男、かく語りき(1)
求神はそれを受ける神と安定所の承認により、取り組み開始となる。
「内容次第だ。日暮れ前には戻るぞ」
「うん」
ひとまず追いかけてみよう、と自転車に飛び乗りながら
「どこに行ってるんだろう、この先に何かあったかな」
「俺に聞くか」
「そうだった」
恐らく、今日の散策を一番楽しんでいたのはこの神様だ。山を訪れる神や妖怪に話は聞いていても、実際にあれこれ見るのは初めて。人外視点のお喋りに人間の常識は通用せず、地理把握なんてもってのほかだ。
わざとらしいぞ、と
***
里山に囲まれたこの地域は、少し町を離れると豊かな自然に直面する。
通行の邪魔にならない場所に自転車を止め、一定の距離を保ちながら青年の背中を目印に進んでいった。若者らしい洒落た格好が、鬱蒼と茂る木々の中で浮いて見えた。
やがてたどり着いたのは、ますます似合わない場所だった。否、求神内容を思えば妥当かもしれない。
「神社だ……」
「社だな」
青年は途中、周囲を気にした様子で背後を振り返っていた。見られて困ることなのだろうか。
すぐに逃げられる準備はしているか。靴の紐は緩んじゃいないだろうな、躓いてる場合じゃないぞ。
青年が鳥居をくぐり、拝殿の方へ向かう。小さいながら、きちんと整えられた神社だった。境内も綺麗で荒れた様子はない。
神域内に入ると、そこの主に察知される。
「
拝殿の前に立った青年が、誰かの名を呼んだ。
「
切なげな横顔が、ドラマのワンシーンのようだ。青年は拝殿の扉を見つめたまま、唇を噛んだ。
「
何度かその名を呟くと、青年は崩れ落ちるようにその場へ座り込んだ。
「
戻るぞと
パキン。
靴の下で弾ける小枝の音がした。はっと顔を上げた青年を見て、
「……誰?」
「こ、こんにちは」
不審気な顔で青年がこちらを観察してくる。無理もなかった。これは立派な覗き見だ。相手を刺激しないよう、名を名乗って頭を下げる。
「ふーん、
「はい、存じてます」
「え、なんで……あ、もしかして町の本屋?
「じーちゃんだろ。カウンター前に積み上げてたもんなー。もーホントないわ、恥ずいって」
そういう青年だが、嫌がっているわけではなさそうだった。店主の話を思い出す。
――誤解を受けがちだけどね、いい子なんですよ、本当に。店の手伝いもしてくれるし。
ちらりと青年が拝殿を見た。再び気まずい空気が流れる。
オレ、行くけど。
その言葉に
どう切り出すべきか。
「……なあ、さっきの見てた?」
「何のことですか?」
「見てたよな? あーどうしよ。でかい独り言だったってことにしといてくんない?」
「案ずることはない。こいつもお前と同じ側だ」
「やはり。お前、俺が見えているな?」
きょろきょろと青年の視線が彷徨った。
喋んのかよ……これアレだわ、ヤバいやつだわ。
俯いてぶつぶつと呟くと、やがて遠慮がちに視線を
「……
「あ、はい」
「はいって……なにその猫、ユーレイ?
「違います、神様です。訳あって一緒にいて」
「神様!? スゲーじゃん! 守護神的な?」
「お前が必死に話しかけていたのも神だがな」
歓声を上げる青年に、
「……うん、
急にしんみりとした様子で青年が呟いた。
ころころと表情が変わる男だ。
「……あ、てか、タメ語でいい感じ? 敬語推奨?」
「好きにしろ。こいつにもそう言っている」
「そうなん? じゃあタメで」
農道に出ると、
戻ってくると、青年は先程下りてきた山を見つめていた。
茶色がかった髪が風に遊ばれて、整った目鼻立ちをさらさらと隠す。ポケットに手を入れて立つ姿は陽光に縁取られ、淡く輝いていた。すらりと伸びた足の影が地に映る。これがモデルかと
青年はこちらに気付くと、はにかんだ顔を見せた。
「……で、どうする?
