こちら、神様安定所

求神案内(1)

 神は死んだ。


 その昔、高名な哲学者が言った言葉だが、内容についてはぼんやりとした理解で止まっている。フレーズを知るだけで意味するところは曖昧、そういった事柄は割と日常に溢れているのではないか。ただ、一般的な男子高校生である己にも断言できるのは、この状況を指しているわけではないということだ。


「うん、少なくとも目の前には一人いる」

「何か言ったか、一樹いつき

「いや、独り言」


 側の木に足をかけてぶら下がる少年から視線を外すと、一樹いつきは地面を掃く手を進めた。


***


「こんなものかな」

「うむ、大義であった」

「今日は殿様?」


 苦笑して声をかけた相手は、瞬時に猛々しい武士の姿に変わった。


 あれって、この前見た歴史番組の某武将(を演じた俳優)では。なかなかの再現度だ。すごいな、そっくりさんでテレビ出演できそう。

 そんなことを思いながら、一樹いつきは掃除に使っていた箒を片付ける。祖母手作りのススキ箒だ。可愛らしいサイズでできたそれは、祠周りの掃除にうってつけだった。


 久道一樹くどういつきは、先日高校に入学したばかりの新入生だ。実家から通うには少々遠いため、学校から比較的近い祖母宅でこの春より暮らしている。

 結構な田舎に分類されるこの地域は、とにかく交通手段が限られていた。過疎化が進み利用者も少なくなったバスは驚くほどに本数が少なく、線路も通っていない。寮を考えていたところへ祖母からの温かい申し出は、大変ありがたかった。


 さて、では先程出てきた変身少年は何者か。一言で言えば神様である。

 祖母宅の側にある山の少し奥入った場所に、ひっそりと佇む小さな祠の主だ。古くは病気平癒の神として祀られており、参拝者もそこそこにいたらしい。

 だがこのご時世、信仰心の篤い人は随分と減った。有名どころやパワースポットとして人気が出た場所は栄えているものの、それ以外は閑古鳥が鳴いている。少年の祠は紛うことなく後者だ。名を椿つばきといった。


***


 椿つばき一樹いつきの出会いは二週間程前に遡る。


――落ち着いたら、椿つばきさまへご挨拶へいっておいで。


 実家から祖母宅へ荷物を運び終えた一樹いつきは、共に一息ついていた祖母からのんびりと言葉をかけられた。

 幼い頃、一樹いつきは泊まっていた祖母宅で熱を出したことがあった。幼児にはよくあることなので、周囲の大人たちは看病しながら暫く様子を見ていた。だが、時は深夜を過ぎ、上がり続ける熱とひどく苦しむ息子の姿に母は決断した。救急医療を受けるため、当時は存命だった祖父の軽トラックで病院に向かったのだ。乗車人数の都合上、やむなく付き添いを断念した祖母は、件の祠へ行くと夜通し祈り続けたらしい。


――どうか、どうか、いつきちゃんをお救いください。


 やはりよくある一例だったのか、一樹いつきは無事に回復した。居ても立っても居られなかったのだと、当時のことを思い返すたびに母は気恥ずかしそうに笑う。普段は祖母譲りのおっとりとした性格の母が、その時ばかりは半狂乱になっていたらしい。祖母からも話を聞いた。


 お医者様はもちろんのこと、いつきちゃんの頑張りもあっての幸い。でもね、きっと、椿さまもお力になってくださった。うちに立ち寄った時だけでいい、どうかあの時のお礼をしてちょうだいね、と。


 かくして、一樹いつきは祠に向かった。祖母の家に来た時の恒例行事だ、幼い頃からの習慣で断る理由もなかった。成長期真っ只中の若い足ですぐにたどり着き、丁寧に挨拶を済ませた。腰を上げて、背伸びを一つする。気持ちのいい天気だ。木々の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら周囲を見渡し――ある場所に目を留めた。


