【海が真に、死んだとしても】

――――痛いくらいの日差し。実に良い、葬式日和である。

 一夜は病院で目覚めたあと、すぐに、海夜の遺体が、同じ病院の中にあることを知った。事件で死を選んだ海夜は、学校の屋上から飛び降り自殺した、という形で収められたらしい。その実、中学校の敷地の一つに、海夜の遺体が、全身打撲脳挫傷のような形で落ちていたという。おそらくは、守護者のどちらか、例えば葛木が、隠蔽の為に、既に息を引き取っていた海夜の体を、屋上から落としたのだろうと、一夜は予想を立てた。自殺した理由として、看護師たちが話していたことには、父親に襲われて、子を宿してしまったことが苦痛であったからだろうと。確かに、それは理由として申し分無い。そして、事実なのだ。それは、事実であってしまったのだ。

 一夜は知っている。海夜が必死にそれに抵抗して、父親を道連れにし、真夜を守ったのだということを。最期、彼女は、それからしっかりと逃げることが出来たのだと。少なくとも、覚悟の揺らぎが、あったのだと。

 初めて訪ねた金糸屋は、一夜の住む本家の屋敷よりも、一回り小さい、武家屋敷のような形で、多くの参列者がいた。同じ中学の制服を着た、少年少女が多かった。聞いた話、海夜も真夜も、周囲に優しく、お互い仲が良く、あの美貌とスタイルから、クラスメイトからの人気が高かったという。ただ、常に傍にいる葛木や光廣のせいで、男達は近寄りづらかったという声も聞こえた。

 そんな、金糸屋達との話を聞く折、一夜は、何度も「弟か」「親戚の子なのか」だとか、言われて、「知り合いです」とだけ、落として言った。そうしているうちに、真夜が一夜の傍に寄った。

「一夜君、頭の傷は大丈夫?」

「あぁ」

 一夜は、自分の頭に巻かれた包帯を触る。たまに、少々の運動をする時くらいに、ズキズキと痛みを感じたが、それ以外なんてことは無かった。

「人と話す時は別に平気」

 一夜がそう言うと、周囲にいた少年少女らが、本当に大丈夫かだとかをつらつら言ってきたが、一夜はそれも無視して、真夜に問う。

「俺はアンタの今が心配だけど」

 未来はどうにでもなるだろう。それくらいは、なんとなくわかる。優秀な守護者がついているのだし、一夜が本家としてサポートすることだって出来るからだ。ただし、それは、今を乗り越えてからのことである。

「それより、当主は? 今どこに?」

 そう、今日は、海夜の葬儀である。一夜達は、海夜と葛木によって、金糸屋の二人の父親、元々金糸屋の当主であった、篤夜が死んだのは知っているが、その、死んだはずの篤夜の遺影も、遺体も見当たらない。

「……行方不明なの。海夜が亡くなった日から……」

 一夜は、ピクリと眉を顰めた。周囲にいた少年少女も、何事かというような表情を浮かべている。

「警察は逃げたんだろうって言ってる。捜索届けは出さないつもり。そのまま野垂れ死んでくれればそれでいいわ。もし生きていたとしても、きっと、誰も手は差し伸べないでしょう」

 自業自得、と、最後に、真夜は付け足す。海夜であった頃の、あのおどおどしさは少々、薄まっているような気がした。勿論それは、クラスメイトたちにとっては逆に見えているだろう。ズケズケと言うタイプである、気の強い少女が、双子の妹の死で、大人しく、弱々しくなっている。そんなふうに、見えるだろう。

