こちら、神様安定所
柊
求神案内(1)
神は死んだ。
その昔、高名な哲学者が言った言葉だが、内容についてはぼんやりとした理解で止まっている。フレーズを知るだけで意味するところは曖昧、そういった事柄は割と日常に溢れているのではないか。ただ、一般的な男子高校生である己にも断言できるのは、この状況を指しているわけではないということだ。
「うん、少なくとも目の前には一人いる」
「何か言ったか、
「いや、独り言」
側の木に足をかけてぶら下がる少年から視線を外すと、
***
「こんなものかな」
「うむ、大義であった」
「今日は殿様?」
苦笑して声をかけた相手は、瞬時に猛々しい武士の姿に変わった。
あれって、この前見た歴史番組の某武将(を演じた俳優)では。なかなかの再現度だ。すごいな、そっくりさんでテレビ出演できそう。
そんなことを思いながら、
結構な田舎に分類されるこの地域は、とにかく交通手段が限られていた。過疎化が進み利用者も少なくなったバスは驚くほどに本数が少なく、線路も通っていない。寮を考えていたところへ祖母からの温かい申し出は、大変ありがたかった。
さて、では先程出てきた変身少年は何者か。一言で言えば神様である。
祖母宅の側にある山の少し奥入った場所に、ひっそりと佇む小さな祠の主だ。古くは病気平癒の神として祀られており、参拝者もそこそこにいたらしい。
だがこのご時世、信仰心の篤い人は随分と減った。有名どころやパワースポットとして人気が出た場所は栄えているものの、それ以外は閑古鳥が鳴いている。少年の祠は紛うことなく後者だ。名を
***
――落ち着いたら、
実家から祖母宅へ荷物を運び終えた
幼い頃、
――どうか、どうか、いつきちゃんをお救いください。
やはりよくある一例だったのか、
お医者様はもちろんのこと、いつきちゃんの頑張りもあっての幸い。でもね、きっと、椿さまもお力になってくださった。うちに立ち寄った時だけでいい、どうかあの時のお礼をしてちょうだいね、と。
かくして、
「あれって……」
あの時の狛犬だ。そう呟いて、
高熱を出した日のことだ。幼い
――いつきちゃんは、色男ねえ。
当時、言葉の意味は分からなかったが、喜ばれたのは理解できた。かんむりもあげると群生の中へ再び飛び込む。無心に編んでいたが、ふと視線を上げた先、祠から少し離れた場所に小さな狛犬が立っているのを見つけた。
幼児の関心は次々に移り変わる。わんわんだ、と駆け寄って顔を覗き込んだ。よくよく眺めて、
――いたい?
そっと尋ねてみたが、答えは返ってこない。
――これ、あげる。
熟考の末、いそいそとポケットから出したビー玉を落ち窪んだそこにはめ込んだ。ぴたりとあてはまったそれが、木漏れ日を受けて金色に光る。うんうんと一人満足げに頷くと、
一度思い出すと、するすると記憶の糸が手繰り寄せられる。あれから不思議と見かけなくなり、いつしか忘れ去っていたのだが。
「やっぱりあったんだ。どうして今まで、見つけられなかったんだろう」
再びしゃがみ込んで、
「今日から麓の
口にしてみたものの、応える者などいるはずがない。あの時と同じだ。分かってはいたが、ほんの少し虚しさを感じながら
躊躇いの後、
狛犬自体は、以前見た時と同様に苔生して大分古びた姿だった。だが、ビー玉だけはつい先程取り付けたようにきらきらと輝いている。そう、まるで生きているかのように――
「気にするな。案外、しっくりきている」
「……え?」
「正月ぶりだな。また少しでかくなったか?」
「うそだ、狛犬が動いて、」
「ん? ああそうか、化けたままだった」
ぽん、という軽い音と共に薄雲のような白い霞が棚引く。その中から現れたのは、一人の美しい少年だった。
小学校高学年くらいだろうか。さらりと揺れるショートの黒髪は艶やかに輝き、白磁の肌はどこまでも透き通っている。鼻筋高く、薄い唇は桜色。きりりと意思強そうな眉の下、長い睫毛に縁取られた切れ長の目は、髪と同じく
「……どちら様でしょうか」
「この祠の
「ぬし」
「ああ」
「……
「いかにも」
鷹揚に少年は頷く。対して、
「いやいや、まさか。そんなことあるわけない」
「俺が見えていて何を言う。目の前にいるだろうが」
「そういうごっこ遊びかな。随分、気合入っているんだね」
確かに、「神様っぽい」格好ではあった。水干といったか、時代物でよく見る和風の服を纏っている。こんな山の中、しかも一人きりでだ。
「遊んじゃいない。これを着ておけとやかましい奴らがいるんだ。仕事着だからだの就業時間とやらは意識しろだの。口うるさくて敵わん」
「よく分からないけど、狛犬はどこへやったの? 小さかったから動かせたのかな。駄目だよ、悪戯しては。神様のものなんだから」
「あれは俺が化けていたと言っているだろう。分からんやつだな」
「からかうのも程々にね。君こそ、一人で遊んでいてはいけないよ。最近は物騒なんだから」
「餓鬼が餓鬼扱いとは笑わせる。俺が神だと信じられないか」
「信じるも何も、いる証拠がない」
「いない証拠もないな」
両者、無言の対峙が暫く続いた。
ほー……ほけっ、きょ
鶯の声がどこからともなく聞こえてくる。
ちょっと外すのやめてもらえないかな。脱力しそうになる。
尊大な顔つきの少年を見ながら、
膠着状態を破ったのは、空から降ってきた一人の人物だった。
「こんにちは、
目にも鮮やかな新緑が
短く切り揃えた緑の髪に糊のきいた白のワイシャツ、細身の黒パンツ、磨かれた革靴。持ち物はウエストバッグのみ。確認できたのはそれだけだ。何故なら、二人の間に降り立ったその人が
「なんです、その体勢。ラジオ体操でも始めたんですか」
「らじ……? なんだそれは」
「主に、夏休みに早起きして頑張るアレだよ」
「おや、聞こえてる」
ぐるりと向き直った人物が
かっこいい。
その面立ちを一目見て抱いた感想だった。クールビューティーという言葉が似合う、大変な美女がそこにはいた。ハスキーな声が耳に心地よい。それにしても背が高かった。平均身長程度の自分より、10㎝近く上にあるのではないだろうか。
「おまけに見えてる。それに……」
じっとこちらを見つめてくる瞳は鮮やかなエメラルド色だ。随分、派手な人だなと一樹は思った。田舎ではまず見かけないタイプだ。
「なんだ、ようやく呼び寄せたんですね。相棒」
「違う。早合点するな」
「またまた。同じ目の色してるじゃないですか。差し上げたんでしょう?」
目ん玉。
にやりと笑った女が寄越した視線に温度を感じず、
「構うな。用件はなんだ、いつもの神活とやらなら聞かんぞ。帰れ」
「そうはいかない。今日という今日こそは聞いていただきますよ、この少年にも関係がありますし」
「こいつがなんだというんだ」
「この少年には私たちが見えている。貴方と同じ瞳の色で立っている。それで話は十分でしょう」
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