求神案内(3)

「この国の神々は、八百万という言葉で表されるように数多く存在しています。米一粒にも神が宿ると言いますね。あれが事実なのですよ。どんなものにも神が宿る、そんな国で貴方は生きている」


 春の匂いを含んだ風が足元を吹き抜けた。木漏れ日に輝く地面を見遣って、女は話を続けた。


「しかし、人間の信仰心が薄れるにつれ、異変が起こり始めた。神々が消え出したのです」

「え……」

「主に無名の神ですが、それが原因なのではありません。真名が知られずとも存在する神はいる。○○の神様といった形で信仰を受ける神々です。消滅し出したのは、その在り様さえ否定された者。いないものとして人の心から消された者たちは、その形を保てなくなり、やがて儚くなった」


 朗らかに響いていた鳥の声が、妙に遠く感じる。一樹いつきは、ひたりと冷たいものを首筋にあてられたような思いになった。


「消えた神々にも持ち場がありました。担当者が消えたことで、混乱する現場が出てきているといいます。また、消滅を恐れた者達による膨大な数の嘆願書が、天界に集まりました」

「ざわついていたな。かくいう俺も、お前まずいぞと方々から尻を叩かれたもんだ」

「どうして君はそんなに呑気なのさ……」

「バタバタ消えられてはこちらも困る、かといって人間へへりくだるのも本末転倒。さてどうしよう。一年に一度の神議りで、集まった神々は頭を寄せあい考えました。『そうだ、神活しよう』」


 ウエストバッグから取り出した大判のポスターを、女が掲げた。

 表面はつるりと光沢があって、折ったり丸めたりした跡は見当たらない。どうやって収納していたのか、突っ込むのは野暮と思われた。


 彼女も神の一人だと言っていた。神様とはきっとなんでもありな方々なのだ。

 一樹いつきは悟りを開きながら、一際目を引く文字を読み上げた。


「神様、安定所……?」

「左様。有識者の意見を元に設立しました。ふざけてないですよ、敬意を表すための組織名です。主に、集まった求神きゅうじんを神々に紹介して、願いを叶えていただいています。そうして、それぞれの格を上げることが目的です。人間にも職を求める者達の相談所があるそうですね。それを真似てみました。取り入れられるものはなんだって取り入れます、お堅い頭ではこの危機を乗り越えられませんから」

「は、はあ」


 ポスター、このへんに貼っておきますか。

 そう言って木の幹に手を伸ばした女は、すぐさま少年に止められていた。さほど食い下がることもなく、では町中にするかと呟いて再びバッグに戻す。


「神々が行われる行為を神様活動、略して神活と言っています。信仰心が減ってきたならまた増やせばよいのです。なんだかんだ、神頼みする人間はあちこちにいる。そこに本気はなくとも、叶えば少なからず心に残ります。あの神社に行ったら宝くじがあたったとか、人間は大好きでしょう? そういう心も積極的に利用したい」

「それでいいんですか。煩悩が溢れまくっているんですが」

「我々と人の物差しは違います。神にもいろいろいますしね、届く願いは多岐に渡る。一部には強い信仰心が集まっているんですよ。しかし、本当に一部だ。八百万の神々を支えるには至らない」


 時々、温度がなくなる眼差しに異質なものを一樹いつきは感じた。やはり、目の前の女は人ではないのだ。


「ご安心を。強い願いには対価が生じます。それを踏まえても叶えようとするなら、本人の自己責任だ。違いますか?」

「俺は……誰かの不幸を願うような人は好きになれません」

「そうですか。それが貴方の心の道ならばそうしてください」


 さらりと女は答えた。

 悪い人ではないのだと一樹いつきは思う。彼女が言う通り、物事の測り方が違うだけだ。


「取り組みはよいのですが、力の弱い神は活動に赴くことさえ難しいのが現状です。己の神域や領分でできることばかりではありませんので。ですから、そんな彼らの相棒や相談役として、我々は希少な視える人間のスカウトも行っています」