「それじゃ、そろそろ、出棺だから。お花、皆、ありがとうね。精進落としは皆の分もあるから、食べたい人は残っていって」

 真夜は立ち上がって、自分を呼ぶ声の方に歩いていく。黒を基調とした着物は、真夜には少し、キツそうに見える。呼んだ声のところに、ただたっている葛木と、泣いて目元を赤くしている光廣がいた。ふと、一夜は、自分も何処かに行ってしまおうと、立ち上がる。人々のざわめきが気持ち悪い。何処かから、「何故相談してくれなかったの」だとか、「生きる意味」だとか、クソほど聞き飽きた言葉が、心無い言葉が聞こえた。叫びたくて、押し止める事ができそうに無くて、一夜は、草履も履かずに、いつの間にか、金糸屋の屋敷から、飛び出していた。喧騒が遠い。金糸屋の屋敷は、静かな住宅街の中にあった。少し歩けば、大きな駅が近いから、交通や買い物には困らない。少し勇気を出せば、好きなところへ行ける。そんな場所だ。

 近くに、フセの自宅があるのを、脳内の地図で思い出した。独りで、裸足のまま、そこへと向かう。知っている側の人間に、何となく、話してしまいたかった。歩く後ろから、走る音が聞こえた。

「一夜ちゃん!」

 真夜や海夜と似た声だが、声質はかなり落ち着いている。幾分か、歳をとってるのがわかる。また、声と他に、足音が、二重になっているのがわかった。

 気になって、振り返る。その先にいた二人の大人達に、一夜はまた、逃げ出そうと、走り出した。

「待て! 一夜! 待ちなさい!」

 男の声。一夜が一番会いたくない人物の、声。足の裏が痛い。数歩、足を前に出した先、少し大きめの石のようなものが落ちていた。それの上に、勢いよく足を落として、一夜は痛みに悶絶しながら倒れる。

「履物を履かずに、外を走る馬鹿がいるか……」

 倒れた一夜の顔を覗き込みながら、そう、男は言った。銀の髪に、紫のような青の瞳。奇しくも、電車で出会った姉と同じ色の、大柄な男。一夜と同じような、黒い着物を着て、それが困ったような顔に浮かべながら、一夜を見ていた。

「うるせえ!」

 一夜がそう叫ぶと、男は更に困ったように、溜息をつく。そしてそのまま、蹲る一夜を抱き抱える。

「離せよ!」

 暴れる一夜を宥めるように、男は言った。

「頭に包帯巻いて足から血い流しといて、何言ってんだお前は。良いから、葬儀会場には戻らないから。アイスでも一緒に食べよう」

 一夜はそれでも、ずっと体の動きを止めない。ふと、もう一人の大人が、一夜の視界に入った。それを見て、一夜は動きを止める。もう一人が、近づいてくる。

「一夜ちゃん、大丈夫?」

 雰囲気は、あの真夜とソックリで、ただ、色は、一夜を抱き抱える男とソックリで、何が何だかもう、一夜にはわからなくなっている。心配そうにこちらを見ている彼女、中年女性の優しげな表情に意識を取られて、いつの間にか、見覚えのある喫茶店の前まで来ていた。喫茶店の扉を潜ることで、世界が一旦、暗く思えた。

「いらっしゃいませ」

 何度も聞いている、静かな少女の声が聞こえた。アンティーク調で彩られた店内には、見知った顔の客よりも、大通りを使うサラリーマンが多い。そんな客達が、一夜達を見て、驚いて、口をポカンと開けていた。コーヒーの臭いで、一夜はやっと、声を出す。

「フセ、奥の個室空いてるか」

 やっと正気に戻ったな、と、小声で呟かれて、小綺麗な床に、一夜は置かれた。共に揃って立つと、一夜との身長差がよくわかる。その更に隣にいた女性とも、その差は歴然である。

「……足、どうしたの。今日は葬儀でしょう」

 机を拭いていたフセが、一夜の足元を見て、そう言った。一夜はただ、眉間に皺を寄せて、フセを見る。

「良いわ、奥の個室空いてるから。消毒液と絆創膏と、包帯も持っていきましょう」

 一夜はそう言われて、片足飛びで店の奥へと進んでいった。点々と、血が、床に垂れる。ギョッと、一人のサラリーマンが目を丸くしていて、それを見た一夜達は、急いで奥の部屋へと入り、扉を閉めた。食卓のような机が一つと、四つの椅子。照明は明るめで、メニュー表は一冊だけ、ぽんと置いてあった。ただそれだけの小さな狭い部屋ではあるが、店の表のような、話が筒抜けになるような場所ではなく、防音はしっかりしているようである。