「あれって……」


 あの時の狛犬だ。そう呟いて、一樹いつきは草むらの陰に鎮座する石像を見つめた。


 高熱を出した日のことだ。幼い一樹いつきは昼間にこの祠へ来ていた。祖母に連れられ、こちらが椿さまだよと教えられ。少し開けた場所なので、暫く遊びまわったのを覚えている。今日と同じく、様々な野花が咲き乱れていた。祠近くの木の根元に座り、孫の様子をにこにこと眺めていた祖母は、一樹いつきからシロツメクサの指輪を受け取ると一層笑み崩れた。


――いつきちゃんは、色男ねえ。


 当時、言葉の意味は分からなかったが、喜ばれたのは理解できた。かんむりもあげると群生の中へ再び飛び込む。無心に編んでいたが、ふと視線を上げた先、祠から少し離れた場所に小さな狛犬が立っているのを見つけた。


 幼児の関心は次々に移り変わる。わんわんだ、と駆け寄って顔を覗き込んだ。よくよく眺めて、一樹いつきはその像が片目であることに気付いた。左目にあたる部分が、抜け落ちたように空洞になっている。


――いたい?


 そっと尋ねてみたが、答えは返ってこない。一樹いつきは暫く考え込んだ。


――これ、あげる。


 熟考の末、いそいそとポケットから出したビー玉を落ち窪んだそこにはめ込んだ。ぴたりとあてはまったそれが、木漏れ日を受けて金色に光る。うんうんと一人満足げに頷くと、一樹いつきは祖母の元へ戻っていった。


 一度思い出すと、するすると記憶の糸が手繰り寄せられる。あれから不思議と見かけなくなり、いつしか忘れ去っていたのだが。


「やっぱりあったんだ。どうして今まで、見つけられなかったんだろう」


 再びしゃがみ込んで、一樹いつきは手を合わせた。


「今日から麓の真路しんろ家でお世話になる久道一樹くどういつきです。祖母から、ここの神様に小さい頃に助けていただいたと聞いています。それでまた、お参りとご挨拶に来ました。あの……勝手にビー玉はめ込んでごめんなさい」


 口にしてみたものの、応える者などいるはずがない。あの時と同じだ。分かってはいたが、ほんの少し虚しさを感じながら一樹いつきは狛犬を見つめた。金色に光るビー玉に己の顔が映っている。


 躊躇いの後、一樹いつきは狛犬へ手を伸ばした。ビー玉を外そうと思ったのだ。きっと狛犬も迷惑だろう。だってこの行為は、自己満足で行ったお節介にすぎない。むしろ、これが原因で熱を出したのではと密かに思ったこともあった。その怒りを買ったが故の――なんて、まあいるはずもないのだが。昔からよく言われているではないか。「罰が当たる」と。


 狛犬自体は、以前見た時と同様に苔生して大分古びた姿だった。だが、ビー玉だけはつい先程取り付けたようにきらきらと輝いている。そう、まるで生きているかのように――


「気にするな。案外、しっくりきている」

「……え?」


 一樹いつきは目を擦った。狛犬の口が動いたように見えたのだ。それに、声が聞こえたような気がする。年若い少年の、しかし大分落ち着いた声が。


「正月ぶりだな。また少しでかくなったか?」

「うそだ、狛犬が動いて、」

「ん? ああそうか、化けたままだった」


 ぽん、という軽い音と共に薄雲のような白い霞が棚引く。その中から現れたのは、一人の美しい少年だった。

 小学校高学年くらいだろうか。さらりと揺れるショートの黒髪は艶やかに輝き、白磁の肌はどこまでも透き通っている。鼻筋高く、薄い唇は桜色。きりりと意思強そうな眉の下、長い睫毛に縁取られた切れ長の目は、髪と同じく射干玉ぬばたまの黒――否、左目は金色だ。不思議な色合いの瞳で一樹いつきを捕らえた少年は、凛々しく整った将来性抜群の顔で仁王立ちした。


