求神案内(4)

 そんな椿の移動の他にも、一樹いつきには「お役目」があった。

 祠の参拝と掃除がそうだ。人の信仰から生まれた椿つばきは、人の思いがとりわけ強く関係する。敬いの心が直接本人の力に変わるため、暇があれば行うのが望ましいとのことだった。現在は祖母と日替わりで来ているが、事情を知らない彼女の喜ぶ顔を見ると少し心苦しく思う時がある。


 打ち明けてもよいかもしれない。長いこと大事にしてきた神様が本当にいるのだと知ったら、さぞ喜ぶことだろう。きっと、信じてくれる。だが、見えない相手を紹介するにはまだ躊躇いがあった。


「それでいい。見えぬ者に無理矢理言う必要はない」

「俺には信じられないかとか言ったのに?」

「お前は見えただろう。変化の術を解くところも目にしていた。それでいて、いるわけがないなどと言うからだ」


 武士から少年の姿に戻ると、椿つばきは木から降りて祠に着地した。


「今日はどこか行くのか」

「午後から蒼也あおやと図書館で勉強」

「あの眼鏡か。勉学に励むのはいいが、時には遊べよ。引きこもっているともやしになるぞ」

「分かってるよ。その後は町を散策する予定を立ててる。まだ道とかよく分かっていないから、覚えたいんだ」

 箒を手に一樹いつきは笑った。


「君も来る?」

「いいのか」

「サイクリング日和だ、振り落とされないようにね」

「扱いの荒い奴だ。受けて立つ」


***


 いってらっしゃいと笑顔の祖母に見送られ、一樹いつきは自転車を走らせていた。


 先日まで満開の花を咲き誇らせていた桜並木も、今は緑葉になっている。薄紅色でいっぱいになったあの光景が懐かしかったが、これはこれでいいものだと椿つばきは言った。世には緑や黄の色をした桜もあるらしい。


「物知りなんだね」

「伝聞だ。直接見たことはない」

「そうか。じゃあ、いつか一緒に見に行こう」


 そうだな、と言う声が春の陽気に溶けていく。前髪をそよがせる風に目を細めながら、一樹いつきはペダルを踏み込んだ。


 待ち合わせ場所は学校の寮前だった。到着と同時に、建物から出てくる人影が見える。門越しに手を振ると、こちらに気付いた様子で少し急ぎ足になった。


一樹いつき。待たせたかい」

「いや、ちょうど今来たところだよ」

「ならよかった」


 開門とともに現れたのは、一樹いつきの幼馴染である榎本蒼也えのもとあおやだった。

 幼稚園の頃から今までずっと同じ学び舎にある彼は、仲の良い友人の一人だ。椿つばきが口にした通り、銀縁の眼鏡をかけている。眼鏡キャラあるあるというわけではないが、大変に学業優秀で大人びた言動をする男だった。


 自転車に跨がった蒼也あおやは、友の背後にいる少年に対して無反応だった。気にした様子もなく、椿つばきは荷台に座って通りすがりの猫を眺めている。そんな神様を横目に、一樹いつきは心の中で呟いた。


(ここにもう一人いるんだけどな)


 同じような思いをしている人間が他にもいるのだろうか。たまたま、縁が結ばれただけの自分は漫画やアニメのように不思議な力に目覚めたり、それを使って戦ったりする機会はなさそうだ。別に望んでいるわけではない。ただ、同じ景色が見られない寂しさをこうした時に感じるだけ。


「よし、今日はあいつにするぞ」

「え?」


 ぼんやりと考え事をしていたせいか、椿つばきの声に反応してしまった。ぽん、とおなじみの音がして少年の姿が黒猫に変わる。一樹いつきの肩によじ登ると、出発進行と前足を突き出した。


一樹いつき?」


 蒼也あおやが不思議そうな顔で振り返った。どうかしたのかと声をかけられる。一樹いつきは慌てて首を振った。


「ごめん、なんでもない。行こうか」

「ああ」


 取り繕った笑顔だったが、蒼也あおやは微笑み返して再び前を向いた。ほっとする一樹いつきに肩口で話す者がいる。


「お前、あまり気を抜いていると変人扱いを受けるぞ」


 誰のせいだと思っているんだ。

 その言葉を飲み込んで、一樹いつきは返事の代わりにぐいぐいと肉球を押した。


***


 図書館の自習室は閑散としていた。貸し切り状態の中、二人は学校から出た課題に取り組んだ。その間、椿つばきは彼らの様子を眺めながら、ゆったりと机に寝そべり尻尾を揺らしていた。


「お前は大変だな。よく分からん異国の字を連ねたかと思えば、今度は算術を始めた」


 邪魔をしないようにすると言っていた椿つばきだが、どうやら暇を覚えたらしかった。最大限に寛いだ格好で、一樹いつきに話しかけてくる。


「厳しい表情をしているが、苦行なのかそれは。眼鏡は涼しい顔で進めているぞ」


 一樹いつきは、蒼也あおやの目を盗んでプリントの隅に走り書きをした。


“考えてるんだよ、別に嫌なわけじゃない。あと、蒼也あおやはとびきり優秀だから早いんだ。”


「なるほど。妙な貫禄があるわけだ」


“貫禄?”