「一夜ちゃん、足、出して」

 一夜が座ったと同時に、女性が言った。一夜が黙って足を差し出すと、彼女は、抉れて腫れた足の裏を見る。足首を掴んで、固定して、一瞬、嫌がる素振りを見せる一夜の足の動きを止めた。そんなことをしている内に、フセがまたやって来て、お絞りと、包帯と、消毒液と、絆創膏を机に置く。

「今度は何やったのよ」

 フセがそう、一夜に問うと、一夜はぶっきらぼうに、別に、と口を開く。

「葬儀会場にいらんなくなって、外に飛び出したら親父が追っかけてきたから驚いて逃げて、石踏んでこうだ」

 そんな様子の一夜に、フセがため息をついた。

「あのねえ、確かにアンタ、お父さんのこと……元治さんのこと、嫌いだからって、そんな理由で怪我する?」

「伏子ちゃんはその実の父親の目の前で、そういうこと平気で言う?」

 席について、メニュー表を見ていた、銀髪の男、一夜の実の父親である、大宮元治は、そう言って、苦笑いする。一夜とは対面するように、席についているが、一夜本人が目を合わせようとしないからか、元治も、無理に親子で目を合わせようとはしない。

「つーか何で親父がいんのかが謎だろ。驚くだろ。逃げるだ……ろっ!!」

 文句を垂れていた一夜は、突然、足の裏に激痛を感じて声を上げ、着物の袖を握りしめた。その痛みの元は、元治と同じ髪色の女が、足に消毒液を振り撒いていたことである。

「いってえ……!」

「はいはい。我慢ね」

 悪態つかれるのには慣れているようで、彼女は、淡々と、手早く処置を済ませる。次第に引いていく痛みに、一夜はホッとしてしまって、口を噤む。着物の裾を握りしめて、未だ暫くは続く痛みに耐えた。

「化膿するかもしれないし、病院行ってね。その頭の包帯取る時とか、あるでしょ」

 女はそう言って、ポンポンと、自分の膝を叩く。黒い、喪服の着物を着ているが、それの、膝の伸びが悪いようで、何度か屈伸していた。

「……アンタ、誰?」

 一夜がそう尋ねると、女は元治の隣の席に座って、ニッコリと笑う。

「お久しぶり、一夜ちゃん。私、真夜の母で、元治の『姉で兄』の、大宮透子です。海夜がお世話になったわね」

 グッと、驚きをこらえようとしたが、こらえることは出来なかった。驚いて、透子の方を見る。元治の隣に座っているからか、見比べやすい。なるほど、やはり、雰囲気は真夜に似ているが、顔つきは元治に似ている。

「……姉で兄?」

 一夜は首をかしげた。その単語の意味に、ついていけない。

「樒家は何がどうなってもいいように、戸籍を二つ作る。一つは男として。一つは女として。だから、姉貴は長女でありながら長男でもある。俺は、次男であり、次女でもある」

 元治がそう言った。聞いている話、透子と元治は、兄弟であり、姉妹だと。事実的には、姉弟であるらしい。知っているはずなのに、知らないことが溢れて、頭がこんがらがっている。フセは、いつの間にかいなくなっていて、既に、個室内は、三人だけの空間だ。

「……つまり、透子さんは俺の叔母さんで、真夜達は俺の従姉?」

「そういう事ね」

 クスリと笑ったまま、透子は答える。

「赤ちゃんだった頃に一回、会ってるんだけどね。まあ、覚えてるわけないわ。ほんの生後数ヶ月の頃だもの」

 確かに、そんな頃の記憶なんぞ、ありはしない。記憶を懐かしむ中年女性の言葉が、ただただ重苦しくて、一夜は首を振った。そのまま、返答というか、そんなものを考えているうちに、一夜は、ハッと思い出す。