「……どちら様でしょうか」

「この祠のぬしだが」

「ぬし」

「ああ」

「……椿つばきさま?」

「いかにも」


 鷹揚に少年は頷く。対して、一樹いつきは首を横に振った。


「いやいや、まさか。そんなことあるわけない」

「俺が見えていて何を言う。目の前にいるだろうが」

「そういうごっこ遊びかな。随分、気合入っているんだね」


 確かに、「神様っぽい」格好ではあった。水干といったか、時代物でよく見る和風の服を纏っている。こんな山の中、しかも一人きりでだ。


「遊んじゃいない。これを着ておけとやかましい奴らがいるんだ。仕事着だからだの就業時間とやらは意識しろだの。口うるさくて敵わん」

「よく分からないけど、狛犬はどこへやったの? 小さかったから動かせたのかな。駄目だよ、悪戯しては。神様のものなんだから」

「あれは俺が化けていたと言っているだろう。分からんやつだな」

「からかうのも程々にね。君こそ、一人で遊んでいてはいけないよ。最近は物騒なんだから」

「餓鬼が餓鬼扱いとは笑わせる。俺が神だと信じられないか」

「信じるも何も、いる証拠がない」

「いない証拠もないな」


 両者、無言の対峙が暫く続いた。


 ほー……ほけっ、きょ


 鶯の声がどこからともなく聞こえてくる。


 ちょっと外すのやめてもらえないかな。脱力しそうになる。

 尊大な顔つきの少年を見ながら、一樹いつきは心の中で思った。睨み合ったはいいものの、ここからどうすればいいのか分からない。

 膠着状態を破ったのは、空から降ってきた一人の人物だった。


「こんにちは、椿つばき様。いかがお過ごしですか」


 目にも鮮やかな新緑が一樹いつきの視界に映った。

 短く切り揃えた緑の髪に糊のきいた白のワイシャツ、細身の黒パンツ、磨かれた革靴。持ち物はウエストバッグのみ。確認できたのはそれだけだ。何故なら、二人の間に降り立ったその人が一樹いつきに背を向けたまま、完全無視して喋り出したから。


「なんです、その体勢。ラジオ体操でも始めたんですか」

「らじ……? なんだそれは」

「主に、夏休みに早起きして頑張るアレだよ」


 一樹いつきは思わず突っ込んだ。まさに毎年取り組んでそうな年頃の癖に、どこまで設定を作っているのだろう。だが、心のどこかで非日常の匂いを感じ始めていた。科学技術の進歩は目覚ましいが、今のところ人は丸腰で空は飛べない。似たスポーツはあるが、それでもこんな軽装で空からご機嫌ようなんて、できるはずがないのだ。


「おや、聞こえてる」


 ぐるりと向き直った人物が一樹いつきを見下ろした。


 かっこいい。

 その面立ちを一目見て抱いた感想だった。クールビューティーという言葉が似合う、大変な美女がそこにはいた。ハスキーな声が耳に心地よい。それにしても背が高かった。平均身長程度の自分より、10㎝近く上にあるのではないだろうか。


「おまけに見えてる。それに……」


 じっとこちらを見つめてくる瞳は鮮やかなエメラルド色だ。随分、派手な人だなと一樹は思った。田舎ではまず見かけないタイプだ。


「なんだ、ようやく呼び寄せたんですね。相棒」

「違う。早合点するな」

「またまた。同じ目の色してるじゃないですか。差し上げたんでしょう?」


 目ん玉。

 にやりと笑った女が寄越した視線に温度を感じず、一樹いつきは後ずさりした。逆に一歩前に出た少年が、女性を見上げてため息をつく。


「構うな。用件はなんだ、いつもの神活とやらなら聞かんぞ。帰れ」

「そうはいかない。今日という今日こそは聞いていただきますよ、この少年にも関係がありますし」

「こいつがなんだというんだ」

「この少年には私たちが見えている。貴方と同じ瞳の色で立っている。それで話は十分でしょう」

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