なかなか、場が読める男のようだ。日暮れまではまだ時間がある。
***
青年改め――
「オレさ、昔は結構ポチャだったんだよね。おまけに鈍くさくてさ、よく同級の奴らにからかわれてた」
それが悔しくて、
「小学生とかさ、運動できる奴がモテるじゃん? そうすると、でかい顔する奴もでてきてさ。オレ、絶対見返してやるって思ったわけ」
そんなある日、
擦りむいた膝小僧に血が滲む。泣いたらかっこ悪い。でも痛い。歯を食いしばって耐えていると、ふと何か楽器の音色のようなものが聞こえた。
音の出所を探ると、どうやら神社の方から聞こえてくる。笛と、これは恐らく太鼓だ。
狛犬の側まで来ると、拝殿の扉がすっと開いた。奥の方に、御簾がかかっている。静かに流れる音色に招かれているような気がして、
夢うつつながら、お邪魔しますと声をかけて中に入る。
浮かび上がったシルエットは、細身の人影。平安貴族のような格好に刀のようなものを差して、扇を持っている。知識に乏しかった当時の
耳馴染みのあるアップテンポの曲調ではない。ゆったりと染み渡るような、どこか懐かしい響き。言葉の意味も分からず、しかし、どうしようもなく惹き込まれて――いつしか、膝の痛みは消えていた。
「怪我がさ、綺麗さっぱり消えてたんだよ。マジで。だからオレ、夢見てたのかもしれねえなってその時は思った」
気が付くと、外に立っていたらしい。慌てて振り返って拝殿を見つめたが、夕日の逆光を受けて、中は薄暗い闇が溜まっていた。滴るような赤色を背景に浮かび上がる神社。怖くなってその日は逃げるように帰ったが、次の日
神社の周りを散々歩き回り考えあぐねると、拝殿の前に立って少し大きな声を上げた。
――あの、昨日は、ありがとうございましたっ。
返ってくる言葉はない。そう思っていたが、ひっそりと声がした。
――昨日の小童だ。礼を言うておる。
――ふん、心がけはともかく、もそっと品よく声を出せぬものか。
やっぱり誰かいた、あれは夢ではなかったんだ!
――おれいをしたいので、会いたいです! 開けてください!
今度は反応がなかった。
おかしいな。
回覧板です、郵便です、お届けものです、これ、ちょっと作りすぎちゃったんだけど。
思い出せる限りの訪問の言葉を口にしていると、またあの声がした。
――なんだあの小童は! やかましいわ!
――追い返すぞ。なんたる不届き者だ。
ざわざわと不穏な空気が漂い始めたところで、拝殿の扉が開いた。昨日と同じく御簾がかかっている。逸る気持ちを抑えて、
間もなく、御簾の下から細い指先と扇が覗いた。繊細な白肌と、仄かに色づく女爪。ドキリとしながら、
――
――なんと、御自ら!
それは童水干を着た二人の子どもだった。おかっぱ頭を振り乱し気味に宙を飛び、拝殿へ向かうと御簾越しに中の誰かと話し始めた。会話を終え、互いに頷いたかと思うとこちらへ向かってくる。愛くるしい顔の男児と女児であったが、その表情は険しい。
――スゲー! 飛んでる!
――まこと、やかましいやつじゃ。少しは落ち着け。
――小童、これを。姫様からの御文だ。とくと見よ。
差し出された白い紙を開け、
――なにこれ、何て書いてあんの?
次は少年の方から頭をはたかれた。
「草書で書いてあったんだよ。現代っ子には難度高すぎっしょ」
あははと
意訳すると、「気にするな。その後、調子はどうだ」ということだったらしい。
はい、元気です!
まるで朝の出欠確認のような返答をした
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