「おい親父、全部全部説明しろ。細好の時のことも、海夜のやつに関してもだ」

 ふむ、と、元治は鼻を鳴らす。そして、ため息をついた。言葉を出し渋るように、言葉選びを慎重に構える。

「まず、何から聞きたい。順を負うなら、豊宮からの依頼の話だと思うが」

「まず、それだ」

 一夜が、机に指を置く。真似るように、というよりも、本人の癖なのだろう。元治も、ため息をまた、吐いて、机に人差し指を置く。

「あの時は豊宮からの依頼で、特定術式の組み換えが出来る箱を作ってやったんだ。極々簡単な、簡素な術式だった。『後で簡単に他の術を組み込めるような』術式だ」

 指を二人共、揃って、机に叩きつけて音を鳴らす。一夜が苦虫潰したような顔をして、手を机の下に引っ込める。

「この時にやったのは、これだけだ。宮家からの依頼だったからやった。俺達、『毒花の者』は、宮家に逆らえんからな」

 手の内明かすように、元治は腕を広げる。だが、一夜はやはり表情を崩さずに、苛立ちを顕にしている。

「俺は嘘はつかねえよ。隠し事はするけどな」

「悪魔みたいなことを言う」

「毒花とはそういうものだよ一夜。宮家の上に立つ気があるならば、俺達を上手く使え。俺達はお前にとって毒にも薬にもなろう。それが親子という関係を持っていたとしても」

「急に饒舌になるなよ気持ち悪い」

「急に笑うなよ気味が悪い」

 いつの間にか、一夜は笑っていた。眉間に皺を寄せて、口角を上げて、舌を出す。笑っていたというよりも、挑発をしているのだ。

「ただ、まあ、今回のことは、五年くらい前から仕込んではいたな」

 ピクリと、一夜ではなく、透子の方の眉間が動く。

「海夜が十の時か。あの頃から篤夜殿は、真夜をそういう目で見ていた。海夜は頭のいい子だ。それに気付いて俺に相談を持ちかけてきた」

 グッと、透子が拳を握る。

「だからまず、俺はあの子達が入れ替わる方法を教えてやった。双子の姉妹だ。十三歳の時には、真名隠しの儀式をする」

 一夜も、より一層、眉間に皺を深めた。真名隠し。その儀式がどんなものか、よく知っていた。双子や、歳の近い兄弟姉妹を異界に送り込んで、どちらか一方だけを外に出す。外に出てきた子に、出てこなかった方の名前を名乗らせる。そんな儀式だ。しかし、この儀式を行ったのならば、真夜と海夜が、二人揃って十五歳まで生きていたのが不思議である。

「だが、な。この儀式で、どちらかが死んで入れ替わるんじゃあ意味がない。どちらも生きて入れ替わらなきゃならん。だが、あの儀式で使う異界は、人ひとりの命が失われることが鍵となって外に出られる」

 嫌な予感がした。悪寒。必死に、一夜は、苛立ちを鎮める。

「仕方が無いから、その時、真夜と海夜の守護者に細工した。光廣君と、もう一人の守護者にな。どんな異界にも、一度だけ、条件を破って入れるという細工を」

 クスクス笑っていた。元治は笑っていた。結果を楽しんでいる。一夜の表情をたのしんでいる。

「その頃さ。海外からもう一人、確実に失う守護者の替えとして、守護者の卵を取り寄せた。その三年後、儀式そのものは大失敗して、俺と海夜の目論見は大成功して、双子は共に、名を入れ替えて外に出てきた。予想通り、替えの守護者はあてがわれた」

