【こんな世界、最たるものは貴女一人しかいないと、俺は叫ぼう】
自分が立つそこが、無駄に明るい世界だと思った。白。白白白。目を移り逝くのは、ただ、白いモノ。それを、カズは単純に、楽観的に、死後の世界の様な気がして、笑った。黒稲荷神社での誰かに対するハッタリは、事実、ハッタリでもなく、事実、ハッタリである。未だ、カズは死んだことが無かった。魔女か、それとも魔王かは知らないが、自分にそういう加護があるのは知っている。数回ならば、死んでも再生出来ると、母や祖母たちに言われて育った。おかげ様で、思い切りの利いた活動が出来ていたのは事実だ。しかしながら、死というそれを実行出来てはいない。今回が、初である。もしかしたら、端からそんな加護などなくて、カズを勇気づけるための嘘だったのかもしれない。もしかしたら、その再生した自分は、自分をコピーした存在で、自分自身はただ死ぬのかもしれない。宮家に身を置いているからだろうか。どうしても、後者を思い浮かべてしまう。利用されるだけされたのではないかと、感じて、カズは座り込む。白に流されて、無気力だった。
「……痛いな」
胸を摩る。そこに、傷はない。そういえば、自分も服装が変化している。カズキとして生きるための、白と水色の袴。他人の為に着るそれの、胸の布をぐしゃりと掴む。息がゆっくりと流れる。目が慣れる。白の空間は、光でこそ満ちている。光の中、歌があった。聞きなれない声だ。それでも、その声の主をカズは思い起こすことが出来る。
「トモ。朝伏」
変声期は終わってしまっているのだろう。三年も経てば、終わるだろう。少女の成長は早い。
自分の声は聞こえているだろうか。歌を歌う、その場所は近いだろうか。魔女も宮家も距離の概念は変わらない。時間的距離。空間的距離。そして、世界座標の距離。
――――君が何処か、別の世界にいるのならば、痕跡が欲しい。痕跡さえも無いのなら、手当たり次第に行き来できるようになりたい。その為に、死にたくはなかった。
死しては何処にも行けない。白を目に、カズは目を瞑った。ほんのりと、少女の姿を思い浮かべる。白い肌。白い髪。赤い瞳と青い瞳を一つずつ、アクセントのように。彼女は白い猫のようだった。自分が創り出せる使い魔は、いつも黒い猫で、彼女がいれば、白い生き物が作れた。彼女はただ、白かった。何処までも、白く、あの黒い、黒い、黒の家に生まれた人間だとは思えない程だった。
カズは暇を持て余して、また手を胸に置いた。誰もいないのでは、ただ寂し気である。そのうちに、ぺたぺたと音が聞こえる。それは裸足の誰かの音。音源である後ろに振り向こうと、カズは首を動かそうとするが、それは小さな手で遮られた。
「やっぱり似合わないな。アンタ、やっぱり、洋服が似合うよ」
変声期前の、少年の声。カズは聞き覚えのある、否、覚えがあるどころではない。憎たらしく、懐かしい。少年は黒。最上を往く少年と同じ声。
「……一夜?」
カズは声の元を聞き尋ねる。しかし、カズにもわかっていた。少年は一夜ではない。一夜はカズのことを「お前」と呼ぶ。「アンタ」と言ったこいつは、違う存在だ。
「やめてよ白々しい。気持ち悪い。わかってて聞くのはやめて。一夜は俺より成長してるんでしょ。俺よりしっかり話すでしょ。俺より正面切って話すだけの自信があるでしょ」
少年は泣きそうな声でそう話した。それに対して、カズは妙に明るく言った。
「成程、一夕。そうか、一夕か」
少年、一夕の手に構わず、カズは立ち上がる。一夕の手がカズから離される。驚いた様子で、一夕は振り向いたカズを見上げていた。
「お前か! そうか! 良かった! お前だったのか!」
カズはにこやかに、晴れ晴れとした表情で一夕の頭をぐしゃぐしゃに撫でつける。一夕は、一夜とそっくりで、同じ着物を着ていたが、一夜よりも幼く、少女に近い顔つきであった。ムッスリとした顔が似合わない、可愛らしさを持っている。目は珠の如く煌めいて、宝石という比喩が似合う。
「何。吹っ切れた? 気持ち悪い」
一夕が、心底嫌そうにそう言った。それでもカズはお構いなしに、一夜をわしゃわしゃ撫でつける。
「ちげーよ。俺は死んでないって、それがわかったから嬉しいだけだ。あと久々に話せたから、それが純粋に嬉しい」
カズは推論を一夕に撫でつけて、心底嬉しそうに笑っている。一夕が溜息を吐いて、カズの手を振り払った。
