求神案内(2)

 女は再び一樹いつきに顔を向けた。


「貴方、どこまで知っているんです」

「何をですか」

「貴方自身のこと」

「あなたこそ、俺の何を知っているんですか。教えてください」


 ゆっくりと瞬きした女に視線を合わせて、一樹いつきは続けた。


「見える見えないとかも意味が分からない。だって、二人とも目の前にいるじゃないですか」

「だそうですよ、椿つばき様。やはり、状況は深刻です」

「時代は変わったんだな。時々参りに来ていたから、その心はあると思っていたが」

「人は目に見えぬものや形のないものを信じがたいようですよ。教えて差し上げては? 私も彼のことを何も知らない」


 少年はためらう素振りを見せた。


「どうせ監査が入りますよ、椿つばき様にもこの少年にも。私には報告の義務がある。今、お話された方が面倒もなくてよいかと」


 全く話が読めないが、動きがありそうだ。一樹いつきは黙って事の成り行きを見守っていた。おい、と少年に呼びかけられ、返事をする。


「俺が知る事実を話す。気分を損ねるやもしれん。それでもいいか」


 一樹いつきはこくりと頷いた。


***


「今から十数年前のことだ。ある夜に、一人の女が俺の元へ参りに来た。孫を救ってくれと」


 少年が静かに語りだした。


「すぐに、その日の昼に祠へ来た幼子のことだと分かった。狛犬に化けていた俺の左目に、硝子玉を取り付けた子どもだ。どうやら、熱を出したらしい。容態が芳しくないようで、大変心配した様子だった。参拝者もほぼいない今、その女は度々来て、祠の掃除までやって帰る。夫や娘も、回数は減るもののやはり丁寧に参りに来ていた。その願い、叶えてやりたいと思った」


 この話を知っているのは身内だけだ。周囲にペラペラと話すことでもない。それに、ビー玉のことは誰にも言っていなかった。一樹いつきは驚いた。


「この硝子玉には元の持ち主の思念が残っていたから、それを辿って幼子の様子を探った。医術には詳しくないが、かなり危険な状態にあることを悟った。すでに左目の視力は失われていた」

「え……?」

「迷っている暇はなかった。俺は硝子玉を媒介に幼子と縁を結んだ。幼子によってもたらされた視界を共有させた。俺の手がかかったことで、熱は少しずつ下がっていった」


 女が納得したように小さく相槌を打っている。なるほど、それでという声が聞こえた。


「お前の左目は俺と共にある。俺が消えれば、お前のその目の光も失われる」

「な、」

「だから、俺の身に何か起こった際には分離できる術をかけた。消滅と同時に、お前の目に全権が移る。よって視力は保たれる」

「それって……」

「つまり、何の心配もいらないということだ。それでも不安か? ならば、今返すが」

「待って、」


 己が左目に手を当てた少年へ言いようのない不安を覚え、一樹いつきは制止をかけた。


「返すって、そしたら君は……」

「元に戻るだけだ。お前も見ただろう、隻眼の俺を」


 片目であったのは先天性か後天性か。事情は分からない。目の前の少年はあっけらかんとしていて、何にも執着心がなさそうで。恐らく、それが胸騒ぎの正体だった。


「……やっぱり、迷惑だった?」

「やっぱりとはなんだ。俺がいつそんなことを言った」

「だってさ、あまりにも簡単に手離そうとするから」

「元々お前のものだろう。俺はお前の目を借り受けているだけだ」

「お前のって、でも君、俺の視力は本当ならもうなくなってるって」


 泣きたいような気持ちだった。これでは、彼らの話を認めているようだ。嘘なら質が悪い。嘘でないなら、あまりにも現実離れしている。


「ああ、俺とて万能ではない。むしろ弱い神だ。失われたものを取り戻すことはできなかった。すまない」

「謝らないでよ。本当のこと、みたいじゃないか……」

「そうだと言っているが」

「少年、こちらを」


 ふいに、女が手鏡を差し出してきた。顔を映すようにと指示され、よく飲み込めないまま、一樹いつきはそれを受け取った。鏡を覗き込み、すぐに驚愕から小さな声を上げた。


「左目が……!」

椿つばき様と同じ金色でしょう。今までも光っていたはずですが、お気づきではなかったようですね。では、椿つばき様とお話されて縁が濃くなったのでしょう」

「そんな、どうしたらいいんですかこれ。困ります、カラコンは学校の規則で禁止されてるんです」

「大丈夫ですよ。基本、人間には見えませんから」

「見えない……?」

「ご家族にでもお顔を見せてごらんなさい。すぐに分かります」


――いつきちゃん、それは高校デビューとやら?


 まぶしいねえ、きんぴかだと笑う祖母の顔を一樹いつきは慌てて脳内から打ち消した。ちょうど先程、休憩中に不良の話題が出たばっかりだったのだ。どうやら先日、再放送の学園ドラマを目にしたらしい。


――いつきちゃんも、高校ではきんぴかじゃらじゃらするのかい。きっと似合うけど、腰パンとやらはおすすめできないねえ。お腹が冷えてしまうよ。


 そんな祖母だ。十分、考えられる台詞だった。


「他に、認めてもらえそうなことはありますかね。椿つばき様」

「お前がこいつを抱えて、上をひとっ飛びしてくるのはどうだ」

「いいですよ。少年、高いところは大丈夫ですか」

「大丈夫ですけど……あの、なにを――」


 ひょい。


 驚く程軽い動作で、女が一樹いつきを担ぎ上げた。

 とん、と地面を蹴り上げ上昇する身体。衝撃にぽかんと口を開けた一樹いつきへかかる、舌を噛みますよという声。その後、青空飛行ショーが行われたが、辺り一帯に若い男の悲鳴が響き渡った、ということで割愛したい。