「爺むさいだろう。お前より年上に見える」


 そうだろうか。落ち着き払っているとは確かに思うが。


「お前が餓鬼くさいだけやもしれん。悪かったな」


 思わず椿つばきを睨んだところで、蒼也あおやが席を立った。


「トイレに行ってくる。どうした、随分と難しい顔だ」

「あ、いや……」


 蒼也あおやに笑みを返しながら、一樹いつきはその手元に視線を落とした。終わってる、と目を丸くする。己が手間取っている間に、優秀なる友は済ませてしまっていた。


「最後の問題は計算のコツがある。遠回りせず答えを導き出せるんだ。ほら、ここ」


 一樹いつきの視線から無言の訴えを読み取った蒼也あおやは、プリントを覗き込んですぐに指摘した。


「あ、これを置き換えれば」

「そう。解きやすくなる」

「本当だ、ありがとう。流石だね、蒼也あおや


 一樹いつきの称賛に、蒼也あおやは眉根を下げて笑った。彼は決して大きな態度を取らない。むしろ、謙遜しがちな面があった。


「そんなことは。僕でよければいつでも力になる」 


 そう言い置き、去っていく。できた奴だなと椿つばきが呟いた。全くもってその通りだ。一樹いつきは全面同意した。


***


 二人が通うのは、この地域唯一の進学校だ。人口が少ないので子どもの数も少ない。よって、学校も限られていた。わざわざ山を越えたのも希望進路に沿ってのこと。蒼也あおやもそうだが、彼は一樹いつきと違い他の多くの生徒のように寮生活をしている。

 共同生活は大変なこともあるが、その分楽しさもあるらしい。無事に課題を終えた二人は、町中を走りながら会話をしていた。


「騒がしいけど、そこそこ上手くやってる」

「うん、面白そうだ。洗濯機の取り合いとかあるんだって?」

「日常茶飯事だ。先輩だからって関係ないな、早い者勝ち」


 洗濯後も大事だ。油断して放置していると、籠に放り出されて靴下が片方なくなったりする。他にも……。


 蒼也あおやが大真面目な顔で語りだす。一樹いつきは大いに笑った。遊びに来いよと誘いを受け、近いうちに行くことを約束した。


「ここ、学校への近道だ」

「よかったな。明日から時間短縮できる」

「うん、収穫だ」


 全く見知らぬ土地ではないのだが、こうして改めて回ってみると見つかることが出てくる。途中で発見した本屋は、駅前のそれと比べるとこじんまりとしていたが、明るくさっぱりとした雰囲気があった。

 雑誌コーナーで、少女が二人、控えめながらはしゃいだ声を上げている。表紙を指して、「ユウくん」が載ってると嬉しそうにしていたが、ちらりとそれを見た一樹いつきは首を傾げた。芸能人と思われるが、知らない顔だ。だが、蒼也あおやは頷いていた。


「あの人、うちの卒業生だ」

「そうなの?」

「寮で見た。歴代の卒業写真が貼ってあって、そこに」

「へえ、よく覚えてるね」

「ものすごくモテていたらしい。今の三年生が恨めしそうに言っていたから、面白くて印象に残っていた」

「なるほど」


 確かに整った顔をしている。何より、華やかさがあった。イケメンというやつかと一樹いつきが納得していると、少女たちがレジに立っていた高齢の男性に話しかけ始めた。


葉山はやまのじっちゃん、ユウくんだよ!」

「表紙デビューだって! すごいね!」


 老人はどうやら店主らしかった。そうだねえ、と穏やかに笑って相槌を打っている。そのまま雑誌の購入を決めた少女たちに、これはどうもと頭を下げた。会計後、また来るねと手を振って二人は帰っていった。


「孫なんですよ」


 少女たちを見送った老人は、一樹いつきたちの視線に気付くと少し面映ゆ気な顔をしてそう言った。


「読者モデルをね、やっておりまして。今回、光栄にも雑誌の表紙に載せていただけたようで」


 ついつい、表の方に並べてしまいました。爺馬鹿の極みです。


 後頭部に片手を当てて笑う姿は、ほのぼのとした気持ちを一樹いつきに起こさせた。蒼也あおやと視線を交えて、口元を緩ませる。自分たちの先輩であることを話し、暫くの雑談を交わした。またお邪魔しますと最後に挨拶し、二人は店を出た。


 蒼也あおやはこれから用事があると聞いている。ここで解散となったが、別れ間際にふと声をかけられた。


一樹いつき。こちらでの暮らしはどうだい」

「ん? 楽しいよ」

「そうか」


 ならよかった。


 頷いた蒼也あおやの表情が、一瞬、ひどく老成したもののように思えて一樹いつきは目を瞬かせた。既視感がある。先程の本屋の店主の眼差しに同じものを見た。だが、また明日と手を上げて走り去る後ろ姿は、紛うことなく若者のそれだ。


“爺むさい”


 椿つばきの言葉を思い出し、肩口へ顔を向ける。相棒の黒猫は顔を洗うのに忙しそうで、取り立てた言及はなかった。


***


 日暮れにはまだ少し時間がある。何か活動できそうなことはないかと、一樹いつきは近くの公園のベンチに座って例のサイトへアクセスしていた。


 人間が使うネットワークにそんなものを載せていいのかと思ったが、それこそが狙いなのだと薫風くんぷうは語っていた。

 このサイト、実は閲覧者によって見え方が変わるらしい。一般人には何の変哲もないページに、見える者には見えるレベルでの求神きゅうじん内容を確認できるようになっているとのこと。詳しいことは追々と言われたが、次に彼女が来る日はさっぱり分からない。一応、新生活を始めた一樹いつきがある程度落ち着くのを見計らって来るとは伝えられている。妙なところで気を遣う職員様だった。


 検索スタート。地域指定をすると、驚くほどに数が減る。付近1キロメートルとなるとまずゼロだが、一樹いつきは一応試みた。一件のヒット。急いで詳細を開いた。


“三十メートル先、二十代男性より、求神きゅうじん有。願いは――”


「神様に会いたい……?」


 怪訝な顔で一樹いつきが読み上げたと同時に、脇の小道へ走り込む長身の影を椿つばきが見つけた。


一樹いつき、あの若造だ。読者もでるとかいう」

「え……?」

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