「死んでない? 胴体をゴキブリみたいに踏んで壊されたのに?」
一夕の言葉で、カズは腕を組み、苦笑する。
「最初はそう思ったさ。いや、事実、一度は死んでるんだろ。召喚術中、フセが俺に能力を使って、『心臓が無くても生きる』というカミサマ級の現実改変をしてくれてたが、光廣が蹴られてからは完全にその術中の外だ。死んで、俺はここに来た。ここが何かは知らねえ。でも、一夕。お前が来た」
カズは一夕の頭に手を乗せる。
「お前は死んでない。死んでないのに死後の場所に行くか? お前は眠ってる。眠りの中で何処かを彷徨ってる。なら、一緒にいる俺も、死んでない」
カズの結論に、一夕は少し、口元を綻ばせる。無理矢理に寄せた眉間のシワは、少し薄くなった。
「変わらないなあ、アンタ。そういうところは憧れる。そういうところだけね」
一夕が笑った。その笑いに注視していると、一夕はまた口を動かす。
「心配しなくていい。確かにアンタは死んでない。少し、普通の生者より遠い場所まで歩けるようになってるだけ。戻れば何の心配もない。アンタは凄いね。世界の誰よりも広く存在できるし、広く手を伸ばせるんだから」
そこまで言うと、一夕がストンと表情を落として、カズを見つめる。
「アンタはもう、姉ちゃんの手を引っ張れる。まだ扉は開く日ではないけど、その日になれば手を繋げる。なんてったってアンタは、今や悪魔を殺せる手を持ってるんだから」
笑顔が妙に刺さる。カズはふと疑問を飲み込んで、わかった、とだけ落とす。カズの持った疑問を感じたのだろう。一夕はまた笑う。
「俺のことはいい。姉ちゃんの方が遠いし、アンタなら俺を連れ戻すことは出来る。けど、俺はアンタの手で帰るつもりは無い。一夜に任せたい。俺は既に俺の選択をしているけど、それは一夜の選択次第だ。俺は、一夜を待ってる。一夜には言わないで。一夜を自由にさせてあげて。一夜から選択肢を奪わないで」
途端に、カズにぐらりと、眠気が襲う。一夕の泣くような声が耳に響いた。
「お願い。一夜の『人間』を取り上げないで」
最後、そんな声が聞こえた。一夕の甲高い声が、耳に残って、目が覚めて、レンガの天井からランプの光が見えても、それが現実に起こっていたのだと知らしめた。
瞼を開けて笑う自分に、次々と抱きつく少年少女の重みで、再度気を失いそうになったカズは、心底幸せそうに笑う。その顔を、半分呆れたように見ているのは、医務室の前の廊下でアキラと共にいるアリッサである。アリッサは何処か親しげにアキラと話すと、妙に少女らしく笑う。それが気味悪くて、カズは一瞬、笑みを落として鳥肌を立てる。
「どうしたの兄さん」
和姫がカズの胸でそう尋ねる。ハッとして、カズはその自分の胸を見た。
「……何も無い」
傷は一つもなしに、痕すらもなく消えている。最早、それは怪我をして死んだという現実自体が消えているようにも思えた。反射的に見た光廣は、皆から一歩引いて立ち、強ばった表情をしている。
「光廣。大丈夫だったのか」
そうカズが光廣に尋ねると、光廣はそのままの表情で話し始めた。
「……大丈夫。辛うじて意識はあったから、何とか自力で全部修復出来た。それに、ご指導も頂いたから」
光廣はそう言って、自分の胸を撫でる。痛みを思い出したのか、それともその指導を思い出したのかはわからないが、酷く血の気は引いていた。
「ねえ、和一君。あれは一体なに? それに君は一体何なの? どうしてあんなのに目をつけられたの? アレと君の関係は何なの?」
苦しそうに、光廣は言葉を紡ぐ。カズは光廣と同じように、胸を撫でて、その手でそのまま和姫を撫でる。
「……さあね。答え合わせが必要のようだ」
カズは立ち上がり、いつの間にか居なくなっていたアキラを追おうと歩き出す。しかし、それは扉の前にいたアリッサによって止められた。
「退けよババア。アレには聞かなきゃならん事がある」
睨み、当てつけた。アリッサがなにか悪いことをしたわけじゃにのは、よく理解していた。それでもそれはそれだ。カズは止めるアリッサに一種の憎悪を向ける。
「……紳士たるもの、身なりくらい整えな」
アリッサは皺のついたカズの服を撫でる。その部分から、それは高級感のある生地に変わっていく。形も変わっていき、余所行きのスーツのような、誰か、目上の人間と話す時のような、そんな、黒い服になる。胸ポケットにアリッサは用意していたらしいハンカチを入れて、カズの頭を撫でる。