「貴方はそこの職員さんなんですか」

「はい。そういえば、名乗っていませんでしたね。失礼を。申し遅れました、私は神様安定所職員、薫風くんぷうといいます」

薫風くんぷうさん」

かおるでいいですよ。薫る風と書くので、頭の字を取ってかおる。ここらの馴染みからはそう呼ばれています」

かおるさん」

「はい」

「あ、俺も自己紹介しないと。俺は――」

「お前、本気で関わるつもりなのか」


 それまで無言だった少年が話に割って入ってきた。


「こいつの話を聞いていただろう。願いなんて綺麗なものばかりではない。お前のような人間は離れた方が賢明だ」

「過保護ですね」

「俺と組むということは、俺が守をせねばならん。面倒だと言っているんだ」

「守る前提にあるのが、ねえ。名乗らせもしないし。人の信仰から生まれた神の気質でしょうか」


 少年は黙っている。女は苦笑した。


「下級の神にそういう願いは来ませんよ。お二人には、この町の中で起こる小さな願いに触れていただくだけです」

「妖に遭遇したらどうする。はっきり言って、大妖相手で俺は歯が立たんぞ」

「貴方、そんなに心配性だったんですか。意外ですね」

「恩ある人間が食われて気分はよくない」

「食わ……!? 見えるだけで危険があるんですか?」

「心配は無用です。加護付きに目をつけたところで、死んでは元も子もない」

「加護付き?」

「字の如く、神の加護がある者を言います。罠と同じですよ、灯に牽かれてやってきた羽虫は炎に飲まれて塵となる。邪な心を持った小物など、貴方に指一本触れられません」


 一樹いつきの疑問に、女は笑って答えた。


「曲がりなりにも、この方は神ですから。結界に値する力はあります」

「俺が言っているのは大物だ、話を逸らすな」

「突っかかって来ますねえ。彼など食らったところで腹の足しにもなりませんよ。それに、手を付けた主から祟られると面倒だ。わざわざ手出しはしません」

「祟るんですか……!?」

「可能性の話です。大物になればそこのところも承知している。だから、安心して活動してください」

「君、俺のビー玉、本当に怒ってない?」

「気にするなといっただろう。嫌だと思ったなら、あの時点で跳ねのけている」

「それならいいけどさ……」

「熱のことなら俺は知らんぞ。幼子特有のものじゃないのか」

「恐らくね」


 一樹いつきが不承不承頷くと、そこまで狭量ではないと横腹に肘鉄を撃ち込まれた。なかなかにアグレッシブな神様だ。優しいのか厳しいのかよく分からない。呻く一樹いつきを笑いながら見遣って、女は口を開いた。