 コンコン、と、笑い声の代わりに、元治は机を叩く。

「その守護者が、あの、龍之介君だ。そして、彼は、今日この日まで、光廣君と共に、守護者をしている。海夜が死んだ、あの日もだ。彼は、海夜と共に電車に乗った――――」


「――――待て。それは違う」


 一夜が、制止した。一夜の知る事実と、それは異なっている。饒舌であった元治が、目を丸くした。

「海夜と一緒に電車で喋ったのは、俺だ。そもそも俺を異界に巻き込んだのはお前だろう」

 食い違いに、二人は揃って戸惑った。

「……違う。俺は今回、海夜と、真夜と、光廣君と、龍之介君の四人だけを異界に入れるようにした。そういう異界にしたはずだ」

「ふざけるな。じゃあ何で宮家の人間やらその守護者やら従者やらがランダムで学校の異界に引きずり込まれたんだ」

「いや、俺は、俺は、電車に乗って外の景色を見たいと。それしか聞いていない。それしか作っていない」

 狼狽える。元治は失敗をあまり経験したことがない。その反動か、一夜に睨まれる度に、机を掌で叩く。

「……お前が、嘘をつかないのは、知っている」

 それだけは信頼していると、一夜は小さく零した。

「だとするならば、俺達を巻き込んだ奴が、工程上、大宮篤夜を殺すことにした奴が、お前の他にいたと。海夜の願いを叶えた奴がいたと。そういうことになる」

 一夜は元治を落ち着かせるように、目を合わせて、ゆっくりと呼吸をして、口を動かした。

「……お前は、お前は、史上最強の呪術師だ。宮家にも生まれなかった、誰も辿り着けぬ境地に立った、呪術師。そのお前が作った、完全無欠の産物に、誰かが土足で踏み入り、組み変えていった。何故どうしてどうやってそうやったのかわからない。それならば、調べる必要がある、なあ?」

 一夜は首をかしげて、元治と目を合わせたまま、そんなふうに、焚きつける。毒を使おう。上手く使えと言うなら、使ってやる。黙っているのを了承の意と捉え、一夜は追い込んでいく。

「行けよ。犯人が逃げるのも、時間の問題だぜ?」

 そこまで言って、ぷつりと、糸が切れたか、元治は目線を落とした。一夜と共に、長い長い溜息をついて、元治は立ち上がる。

「あぁ、クソっ、迷惑料だ」

 元治が、そう言って、個室を飛び出していく。半開きの扉から、会計する元治とフセの声が聞こえた。何か頼んだ覚えも無いが、元治は、躊躇なく札を出し、それの釣り銭を、フセが出す。カランカランと、扉が開いて閉まる音がした。そして暫く、コツりコツりと、フセの足音が聞こえる。

「元治さんからアイスクリーム、三つ、注文されたんだけど。これ、私も食べろってこと?」

 困ったような顔で、フセが首をかしげた。

「あらあら、私の分も要らなかったのに。私、今すぐ帰ってしまうから」

 透子も、立ち上がって、個室を出ようとしている。アイスクリームはもう、溶け始めていて、甘い臭いがする。

「二人で食べて。それじゃあね」

 着物の裾を翻し、踵も翻して、透子も、喫茶店の扉をくぐり抜ける。それと同時に、他の客が入ったようで、フセが反射的に、いらっしゃいませ、と、口を開く。しかし、すぐにその姿勢を正して、店内に入り込んだ人間を睨む。不思議に思って、一夜も入口の方を見やると、見覚えのある、眼帯を付けた少年が、そこに笑っていた。

「やあ、やっぱりここにいた」

 羚が、個室に近寄って、躊躇なく、入ってくる。多少、フセがしかめっ面して、入ってくるのを拒みはしたが、すんなりと、入る。入って、まだ暖かい席に座って、寛ぐ様子を見せた。

「どうしたの? アイスクリーム、溶けちゃうよ。さっさと食べなよ」

 そう言われたフセが、イラつきながら、アイスクリームの入ったグラスを机に置いていった。

「お前は食べないのか」

 置かれたグラスに、躊躇なく手を出す一夜は、笑う羚に言う。すると、羚は、君が許可するなら、と、自分もグラスに手を出した。

「ちょっと、私の分まで取らないでよ」

 フセも、本当に全て取られると思ったらしく、一夜の隣に座って、小さなスプーンで、氷と生クリームの混ざったそれを、口に運んでいく。冷たくて、まだ、夏には少し遠い、五月の春日和には、冷たすぎた。