「しかと話してきなさい。受け入れられなくてもいい。真実を知りなさい。アンタはその権利を手に入れた」
淋しそうな表情で、アリッサ言う。その後ろから足音を鳴らしてやってきたレイリーは、笑っていた。
「等価交換は初めから果たされてる。行っておいで。ルシアンも待ってる。お膳立てはもう終わっているよ、和一」
カズはレイリーの言葉で、抱きしめた少年少女にルシアンとフセがいなかったことに気づくと、行き先を思い出し、歩き出した。風景はいつも通りである。しかし、その先で待つものは違う。
聖なる場所で、奴は待っている。確信を手に、カズは歩いていった。途中、龍華やムチャンガに出会ったが、彼らは総じてただ微笑みかけて頭を下げるだけであった。妙な恭しさはさて置いて、カズは歩く。気分はモヤモヤと晴れない。目の前に扉を見つけて、ガチャり。両の手で軽々と開ける。そこには、青い光で包まれた教会と、教壇に座るルシアンが存在していた。
「おはよう。最一の魔女。豊宮家の最たる商品」
ルシアンの他に、ただ一人、不気味な笑みを浮かべている者もいた。それは自分の知るその人よりも、体格を大きく変えており、二百センチは超えている。服装は軍服のそれに近い。否、最早、軍服と言うに他はないだろう。その男は、黒。神聖で清らかなこの場を飲み込まんとする、黒。
「……アキラ」
カズがそう、男に尋ねると、彼は笑って、カズに歩み寄る。
「本当にそうだと思うかね」
じっくりと、粘液が如く。声を耳に付着させる。アキラは笑っていた。敵意。それが混ざりきって、煮込まれて、最早敵意を敵意と感じることも出来ない。
「偽名だと。それは理解しているさ。俺は言っただろう。いつか本当のことを話せと。今がそれか? 真っ黒な罪人。ここは真に罪を背負った人間しか来れない場所だ。罪を吐き出す場所だ。本当のことしか、ここでは言えない」
カズにはそれがよく分かっている。
「ふむ。『人間』ね。それはあっぱれだ。良いだろう。真実を語り合おうじゃないか」
アキラは狂気じみて酷く腐臭に近い雰囲気を纏わせた肢体を、簡素な椅子に滑らせ、座った。カズは促されるままにアキラの隣に座る。
「全てを語るには時間が無さすぎる。いつ、部外者がここに来るかもわからない。それに、お前はもう既に、今回の事件の解を知り、動き出している」
にたりと、アキラが笑った。
「俺なんて、要らないだろうに」
「必要とするかどうかは俺の効率の判断じゃない。俺の感情の判断だ。電気信号のそれではない」
カズの歌うようなそれに、アキラはまた笑った。
「感情は効率と相反するものではないさ。寧ろ、同じにあるものだろう。君は一定して、感情というものが効率に依存している。必要なモノには好意を覚え、不必要なモノには嫌悪を覚える」
カズが、アキラの言葉に眉を顰める。
「何でそんなこと、言い切っているんだ。俺にはそれがわからない。何でお前は、俺を全部知っているように言うんだ」
「簡単だ。俺が、お前と同じ存在だから」
アキラは、カズと似通った表情で、感情を全て落として、再構築したような、ある意味、機械的と人間的を混ぜ合わせたような、複雑な形状でそう笑う。
「バグから生まれるエラーは、バグ以上のモノになれない。正常な歯車にはならない。例え、全くの別世界だったとしても、エラーはエラーだ。本当の動きを、容易く踏みにじれる。正に、俺のように」
カズの言葉を発せさせないように、手でカズを制止して、アキラは続けた。
「俺の存在の正解を知りたいそうだな。俺には名前はない。生まれた時点で名前を当てはめることが出来ない。真名が無い。呼び名はある。無常王、黒の王、厳島命、神野彰、アキラ、あぁ、クソ野郎とはよく呼ばれるが、これは別だな」
ククッと引きつるように笑う『それ』は、歌劇が如く。
「この虚構にバグは幾つも存在する。俺はその統括。最初に生まれたバグ。そして、更にバグを生み出し続ける量産機械」
虚構。そう言った口と、それの目は実に空虚であった。真実味を欠いている。実証性を置き去りにしている。口走り、それ以上を受け止めるようには流さない。言葉の意味は流れ出し、どこか遠くに行ってしまったような、そんな感覚に、カズは襲われた。