***


 這う這うの体で地上に戻ってきた一樹いつきは、大丈夫とは何だったのかと首を振る女と大笑いする少年の前で息を整えていた。


「なんだお前、割と腰抜けなんだな」

「いや、あれは誰だって悲鳴が出るよ! 俵担ぎで空中を高速で飛ばれて、いきなり降下したりして! 命綱もなにもないんだよ、俺はこの人の腕に抱えられていただけだったんだから!」

「しかし、おかげで心は決まったのでは?」


 女が口元に薄く笑みを乗せて問うてくる。一樹いつきは一度、視線を地に落とすと顔を上げた。


「預けるよ」

「ん?」

「俺の目、君に預ける。さっき君は、俺が信じられないかと言った。だから、これが答えだと思ってほしい」


 僅かな空の旅であったが、その間に一樹いつきは様々なことを知ったのだ。


 女が、風を纏うようにして空中を飛んだこと。高く高く飛翔して、雲の切れ間の中から昔話にでてくるような龍らしき姿を発見したこと。驚く一樹いつきに、これが我らの世界だと女が穏やかに微笑んでみせたこと。次の瞬間、急降下して絶叫させられたこと。それを見て、腹を抱えて笑う小さな生き物が散見されたこと。


 これが現実でないというのなら、なんと長い夢だろうか。そう、もはや受け入れるしかなかった。


「君が消える時にまた片目に戻るっていう、術とやらも解いてくれるかな。神様はそうそうやられはしないってこの人に聞いたよ、大切なのは信仰心だって。だから、俺が消させない。君が神様だって俺が知ってる。見えないけど、ばあちゃんもいるじゃないか」

一樹いつき、」

一樹いつきさんとおっしゃるんですか」

 

女の頷きに、少年はしまったという顔をした。


「引き入れるなよ、こいつは関係ない。信じると言ったんだ、それで終わりでいいだろう」

「何の話? さっきの、かみかつとかいうやつ?」

「そうですそうです、お話が早くて助かる」

「おいこら、自分から巻き込まれに行くな」


 一樹いつきの襟首を掴んで、少年は女から遠ざけた。


「面倒の匂いしかしない。餓鬼のお守なんざごめんだ、俺は気楽に生きる」

「しかし、このままだと貴方、本当に消えてしまいますよ。少年もそのお婆様も不死身ではない」

「そうだよ、できることはやろう」

「お前、あれだけ信じられないと宣っていたくせに、その切り替えはなんだ」

「吹っ切れたんだと思う。こうなったら、全力で乗っかりたい」


 呆れた顔をする少年を他所に、女は端末のようなものを取り出して操作を始めていた。


「なかなかいいんじゃないですか、兄弟のようで。試しに活動してみましょう」

「は?」

「今、求神きゅうじんサイトに繋いでいます。少年、貴方も見てみるといい」


 余計なことをするなと手を伸ばす少年をあしらいつつ、女は呟いた。


「いつにもまして繋がりにくいな……少年、携帯電話はお持ちか」

「え? はい、ここに」

「お借りしても」

「はあ、どうぞ」

「おい、何する気だ」

「機械音痴の爺様は暫く黙っていてください。後で少年にお尋ねすればよろしい。これを機にお勉強されてもよいでしょう」


 素早く何かの操作をして、女は一樹いつきに携帯を返した。


求神きゅうじんサイトをブックマークしました。これで閲覧されるといい」

「あの……俺、就職活動は先になると思うんですが」

「その『きゅうじん』ではありません。神を求める声、すなわち『求神きゅうじん』を集めたサイトです」

「神を求める、求神きゅうじん……」

「ふとした時に神頼みをすることがあるでしょう? 調子がいいともいえますが、今となってはそれが貴重でね」


 微笑すると、女は言葉を続けた。


「現実問題、人の信仰心は薄れつつあります。貴方のようにお参りに来られて神への敬意が感じられる方でも、実際会うとそんなものはいないと言う。日ノ本に生きる人間には不特定の神々に対する畏れが染みついていますが、一方、どこかで否定の心がある。それが、段々と強まってきている。均衡が崩れてきているんです」


 ついと、女が森の奥を指した。見えますかと問う声に一樹いつきは目を凝らす。


――かおるが人間に何やら言っているぞ。見えているのかあやつ。

――あれはさっき、奴に空中で遊ばれていた人の子ではないか。

――やあ、あの情けない声を上げていた。実に愉快であったなあ。

――へなちょこにも程があった。む、こちらを見ているぞ、気づかれたか。


 先程の小さな生き物だった。木霊というらしい。散々な言われようだと肩を落としながら、一樹いつきは説明を受けた。


「あれらが視認できますね。しかし、今までは見えていなかった」

「確かにそうです。でもなんで、椿つばきさまは分かったんでしょうか」

「以前お会いした時は、まだ大変幼かったとみえる。七つまでは神のうちと言うように、小さな子どもの頃はこちらの世と近い存在なんです。その後は、例え縁を結んでいても信じる心が薄ければ見えるものも見えなくなっていく。貴方がそのケースです」

「なるほど。今回は?」

「そうですね。当時と条件が多く重なったため、と考えてよいのではないでしょうか。例えば、この季節や時間帯、お会いした椿つばき様の姿。ともすると、日付までも」


 あの時の日付までは覚えていないが、暖かい春の日だった。女の言う通り、当時と限りなく近い状況だったのかもしれない。

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