「そうだ、一夜君。君にプレゼントがある」

 羚が、アイスクリームをガツガツ口に運びながら、そう言って、手の中にある一つのカードを見せつけた。

「……黒い……カード……?」

 一瞬、それがなんだかわからなくて、フセと一緒になって首をかしげたが、それが、金銭の代わりのものだと理解して、一夜は、口の中にあった半固形物を飲み込んだ。

「拾ったんだ」「スったんだな」

 羚の持つ、それは、数限りある一部の人間だけが持つカードで、その価値は非常に高い。そして、この地域、この周囲を闊歩する人間の中で、そんなもの持ち歩いているのは、元治くらいのものだろうということも。おそらく、羚は、元治が一夜の父親だと知っていて、袖からスったのだろう。

「……犯罪だぞ」

 一夜がそう言うと、羚はニッコリと笑って、言った。

「……一夜君。お父さんの預金が今幾らか把握出来てる?」

「……良いのか?」

「君が良いなら、僕は止めやしないさ」

 そんな会話をしている二人を、フセは意味がわからないと言うように、眺めて、ポカンとしている。

「フセ、電話貸してくれ。ちょっと数人を駅前のファミレスに招集する」

 一夜の言葉に、フセが、やはり、意味がわからないまま、えぇ、良いわよ、と、二つ返事で了承してしまう。彼等を止める者は、もういない。


 数十分後、駅前のファミレスに、中学生が数人集まって、メニュー表を眺めていた。若い子供が集まって飯をかっ食らうにしては行儀良く物珍しそうに、色とりどりの写真が載せられている、その、料理名を見ている。

「龍之介ちゃん、ドリンクバーってどうやってやればいいのかしら……」

 喪服のまま戸惑って、真夜が、ドリンクバーのコーナーで、彷徨いている。

「コップ取って、氷好きなだけ入れて、ここのボタン押せば。ほら。あぁ、格由君、それ、日替わりスープバーだから。ドリンクバーじゃないから」

 え、そうなの? と、光廣がコップを持ったまま、首をかしげて、何が違うのかをずっと、見比べている。そんな風景をソファから眺めていた一夜は、共に座っている羚を見やった。

「お前は落ち着いてるな」

「まあ、僕は来たことあるから」

「ふうん」

 自分で取ってきた、メロンソーダをストローで啜って、一夜は、高揚している頬の熱を冷まそうとする。しかし、炭酸のパチパチした衝撃と、初めて飲む味で、更に気分は高揚した。

「楽しいかい。皆は楽しそうだけど」

 羚がそう問う。一夜は、コックリと、首を縦に一度だけ振って答えた。

「そう。それならいい。真樹君達も楽しそうだし。まさか、カズ君まで一緒に来るとは思わなかったけど」

 真樹と共に、キラキラした目でメニュー表を眺めていたカズを、一夜は舌打ちしながらも、笑って見ている。

「……なあ、羚。俺、聞きたかったことがあるんだ」

 目を合わせないままに、一夜は言う。

「何でお前は、海夜をあの日、神社に連れてきたんだ」

 あぁその事か、と、羚は、アイスコーヒーを飲み干して、ニッコリと微笑む。その表情は今までにないくらい優しげで、嘘も真もないようだった。

「従姉と似てたんだ。同い年の従姉とね。それが可愛らしくて、ちょっと、助けたかっただけ。好きな人に、最期の醜態晒すなんて、嫌だろう?」

 羚はそう言って、ドリンクバーに、新しいグラスと、オレンジジュースを取りに走った。その背を一夜は見ながら、メロンソーダをもう一度啜って、メニュー表を眺めていた。

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