「まずは山を下りましょうか、そうすれば繋がると思います。ここは電波が届きにくいようだ」

「こいつ一人で眺めて何になる。俺の承諾がなければ受けられないんだろ」

「そうですよ。なんだ、ちゃんと今までの話聞いていらしたんですね」

「あれだけしつこく言われては、嫌でも耳に入る」

「よかったよかった。では、早速。少年、椿つばき様を背負って差し上げてください。神域を出る際だけで結構です」

「え?」

「できるか。そんな年ではない」

「少なくとも私よりは上でしょう」


 涼しい顔で少年に答えると、女は一樹いつきに説明してきた。


「今の椿つばき様は、お一人で祠から離れられないんです」

「弱いからな。依代から離れては姿を保てない」

「防衛反応で、一定の距離を離れると結界が働いて跳ね返されるんですよ」

「それと俺に何の関係が……?」

「貴方は椿つばき様と縁がある。貴方も依代のようなものなのです。貴方についていけば、椿つばき様はどこまでも行くことができる」


 一樹いつきは女から少年に視線を移した。


「ここから外に出たことないの?」

「昔は麓くらいまで出歩いてたが、それ以上はないな。元々、この場所に根付く下級の神だ、行動範囲は限られている」

「そうなんだね。背負う理由は?」

「その者に頼るという意味があるので。だから、恐らくごねておいでなのでしょう」

「ごねちゃいない。そこまでしてもらう義理がないってだけだ」

「十分だよ。ほら、どうぞ」


 少年に背を向けて腰を降ろすと、一樹いつきは振り返った。


「せっかくの機会じゃないか、色んなところへ行こうよ。でも、まずはばあちゃん家に戻っていいかな。随分長いお参りだと思われてるはずだ」

「お婆様と暮らされているんですか」

「はい、今日から。高校進学のために引っ越してきたところで」

「他に同居者は?」

「いません。二人暮らしです」

「なるほど、それは動きやすそうだ。椿つばき様、この少年当たりですよ」

「当たりも外れもあるか」


 少年は鋭く返すと、一樹いつきに呼びかけてきた。真摯な声に、一旦立ち上がって少年に向き直る。


「お前、本当に関わるんだな」

「うん」

「俺は弱いぞ。お前も同じく。生き残りたいなら、何かあれば即逃げろ」

「分かった」

「厄介事に首突っ込みかけたら、全力で引きずり戻すからな」

「襟首掴むの? 首が締まらない程度に頼むよ」

やわ言ってんなよ。覚悟が足りんな」


 口の端を上げた少年に、一樹いつきは同じく笑みを返して再び後ろを向いた。屈み込んですぐ、肩に小さな感覚が生まれた。


「乗った?」

「ああ」

「軽い……重さがない」

「だろうな。俺たちはお前のような肉体を持たない」


 一樹いつきが腰を上げ、これなら大丈夫だと飛び跳ねると頭をはたかれた。


「お前、神一人乗せて何してやがる。落とすつもりか」

「ごめん、そうじゃないんだ。思ったより違和感がなくて、つい」

「お前は本当に突拍子もないな。身体はでかくなっても中身は餓鬼のままか」

「いいですね。本当に兄弟みたいだ」


 二人の様子を見て、女が笑う。一樹いつきは目を瞬かせた。


「兄弟か。弟が増えたなあ」

「何言ってんだ、弟はお前だろ。ようやく二桁になったくらいのよわいで兄貴面するな」

「見た目は明らかに年下なんだけどな……君いくつなの?」

「さあ。何百年か忘れちまった」

「三桁!?」


 驚く一樹いつきの背を女が押した。


「これから、そんな存在にたくさん出会いますよ。お楽しみに」


 踏み出した足が、一歩一歩進んでいく。

 祠から離れて暫くしたところで、ぐにゃりと何かを通りぬける感覚がした。来たときには感じられなかったものだ。驚いていると、外だと呟く声が側近くで聞こえた。


「いってらっしゃいませ。そしてようこそ――」


 我らが世界へ。


 大仰に女が腕を広げた。気障な奴だと少年が吐き捨てる。一樹いつきは笑い、青く透けた空を眩しく見上げた。


***


 ――と、ここまでが、実は再会であった出会いの話である。長すぎることはない、何事も初めが肝心だ。


 祠から離れた一樹いつきは、人外二名様を連れて下山すると、できる限り平静を装って祖母に帰宅の挨拶をした。何の反応もないことで、本当に見えていないことを思い知らされる。ショックを受けつつ自室へ向かうと、活動について薫風くんぷうから説明を聞いた。


 だが、それから二週間近く経った今、目立ったことは特に行っていない。

 強いて言えば、全国各地で発生する、「腹痛の時、何故かひたすら神に祈る」案件をいくつか受けた程度だ。元々、病気平癒の神だというのだから効果は抜群だった。


 難点は、対象者から一定の距離内に椿つばきがいなければならないことだろう。求神きゅうじんサイトで目ぼしいものを見つけても、それはこんな願いがありますよという紹介だ。叶えるためには椿つばき自身が声を聞く必要があった。


 力の弱い神は拾える範囲が特に狭い。椿つばきの場合、それは半径1キロメートル程であったが、人口の少ないこの地域では山中の祠にいても意味を持たなかった。つまり、恐れ多くも神様自身が足を運ばなければならない状況にあったのである。

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