「エラーを持たない奴に、自分の未来を変える事は出来ない。どんなに足掻いたとしても、その足掻きすらも通り道だ」
しかし、と、それはカズの前に立ち上がる。
「お前はバグだ。変えられる。お前はエラーだ。正常に動くがこその破壊を、止められる」
それが、そう謳った後、カズは溜息を吐いて、欠伸を欠いた。何、案外、なんて事はない。これが嘘ではないならば、何が言いたいかは、凡そ予想が付いた。
「それで? 結論を言えよ。お前は俺の何だ。俺の全てを知っている理由を答えろよ。話が長いんだ。それともあれか? 答えは俺が声に出せば良いのか?」
調子付く。カズの中の核心が、ある一定の音量を導き出した。『それ』も、にっこりとカズの言葉を待つ。殺意が湧いた。作り笑いの練習をする自分と似ていて、吐き気を催す。
「調子乗るなよ、クソジジイ」
「調子乗るなよ、孫風情」
同様の音で、二人は併せて言った。感情を切り抜いた音。見下す音。ピリピリと焼きつくすようなジンワリとした熱を、二人して帯びている。それに浴びせられて、黙っていたルシアンが、暇つぶしに呼んでいたらしい聖書をパンと音を立てて閉じた。静寂が、それに続いて切り裂かれる。まず最初に吠えたのはカズだった。
「俺はその異常の因子を持っている。それを発現したいから今回の事件を引き起こした。そうだろう」
「そうだな。そういう答えだと思ってくれて構わない」
アキラが笑う。その表情は嫌悪をまとわりつかせている。
「お前は一度、死を自覚しなければならなかった。そうしなければ、俺と同じ状態にスイッチを入れられない。そうしなければ、お前は普通の魔女よりも、ちょっと長く生きるだけの存在だった」
いや、ちょっとどころではなかったかもしれないが、と、アキラは付け加えて、笑った。その笑いにカズは呆れて、髪を掻き上げる。
「孫である必要があったなら、俺じゃなくて、和姫でも良かったんじゃないか」
カズが答えを待つと、アキラはゆっくりと笑みを砕いた。
「あれじゃあ面白くないじゃないか。必死になれるものが無い。あれは自分を死んでもいいと思っているくせに、周りの死よりも自分の死を恐れている。あんなのは魔女程度がお似合いだ」
ピクリと、カズの眉が動く。だが、カズは溜息を吐くだけで、それ以上の反論をしなかった。
「理解が終わったのなら、これで答え合わせは終わりだ。お前は俺の孫、俺の痕跡を引き継ぐ者、俺の付けた傷を抉り抉って引き裂く者」
アキラのその淡々とした言葉を聞くと、カズは一つ、溜息を空間に放って、天井を見た。アキラは誇らしげにしている。正直言って、顔面に一つくらい拳を入れてやりたいが、カズはそれを我慢するように、目を瞑る。
「……魔王。その一人ってことだろう。アンタは」
カズが言うと、アキラは、あぁ、とだけ零した。
「名無しの魔王……無名の魔王。と言ったところか。なあ、そうだろう? マモン」
カズは自分の影に手を置いて、そう呟く。ずるりと、体を這って出でるのは、ストレートの黒髪に、幼さを讃えた緑色の瞳。少年は、マモン。カズが契約した悪魔。
「……よくできたガキだ。黒の王の孫なだけある」
マモンは喉を震わせて、アキラを睨みつけると、傍の席に座る。彼は戦闘時の起伏を捨て、実に冷静で、実に大人しい。
「だが使い魔を作りすぎだ。影の中に何匹居やがる。落ち着けねえよあんなとこ。とっとと出て行きたいんだ。早く契約を終わらせろ。見ろ、ここなんてお前の白い猫に噛みつかれて血が出てる」
猫、と言うには大きすぎる噛み痕を太ももにつけるマモンは、カズにも睨みをつけて、不機嫌そうにそう言った。その噛み痕はカズがよく見るに、いつもは大人しいコーディリアのものである。影からちゃぽんと音がする。コーディリアの太い尻尾が、カズの手元で揺れていた。
「……あの魔法がこのジジイがやったことなら、マモンはもう帰っても良いんじゃないのか?」
カズがそう問うと、アキラは手をひらひらと揺らして笑う。
「すまないが、俺は俺の魔法を解く術を持っていない。俺は自分を研究し尽くせてないんでな。簡単な
力の用い方を、大罪やアリッサ達に教えただけで、それの応用は本人達が勝手に作っているものだ。俺もこの世界の魔法には疎い。それなら、知恵の強欲、マモンの方がわかるだろうさ」
マモンがアキラを睨んだ。顔見知りではあるらしい。その話には、おそらくは自分が突っ込む部分ではないと、カズは目を伏せる。
