 彬人は笑う。


「そうですね。そのことについては、後程承りましょう。今は楽しんでください。何も変なものは入れてませんから」


 一夜の様子を見て、彬人は手にある皿を置く。西瓜だった。甘そうな香りが鼻腔をくすぐる。


「では」


 宴が終わりに近づいている。海人が、真夜と親しく談笑していた。一部しかいない大人達は、酒の無い手で、少しだけ寂しそうにしている。

 西瓜を頬張って、一夜は、鼻で溜息を吐きながら、庭を見ていた。そのまま、カズを睨んで、これからのことを考えつくしていた。

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