「じゃあ、マモン。よろしく頼む」
頭を下げて誠実性をカズがマモンに見せると、マモンは鼻を鳴らして笑う。しかし、その表情はどこか朗らかでもあり、顔はほんのりと赤くなっていた。
「仕方がない。やってやる。腕を出せ」
誇らしげに、マモンはカズが出した腕を掴み、撫でた。コーディリアが這い出て、カズの膝に頭を乗せる。カズはその頭を撫でた。自分の右腕が光る。マモンは呪文のようなものを呟いて、帯状の光をカズの腕に纏わせていった。
「……For want of a nail the shoe was lost. For want of a shoe the horse was lost. For want of a horse the rider was lost. For want of a rider the battle was lost. For want of a battle the kingdom was lost. And all for the want of a horseshoe nail……」
マモンの歌は、カズの腕にしがみついて離れない。それは因果を謳うこと。因果をほどき、纏うこと。そう、カズには聞こえた。
「……これで、この腕は、全ての魔法を打ち消す存在になった」
マモンが、その腕を撫でて言った。
「解除したいなら、全て、これで触れればいい。魔法の世界で言えば、最早、犯罪級だ。それをお前にやる」
マモンは笑う。カズの腕を撫でて、自分の目を撫でる。
「だが魔法とかそんなものには、大体、代償がつきものだ。これもそう。魔法を使うと疲れるだろう。これもお前の魔力に依存するから、使い過ぎれば倒れる。他の魔法を使ったときと同じように」
程々にな、と、カズに言うと、マモンは床をつま先で叩いた。そこから陣が赤く光広がる。マモン一人、立てば入るほどのそれは、炎のようなパチパチと言う音を立てている。
「じゃ、俺は女王が怖いから帰る。次に会う時は絶対に騙されないからな」
びちゃんと、マモンは赤黒い血液になって消えた。魔方陣は床に焼き付いて消えない。暫く、ただ、静かだった。カズは自分の腕を見て、溜息を吐いて、その場から去るよう立ち上がった。その後を、アキラとルシアンが追従する。廊下の遠くに、皆が見える。そこには、フセも存在していた。
「帰るよ。用事が終わった。一夜達も待ってる」
カズがそう言うと、廊下の壁に、ドンと音を立てて、鉄扉が現れた。それは、自分たちがここに来るときの扉と、どこか気配が似ていた。
「帰りの扉は用意した。早く行きな」
アリッサが、青い石炭のランプを手にもって、カズの後ろに立っていた。
「わかってる。俺の服は?」
カズが問うと、アリッサは鼻で笑って答える。
「洗濯して空輸してやる。良いから行きな。次の授業が間に合わなくなる」
青い石炭のランプを無理矢理に光廣に渡すと、アリッサはカズの後ろにいたアキラを抱きしめて、笑う。
「私はここを出られない。あっちでカズトをよろしく。あなた」
それは少女のそれに近かった。カズが鼻に皺を寄せて嫌悪していると、フセはカズを小突いてその顔を止めさせた。
「じゃあ、帰るよ。またいつか遊びに来るさ」
カズが扉を開けて、暗い道に足を踏み入れる。すぐに、その後を光廣とアキラが追った。ふと、フセが振り返り、和姫と、ハク、ルシアン、リリーを見つめた。
「じゃあね」
フセは笑って、扉を閉める。ふと、何か悲しげな顔をしていたなと、リリーは思ったが、その扉が消えるまで、目を離さずに、その場を離れずに、見守った。チャイムが鳴る。次の授業が始まる。教室に急ぐアリッサを追って、四人は走り出した。
黒稲荷の屋敷は、畳の、イグサの香りで充満していた。何日が経っていただろう。よくわからなくなって、カズは笑った。扉の前、そこで待ち構えていたのは、ぶっきらぼうな顔をしている、一夕とそっくりな少年だった。カズは一夜の頭を撫でて、どっと疲れる体を足で支える。台所と、その近くの部屋から、賑やかな少年少女の声が聞こえた。そういえば腹が減ったと、カズはその方向を向いて笑った。
光廣の、ランプが光を放って、薄暗い日本屋敷を照らす。そんな夕方であった。
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